
<自然の美> 庭には今を盛りに樹々がそれぞれに華麗な色を演出している。赤芽樫とか鮮紅色の楓、松の新芽が伸びている。中でも、ツツジの朱色の花と地味な葉の緑の対比が改めて眺めると絶妙のバランスである。本来赤と緑は色彩上のバランスが悪いはずだが、単純な赤と緑ではなく、朱が強く葉の緑は地味にこれをうまく補っている。また二つの色の視野の中への収まり方が何とも云えず調和している。自分が自然をモデルにして絵を画くとして、このように色とその画面上の大きさの比率を修正すればもっと美しくなるという箇所は見当たらない。生まれ育って以来、あるいは自分の遠い先祖まで含めて遺伝的に、美的な感覚が自然に飼いならされたということもあるのだろう。それにしても自然の我々への訴える美に完成されたものを感じるのは不思議なことだ。
<家族> 文豪森鴎外には二人の夫人との間に3男2女がいた。長男は於菟、次男が不律(夭折)、3男が類、長女が茉莉、次女が杏奴という名で、それぞれオト、フリツ、ルイ、マリ、アンヌと読む。随分変わった名前だと思ったが、ドイツに留学したことのある鴎外は例えば長男について「この子はドイツに行けばOtto Moriで歓迎されるぞ」と言っていたそうで、追って知るべしである。自分の子だけでなく友人達にも頼まれてその子たちにも何人も同様の命名をした。
この度、森於菟の「父親としての森鴎外」、森類の「鴎外の子供たち」、森茉莉の「記憶の絵」の3冊の私小説というか随筆風のそれぞれの立場から皆正直に父とその周辺を描写した著作を読み、鴎外とその家族のありようについて新たに知ることが多かった。
鴎外は漱石と違い渡欧しての生活が随分気に入ったらしく、帰朝後あとを追うようにしてドイツ女性が来日し、鴎外の母など家族が出世頭の長男の名に傷が付かぬよう大層気を遣って丁重に送り返したようである。早く身を固めさせるに限ると親たちは身分のある人の令嬢と間をおかず結婚させた、これが長男於菟の母であるが、お嬢さんのわがままに鴎外は鼻持ちならなかったらしく、早々に離婚となり子供は鴎外側が引き取り鴎外の母が育てた。これに懲りて再婚に慎重になった鴎外だが、母の再三の懇請を受けて、とびきりの美人で裏表のない勅任判事の娘しげ子と結婚した。残る4人の母となった人である。森茉莉に言わせると"母親の顔は伝法な、悪事をしかねない感じの凄い美人だった"となる。

<厳島神社> 海面からわずかに浮き出た宮島の厳島神社の朱色の回廊の美しさは平清盛の発想によるのだそうで、800年前に建てられた。清盛は京の朝廷に仕える武士として建国以来始めて天下を治めたが、大病を患って世のはかなさを実感し平家一族の永き繁栄を自信ないながら只管祈願して、この神社を建て彼の般若心経を奉納した。現在に至るも伝統に従って厳島千僧供養、平安文化の彩りを残す舞楽の舞が奉納される。今年も年に一度の馬頭奉納は1月6日地久祭の早朝、宮司によって父子相伝の舞として納められた。
私は直接訪れた事もなく話に聞くばかりだが、平氏の当時の仏教への帰依の熱情は誠に熱烈だったと思われ、その先祖の業を放念することなく台風など潮位の変動による建築物の傷みもこまめに修復し、上記の如く伝統の行事も怠ることなく忠実に執り行う日本人の歴史を大切にする心情は柳田國男が存命ならさぞ嬉しく思う事だろう。まさか国家予算に組まれて政府が財政援助をしているわけではないだろうし、こういう営みを疎かにしない事は同じ日本人としてぜひとも続けて欲しいと念じている。
<中学生日記> 日曜日の朝、N.H.K.で表題の番組があり、何となく暗い内容らしいので興味もなくチャンネルを変えていたが、そのままにして見てみると続き物で前のストーリーは知らないが、突っ張った男子中学生がある日髪を茶髪に変えてきて担任の教師に咎められ、校則に反する事は百も承知でやっている反抗的な態度に教師に髪を元に戻さないのなら教室に入る事を許さないと言い渡される。
本人はそれまで野球部に入ってみたが抜きん出た素質もなく、学業成績も今ひとつぱっとしない。家庭は母一人子一人で母は生活費を稼ぐために一生懸命に働いているが十分な小遣いを与える余裕はない。そういう環境で本人はこのままではいけない、何とか人と変わったことをやってみたいという焦りが身近に適当な指導者もなく髪を染める(本人はイメチェンと言っている)行為になったらしい。
保健室で母が作ってくれた弁当を食べ、学校に居られなくなって公園に行く。都会の公園は隅々までありきたりに出来上がっていて、全面にタイルが敷き詰められペンペン草も生えていない無味乾燥の世界だ。見るからに救いがない。呆然とベンチに座っているともう一人同様に既に落ちこぼれになっているらしい同級生がやってくる。二人でどこかへ行きたいと夢想的な話をするが具体的な当てはない。番組ではそうこうしているところへ年配の不良が近づいてきてヤクを勧めるという抜き差しならない状況に発展していく。
こうして見るとなるほど今の世は生徒も先生も大変だと感じる。同じN.H.K.で"ようこそ先輩"という番組があり、一芸に秀でて知名人になった人が久しぶりに自分の卒業した学校(主として小学校)を訪れ、自分の専門にからんで数日間こどもたちに何かユニークな勉強をさせるというのがある。日頃と変わった内容をその道の尊敬できる先輩から教わるというので子供たちの眼が輝くが、これは極めて限られた内容で文部省として永続きや一般化できるわけもなく、気休めにもならない。
アフガンや東インドネシアで戦火の跡から立ち上がる子供たちは厳しい環境にもかかわらず勉学の希望に眼が輝いているのは、将来期待されている役割がゴロゴロしている事を感じているからだが、今の日本の子供たちは人口の減った年令層に属していながら、何をすべきなのか具体的な生き甲斐を感ずる目標を与えられているように思えない。子供は敏感だからそういうことは直ぐ分る。学校を出れば就職難だし、自営業の道は狭く厳しい。この辺が今の世の最も閉塞的な状況と言われる所以だ。大人たちが子供に何を期待するのか、ぜひこうなって欲しいと言い、分ったそうしたいと応える道を明示しなければいけない。多少の危険はあってもいいではないか。詰まらない拘束はやめてしまえ。

<本の帯> 本を買ってくると大抵帯が付いている。本が新しい内はその帯だけ外して捨ててしまっては悪いような気がしてそのままにして何とかその本を読もうとする。読んでいる内に次第に帯が下へずれてきて本の下へはみ出る。これはいかんと帯を上へずらして正規の位置に戻す。しかし一旦ずれる癖のついた帯はすぐまた下へずれる。従って本を読んでいる内に何度でも帯を元へ戻そうと無意識に格闘する事になる。かくしてその本を読み終える頃には帯には無残に折り目が付いたりして体裁がわるくなるので仕方なく外して捨てる羽目になる。
冷静に考えて見るとこれは全く無駄な作業である。特に私は左手が不自由だから尚更だ。大体本の帯はその本を買おうかどうしようか迷っている人に今一押しの決意を促すのが役目だから買ってしまえばもうあらかた用済みである。従って家へ持ち帰って改めて手にした途端に剥がして捨ててしまうのが正しい本の扱い方である。書店で本にカバーを掛けましょうかと訊かれ、長期に保存するつもりの特別な本以外は断っているが、カバーをかけて大事にすれば見えなくなってしまうのに、裸で扱う本の帯に何故妙な未練を持つ必要があるか。これは貧乏人根性である。
<朝日新聞> 首相や政府要人が靖国神社参拝というと目の色を変えてその眼前に飛び出してマイクを突きつけて「参拝は公人としてですか、私人としてですか?」と訊く奴がいる。これは必ず朝日の記者である。歴史教科書にしろ南京事件にしろ事あるごとに中国要人にご注進に及び常に中国におべっかを使うのが朝日新聞である。3年前に始めてこの事実を知り長年とっていた朝日を断固やめてしまった。
最近「朝日新聞血風録」(文春文庫)という冊子を入手し、早速読んでみた。記事の主体は第二次大戦中の戦争協力への反省記事の社内弾圧*と、広岡知男社長の親ソおよび親毛沢東(文化大革命礼賛)路線によって永らく政治的に偏向した報道がなされたことを明らかにしたものである。著者稲垣武氏は10年前に朝日を退職するまで*印がらみで永年社内で閑職に追いやられ、この曝露によって永年の鬱憤をやや癒した感もあるが、最近の已然たる中国へのすりより姿勢については流石に遠慮して控えてしまったようで私には不満が残る。いずれにしても社内に自由な論議や表現を抑え、記事に厳しい統制をかける風潮が根強いことは間違いない。
ここへきて瀋陽の日本領事館へ亡命のために駈けこんだ北朝鮮からの出国者5名が中国の官憲の不法侵入で引きたてられた事件が発生したが、インターネットの朝日新聞のホームページは記事への仕方に困惑してか、ここ3日間閉じられたままだ。―註 インターネットの朝日新聞のホームページはいつの間にかU.R.L.を変えていた事が判明した。改めて見ると「日本側が立ち入り許可」と麗々しく中国側の反論を載せているー
<投資> 私は今までこの世界には不案内で直接足を踏み入れたことがない。だがこの度目を通した「ウオール街のランダム・ウオーカー」(バートン・マルキール著 日本経済新聞社)は極めて穏健で常識的な本だった。内容が説得力に富んでいたので、その骨子を紹介する。
株価予想手法は原理的に大別してテクニカル分析とファンダメンタル分析の二つになる。前者は皮肉って"砂上の楼閣理論"とよばれる手法で、株式の実態は脇において専ら株価と出来高の推移をチャートで分析、今後を予測する。全投資家を相手にする心理戦だ。
後者は"ファンダメンタル価値理論"とよばれる手法を用い、各種の経済指標からその株式の適正価値を推定し、現在の株価と比較して対応法を判断する。
このような手法を織り交ぜて世界中の投資家がゲームを展開しているわけだが、著者は株式投資の不滅の真理として次の何点かを挙げる。
@ 効率的市場仮説 これは公表・未公表を問わず、あらゆる情報は既に現在の株価に織り込まれているというもので、自分だけが知り得る新たな情報を求めてアクセクしても凡そ徒労だという。
A インデックス・ファンドも含め投資目的に適したポートフォリオに分散投資する単純なバイ・アンド・ホールド戦略はどのようなテクニカル戦略にも勝る。
B 投資に伴うリスクは投資期間が長くなればなるほど、確実に低下する。
著者はジタバタしても長期的には決してよい成績は残せない事を力説する。更に投資は株式や債券・商品などに、また国内だけに限らずに海外にまで分散させることが重要と説く。そして最後に個人投資家のための最適な投資戦略はその人の年令によって非常に異なると述べ、リスクの大きい投資方法は若いうちに限ると言う。尤も多くの若い人は投資にかける金も暇もあまりないのが実情だろうが。以上の文中に私自身が暫く前には知らなかった専門用語がいくつか入っているが、解説は省かせてもらいます。

<日本の心> 日本会議「日本の息吹」編集部編「日本の心を語る34人」(明成社)という本を入手した。一流芸能人・作家・学者・職人・事業家など日本人26名、外人8名が自分の人生と日本の国との関わり・想いなどについて述懐する。関心の強い要素として採りあげられたものは、重複も許せば国歌2、国旗3、靖国神社9、日本語7、天皇11、日本の歴史13、世界の歴史に与えた影響3、日本の自然8。
第二次大戦で日本は戦いに敗れたが、有色人種がこれを契機に欧米の支配から脱したことを日本のお蔭と外人を中心に高く評価している。皆さんの説くところでは日本の精神は敬愛する天皇を中心とする歴史にそのルーツがあり、大切な技、行事、考え方はすべてその誇るべき伝統によって支えられている。そして富士山・桜に代表される自然を皆が愛している。
一方で近年日本は事あるごとに近隣諸国にペコペコしているが、もっとシャキッとしなさいと言う声が多い。多くの人が靖国に言及しているのに感銘を覚えた。一国の首相がその靖国神社に参拝するのに近隣諸国に気兼ねするのはおかしい。今やその心を声明して誰が何と云おうが堂々と実行すべきだ。自民党幹部も中国首脳部への卑屈なご機嫌伺いや弁明を断固止めることだ。この度の瀋陽の日本領事館侵入事件で、日本側の対応は後から続々と自己撞着の事実が明らかになり歯がゆいばかりだったのに対して、事態の状況を発表する中国外務省の孔泉報道局長は毅然たる態度で終始した。戦後の学校教育から始まり外務省の空気は永らくチャイナ・ロビーと称される歯切れの悪い精神を醸成してきた。
冒頭の本で日本軍と共に戦ったというパラオの人は「日本人はもう戦争はこりごりだと言っている。もう闘う勇気をなくしてしまったのか。誰だって戦争はしたくないけれど戦わざるを得ない時があるのです。」と述べたが、改めて「福岡で博多山笠のお祭のビデオを見ました。そこに出てくる若者たちは大和魂を失っていない本当の日本人です。アメリカを恐れさせた日本の兵隊さんと同じ表情をしていました。こういうところに日本人の魂は残っているんですね。ですからこのお祭は大切にして欲しいです。」と述べている。然り、腑抜けにだけはなりたくない。
<宗教としての神道> 弟子岡野弘彦が記す"折口信夫伝"に彼の師の神道についての執念を紹介する。嘗て本居宣長は"古事記伝"で神を次のように定義した。
天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に座す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云ふなり。(すぐれたるとは、尊(たっと)きことを善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云ふに非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云ふなり)
折口信夫は更に一歩踏み込んで次のように"まれびと"論を展開した。
まれびとは古代人の意識の上では神をさす言葉であるが、他界から時を限って来訪するその神は実は、人にして神なるものであり、さらに人の扮した神であるからまれひとと云う。
折口は柳田國男の民俗学に強い影響を受け、遠い祖先の魂の伝承の世界に入り浸った。前記の宣長の定義を承け、日本人の心の奥に伏在するはずの飛躍的に大きな神の性能を見出して世に説いたのが折口のまれびと論であった。但しこれは柳田の云う盆・正月に迎える自分達の具体的な祖先霊ではなく、もっと万人に共通なものであったらしい。
その折口は敗戦の衝撃の中で次のように反省する。
日本が敗れたのはただ科学の進歩の遅れや、物量の乏しさによってではない。我々の神、我々の信仰の力が、彼らの神、彼らの信仰の力に敗れたのだ。キリスト教国の彼等は、その聖地エルサレムを奪い返そうとする十字軍の情熱をもって、南方の島の一つ一つを落としながら日本本土に迫ってきた。それに対して我々は神風が吹くという全く他力本願な心しか持たなかった。
これを補追して弟子岡野は次のように語っている。
物量と科学の進歩において敗れたのだという反省はその面での急速な回復力を持つことを推進し、自他共に驚くほど国は豊かになった。だがこの50年にふりかえることをしなかった内面の世界の空疎化は日本の過去の歴史にもなく、このままで行ったら50年後の日本は危ないと言った彼の予言がいよいよ具体化しつつある。
敗戦の年の12月にG.H.Q.は"神道指令"を発して、国家神道の禁止と政教分離の実行を政府に命じた。これに対して翌年折口信夫は「神道の新しい方向」、「神道宗教化の意義」の2論文を出し、日本人の神を民族教を超え人類教化すべく熱心に説いたが、これは将来出るべき教祖のための学者としての研究であり、信仰薄き日本人への研究者としての警告であった。晩年の折口(昭和28年没)は日本人と神の問題に心を集中していて、日本民族に強い神道信仰を改めて根付かせたかった。
現在神道は皇室を別とすれば、後に国に入ってきた仏教を擁護するやや従属的な立場に止まっている。昔と違って多くの日本人が農村を離れ都会で暮らすように生活の形態が変わってしまっている現今、頼るべき宗教の形も折口の念頭にあったもののままでは全面的には受け入れられないだろう。だが"まれびと"はとにかくとして、大多数の日本人が無宗教の現状を放置しておいてよいとは決して思わない。
<鉛筆対ワープロ> 渡辺淳一という作家の随筆を読む。不勉強でよく知らなかったが「失楽園」など多くの作品を生んだ著名な文学者である。本来は札幌医大を出た整形外科医だから2足のわらじで、こういう人は倍尊敬する事にしている。私と同年で、考え方に共通なものが多いことを見出した。
ところで随筆の本題が「手書き作家の本音」で、本の帯には"ワープロより鉛筆が好き"とあって、実はこれが著書の冒頭に載せられたエッセイのタイトルなのだが、その中味は"原稿用紙は自家製の400字詰めで、三菱ハイユニ2Bの鉛筆とトンボの消しゴムを専ら使い、ワープロは使わないと書いている。鉛筆は書きやすくて疲れないし、もう少し適切な表現を求めてごしごしと消しゴムで消す過程がそれなりに意味があるので、私はこれからもワープロで書く事は100%ありえない"と書いている。
他の多くのエッセイは先も述べたように共感するところが多かったが、この箇所だけはひとさまざまではあるものの、どうにも気に入らない。どうしてかと云えば、随筆など私の作文の場合では構想段階でいくつかの主張すべき構成要素があって、それを最初は忘れぬ内に順序など構わずワープロに打ち込んでいき、その後でやおら理解が容易なように短文の組合わせ順序を変え、適当なつなぎの言葉を加減して全体の文章の構成を整備していく。また同じ短い文章の中でも二つ以上の副詞的な表現がある場合に順序を変えた方が収まりがよいことは極めてしばしばある。この手法ではワープロ・編集の"切取り"と"貼り付け"の機能が絶対に必要なのである。最初に自分の主張の全体構成をきちんと考えておき、やおら作文にかかるのは、状況によって余分な拘束を自分に課すことになり自由な発想を妨げる。そういう制約からフリーでいられるワープロ(今は"M.S.WORD"を使っているがこれは"一太郎"でも構わない)という作業環境と自分の使い方が気に入っているということだ。おまけに2度以上出現する熟語などは簡単に"コピー"と"貼り付け"をして手間を省くことができる。かくして私はこのツールによって文を造る楽しみに耽っている。
蛇足だが編集者に原稿で手渡せばよい渡辺先生と違い、私は直接ホームページに転載する都合もある。また私の場合左手が不自由で消しゴムを使うために紙を左手で抑える事もままならないから尚更だ。毎度原稿締め切りに追われ苦闘する氏も含めて、パソコンが面倒で前記の如き古い作業環境から抜け出せない同年代の人にご同情申し上げるが、昔の作家の真っ赤に修正を加えた原稿を見るにつけても、今や文明の利器を使えない不自由さから脱却しない手はないと改めて思う。

<日本近代史> また硬い話で少し気が引けるが、従兄岡本邦彦氏から暫く前よりいくつかの論文を参考にということで頂戴していて、最近"歴史問題についての結論をまとめる"という題で日本が第二次大戦にひきづりこまれる経緯をまとめた小論文を頂戴し、内容に感銘を覚えたのでここに要点だけ紹介させてもらう。氏は本来電気技術者で会社勤めの後、大学工学部教授の職に就くとともに技術士会を中心にいくつかのまとまった仕事をされていて最近科学技術普及啓発功労者として文部科学大臣賞を受賞されているが、一方で氏の父方の縁戚(私と関係なし)に外交官がおられた関係でわが国の近代外交における秘話などにも詳しく、その辺りの知見から掲題について極めて納得できる考え方をまとめられたものである。
近代日本の歴史、とりたてて日本が対米戦争に立ち上がらざるを得なくなった本質的な問題の分析はすこぶる不十分なままに戦後60年近くも推移している。日本軍部の独断専行だけが悪かったという単純な事情ではなく、明治維新の難局から日露戦争まで奇跡的とも言える国を挙げての努力で一つの到達点まで登りつめた後の日本はいささか慢心して、外交方針を中心に知恵の継承と次世代の育成を忘れて急速に下り坂を降りていったと著者は指摘している。
詳述は避けるが日清戦争および日露戦争は本来近代化の遅れた朝鮮支配を巡る日本と清国およびそれを受け継いだロシアとの争いであった。政情が不安定な韓国に対して清国・日本の間に宗主国としての清国の地位を解消、事変勃発の際に朝鮮派兵の対等の権利を認める天津条約が結ばれた。その後内乱に応じて日清両国が派兵し戦争になると清国はあっさり敗けた。日清戦争によって弱体化が露呈した清国へは西欧列強が租借の形で侵略し、特にロシアは全満州から旅順にまで進出して更に韓国支配まで狙って日本にとって大きな脅威となった。そのために日露開戦不可避となると韓国の協力を求める日韓議定書を結び、ロシアに辛勝すると韓国保護をうたう日韓協約を二次、三次にわたって結び外交権に次いで内政権も取り上げた。更には内乱が止まぬ事情から遂に韓国併合の方針が決まる。日本としてはこれが最初の帝国主義的な行動だったが、同時にこれが列強の日本に認めた最後の帝国主義的行為であった。20世紀を迎えての時代変化に日本の軍部および一般世論が無関心だったことに日本の悲劇の始端がある。統監伊藤博文はハルピン駅頭で韓国の志士安重根に暗殺される。
韓国・中国・英国など関係深い国々の大使を歴任した林 権助氏は永らく中国問題が日本の癌になると懸念していて、昭和10年3月に"対中国政策を軸とする提言"で「日英同盟の精神は中国の保全を図ろうとしている。それを第1次大戦で欧州が血みどろになっている隙に大隈内閣は対中国21ヶ条要求により我が物顔をして日英同盟を破ろうとしている。支那4億の人々の福祉安住を支持することに尽力して世を和やかにすべき」と政府に諫言している。また張学良は日本青年へのメッセージとして孔子の"忠恕"を引用して相手を思いやる気持ちを述べている(まさにこれが韓国・中国に対して当時の日本に求められた姿勢だったが、それと程遠かったのが実情だったのだろう)。思えば昭和10年は日本の歴史の転換点であり、日本のその後の運命を決定する正念場であった。
これに対して昭和11年、ロンドン軍縮会議から脱退、広田外相の対支3原則発表に次いで"北支処理要綱"(満州進駐、日中戦争開始)の決定、蘆溝橋事件と続いて走り出した。更に修復できない所業として支那事変の長期化、日独伊三国同盟、米国の経済断交に応じた南仏印進駐に及んで日米の戦いは決定的になった。米大統領が真珠湾攻撃を事前に知っていたなどというのは本質的な問題ではない。ヘンリー・スチムソン米国務長官は20年近くにわたり明確な理念と長期的な方針の元に対日政策を遂行していた。一方で日本は広田以後、有田・佐藤・野村・松岡・豊田・東郷・重光など歴代外相の平均在任期間は短く、その外交政策は場当たり的で思いつきの構想に終始し、一貫した長期的な理念に基づく外交はなかったのが対照的である。思い起こせば"満州は清国の領土である"として国際法遵守の立場から軍部の不法行為を正したという伊藤博文の死と先述の林 権助氏の引退後、軍部の専横はあったにせよわが国の外交をリードした外交官試験トップの秀才たち、広田弘毅氏や松岡洋右氏らが明治人の努力と経験で培った智慧と判断を継承できず、国を誤った方向に導いた事に悲劇の真因がある。
以上が岡本氏の主張の大要である。現在の日本でも相変わらず外務省を始めとする官僚たちの無能が騒がれているが、大学の入学試験や国家公務員試験の成績だけでふるいにかけ、有能な師による薫陶や本人の苦労した人生経験などは問わない国家指導者たちの選び方に問題があることを何故日本人は悟らないのだろう。