12月の話題


2001年12月

<第3の波> 20年前に発行された未来学者アルビン・トフラー氏の掲題の著書を読み直してみた。20年という歳月(正確には1980年に発行されたので原稿ベースで言えば20年+α)の経過がどれだけの予測のズレを生んでいるかに興味があった。ご承知の通り第1の波は数千年にわたりゆるやかに展開された農業革命、第2の波は西欧を中心にした産業文明の出現による約300年の変革である。ガラパゴス諸島の観察から進化論を唱えたダーウインは非産業社会の人々を産業社会の人間より劣った存在と決め付け、適者生存・生存不適格者は自然淘汰さるべきとして帝国主義正当化の口実を与えた。
 これに対する第3の波は規格化・分業化・同時化・集中化・極大化・中央集権化の弊害を悟りこれらを離れて脱画一化・少量多種生産化へ進む新文明である。社会の需要や価値基準・生活様式の多様化に応じて商品・サービスも多様化する。1973年の石油ショックを契機にエネルギ消費増大への反省が生まれ、チャップリンが「モダン・タイムズ」で風刺した第2の波からの離反が強まった。第2の波は一挙に消え去ったわけではないが、著者の云う通り第3の波が次第に社会に深く広く浸透していっていることを改めて認める。
 著書の中から第3の波の到来に付随した変化として概ね予測が当たっている分野を挙げると、エレクトロニクスの発展(コンピュータ・情報伝達・個人住宅の電子化など)、遺伝子産業の進展、フレックスタイム、グローバル企業の発展、地球意識の浸透、失業問題、新興宗教の増大などがある。
 一方で予測が乏しかった事柄としてソ連の崩壊と世界秩序の再編成、民族・宗教間の摩擦激化、環境公害の深刻化、デフレの進行、宇宙産業の停滞、テロの横行などが挙げられる。未来学者と言えども半分ぐらい当たらないのは仕方なかろう。


 面白い事は著者が云っているように第3の波の文明は第1の波の社会にある面で類似し(弁証法的な回帰)、第1の波と第3の波は調和するということである。第2の波の時点で人類は時間が直線的に進行すると考えたのが、第3の波に到って時間は円環状に推移すると考え直した。例えば著者は生産=消費活動(自分の事は自分でやる)の増大を挙げる。昔の人は身の回りの必要なものは何でも自分たちで作った。
 一方で第2の波の崩壊で人々は分りやすい上下関係の社会的地位などの秩序を失いつつある。階層構造は崩れる。職業観も揺らいでいる。孤独や人生の意味の喪失を多くの人が味わうようになった。混迷の時代である。第3の波の社会はあらかじめプログラムを決めずに状況に応じてテキパキとやっていける人間を求めている。この条件にかなう人々は複眼的思考力をもち、個性的で自分が周囲の人と異なった生き方をしていることを誇りにしているという。人間生きるのも楽ではないぞよ。

<電子辞書> 先月の辞書の話を読んだ友人から早速ソニー製の電子辞書を頂戴してしまった。あの項目を書いている時に自分でもCD-ROM辺りで適当なものがあれば入手してもよいなどと考えていたが、贈られたのは商品名"デジタルデータビューアー"という煙草のケースほどの大きさのパソコンとは独立に使用する機器だったので少し意表を突かれた。その内容は岩波広辞苑+研究社新英和・和英中辞典+百科事典マイペデイア+学研漢字字典ということで結構盛り沢山になっている。
 早速いじって見るとローマ字入力で現われた候補の中から矢印キーで容易に選ぶことができ、私のように左手が利かない者も厚い辞書のページを抑える動作が不要なのでとても便利である。またパソコンと独立なのはパソコン画面に文章を打ち込む時に画面をそのままにして傍で文字が調べられるのでまことに具合がよろしい。こうしてみると私のように手が不自由でない人にも、今後辞書や辞典の類は電子化したものが重宝がられるようになることは間違いない。

<倒産> 新潟鉄工*が倒産した。銀行、生保、スーパーなどの経営破綻はどうせ土地投機にからむ資産運用の誤りのツケを払うことになったのだろうと同情の気も湧かないが、この会社*は一寸違う。社風は地味ながら戦後の日本発展を機械産業の立場から支えてきた同業社である。学生時代にアルバイトに行った事もあり、発電・車両・船舶用の原動機やその周辺装置を手がけていたし、蒲田にも工場があって私には馴染みが深かった。
 詳しい台所事情は知らないが新製品開発の面では永らく目覚しいニュースに乏しかったようだし、恐らく真面目に昔からののれんを守るだけの消極経営がジリ貧になって行き詰まったのではなかろうか。ホームページに入ってみると"お詫び"として「11月27日東京地裁に会社更生法手続き開始を申し立て受理されました」とあり、その下には以前に掲げた製品カタログが消されもせずズラリと並んでいるのがうら寂しい。"ゆりかもめ"を始め既納製品のメンテは多分何らかの形で継続するだろうが、老舗が一つ新世紀冒頭に消えたのは感慨を催す事象であり、今後の産業社会全般の命運を示唆するようで心が重い。
 最近は全般に株価はベタ下げだし、リストラが流行するのは大方の経営者が自信を失ってしまっているのだろう。経営体質改善といえば企業の合併か経営規模の縮小しか考えつかぬようになってくる。何とか元気を出す材料や方策はないものか。それともあたかも諸文明が終焉を迎えて燃え尽きるように日本経済は先細りやむなしか。またここへ来て青木建設の経営破綻が報じられ、以前より囁かれていた土建業界にも遂に火が付いた。これはまだ序章かもしれぬ。

<ハイヴィジョン> N.H.K.は民放と異なり味のある番組を多く放映していて日頃から高く評価している。その中で最近一つだけ気に食わない事がある。"ハイヴィジョン"の宣伝である。何人もの知名人にハイヴィジョン賛歌を唱えさせる。「高画質・高音質で、空気が違うんですよ」「この臨場感!」などと云う。N.H.K.はコマーシャルがないから好きなのだが社の方針なのかこの件だけはしつこいほどやる。新聞の"BSデジタル"放送欄を見るとN.H.K.だけでなく民放各社もズラリと番組を載せているが、高画質で見たい番組など滅多にない。持たざる者の僻みではないが高価なチューナーや双方向用のセット・トップ・ボックスなど求めても費用対効果が釣り合うと思えない。大体軒並み高画質・高音質で放送しているのだろうか。

<鬱> この頃テレビ・ニュースの後の方でしばしば中央線・京浜東北線などが「人身事故のために一時不通になっていたが何時ごろ運行を再開しました」などと云っている。はっきり云わないが自殺であることは自明だ。鉄道関係者はその都度堪らぬ思いをしていることだろう。街角の投稿にもこういうのがある。尤もだ。
 私は北関東の片田舎から大都会東京まで通勤しています。朝夕の通勤電車の混雑は慣れていますが、朝夕の通勤ラッシュの時間帯に電車に飛び込み自殺をする者が多いと思います。ずいぶん前ですが、私の乗っている超満員の通勤電車に飛び込み自殺をされ、復旧までの約1時間近くを超満員の電車内に缶詰にされた事があります。電車に乗っていた人はみんな自殺をした人の事を「地獄に落ちろ」と恨んでいる事でしょう。せめて死ぬ時ぐらいは他人に迷惑をかけないでこの世を去ってもらいたいものです。
 自殺者数が平成9年から10年にかけて24000人から32000人に増えたと言う事だが、最近の就職難・リストラ続きの世情では更に激増したのではないかと心配だ。思うように行かなければ人間誰でも"鬱"になる。生来自殺など一切考えた事もないという人は稀だろう。薬などに頼らず、発想を変えることだ。昔上司で「窮すれば変じ、変ずれば通ず」と説いていた人がいたが、恐らく彼にも彼なりの悩みがあったのだろう。飛び込み自殺で有名な橋があり、橋の欄干の色が黒だったのを緑に変えたら自殺者が1/3に減ったという。万事気の持ち方一つである。

<継続> 新日曜美術館で日本画家守屋多々志氏の紹介があった。大正元年生まれで18歳から70年1日も欠かさず画き続けた絵日記が25000枚に達するという。前田青邨画伯に師事し、見た通りを下画きなしで毎日画きなさいと云われてからそれを忠実に実行してきた。戦時中徴用され中国へ赴いた時も軍に命じられて画き続けたし、また戦後10年してイタリアに2年間滞在した時も続けた。よく「継続は力なり」と言われるがこれほどの継続はまず類例がないのではなかろうか。運や健康などの諸条件に恵まれたとはいえ、こういう人には無条件で頭を下げたくなる。
 墨筆で輪郭を描くと色鉛筆で塗り水彩でボカシを入れ毛筆でコメントを記す。絵日記だけではなく歴史画家として襖絵などに数々の名作を残し2000年11月に文化勲章を受章した。イタリアで刺激を受け帰国後改めて日本画に独自の境地を生み出したと言われるが、如何にも日本画はいいものだと惚れ惚れする作品を生み出している。最近は俳画のような軽やかなものになり、好んで花の絵を画いているという。このたび生まれ故郷の大垣に美術館が作られたそうで機会があればぜひ一度訪れたい。

<歴史家の思索> アーノルド・トインビー氏の著作「試練に立つ文明」(社会思想社)を手に入れ本の中を逍遥している。"逍遥"と書いたのは著作が互いに一応独立の13の論文(講演記録)から成っていて、一気に読み下す性質のものではないと分ったからだ。著作は1948年に発行されたもので、私の最大の関心事は20世紀最大の歴史家と評される著者が最早半ば古典に属しかけている著述の中で扱っている主題の内どこまでが激しい変化の中にある現在まで通用するかという点で、素人には不遜なチャレンジであることを承知の上で、とても全面的にとはいかないが及ぶ範囲で踏み出してみる。
 2 歴史における現代の位置 と 7 国際的展望 の中で共産主義の脅威の重大性を認識し、第二次大戦直後の世界情勢を米ソ2強の対立として捉えている。この時点でまだソ連は核兵器の入手を明らかにはしていないが、著者は早くも第3次大戦が起これば次第に手段がエスカレートする戦争の終結が破滅的な結果をもたらすことを真剣に憂慮している。この問題は確かに20世紀後半の最大のテーマだったが、ソ連の共産主義は矛盾の拡大に耐えられず崩壊し、中国は独自の方式で新たに共産主義を採用し現在に至っているが経済制度としては変質してしまっている。氏の予測を越えた点である。
 6 ヨーロッパの矮小化 産業革命の主役として300年間世界に君臨した西欧諸国は第2次大戦の終了後突如として自らが主役から降ろされてしまっていることに気が付いた。かのグレイト・ブリテンが消滅したことに象徴されるように発展途上の世界諸国にはさまれて、人口の少ない西欧の矮小化は既成事実になった。これは英国人であるトインビー氏にとって認めつつも極めて衝撃的だったに違いない。インドの独立はこの直後である。
 4 ギリシャ・ローマ文明 ここで著者は面白い事を云っている。文明が遠方に向かうにつれてその精神的な放射の波は本来微弱になるが、そこで異なる波と衝突すると息をふき帰す。ギリシャの波とインドの波の合一が極東の仏教文明を生み出し、またギリシャの波がシリアの波と衝突して西欧世界のキリスト文明を生んだと。また文明というものは間断なく襲い掛かる挑戦への対応に成功することで誕生・成長し、やがて対応しきれない挑戦に直面して挫折・崩壊すると。
 8 試練に立つ文明 現代は史上その比を見ない生産力と物質欠乏とを兼有する矛盾の上に西欧キリスト文明・ギリシャ正教的文明・回教文明・ヒンズー教的社会・極東社会が並立している。これらを含む世界全体が単一の社会に統合されつつあり、なおかつ頭上に人類の未来が破局的な終末を迎える暗雲が蔽っていると著者は憂慮している。
 5 世界の合一化と歴史的展望の変化 智慧の始まりは薬になる一大痛棒を食らうに限る。非西欧社会は西欧文明が食わした痛棒のお蔭で大悟一番奮い立った。未だ覚醒していない人々も目覚めるのは時間の問題だ、そうなれば結局数(人口)がものをいうと著者は述べる。今後の世界の歴史を全体として研究する場合には経済、政治は2次的なもので第1義的には宗教を考えなければならないと云う。
 まだまだ講義は続くが取り敢えずはここまでにしておく。勿論時代の変遷によって関心の焦点がずれていくという点もあることは止むを得ないが、著者の論述の示唆に富む思索内容は半世紀を隔てて決して褪せない色で読者を魅了する。機会があれば再度触れたい。この21世紀初頭にもし彼が存命なら何を重点的に追加しただろうか。

<埋め立て> 10月冒頭の話題で江戸切絵図とは異なり近年になって品川―横浜間の海岸線が何故か海側に著しく後退した点に一寸触れたが、N.H.K.「その時歴史が動いた」で大隈重信が日本で始めての鉄道を品川・横浜間に敷設するに際し、薩摩藩などの広大な敷地がありその強い抵抗に会って用地買収に苦慮した挙句、思い切って路線計画を海側に移し全40KMの内約10KMを海中に石垣を組んで鉄道を通した話が披露された。迂回すべき障害物はないので線路は一直線に布かれた。道理で昔は海だった広範な地域がJ.R.と京浜急行を足がかりに新興住宅地と工場地帯になったわけだ。海岸線の後退はまさしく人工的に行われたのだ。私の少年時代の住居も勤務した会社の事務所や工場も社宅もすべてそこであった。

<読書> 様々なニュース・ソース、例えば購入した本の巻末近くの新刊案内、本にはさんであった独立の出版案内、テレビの今週のお勧め、新聞・月刊誌の広告などから興味を惹いた本・著者・出版社の名をメモ用紙に書き取っておいて不定期に立ち寄る駅前の本屋に置いてくる。選定の方針などはないが小説類は滅多に買わない。次の機会に行くと大抵前回注文の分を取り寄せてくれてあるので、持ちきれる限りはそれを貰ってくる。そうして求めた本は机の足元に乱雑に積んでおき、気の向いた時点で拾い上げて目を通す。
 どの本であれ、気に入った文の一節には緑色のマジック・ペンで傍線を引く。これが私の日常における一つのささやかな楽しみである。自分の読んだ本を誰か別の人が読むことは原則として考えない。古本にして売る気などはない。常用していたマジック・ペンのインクが切れたので文法具店に行ったら、流石に3種の色調の異なる緑があったのでこれを買ってきてどれを使うか考えている。自分としてはとにかく傍線は緑でなくてはならないと思っている。赤などはとんでもない。
 読み始めて一気に最後まで読み通すこともあるが、途中で飽きて別の本に移り、暫くしてまた前の本に戻ってくることが結構多い。一応エクセルで読書記録を付けていて評価記号を★マークで記しているが、最高の★★★はなるべく一気に読んだものに与えるようにしている。文春1月号の随筆欄に短歌が載っていて「前半にふれて書評を書いてのち後半を読まなくなるのは何故だ」というのがあったが、これは思い当たる。多分今ひとつ惹きつける魅力が足らないのである。



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