
<変革> 4月になった途端にプロ野球の開幕で、あのダメ虎タイガースが巨人に2連勝した。横浜市長選では既成政党を離れてボランテイアの支持を受けた37歳の中田氏が72歳で4選を目指し与党3党に社民の推薦をも受け現職で取り立てて失政もなかった高秀老市長を接戦で制した。変革の嵐が常識を覆すのにはそれなりの理由があるが、うかうかしていると時代遅れになってしまうと粛然たる思いを抱いているのは私だけではなさそうだ。
一方でこういう流れに突き動かされるのに無意識に期待していた快さもあるのが事実だ。
<漂泊の詩人> 種田山頭火の句集を読んだ。私のパソコンのMS-WORDでは"さんとうか"と打ち込むとチャンと"山頭火"と表示されるので、相当な有名人であることが分る。約900の自由律俳句と巻末に十何編かの随筆が載っている。冒頭に眼鏡をかけ、直径約60cmの笠を目深にかぶった写真が掲げられている。また本人の手によるのであろう10枚を超える俳画が適所に添えられていて、旅の景色の中に背より高い杖(頂部がごつごつした樹の枝)を右手に突いた本人の彷徨い行く笠姿も描かれている。あの大きな笠は肩先が少し濡れるだけで本来雨をあまり気にしなくて済む。雨傘が不要なのは便利でいい。
近郷に知られた大地主の家に生まれたが十歳の時に母が井戸に投身自殺して家は零落し、終生無常観にさいなまれる。早大文学部を中退、酒を飲みやがて妻子を捨てる。関東大震災で被災、社会主義者と疑われて拘引されたりした。出家して托鉢の旅に出る。度々庵を結ぼうとするが落ち着くことはない。58歳で念願のころり往生を遂げる。
季語を廃し575の定型に縛られるのを潔しとせず、子規の弟子高浜虚子の唱える有季定型のホトトギス俳句を離れて、破天荒な生き方で生活則俳句を貫いた。俳句の形式よりも内容重視で人生の思いを象徴する短詩ともよぶべき自由律俳句を創始した。
そのように理解はしているものの、句集を読んでみて今ひとつ心をゆさぶられる作品が意外に少ない。これはどういう訳か。恐らく過ごしてきた人生環境の相違が大きすぎるためだろうと思う。厳しい常乞食の道ではあるが、自ら稼ぐことを止めた人にもう1つ共感が湧かないのか。強いて言えばさほど健康を損なわぬままに放浪の日常を過ごす中でたっぷり自然に親しんだ点に救われる思いがする。
心に残る句を2,3選ぶと
おちついて死ねさうな草枯るる
さくらまんかいにして刑務所
「述懐」 笠も漏りだしたか
この人は毎日のように死ぬことを考えながら歩いていたに違いない。最後の句では放浪の人生を続けることが年をとるほどに辛くなったことを感じさせる。四国の遍路道には "人生則遍路"という語を刻んだ山頭火の碑があるという。
<医療を見切る> 最近友人が一読を勧めてきた「患者よ、がんと闘うな」(近藤誠・文春文庫)。―がん治療の常識を破った革命の書―という本の帯は大げさで気にいらないが、読んでみると以前から感じていた医療への不信感を改めて強くした。
著書はいくつもの癌医療の問題点を指摘している。

<県民性> 昔ならとに角、これだけ交通の便や移住の機会が増した現在、日本国内でこういう事(県民性)がそれほどはっきりと指摘できるものかといぶかりつつ、その題名を掲げた冊子(県民性の日本地図)のページをめくってみた。
ここで白状しておくと暇に任せて手当たり次第本を拾い読みすると、メモ代わりにエクセルの表に1冊1行で「読書記録」として書き込んでいる。書名、著者名、発行所などの他に"概要"という欄にごく簡明に内容を書き込んでいる。本は広告で主として題名で選んで本屋に注文するが、人の推奨を受けるケースはほとんどないから当たり外れがある。3冊に2冊まではかくして"外れ"として上記の表に書き込まれるだけの宿命になるが、残りはそれだけに済ませるのでは惜しいので、自分の忘備録も兼ねてこうして随筆の片隅に要約を書きとどめることにしている。
そこで県民性の話に戻るのだが、その発生要因を始めに二つ挙げている。一つは交通の不便な昔は個々の盆地世界ごとに固有の文化・気質が作られた。盆地の風景が日本人が心に抱くふるさとの基本形であるとする。また盆地だけでなく入江の平地が背後に山を背負い、左右を丘陵で閉ざされて、前方だけが海になる形も含めて、人間の眼が閉鎖性の強い空間を一つのまとまりをもった、安らぎを覚える完結した世界と捉えたと説く。日本の盆地は61ヶあり、入江形式まで含めると凡そ200あるという。
もう一つは弥生時代以降、日本の東と西でそれぞれ異なる文化が作り上げられたとするもので、言語の境界から追っていくと富山県の東端と愛知県の東端を結ぶ線あたりで日本語が東西に分かれると考えられている。事実私が縁故疎開で東京から愛知県中央部の岡崎に移り住んだ時に、こども心に西の言語圏に入ったと実感した。この区分は古代にはあづまことばとやまとことばと呼ばれ、近代には東京式アクセントと京阪式アクセントと言われた。中世までの日本は豊かな西日本と貧しい東日本として別世界の様相で、農業も西が断然進んでいたし、大陸文化の影響も西だけに強く及んでいた。
こういう大小極端な区分の他に、北から南までほぼ県単位で地域の特徴というものが拾い上げると確かに現在でも歴然とある。N.H.K.-B.S.の企画で「おおいとことんXX県!」という番組でそういうものを拾いまくっていて興味深く思っている。そういう中で東京に注目してみると一つは他人への干渉を嫌ういわゆる"おたく文化"、もう一つは情報への関心度の高さで東京人の大部分は最新の情報を得ねばならないという義務感にとらわれているような行動をすると書いてある。そう云われると自分も不本意ながら典型的な東京人らしい。
<経文を唱える> 般若(般若波羅密多)心経
観自在菩薩、行深般若波羅密多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色則是空、空則是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩捶、依般若波羅密多故、心無罫礙罫礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅密多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅密多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚、故説般若波羅密多咒、則説咒曰
カンジザイボサツ ギョウジンハンニャハラミッタジ ショウケンゴウンカイクウ ドイッサイクヤク シャリシ シキフイクウ クウフイシキ シキソクゼクウ クウソクゼシキ ジュソウギョウシキ ヤクブニョゼ シャリシ ゼショホウクウソウ フショウフメツ フクフジョウ フゾウフゲン ゼコクウチュウ ムシキ ムジュソウギョウシキ ムゲンニビゼツシンニ ムシキショウコウミソクホウ ムゲンカイ ナイシムイシキカイ ムムミョウ ヤクムムミョウジン ナイシムロウシ ヤクムロウシジン ムクシュウメツドウ ムチヤクムトク イムショトクコ ボダイサッタ エハンニャハラミッタコ シンムケイゲムケイゲコ ムウクフ オンリイッサイテンドウムソウ クキョウネハン サンゼショブツ エハンニャハラミッタコ トクアノクタラサンミャクサンボダイ コチハンニャハラミッタ ゼダイジンジュ ゼダイミョウシュ ゼムジョウシュ ゼムトウドウシュ ノウジョイッサイク シンジツフコ コセツハンニャハラミッタシュ ソクセツスワツ
掲帝掲帝、般羅掲帝、般羅僧掲帝、菩提僧莎訶
ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソワカ
これは唐三蔵法師玄奘が苦難の長旅を経てインドから持ち帰った経文の一部・般若心経である。観自在菩薩が長老シャーリプトラ(舎利子)に深遠な智慧の完成について語ったことばと言われる。「声に出して読みたい日本語」という本があって、いくつも文例が載っているが本気になって声を出して読みたいものは滅多になかった。考えても御覧なさい、"春はあけぼの・・・"とか"月日は百代の過客にして・・・"や"智に働けば角が立つ"なんてのは名文かもしれないが声に出して読み上げるべき代物とは思えない。
そういう中で日本語かどうかは別として、この般若心経こそはまさに腹に力を入れて朗々と読み上げるべき第一候補だ。注釈を見ると"耳で読め"即ち他人の読経の声をよく聴きながら読めと書いてある。しかるべき場所へ赴かないとこれは容易に叶えられないが、一人でも遮二無二唱えてみると深遠な智慧を語ったこの経文は自分の体内に有難く沁みこんで来る気がする。世には幾多の経文があるが俗人はこれ一つでよい。過去にどれだけの人が何回これを唱えたか、そのエネルギの集積を考えると空恐ろしいばかりである。だがこういう勤行こそまさに人間らしい所業なのだろう。私も決して信心深くはないが、折にふれてこれを唱えることにしてこの際仏教徒の端くれに加えてもらおう。

<現代歌謡> 1月に"歌謡の変化"という題でこの方面に疎い自分としては手探りで感想を書いてみた。このたび"徹子の部屋"に浜崎あゆみが登場した。司会者は日本デイスク大賞・ゴールドデイスク大賞などを受賞し完璧なメイクと衣裳でヴィジュアル演出するアーテイストとして敬意を表していた。まだ若いのにいささかも物怖じしないし大きな眼を開きまばたきをしない、視聴者にこびる風がなく滅多に笑わず話し方に癖がない。先日シンガポールで開かれたアジア音楽祭では現在最も影響力のあるアーテイストとして紹介されたそうで、若い世代にはカリスマ的な存在だという。
歌詞は自分で作る、しゃべるより手紙を書く方が好きだそうで、その延長線上で若い人が共感できるような作詞をする。例の9・11事件では人生観が変わるような衝撃を受けたという。直前に3ヶ月N.Y.にヴォイス・トレーニングに行っていた。特定の師匠はいないのか。いくつかの詩を見たが英語のタイトルを付けひたむきで切ないような心情を記したものばかりで、真面目すぎてユーモアや定型的な歌のもつリズム感、気楽な流行歌手の娯楽性とは縁遠いように感じた。明らかに在来の歌謡曲とはジャンルが違う。若い人たちは先の見えぬ世に彼女一流の孤独な歌を追い求め、昔からのありふれた歌など楽しむ気にはならないのかもしれない。大人どもは置いていかれそうだ。
<週刊誌国会> このところ立て続けに国会議員が委員会で疑惑を追及され、いずれも辞任などに追い込まれている。その火種の多くが最近は週刊誌を発端にしているようである。このところ追求する側も人が代っても同類の質問を何度も繰り返すし、応える側も質問とずれた内容を何度も説明するなどテレビで放映して視聴者を辟易させる応酬が続く。国の最高の審議と決議の場で実に次元の低い論議がなされるものだとうんざりさせられる。ネタが週刊誌だからというわけでもあるまいが。
国会議員は数年前から3人の公設秘書を抱えるのに必要な公的な手当が出ることになったが、どうもこの制度の運用に関して公金の私的な流用防止の明確なルール作りがなされないままに推移したらしく、厳密に詮索すれば大抵の議員が大なり小なり後ろめたい思いがあるようで、ここへきて改めて運用規定を作る動きがある。
どんな具合か試しに"週刊文春"を求めたところ、―総力特集 議員辞職勧告―とあって、まずグラビアページに衛視たちに囲まれ、顔をしかめきった田中真紀子議員が記者の追及を逃れて国会を退出する写真が載っている。元公設秘書3人がそれぞれ真紀子議員にピンハネされたと訴えているし、真紀子さんは表の顔と裏の顔が観音と鬼ほど違いますから・・・と云いたい放題に叩かれている。次の記事では自民党有力者たちが"真紀子人気にビクビクー腰抜け議員オフレコ発言全公開!"とけなされている。新潟で選挙があるからか。次の記事は"田中真紀子相続税44億円怠納"で、追い討ちは"田中真紀子のウソ、言い逃れ、すり替え論法全部見抜く方法" ときた。これだけ週刊誌を怒らせ敵に回しては真紀子さんの人気も台無しで、この際只では済まないだろう。新聞広告では"週刊新潮"も"女性セブン"まで大きく取り上げている。
このように週刊誌が調査してくれると公設秘書を雇わなくても、国民に活動をアピールする程度の質問追及ぐらいはできるかもしれない。共存共栄というわけか。
<桜前線> 今年の春の訪れは異様に早く、予測では4月25日に桜前線は札幌に到達するだろうと報じられている。これは気象予報開設後の記録にもなるという。横軸に月日、縦軸に日本全国の平均気温をとったグラフを見ると、2月以降今年は一度も在来の平均気温曲線を下回った事はなく平均5度以上高く推移している。
マスコミや気象庁は口に出して云わないが、これはもしかして地球温暖化の影響がかくも急激に表面化したのではあるまいか。本来これは10〜20年ベースでじわじわと現われることはあっても、2002年に突如ステップ的に実現するなどということは信じられない。しかしどうもこの暑さが一時的に終わることはないらしく、気象庁は渋々ながら今夏の暑さが長期化することをほのめかしだした。
京都議定書の批准を日本も急いでいるようでロシアが少し遅れそうだと報じられているが、これに従わない米国の姿勢は国際的な非難の対象になろう。後進国は当面大目に見られているが、中国辺りは世界経済の中で大きな顔をするつもりならば具体的な温暖化対策の策定・実施を猶予されるべきではない。果たして孫子の時代まで人類は無事に生き延びられるだろうか。