9月の話題


2002年9月

<求道者> 「世界は一家、人類は皆兄弟姉妹」― 昔、有楽町から羽田への首都高速のわきに誰にでも目に入るようなこういうキャンペーンが表示されていて、たしか日本船舶振興会の名があったが、これが笹川良一氏の掲げた標語である事は、経緯は思い出せないものの以前から知っていた。机上の空論と言う言葉があるが、長く続く東西冷戦の中で日本人がそんなことを言ったって無理だよという思いで私は車でそこを通りかかるたびに見ていた。
 やがてベルリンの壁が崩壊し世界の秩序が変わっても、世界各地で抑圧されていた紛争が勃発し、やはり理想は程遠いなあと時折この言葉を思い出していた。このたび黒瀬f次郎著「笹川良一伝 世のため人のために」(致知出版社)を読むまで氏について全くと言っていいほど知らなかったことに気付き、また彼の伝記を読んで現代日本にこんな凄い人がいたのかと改めて感動した。
 明治32年生まれの長男良一を両親は世のため人のために尽くす子として徹頭徹尾厳しく育て上げ、小学6年の時学校長(この人は学校の秀才教育に疑問をもっていた)の勧めもあって中学への進学をやめて小学高等科へ進み、浄土宗住職の下で漢学を徹底的に叩き込まれ、人間としての処世術も教わった。鍛えて鬼のような身体をもち、世のため人のために命まで捨てられるような阿呆になれと教えられ、経文や座禅はほどほどにして商売人に必要な人間学と仏教の根本精神即ち菩薩行を会得させられた。
 23歳で跡目を相続した彼は若くして商才があり、相場で相当な金を手にした。世のため人のために使うという考えで蓄財の欲がないせいと天分に恵まれて、26歳以後70年にわたり莫大な資産を運用してほとんど誤る事がなかったと云われる。父は還暦直前に死んだが、遺言は「国家国民のために行う行為ならば法に触れても恥ずる事はない。大衆の幸福のためには何でも思い切ってやれ。俺は死んでも魂はお前の背に乗ってお前を守り通してやる」という壮烈なものだった。
 35歳の時に大阪府中河内郡盾津村に10万坪の飛行場を建設し、20機の飛行機を付けて陸軍に寄付している。条件は勲章をくれないこと。後にも述べるが私利私欲から隔絶したこの人の行動は多くの人には生涯理解されなかった。一方本人は若い時に飛行機について詳しく実地に学んでおり、軍隊に徴用された時にも航空隊に配属されていて、これからの国家を支えるのは飛行機であるという強い信念をもっていた。
 大阪電気軌道(株)(今の近鉄)という会社の実力者になった笹川だったが、運輸省次官から天下りし社長に収まった佐竹という男が私腹を肥やすのに笹川が邪魔になり、大阪府警を抱き込んで3年半未決囚として監獄にぶち込んだ。戦前の刑務所は未決囚たりとも人間扱いなどせず、火のない冬は凍死するほど寒く、夏は虱・蚤・蚊・南京虫の総攻撃を受けたという。疚しいところのない彼は“寛大なご処置をお願いします”という文言を調書に記す事を拒否した。恐らく前代未聞であろう。
 一審無罪の後控訴審、差し戻しなどを経て6年目、42歳に無罪放免となった。彼は後日語って「求めて得られぬ人生最大の修養の機会を与えられた。入獄3年は座禅10年より効果的であり、規則正しい生活で頚部リンパ節の腫瘍・肝臓・肋膜・糖尿・胃病などに悩まされていたがすべて治った」と。
 日米開戦前に笹川は海軍次官山本五十六と識り合い、その日米非戦論を聞く。彼に薦められて独伊訪問飛行を実施し、かの国々の刑務所を見学しているし、戦前20回以上飛行機で海外旅行している。米国の策謀に乗ってではあっても開戦した以上彼も軍に協力したが、敗戦後彼がやった特筆すべきことは不惜身命の精神で“A級戦争犯罪人志願”で巣鴨プリズンへ行ったことだ。
 彼は自分の大阪での監獄経験を活かして未経験の獄中生活で精神的に崩れてしまう戦犯たち全員を励まし、自殺まで図った東条英機を激励してこの戦争がやむにやまれぬ自衛のための戦争であったことと戦争責任は自分にあって天皇にない旨裁判で堂々と陳述する気力を甦らせた。また彼は獄中で世界人類のために平和希求の発願文を書いた。これは冒頭のスローガンにつながるものだが併せてマッカーサー元帥と米大統領宛に手紙を書き、ソ連の非道を訴えるとともに諸々の問題弁明のために東京裁判に自分を起訴してくれと切望している。
 結局起訴はされず丸3年で釈放されたが、獄中の戦犯たちはこぞって彼を巣鴨獄の英雄と称えた。出所を知って第1番に駆けつけたのが、安岡正篤と西尾末広だった。安岡は一代の碩学と称され、終戦の勅語にも筆を入れたことで有名である。マッカーサーは帰国後日本はソ連の脅威に対し終始戦っていたのだと述べている。
 戦犯受刑者が全員釈放されるまでお百度を踏み続けると頑張った母の遺言はその時まで自分の葬式を出してはならないというもので、親孝行の笹川は激しい戦犯釈放運動と膨大な額に及ぶ家族の生活支援を続けた。後に彼は議会に働きかけて競艇を認知させ、これで得た収入を世のため人のために再配分する事業を起し、全世界に配分を続けた。これは50年も続いている。
 やっかみ半分に人が随分これで儲けただろうと言ったが、頭書に挙げた伝記に彼は様々な公職に携ったが、これらから一切の収入を断った。アフリカでは“緑の革命”を起して農業による食糧自給を強力に推進し、天然痘・ハンセン病の撲滅(日本を含めてだが)を計った。
 これだけのことをやりとげて1995年96歳でこの世を去り民間人として稀有の正3位を贈られた氏の業績が世に喧伝されないのは何故か。それは笹川が消防士と看護婦にスト権を与えようとする総評に猛反対し、国歌や国旗を敬わない日教組を断罪して、それを支援する朝日新聞とも不倶戴天の敵となったためと言われている。笹川が目の敵にした日教組(彼は日狂組と呼んだ)の弊害は教科書問題などで依然として横行しているようだ。
 近年はマスコミの偏見も朝日に限らないように思われるが、マスコミは彼の業績を徹底的に黙殺した。世界一の阿呆を自称し、いわしなどの粗食を常とし、子孫に美田を遺さず、「戸締り用心、火の用心」と唱え続け、書画骨董には目も呉れず、菩薩行に徹した世界人の業績を私はより詳しく知りたいし、日本人の誇りにしたい。

<パソコン騒動> 8月4日夜そろそろパソコンを消して就寝しようかという頃、雷鳴とともに停電した。短時間の停電でじきに復電したのでさほど気にせずパソコンを終了した。翌日毎朝の習慣通りパソコンを立ち上げ、メールを開こうとしたがメールサーバーに接続できない。テレビによると昨夜は全国的に落雷と停電が頻発したそうで、一時的にサーバーに不具合が起こったのだろうぐらいに考え、その日は毎月1度の病院での定期検診日だったので、そのまま出かけた。
 帰宅後試すが依然として通じない。そういえば先月プロバイダNiftyからアクセスポイントの電話番号を変更するから、該当者は速やかに手続きをしてくださいという案内が来ていて、しかし案内の文章が分かりにくくそのままにしていたことを想い出した。早速パソコンのダイアルアップ・ネットワークの“接続”の電話番号設定を既に通知を受けていた番号に変更した。これでよしと早速接続を試みるが、通じない。インターネットへも入れない。
 定期的に来ている通信を頼りにNiftyに電話する。本来はメールかインターネットの窓口経由で問い合わせるのが常態らしいが、当方の場合それが通じないのだから仕方がない。話中で何度も掛け直しようやく相手をつかまえて事情を話し、相手の指示によってコントロールパネルのインターネット・オプションの“接続”を開き、そのプロパテイを開いて、アクセスポイントの電話番号とN.T.T.から購入していたモデムの形式番号が正しく入力されているか確認する。
 結局アクセスポイントの電話番号は修正する必要がなかったことが分かったが、診断してもらった結果はN.T.T.のモデムが正常に動作していないのでプログラムを再インストールしてくれと云われた。
 仕方がないのでN.T.T.に連絡して点検に来てもらう。早速点検に来た人が自分の携帯パソコンとモデムを接続すると何と我が家のN.T.T.のモデム経由でインターネットに接続できるではないか。彼はこの通りモデムに異常はない、問題はこのパソコンにあると云い置いて帰って行った。
 その結果をNiftyに報告したところ、Niftyはあくまでターミナル・アダプタのドライバを再インストールしてもらって呉れと言い張る、仕方がないから再度N.T.T.に連絡すると、バツが悪いことに先日点検に来た同じ人が電話をかけてきて、それをやっても多分直りませんよと云っている。
 専門家のプライドがあるのだろう。間に入って私も当惑したが、行きがかり上とに角やってみてくれと頼み、再度出向いてもらってフロッピーからそのドライバなるものの再インストールをやってもらった。結果は矢張りダメ。出張修理費だけ空しく請求されることになった。このパソコンをメーカに修理してもらうしかありませんというご託宣だった。
 癪だがメーカのN.E.C.の相談窓口に電話する。事情を話すとそれではバックアップを取り、パソコンのハード・デイスクを一旦空にしてO.S.から再インストールしてください。O.S.のCD-ROMがあるでしょうときた。人任せでそんなものは手許にないというとそれでは仕方がありませんね。点検に行くと出張費だけで8000円ですと云う。それでも直る保証はない、どうせパソコンを買い直すのなら無駄金になっても詰まらんと考えた。
 現にパソコンの異常は日を追って激しくなり、通常の作業中に砂時計が出たままになったり、開いたファイルのウインドウを画面上で移動すると移動途中のイメージが無数に重なって消えなかったり、遂には正常終了しようとしても再起動してしまい強制終了をその都度かけなければならなくなった。
 現今のインターネットへの接続方法は不経済なのだが、パソコンもハードデイスクが満杯とか不都合も多く新方式切替えへの制約が多く、購入後4年を経過してもう寿命と考える十分な理由があるのでこの際思い切ってハードを更新し、電話回線接続方法もISDNからADSLに改める事に決心した。

<老医師> 黒柳徹子の番組に登場した90歳の医者が私の平均睡眠時間は5時間で、昨夜はいろいろあって1時間しか眠っていないが辛くはないと語っているのを聞き、呆れる思いを抱いたがこれが聖路加病院理事長日野原重明だった。当然のように毎日病院に勤務する堂々たる現役。軽い食事に徹し、多くの人に会い、階段は2段づつ上がる。1999年文化功労者。生活習慣病という言葉やターミナル・ケアという考え方を普及させ、医療の変化の先を歩んできた。
 最近多くの著書を出しているようだが、その中の1冊「生き方上手」を読むと平易な文章で心に残ることばをいくつも記している。
 戦後の貧窮で強いられた粗食が健康の基本、新老人はその生きた証しである。
 健康保持のために、環境の変化を読む熟練した舵取りは医者ではなく、自分の事を知悉しているあなた自身だ。
 人生とは習慣です。習慣に早くから配慮したものは、恐らく人生の実りも大きい。
 使わなければ頭も身体もだめになります。毎日使いつづけることです。
 これらの言葉の中で特に“習慣”が人間の健康に与える効果の甚大さはつくづく実感させられる。流石に永く人間の生き様を見続けてきて、人の健康特性を知悉している老医師の言葉は改めて身にこたえる。
 この人はまた毎日のように聖路加病院で若い医者達を捉えて懇々と教え込んでいる。最近は学校を出たばかりの若い医者がろくに経験も積まないで治療行為をやっていて、アチコチで事故を起しているようだ。システムがおかしい。日野原氏の長年の主張が通って再来年から一旦廃止されたインターン制度が実質的に日本で復活するという。

<パソコン騒動2> 普段人任せで自主的にパソコンの購入や設備のまとめをしない男だが、この度は在来頼りにしていた友人が病気で無理が言えないため、思い切って自力でまとめる羽目になった。その顛末を記しておく。
 まだ会社にいる頃にパソコンのO.S.は新しいものがドンドン出てきたが、組織の中に異なるO.S.環境が並存することを嫌って管理者たちがWindows95をそのまま使っていたのに私も影響されて、4年前に求めたパソコンもWindows95だったが、M.S.のWindowsの世界では98、Me、2000、XPと4世代も更新されているので、はて今回はどうしたものか迷ったが、人の意見を徴しまた市販の商品を眺めるともうすっかり店頭はXP一色に切り替わっていて、古いO.S.を選ぶオプションなどは実質的に相手にされないことが分かった。
 次にパソコンの更新に伴いインターネットへの交信方法も見直した方がよいと人の意見を徴すると、通信速度、料金の両面で今まで使っていたI.S.D.N.(統合デイジタル通信網)はもう時代遅れで不都合が多いし、かと言ってBフレッツなど光ファイバによる高速通信は環境が未整備のために時期尚早だから、A.D.S.L.(非対称型デジタル加入者網)がよい、しかもN.T.T.は料金が高いので個々に加入しているI.S.P.(プロバイダ)の提供する接続サービスを利用するのがいいとのことだった。
 パソコンの銘柄については以前会社で使っていたMACが親和性がよくて使いやすかったし、SONYは他社と異なるユニークな機能があるので魅力があったが、他人とデータのやりとりをする場合の互換性を考えると結局PC9801以来継続して自宅で使っていたNECになった。今まで使い慣れたソフトや周辺機器の継続使用に便ということもあった。
 しかし周辺機器について実際に調べてみると、僅か4年の間にプリンタやスキャナまたバックアップ用のMOなどのパソコン側のケーブル接続口がSCSI方式からUSB方式に変わっている、またフォーマットの仕方に統一性がないためにMOは読めないことがあるので記憶媒体の主流ではなくなり、CD-R、CD-RW、DVD-R+Wが主用されるのだと言う。
 4年前には特殊なパケット通信を用いた囲碁対局システム“囲碁ネット”はインターネットの正常な利用ができるようになり、切り替えスイッチを使ってI.S.D.N.用のターミナルサーバとパケット通信用のターミナルサーバという二つのサーバを併用していたのが、双方ともに不要になった。環境の激変である。プリンタ・スキャナ・MOドライブはまだ新調する気がなかったが、新O.S.の下で使用に問題ないか、またケーブル接続についてよく分からないままに関連メーカの問い合わせ窓口に電話で聞きまくった。
 電話は話中で中々かからなかったり音声ガイダンスで振り回された挙句長く待たされ、いざとなるとこちらも慣れぬことゆえ一度で要点を聞きだせず、暇な身分だからいいものの、少々ストレスの溜まる作業になった。
 パソコンショップに一度は偵察に行って商品知識を仕入れ、調査段階も含めて作業手順を作ってみた。パソコンショップでは購入・セットアップ・中古パソコンの引き取りなどがそれぞれ独立契約で、一切まとめてお任せのシステムなどないことを知った。NTTの接続方式変更作業などをその間に日程的にうまく組み入れる必要があった。古いパソコンのデータを廃棄直前の分までMOに吸い取り新パソコンに移植しなければならない。
 作業手順は最初は6項目ほどだったが、いろいろ考え調べている内にドンドン増えて遂に30項目に達した。結局スカジーボードとUSB接続用のMOドライブを新たに購入することにした。
 4年前のパソコンのHDの容量がCドライブ2GB 、Dドライブ1GBだったのが、今回購入するものはCドライブ118GB 、Dドライブ2GBと激増した。テレビ画像を取り込み録画するのに使えるらしい。それにしても在来パソコンのHDは90〜95%使ってしまい、いつ警告が出るかとハラハラしていただけにこの容量アップは嬉しい。またデジタルカメラによる画像データ取り込みもタブレット・システムによる自由作画も可能になった。音痴に近い私は音楽データを扱う気はないが、画像への親和性が増したのは大歓迎だ。
 インターネット接続までセットアップ依頼内容に含めると矢鱈に請求金額が増すのでこれは自力でやった。ホームページの復旧には苦労した。4年前にやった筈のサーバーへの通信ソフトNextFTPの通信設定ルールを忘れてしまったためだ。それにしても入力項目名が適切でなく分かりにくく、別に親切なガイダンスでもなければ誰だってうまくいかないだろう。I.S.P.であるNiftyとの電話問い合わせで些かストレスが溜まった。再度の機会があるかどうかは分からないが、相当に懲りて詳細なデータ記入用ノートを作った始末。

<地震対策> 9月1日に型通り東海地震の防災対策として地震予知会が招集され、首相が何か声明を出したが、このシステムが本格稼動した暁には混乱だらけになる予感がする。今回マスコミが報道していたのは、東海地震の重点地域が西へ拡大され名古屋が入ったことで、緊急警戒宣言が出ると鉄道などの交通機関が止まって名古屋など市街地に出勤している人々の帰宅の足が奪われ、20万人が行き場に迷うことになるというものだ。
 駅に通ずる地下道は宣言が出たら安全のために早速閉鎖すると責任者は言っている。問題を憂慮した市の当局者は予知会が召集された時点で電車が停まらぬ内に早めに通勤者に帰宅を呼びかけると言い出すと、国の当局者はそういう早まった事をしてくれては困るとクレームをつけた。
 これは一つの例で、現実には本物の地震が来る前に事前に予想できにくいこの種のトラブルがあちこちで続出するだろう。皆が杓子定規に動こうとするためだから人災である。一方で実際には緊急警戒宣言が出てからどれだけの時間で激震が来るか誰も分からないだろう。半日や1日ならとにかく、1週間も無事に経過したら大変だ。物流が止まったままで一体どうしてくれると人々は大騒ぎをするに違いない。日本人は特にせっかちだから尚更である。
 しかし自然のタイム・スケジュールは現代文化人とスケールが合う保証はない。三宅島など噴火後2年経っても収まる目途がつかない。未だ人類の歴史で地震予知と対策のタイミングが合致してハッキリとした効果を挙げた事例はない。
 多分地震の専門家で政治家の力で会議に呼び出される人々は迷惑至極に違いない。不平不満は押しつぶされて責任だけが残る。こんなに割の合わぬ仕事も珍しい。今の大方の知恵では地震予知対策会長は大抵のニュースを握りつぶして決して予知対策会議を開催しない方がよい。いざとなれば自分独りで責任をかぶり会長を首になる覚悟があればいい。

<美しい日本語> 文芸春秋9月臨時増刊号に表題のテーマで116人が思い思いに書いている。関心の深いテーマなので順に読み出したが、各人各様で自分の生来の環境に応じた勝手な好み(わがまま)をこの際これだけは言っておきたいという風に押し付ける人が多い。
 新聞アンケートで「日本語は乱れていると思いますか」という設問に対して75%が「乱れている」と答えたと言うが、このように慨嘆する本人は正しい乱れていない日本語を使っていると思っているに違いない、そうなれば日本人の75%は乱れていない日本語を使っていることになるという皮肉なコメントがあった。要は皆狭量なのである。
 そういう中で「この素晴らしい日本語」井上ひさしーは現状肯定的でいい。言語は文法と語彙で、前者は外からの侵入を弾き返すが語彙は開放系で片っ端から受け入れる。日本人はやまとことばと漢語と外来語の三つの辞書をもっていると。芥川龍之介は“とても”の後には否定形がくるべきだと頑張っていたが、人は平気で“とてもおいしい”などと言ってしまう。そう堅苦しく考えなくてもいいだろうと井上氏は言う。
 一方で擬声語、擬音語の使い分けを挙げ、ここに何千年来日本語を使って生きてきた先祖たちの音感の膨大な蓄積を直感すると言っている。彼の話には日本語に対する深い愛情が感じられて快い。
 もう一人頷けるのは元アナウンサーの加賀美幸子さん。多くの内容と溢れる心をもちつつ、如何に言葉を削っていくかに腐心する。饒舌より訥弁。語りの中で間と余韻を大事にするのが日本人の心だとおっしゃる。これは誠にご尤も。
 前にも書いたから繰り返しになるし井上氏に近いが、私は文字として漢字以外にひらがな、カタカナをたくみに使い分け、あらゆる国の横文字まで抵抗なく取り込んでしまう包容的な言語形態を比類なく愛している。こうして随筆を書いて楽しんでいるのも日本語というまたとないツールを使えるからだ。

<文字化け騒動> 前回9月になって最初のホームページ更新の後で複数の読者から誤字が多いので見直した方がよいという連絡をもらった。自分の控えを見る限りそういう形跡はない。改めてインターネットに出て行って自分のホームページを開いてみると、果たして何箇所かがおかしくなっていた。
 精査してみると“9月の話題”の範囲で“」”(引用符の終の鍵括弧)が“<<”に、“不”が“上”に、“名”が“吊”に、“植”が“?”に化けている。たった4字で影響は少ないようにも思えるが、使用頻度の多い字だけにこれらの字の使用を禁じられてはやはり困る。特に名古屋が吊古屋になったのには参った。
 自分では従来と同じ編集作業をしていて、文字化けを誘発するような特別なことをした覚えがない。以前と変わったのはパソコン環境だが、最新のO.S.が何か影響しているだろうか。慣れない事でどこから攻めたらよいか分からない。
 自分のパソコンの文書は文字化けがなく、サーバーの文章に文字化けがあるのだからプロバイダのNiftyに掛け合おうとサービスセンターへ電話する。長く待たされて出てきた相談係の指示を受け、電話を切ってからいろいろ試みるがうまくいかない。改めて詳しく自分の操作の経緯をも記してNiftyにメールを出す。
 Niftyメールサポートセンターから早速メールの返事があったが、よく分からないようでNiftyユーザー会員同士で「ホームページ作成」についての情報交換が可能な複数のフォーラムがあるからそれを利用したらどうかとうまく厄介払いをされてしまった。
 そこでホームページ初心者のフォーラムに問題を持ち込んだところ、フォーラムに誰かがコメントをつけるとフォーラムが自動的にメールで報せてくれる仕組みで、早速何人かがコメントを呉れてサーバーへのファイルの転送ソフトNextFTPが犯人だろうとか言われ、いくつか指示をもらって設定変更の試行錯誤を試みたがうまくいかなかった。
 やりとりを見ている内に原因が私の原稿がunicodeになっているためと見破って私に直接メールをくれた人がいて、これが決め手になった。専門家というのはたいしたものだと改めて感心したが、調査すると私の原稿“8月の話題”の“エンコード”が日本語(シフトJIS)だったのに対して“9月の話題”の“エンコード”はunicodeになっていて、なおかつ変更不能になっていた。
 そこで“9月の話題”を作り直すことにして、ソース文書を新しいメモ帖に移し、文字コードが“ANSI”になっているのを“Unicode”に変換せず、素直にそのままファイル名をtxt形式からhtml形式に変更した後、改めてファイルを開き、「表示」の欄の“エンコード”を見たところ、今度は日本語(シフトJIS)にマークが入っていた。これでよしとNextFTPにて改めてファイルをNiftyサーバーに転送、サーバー上のホーページを査読すると、文字化けが消滅していた。
 何故“9月の話題”の“エンコード”がunicodeになっていたのかは自分が意識的にやったことではなく原因は不明だが、犯人はNiftyサーバー側にも、NextFTPの転送ソフト側にもなく我がパソコン側にあったわけである。再発防止はできるし問題は無事解決できた。知らぬ世界で迷子になり無事に舞い戻ることができた心境だ。アドバイスをくれた皆さんに感謝しきり。

<グローバリゼーション排斥> 何日かにわたって中国・桂林の山々と川の風景を衛星放送でたっぷりと眺めた。石灰岩の台地を雨水が長年月にわたって浸食して漓江沿岸に独特の山容を造りだしている。太い孟宗竹を5本切り揃えその両端を火で炙って同じ曲率に曲げ、これを並べて筏に組み上げる。流れのゆったりした漓江沿岸に住む人たちにはこれが軽便な交通手段となり、山水にマッチした独特の風景を作り上げる。石灰岩の山地と竹林は何故かよく適合するようだ。
 先祖代々この沿岸に住む多くの人たちは温暖な気候と豊かな雨に恵まれて、急峻な傾斜地に果樹や穀物を植えて厳しい労働こそ強いられるものの、一つとして似ていない山々に特徴をうまく捉えた名をつけて、その美しい風景をこよなく愛して日々を過ごしている。
 墨で描く山水画をよくする人が多く、この画法が突兀たる山々の描写にうまく適合して昔から日本にまで伝来する優れた芸術をもたらした。
 以前から喧伝される“グローバリゼーション”という世の潮流について、当初はウカウカしていて乗り遅れてはいけないものと皆が受け取り、やがて人の幸福には必ずしも繋がらなくてもやむを得ず受け入れなければならないものと変化し、遂に21世紀に至ってはもろもろの文化を圧延していくこの悪魔に一人一人が断固として“文化の多様性”で対抗していくべきだと人々が目覚め始めた。
 不便もあろうがこういう独特の風土に根ざした伝統文化はこれからの世の中で以前にも増して珍重されるから、衰退させずに栄えていくように皆で力を尽くしたい。

<国際政治のありかた> 小泉首相が拉致問題の解決を掲げて北朝鮮を訪問した。この問題をめぐる解決の兆しが十分に醸成されている状況ではない中での周囲も予測していない突然の行動に見えた。12名の対象者の内で8人の死亡が先方から通知され、マスコミは騒然としているが、キム・ジョンイル主席は事態が“拉致”であることを認め、また不審船問題も含めてこれらが軍部の行き過ぎであることを認めて今後2度とこのような行為をしないと日本側に謝罪し、また約した。
 ミサイル発射実験も無期限に中止すると言明し、米国に話し合いの門戸は開いている旨伝達してほしいと言明した。このような北朝鮮側からの前向きの意思表示を受けて日本―北朝鮮の国交回復の交渉に入ることで双方が合意したのは結構なことだ。もちろん背景にはブッシュ米大統領の“悪の枢軸”発言があり、一方では中国の目覚しい発展とロシアの最近の西欧への歩み寄りがあって、北朝鮮としても在来の殻を脱皮する機会を模索していたことが明らかだ。
 そのような状勢を読み取り、果敢に行動して国際政治のイニシアテイブを取るという、最近の自民党政治家がやれなかった行為を久々に実行し、それなりの成果を挙げたことは賞賛に値する。追随外交一辺倒と見くびっていた米国も少しは見直しただろう。多数の死亡者の情報を受けて席を蹴って帰ってくるべきだった風な事をやかましく述べ立てるマスコミはこの際控えてくれ。首相が行動するまで永らく諦め放置し、更には全く念頭から失せていた大多数の日本人こそ反省すべきだ。

<パソコン騒動3> しつこくなるが、この際パソコンにからむ紛糾のその後を後日のために記しておく。パソコン新調後、既述の方針でインターネットとの交信をI.S.D.N.からA.D.S.L.に切り替えることにした。そのためには面倒だがまずN.T.T.に依頼して通常のアナログ回線に戻してもらう。同じN.T.T.がフレッツA.D.S.L.を宣伝しているのでこれにしようかと思うと工事に来宅したN.T.T.の人までがN.T.T.は高いから止めた方がいいですよと言う。アナログ回線に戻したために一時的にだがインターネットへのアクセスに時間がかかるようになった。
 たまたまI.S.P.(プロバイダ)のNiftyが宣伝がてらA.D.S.L.申し込み用の葉書を送ってきたので、それを使おうと思ったが念のために予めNiftyに電話で問い合わせると、詳しい注意書き書と共に大げさなA.D.S.L.接続サービス申し込み書を郵送してきた。あんな葉書では用をなさないことが分かった。申し込み書にはNifty傘下(?)の回線事業者を9社の中から選定するようになっている。よく分からないから料金の安い業者を選んだ。
 やがてNiftyと回線事業者からメールが来て、Niftyからは工事完了に至る手順の案内、回線事業者からはN.T.T.の事前の適合性調査に合格した事と具体的な工事日程の連絡があった。そこまではよいのだが、次に
 「・モジュラージャックの位置確認、 ・データのバックアップ、 ・LANボード・カードのセットアップ(10BASE-Tタイプのモデムをご利用の場合) ※設置工事の前日までに、お客様ご自身で以上の作業・確認を行ってください。」ときた。おまけに工事業者の文書は係争を有利にするためか、やたらにできないことがある旨の予防線ばかり張っていてこれでは頼む気が失せてしまう。
 いきなり詳しい説明もなく素人にそんなことを言われて、ハイそうですかと言うわけにはいかない。憤然としてNifty宛に工事業者からの上記要求を繰り返した上で「申し込み用紙に記入しましたが当方はNEC製PC-VL550/3Dを新規購入したばかりですが、専門知識がないため有料で設置工事を依頼しています。上記の如き内容を処理する能力がないので、必要なら素人に分かるよう詳細に説明してください。  上記の製品なら予めこちらでの作業は不要と思っていましたがそうでないなら内容によっては工事日の延期が必要になります。既に古いパソコンからかなりのデータを新パソコンに移しこんでいます。」とメールした。
 Niftyからは工事の前日になって“多分LAN ケーブル(ストレートタイプ)さえ用意してくれればよいだろう、詳しくはメーカに確かめて呉れ”式の返事が来た。そうなら最初からそう言ってくれればよいのだ。
 自宅にそれらしいケーブルがあったのでそのまま工事に来てもらったら、工事業者はこのケーブルは端子部分は類似しているがLAN ケーブルではない、自分の持参したケーブルで試して接続工事はしておくから後でLAN ケーブルを購入してモデムとの間に付けてくれと言い、自分のケーブルはチャッカリ持って帰ってしまった。後で電気屋から買い求めて自分で装着し何とか開通に漕ぎ着けたが、素人に随分負担のかかる要求をするものだとつくづく思った。

<原発行政> 黙っていようと思っていたが、東京電力をはじめとして中部・東北各電力ならびに日本原子力発電各社が発生していた主要機器の欠陥を国に対して隠匿していた事実が一斉に摘発されるに及び、わが国の原子力発電所行政に言及する気になった。この随筆でも1999年9月の<疲労破壊>に始まり、2001年5月の<プルサーマル>、2002年2月の<情報開示>で不十分ながらこの問題の一端に触れた。
 このたびマスコミ報道で明らかにされた欠陥は再循環系配管から始まり格納容器のシュラウドなどプラント重要部各所の少なからざる数のクラック(ひび)であり、この度は福島第1原発3号機の制御棒を動かす配管282本中242本(88%)にひびが発見されその内3箇所ではひびが肉厚を貫通し、辛うじて外面に施された3層のエポキシ塗装膜によって漏水が防がれていたと報じられた。
 内閣府原子力委員会の各種報告書をインターネットで閲覧することができる。“ひび”という言葉で文献検索をしてみると、1977年と1978年の原子力白書に該当する文書があり、前者では「余裕肉厚の範囲内での削り取りによるひびの拡大の可能性除去」という文言と後者では「入念な原因探求と慎重な補修」という抽象的な文言があって、それ以後20年余にわたって該当文例は見当たらない。
 本来均質に製造されるはずのステンレス配管部材にひびが発生した場合、溶接補修などをしても不均一な残留応力のために発生箇所こそずれても新たなひびの成長を助長するだけだろう。ひびの発生原因が変動熱応力によるのか、放射能など別の要因もあるのか知らないが、要はひびが発生したら部材全体を新しいものに取り替えない限り根本的な解決にはならないのだ。しかも発電所機器の設計は基本的に同一であって1発電所で起きたことは他でも十分に起こりうる。
 原子力発電所の寿命というものをどう考えるべきか1970年代には盛んに議論されたようだが、不思議なことに最近誰もそれを口にしない。欠陥が多数発見されている発電所は実はもうその寿命が来ているのではないか。マスコミはここへ来て現象面だけを取り上げて国への報告義務を怠ったと騒ぐのだが、先に挙げた報告書の裏を読めば電力会社と国の当事者は20年以上前に問題の本質を悟っていたようにも思われる。
 不思議なことは機械学会その他の場でもこのクラックの発生機構について公の議論がほとんどなされていないように見えることだ。これは明らかに異常だが、行政がそのような論議を強く抑えこんでいたということはないだろうか。
 東電の社長が国への報告を怠った責任を取って辞職するとか言うが、几帳面に報告していたら一体国はどうしたというのだろう。問題が東電に留まらず関連各社に及んでいることは専門家の間では問題の本質が以前から理解され、ただ重大事故にならぬように当事者たちがひそかに気を配って何とか現在に漕ぎ着けたというのが実態ではないのか。尤も地元住民の不信感は益々高まっている。
 どうやら既にヨーロッパ諸国では疾うに匙を投げられている原発が日本でも今や風前の灯になっていて、代替エネルギの確保が焦眉の急になっていることを政府も国民も自認する時期が来たということらしい。プルサーマル計画の白紙撤回はその前段階の宣言か?
 ただし一つ疑問があるのはトラブルの報告が関東系の沸騰水型原子炉(BWR)に限られているように思われることで、関西系の加圧水型原子炉(PWR)では問題が表面化していないことだ。いずれにせよ問題の本質が情報公開されない現状では我々外野ではこれ以上追求しようがない。官僚の情報隠匿の幣がこれほど大きい事例も少ないのではないだろうか。



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