
<漢字の歴史> 漢字は如何にして作られ育成されてきたのか、考えれば何も知らないに等しい。「漢字と中国人」−文化史をよみとくー(大島正二著・岩波新書)で勉強した。漢字と親しんでいる日本人としては常識としてもっと知っていなければならぬことと、この際大いに反省した。以下はその要約。
漢字は“形”と“音”と“意味”の3要素から構成されている文字である。中国人は自分たちが創り上げてきた言語として漢字を構成する3要素それぞれについて、長らく考究を重ね中国独自の漢字の学問を築き上げた。その成果は“辞書”という形にまとめられたが、それは今日の一般的な総合的辞書ではなく、その要素ごとに分かれて編集された。“形”=“字書”、“音”=“韻書”、“意味”=“義書”−これら3種の中国独自の辞書づくりは別々にしかし相互に関連しながら進展し、次第に精密になっていった。
言語は時とともに変化する。漢字の意味内容も時とともに理解が難しくなり、現代語による解釈が求められて“義書”がつくられるようになった。“韻書”は全体を一種のアクセントである四声(平声・上声・去声・入声)の声調別に巻立てし、また同じ韻の字が韻ごとに配列されて、各字の音が“反切”という表音方法で示されている。四声をはじめとするこの辺の中国語の発音の特徴は普通の日本人には理解し難い領域である。
紀元前10世紀以前から殷都の亀の甲や牛骨に刻んだ占いや、周王朝の青銅器に銘を象形文字で刻んでいたことが知られているが、伝説によればその後蒼頡という役人だった男が文字を造ったという。はっきりしているのは秦の始皇帝は天下を統一し、文字の統一を図って“小篆”を秦帝国の文字と定めた。但しこの小篆という字体は曲がりくねっていて実用的でなかったので、“隷書”字体が作られ次第にそれに変わっていった。
漢時代になると官僚への登用試験に9000字以上の読み書きができることが求められた。後漢時代に許慎が著した“説文解字”は字形と意味の関係の研究には隷書でなく小篆によるべきと説き、“文”は象形文字と抽象的な概念を表す指事文字から成る独体字で、“字”とは形声(音を作る)と会意(意味の複合)の原則で“文”を基礎に作られた合体文字を指し、両者併せて漢字の総体となると説明する。また許慎は9353字を系統的に整理・配列する部首法を創案した。例えば「江・河・流・湖」など「シ」を義符とする文字群は「水」部に帰属する文字として整理・配列される。
更に許慎は漢字の形・音・義の成り立ちを説明する六種の原理(六書)を明らかにし、漢字研究の基盤を築いた。六書とは先に挙げた象形・指事・形声・会意の四書に他に応用する転注と仮借の二書を加える。これらの思想は概ね現代にまで継承されていて、後世の訓詁学や文字学に与えた影響はまことに大きい。彼は近代的な研究手法を身につけた優れた学者で、彼の業績が漢字の発展に寄与した功績は大きい。
その後「字書」としては“字林”(西暦280年、12824字)、“玉篇”(西暦540年、16917字)、“類篇”(西暦1070年、31319字)が編纂され、時とともに字数が増してきた。「義書」としては転義を説明する注釈の書として前漢に“爾雅”が、次いで後漢に“方言”が方言の記録として、また“釈名”が語源の探求書として作られた。「韻書」としては隋になって“切韻”(12158字)が標準的な規範を定め、更に悉曇の影響を受けた切韻の音節表が“韻図”として作られた。宋の時代になると切韻の体系を保持しながら26949字を扱う“広韻”と現代にまで伝わる精緻な韻図“韻鏡”が作られた。しかし異民族国家元の成立とともに周徳清が従来の伝統を打破した革命的な韻書“中原音韻”を作り、現代の発音に則る事にした。このように漢字の発音については時代とともに悉曇やモンゴルの影響を受けるようになった。
清が西欧に屈し、第2次大戦を経て中華人民共和国が成立すると、毛沢東は文字の改革を唱え、世界共通文字であるローマ字化の方向(漢語?音方案)と文字の簡略化を目指す簡体字の使用(漢字簡化方案)方針を実行した。しかし手書きの場合は“簡体字”が便利だが印刷物は“繁体字”(従来の漢字)の認識効果が優れているという意見もあって、繁体字復活の機運も見られる。私はワープロの発達とともに従来の繁体字が復活するに違いないと信じている。。但しこう見てくると日本人は漢字の発音面での特徴は継承していないことが分かる。そのために中国語は日本人には理解できない外国語にとどまっている。

<乳房論> 女優の名と顔がつながらなくてインターネットで“アイドル”(IDOL21-NET)というホームページに入ったら、実に多くの女優の名簿と連結してそれぞれ多くの写真がデータベースとして引き出せるようになっている。最近登場したばかりの少女からもう相当にお年を召した筈の女性の若い頃の映像までさまざまだが、とにかく写真は年を取らないのがいい。美人の姿はもちろん嫌いではないし、相手に迷惑もかけないからゆっくり鑑賞させてもらった。
とても大勢で全員は見きれないが、それぞれの人の姿態を眺めると皆胸の写りを気にしている。4人に1人はヌードになり公然と乳房を見せるが、3人は胸のふくらみは見せても乳首は巧みに隠している。必ずしも美しいから見せるというわけでもなく本人の心情によるのだろうが、少なくない人がふくらみまで隠そうとするために写真の数は多いのにカメラに背を向けたり不自然な姿勢が実に多い。女にとって乳房が如何に大切なものか、人にどう見られるか気にしていることがよく分かる。
ヌードの写真を見ると“容色”という言葉の半ばは乳房に適用されるべきということを改めて感じる。私見を述べると、まず“容”だが山の盛り上がりの底面の面積は大きい方がいい。間隔もあるがこの底面積が小さいと貧弱な感じがする。高さはあまり低くてはいけないが、ほどほどあればいい。前方に大きく突出すると迫力が増すが、程度を越すと巨乳になりもてあまし気味になる。張っている内はよいがその力が弱まると下へ垂れる。中心(乳首)が山裾の下縁より下がるといけない。次に“色”だが乳首のピンク色は若々しくて好ましい。赤い色は迫力があり、白い地肌との対比で遠方からも目をひきつける。だが黒い色素が沈着してくると魅力が急に減る。
写真(特にヌードの)を見るとこの容色が実にさまざまであることを感じる。経年的な変化も当然出てくる。嘗ての有名なAV女優が近頃は決して脱がなくなったなどと言われるのは残念ながらそのためだろう。年増の有名女優で僅かに乳首だけ覗かせる写真がある。過ぎ行く年を惜しむ心情だろう。もちろん女の魅力的な表情が花を添えるのは当然で、木で鼻をくくった顔をしておられたのでは元も子もない。乳首を隠すのは半分は本能的な恥ずかしさや奥ゆかしさのためで、残り半分は容色を人目にさらすのにいまひとつ自信がないためだろう。
それにしても乳房というかけがいのない武器をもつ女に比べると男はだらしがない。もっぱら引き立て役にまわるだけだ。ちなみに私のお気に入りの女優の名前を2,3挙げると荒井まどか、木村佳乃、白石久美、名取裕子、結城マミ。画像の上の美人は天使の如し。
<ローマ帝国衰退の始まり> 塩野七生の“ローマ人の物語”も愈々終盤にさしかかり、ある意味で人類の理想に近い社会、巨大な帝国がどのような理由で終焉を迎えたのかを語り始めた。著者は説く。ローマ人は誰にでも通ずる法律を整備することで、人種や民族を別にしても、また文化や宗教を共有しなくても、法を中心にしての共存・共栄は可能なことを教えた。平地はもちろん山地にさえも全線舗装の街道を敷設し河川には橋をかけて、帝国のどの地方に住もうが往来が容易になるように整備した。
このような帝国を運営する要は皇帝で、元老院の補佐を受けるものの、ほぼ独力でありとあらゆる変化に対応しなければならず、辺境に駐留する軍隊にも最高指揮官として常時の配慮を怠ることができない。そのため皇帝の職務はまさに激務で、何人もの皇帝は広大な領土を巡る内に寿命を使い果たしている。しかし誰もその肩代わりはできない。
ここで宗教について触れる。皇帝ハドリアヌスが建てたというパルテノンは円形のドーム状の神殿で、建物の奥に神が祭ってあるのではなくて円周に沿った高い壁に多くの神々が並んでいる。異民族であろうと、敗者であろうと帝国に参じた人々の神は皆加えた。まさに多神教の産物であり、ローマ人は人間の生き方は人間自身が考え決めるものであって、神々の役割はその人間の努力を援護するところにあると考えた。ユダヤ教やキリスト教などの一神教では神は人間の生きる道を直接指し示す。5賢帝時代はキリスト教もまだ弱体で、多神教を奉ずる帝国では告発されたキリスト教徒は棄教を受け入れれば無罪放免、拒絶すれば鞭打ちの後の斬首刑が実行されていた。
先にも述べたように5賢帝の後の二人、アントニヌス・ピウス及びマルクス・アウレリウスまでは完璧とはいかないまでもよくやって、苦労はしながらも大きな破綻を見せなかったが、マルクスは彼の治世中に早期の戦争終結を果たせず将来の禍根を残した。著者は早期の目標達成が戦争にとって唯一の善と説いている。またマルクスは自分の子を皇帝継承者に仕立てて後世から批判を受けることになる。
マルクスの子コモドウスは皇帝即位後父の始めた戦争継続を放棄し、2年後実姉に殺されかけると人を信用できなくなって殺戮を繰り返し、政治を放棄して格闘競技に熱中し、遂には側近に暗殺されてしまう。後継者争いは軍人同士の内乱の時代を迎える。内紛を最後に制し皇帝となったセヴェレスは軍人を優遇する政策を打ち出し、軍事関係者の隔離と結束、他とのバランスを欠いた暴走を招くことになる。第2次大戦前の日本軍部のようだ。皇帝の継承者を如何に定めるかが帝国の命運を定める難問になっていくのが明らかになってくる。
<パソコン環境> 表に文字を記入している最中に文字入力方式が突如使い慣れたローマ字入力からカナ入力に切り替わってしまい、立ち往生した。幸い以前に同じことがあって、NECコールセンターに電話で問い合わせたのを思い出し、コントロール・パネルの“地域と言語のオプション”で“言語”、“詳細”、“プロパテイ”と入っていくと果たして入力方式が“かな入力”になっているので、これを“ローマ字入力”に切り替えて解決した。こちらが何もしていないのに不意に自動的に切り替わってしまい、対応としてこんな面倒な処理を強いられるのは大いに不満だ。
O.S.だけでなく、同じマイクロソフト社の”WORD”や”EXCEL”も使いにくくなった。使用中に突如「このソフトは読み取り専用です」と表示が出て、構わず入力を続けると、“上書き保存”を拒否される。仕方がないからファイルの名を変えて“名前を付けて保存”にして後の混乱を防ぐために以前のファイルを“削除”する。やがてまた同じ事態が発生するので、今度はファイル名を古い名前に戻す。”WORD”の新ヴァージョンでは頼みもしないのに“バックアップ・ファイル”を作っているのだが、そこまでいちいち削除するのは面倒で結局無用のファイルがぞろぞろ増えてしまい、必要なファイルが見つけにくくなる。
インターネットへ入って必要なファイルを探している最中にも矢鱈に補助ウインドウが開いて作業指示を求める。無視して作業を継続しようとすると警告音が出て、先に補助ウインドウの処理を済ませろと督促する。仕方がないから当たり障りのない“プロパテイ”をクリックしてその結果を表示する報告ウインドウを閉じ、やっと本来の作業にかかることができる。しばらくするとまたぞろ補助ウインドウが開く。要するに余計なお世話が多すぎる。じっくりO.S.やインターネット・エキスプローラなどの解説書を読み、必要な設定をすれば収まるのかもしれないが、とても面倒でやる気がしない。
先日もI.T.関係の勧誘電話がかかってきて情報技術の講習を受けませんか、何かお困りのことはありませんかと訊くから、「自分の日常の作業環境でパソコン・ソフトの“余計なお世話”が多すぎて大いに迷惑している、何かよい対策を教えてもらえないでしょうか」と答えたら、苦笑する感じがあって先方から電話を切った。皆が困っていて解決できぬ問題なのだろうか。
雑誌でたまたま次のような文を目にした。 ―パソコンが急に動かなくなり、「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます」という言葉を初めて目にして、ドキッとした経験は誰にでもあるだろう。「不正」って何だ、何か悪いことをしたのか、と意味もなく後ろめたい気分にさせられる。― こういう場合の99%悪いのはO.S.である。自分(O.S.)の不具合を棚に上げてユーザーを疑心暗鬼にさせるこのようなコメントは追放しなければならない。あまつさえこのメッセージは折角入力した文は上書き保存してないために消滅するぞという無慈悲な宣告なのだから。
一方でよいこともある。インターネットへの接続を在来のI.S.D.N.からA.D.S.L.方式に切り替えてから接続時間を気にする必要がなくなった上に通信費が月額10000円以上安くなった。囲碁ネットへも在来の特殊のモデムを介さずにインターネット経由で接続できるようになり、対局でも観戦でも一手一円のパケット通信料が不要になった。O.S.はWINDOWS-XPになったが、しばしば(月に2度ぐらい)自動的に連絡が入って「新しいインストールの準備ができました。今すぐダウンロードしますか」と来る。セキュリテイ・ホールが発見されたなどという報道にも関連しているらしい。5分以下のダウンロード所要時間とパソコンの再起動が要求されるが、とにかく無料でやってくれる。電子メールもNorton Antivirus 2002から毎日のように通知があって最新のウイルス対策ソフトのダウンロードを指示してくる。これは短時間で済むし再起動も必要ない。お陰でかどうか今までの所ウイルスで困惑したことはない。いずれも中味がどの程度改良されているのかこちらには分からないから、自己満足に過ぎないのかもしれないが。

<ロボット論> 立花隆が文春に16ページを使ってまたロボットについての論議を展開していて、こちらも好きなテーマだけに看過できなくなった。冒頭で彼が嘆いているのは一般の人がロボットにかける期待の大きさと現実のロボット研究の水準の間の落差の大きいことである。マスコミが囃すからもう明日にでもロボットは人間社会に仲間入りしそうに思う人が多いようだが、現状はとてもとても遠く及ばないと言い、ロボットのショーなどでのパーフォーマンスの裏方の努力は大変なものだと強調する。しかし大方の人達は的確に表現こそしないものの、実情を凡そ分かっていると思う。
我が家では長らく使ってきた容量の小さく、絞り機は別の旧式洗濯機を新式の自動洗濯機に変えた。洗濯物を空の容器内に放り込み、粉石鹸を適当に入れて蓋をし、スイッチを入れると洗濯物のかさを計測し自動的に給水・洗浄・すすぎ・遠心分離による絞りまでやってくれて、一連の作業が終わると終了音で報せてくれ、以前に比べてかなり手間が省けるようになった。我々が日常生活で必要とするロボットはこんなものでいいのだ。最近メーカーが喧伝している出かけた先で炊飯器のスイッチを入れるだとか、見たいテレビ番組の録画をするなど各種の遠隔制御機能はそれほど実用的ではない。忘れっぽい人でなければ、出かける前にしかるべくセットすれば済むことだ。
2足歩行の“アシモ”などのロボットなどは床に障害物でもあればすぐ転倒するようだし、相当高価だそうだが仮に只であんなものをもらっても家庭では使い物にならず、現状では無害だがバカで無用の長物になるだけだ。多くの人(組織)が独力で開発しようとするから、努力・工夫が重複してムダがやたらに多いのだが、いつまでもこの状態に留まらず機能もコストも日時とともに改善されるだろう。でも何を狙うのか目的を絞り込まないと虻蜂取らずになってしまう。人間の形態・サイズにこだわる必要はない。
日本ではトヨタなど自動車メーカが産業用ロボットを専用の目的に絞り込んで高度に発達させた。立花氏もその労働の質の高さ(正確・速度・高技術・耐久性・労働条件)においてロボットは人間の比ではないと主張している。中国の安い労働力にも負けない。産業用ロボット以外で近い将来有望視される市場は例えば災害救助(地震・火災・放射能・水中・雪中)などの危険な環境や農業・林業などの単純作業で肉体的・気候的に厳しい分野は有望と思う。多能性を追わず要求機能を絞り込んでかつある程度の量産が見込めるものが望ましい。
対イラク戦争でクローズアップされたのは米国の軍事用ロボットで、立花氏によれば例えば巡航ミサイル“トマホーク”は兵士が目標地点をG.P.S.座標で入力して発射ボタンを押すと、センサから入ってくる環境情報と予め入力されている環境地図を照合して飛行し、目的地に着くと頭から突っ込む自爆攻撃型ロボットだという。優れた画像解析能力をもつ無人偵察機“プレデイター”は対戦車ミサイルを飛ばす攻撃能力をもち、車で走行中のアルカイダ一派を車ごと吹き飛ばしたという高級ロボットである。
こうなると戦争は半ばロボットが行なうことになり、ロボットが人間に似た形をしているなどというのは重要なことではなくなってくる。国際競争力の比較が載っているが、米国は厖大な研究予算を国防総省防衛先端技術研究所(DARPA)が出し、民間中心の日本は産業用ロボット以外の分野では全く旗色が悪い。だが毎年開催される高等専門学校対抗のロボット・コンテストはアジア各国で益々人気が高まっていて、10年先にどうなるかは予見しがたい。
<老人の健康> 文春の提供するもう一つのテーマは日野原重明先生の説く「新老人へ、時間はこう使おう」である。この人はもうじき92歳だが聖路加国際病院理事長・名誉院長という堂々たる現役で、睡眠は5時間・車中も含めて1日18時間は仕事をしているという超人だから、こちとらなど全く足許にも及ばぬ次第だが、医師の説く生活の仕方は大いにうなずける点が多いのでこの際整理しておこう。それにしても氏の日常生活の説明を読むと、執筆・講演などその仕事の密度の濃さに改めて舌を巻く。だから100%言うことをきくなどと考えるだけムダで、ここはと思うことだけ参考にさせてもらう。
○ 2つ以上のことを同時に行なうことは老化防止の手段になる。 賛成。私は常時テレビをつけておき、抵抗の少ない番組を流しておきながら読書、パソコンの各種作業をしている。
○ 6時間睡眠をとればよい。 やや賛成。最近は6.5乃至7時間。但し昼食後眠気を覚えたら抵抗せず座椅子で仮眠をとる(30分程度)。
○ 1時間の散歩など身体の運動を習慣付ける。 賛成。降雨でなければ40分強の散歩。身障者で脚腰の硬直が強いので、歩行の主体は杖を利用した脚腰のストレッチになる。散歩のコースは決まっている。
○ つま先の運動、首の運動、手足の関節の運動を毎日2回。 やっていない。たまにやっても三日坊主になる。
○ 日々の行動に常に小さな目標をもて。 やや賛成。努めてそうする。
○ 老化の進行は身体や脳を使わないことから来る。意識して頭と体のエキササイズの時間を作れ。 同感。頭は毎日十分に使っているが、体の方は得てしてさぼりがちになる。注意しよう。
−以上。