
<ガリヴァ旅行記> “ガリヴァ旅行記”と聞いて全く知らぬ人は少なかろう。一方でその内容を詳細にわたって承知している人もまた珍しいようだ。子供のころ絵本などで小人国、大人国などへ行ったという話を見聞きしていても、大人になってから改めてそんな酔狂な小説を読み直すぐらいなら他にすべきことがいくらでもあるというのが大方の心境だろう。たまたま「あなたの知らないガリバー旅行記」(阿刀田高)という随筆を読み、これは一読の価値があると思い原本(といっても中野好夫による邦訳だが)を手に入れた。
ご存知の向きには読み飛ばして頂くとして著者はアイルランド生まれの英国人ジョナサン・スイフト。著作は4部に分かれていてルミュエル・ガリバーの4度にわたる冒険旅行記で、第1部は“小人国渡航記”、第2部は“大人国渡航記”、第3部は“空飛ぶ島渡航記”、第4部は“馬の国渡航記”となっていてそれぞれ珍妙な世界地図が添えてある。
この小説を読み理解する上で考慮すべき二つの背景がある。一つは先月の話題に載せた“生命の歴史”で地殻変動に伴う大陸移動で、パンゲア大陸が多くの島々に分裂してから長い年月が経過し、隔絶された個々の島では生命が独自の発達を遂げたことだ。事実アフリカ大陸から離れたタスマニアでは他の大陸には存在しない珍妙な多くの動植物が見られる。オーストラリアにもそのような特異性がある。そういうわけで18世紀始めの地球上の島嶼にこの小説に出現するような人類の変形の存在の可能性を頭から否定しきれる状勢でもなかった。小説ではいくらなんでも度を越しているが。
もう一つはスイフト自身の身上で家系は聖職者が多かったが、クロンウエルに反抗したため一族のほとんどがイギリスを追われアイルランドに移住した。スイフトは長じて政界進出の野望が潰え、イギリスの対アイルランド搾取政策を徹底的に揶揄・批判する怪文書を発行するなど世の拗ね者になっていたが、デフォーの“ロビンソン・クルーソー漂流記”に刺激されて小説執筆を思いついた。一方幼時に憧れの母に捨てられた現実から生涯女性不信の念を捨てきれなかった。このような環境が小説の中に人類の文明社会(およびイングランド)に対する根強い不信・反感を露わにする理由になっている。
旅に出る度に海が荒れたり海賊に襲われたりでガリバーは半死半生の態で未知の島に漂着する。小人国では卵を大きい円弧の方から割るか小さい円弧の方から割るかで二つの国が海峡を隔てて大論争になり国を挙げて争っていた。これは当時のカソリック・プロテスタントの争いなどどうでもいいじゃないかという著者一流のあてつけである。ガリバーの食料を確保するのは小人国の経済には大きな負担で、遂に出国のやむなきに至る。
大人国でガリバーは拡大されて見える女体の肌のグロテスクさと強烈な体臭に辟易し、一方でガリバーが語って聞かせたイギリスの歴史の醜悪さ、人間社会の知恵のなさに国王に愛想を尽かされる。更に火薬や大砲の話を国王にしたところ、強いご不興を買いそれは悪魔の所業だ、二度とその話をこの国でしてはならんと厳命された。海の魚はヨーロッパと同じ大きさなので、大人国の人間には小さすぎて鯨を除いては食用にはしない。
ラピュータは天然磁石の磁気の反発力で大きい島嶼バルニバービの上空に浮かぶ小さな島で、国の支配層はその浮かぶ島にいて磁石の操作でゆっくりと移動する。ただし島はバルニバービの上空のみに移動範囲を制限されている。ここでは権力をもつ上流階級は思索にふけるのが常で持続的な活動ができず、呼ばれてもすぐに思案の中に閉じこもってしまうので何事も進展しない。宮崎駿のアニメの一つにある天空の城ラピュタはユニークな発想だと思ったらここに由来していることが分かった。
下界バルニバービに下りると民衆は皆昔は豊かだったが今や不毛な土地で空しい労働をしている。革新の意欲に満ちた民衆が在来のやり方を否定するが何事もうまくいかない。それにも関わらず昔どおりの生活を続けようとする者は無知不逞の非国民と見なされる。この辺は現実の人間社会に対する諷刺の連続らしい。あきれ果て次なる国ラグナムを目指すことにする。
ラグナグ国には稀に不死人間がいるという。前額左の眉毛のすぐ上に円痣があって年齢とともに赤から緑、濃紺、最後に漆黒に変わる。満80年に達すると彼らは法律上では死んだも同然になり、財産は嗣子が相続する。国家からは乏しい手当てが支給されるが、彼らはすべての人間から忌避され憎まれている。彼らは老齢による醜さのほかに何ともいえない鬼気が加わっていて、ガリバーの永生に対する欲望は一挙に醒めてしまった。
ラグナグ国王からの紹介状を得て船便により日本のエド(江戸)に至り将軍に拝謁、ナンガサク(長崎)までの通行許可を得て長い旅と難渋の挙句長崎に着き、アムステルダムの船で英国ダウンズに無事入港したと書いてある。日本はまさにこの世とあの世の橋渡しをしている具合である。日本の状景については将軍に十字架踏みの儀式を免除してもらったほかは特別に何も書いていない。
最後に旅したのは海賊によって船を放逐された挙句漂着した島で、そこには人間に似ているが言語をもたず頭と胸にいちめんに毛の生えたとても醜い野生の動物が群生していた。彼らはガリバーをいじめにかかったが突然蜘蛛の子を散らすように逃げ去った後に馬が現れた。この馬がこの国を支配し高い理性をもち独自の言語を操る尊敬に値する動物であることをガリバーは悟り、また馬もガリバーを先の野生の動物(ヤフーと呼ばれている)と形態は似ていても理性的に振舞えどうやら言語も使える興味深い動物と認識した。馬は自分らをフウイヌムと呼んだ。やがてよく話し合うほどにガリバーは高雅なフウイヌムたちに対する敬愛の念を強くするとともにあの醜悪なヤフーに似た人間社会に戻りたくなくなり、余生をこの国で過ごすことを切望した。しかしフウイヌムの社会はガリバーを究極的にはヤフーとしてしか認めず、遂にガリバーは婉曲にではあるが放逐を言い渡された。彼は独木舟でなんとか西欧の船に出会い無事英国に帰着した。我が家へ帰着したガリバーは妻に抱きつかれて気を失って倒れ、その後も人間の臭いに耐えられず離れて暮らした。
以上はガリヴァ旅行記の中のごく一部を抜粋したもので、含蓄に富んだ話がまだまだあり、要約しようとするとうまくいかない。架空の話ではあっても人間社会の機微をよく突いていてスイフトが天才であることは間違いない。この本は多分世人の評価以上の名作なのだろう。また現代世界でもスイフトに似た心情の拗ね者はアチコチにいるはずだ。インターネットの検索エンジンとして今や有名な“ヤフー(YAHOO)”の語源はスイフトによって命名された醜悪な人類の別称なのであった。
<宇宙の根本原理> 始めに白状しておくが、今の私にとってこのテーマを読者に明快に紹介・説明するには力が足りない。教材は「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン、草思社)。この本は全米ベスト・セラーになった由(世には賢い人が多い!)。それなら黙って避けておけばよいではないかということだが、それでは限りある寿命の中で重要な知識を身につける折角の機会を逸することになる。半可解でも頭の片隅へ残しておきたいという心境で書いている。
この随筆でも既に触れたたようにアルバート・アインシュタインは特殊および一般相対性原理を発表した。彼は重力と加速度は区別できないこと及び重力とは空間と時間のゆがみであることを明らかにした。太陽の付近を通過する光は太陽の重力のために曲がるし、ブラックホールのごく近辺の極めて大きい重力場では時の流れがぐっと遅くなる。リーマンはこのように重力によってゆがんだ空間を量的に分析する数学を提示した。リーマン幾何学である。
光は粒子(質量)であると同時に波(エネルギ)でもある。ド・ブロイはこの波−粒子の二重性は特殊相対性理論のE=MC2の関係式で物質全般にも適用できるとした。量子力学はミクロな粒子についてはその位置と速度を同時に確定することはできないー不確定性原理―と教える。超ミクロの領域では空間は激しくゆらいでいる。
物質の根源は嘗ては原子と考え、また暫くは陽子・中性子・電子の組み合わせと考えた(我々の高校時代の知識)。線形加速器センターの実験者たちは陽子と中性子が更に小さい粒子クオーク3ケから成ることを見出した。現在では素粒子は三つのグループ(族)に分れそれぞれの族にクオークが二つ、電子かその仲間が一つ、ニュートリノの類が一つ入っていることまで分かった。これらの素粒子の質量にはかなりの差異があり、最も軽いニュートリノの類の質量はまだ確定していない。全く単純ではない。更にはそれぞれの粒子は点ではなく限りなく細い輪ゴムのように振動し躍動する糸状のものからできている。これを物理学者たちは“ひも”と名づけた。そして万物の構成要素をひもとするこの考えを“ひも理論”という。ここにおいて量子力学と一般相対性理論の矛盾が解け、統合される。
ひも理論はこの宇宙が3次元の空間ではなく、小さな空間の中にまだ巻き上げられたいくつかの次元があるとする(カルーザ・クライン理論)。カルーザはまず空間次元を一つ加えて重力は在来から考えられていた3次元の波に、電磁力は新たな巻上げられた次元にからんだ波で運ばれると考えた。量子力学は重力と電磁力の他に素粒子間で働く更に二つの力、強い力と弱い力を発見した。ひもはとても小さいので小さく巻き上げられた次元でも振動し得る。巻き上げられた空間が6あるとすれば(計九つの空間次元になるが)時間次元1を加えて10次元の宇宙でひも理論の方程式が意味をなすという。
この辺りから著書の記述は極めて難解になる。巻き上げられた6次元がどういう形をしているか、理論方程式を満たす幾何学図形を研究者の名を冠してカラビーヤウ図形と呼ぶ。素粒子に三つの族があることに対応するカラビーヤウ図形は三つのドーナッツが連結したものだという。図形に把手をつけて粘土のようにこねまわしたりしている。理論が先行して実験の裏づけが取れていないから、全くもって理解が難しい。
ひも理論は5種類(T型、UA型、UB型、ヘテロO型、ヘテロE型)あるというが、それらは皆実体の中のそれぞれ異なる一部に対応すべきものだものだという理解が進んできた。ウイッテンはヘテロE型ひも理論の結合定数を大きくしていくと新たな空間次元が現れ、リング状のひもは引き伸ばされて円筒の形になる、次元は一つ増して11次元(空間が10次元、時間が1次元)になると発表、暫定的にこれをM理論とした。俗にこれを超ひも理論(Super String Theory)というらしい。また次元がこれ以上増えることがないことは証明されているという。
ホーキングはブラックホールが放射を行なうと唱えた。ブラックホールの重力は1対の仮想光子にエネルギを与えてこれを引き離し、一方をブラックホールの深淵に引き込むと同時に他方の光子はエネルギを得て外に弾き飛ばされ、ブラックホールから遠ざかるのだという。ブラックホールは光るのだ。この事実は私も知っている。2001年11月の話題にN.A.S.A.の写真を掲げたが、確かに中心部から外向きに白い光が放射されている。
ブラックホールは宇宙の巨大な天体のなれのはてと考えられているが、一般相対性理論をあてはめればどんな質量の物質の塊も十分小さいサイズに押しつぶせばブラックホールになる。このようなブラックホールは質量が十分小さければ素粒子ととてもよく似たものになる。このような小さい質量では量子力学が働き、従来は一般相対性理論と相容れないとされたが、ひも理論は両者の間にしっかりとしたつながりを提示する。
宇宙的に巨大なものから素粒子まで繋ぐひも理論には未解明の部分が多いが、やがてすべてを統一的に解釈する手段に発展するらしい。著書の多くの部分は未紹介だが、よく理解できないままに残してある。著書には著者が影響を受けたあるいは熱のこもった議論を交わした多数の研究者の名前が登場するが、その中に日本人を見かけないのは残念だ。

<長梅雨> 8月1日になったがまだどんよりとした曇り空だ。今年は5月にさつき晴れの日がたしか1〜2回しかなく、あの頃から曇天が多かった。しかし雲間から日が射すことも多く、庭の木々は不満を見せることもなく季節に応じて花を咲かせ葉を茂らせている。美しいあじさいの花も盛りを過ぎた。
気象庁は明日から晴れて暑い夏が来るといっている。本当だろうか。妙なのは今年の梅雨前線は日本列島の南方に停滞し、例年の梅雨末期のように日本海の方まで北上しないことだ。気象図によると西方から高気圧が押し寄せてきているから、これが梅雨前線を東へ押しやってしまうのだろうか。
いずれ灼熱の太陽がやってくる。毎日短距離の散歩に努めている身としては今のような涼しい日が続いてくれる方が楽でいいが、頭から水を浴びるように汗を流すことも季節の行事として受け入れなければ時が過ぎない。長梅雨だからといって秋の来るのが遅くなるわけでもない。昨年暮あたりの長期予報で今年の夏は例年以上に暑いと聞いたような気がする。当てにならぬことだ。
<日本軍の研究> 第2次大戦で日本は何故敗けたのか。それは物量にまさる米国に元来勝てるはずがなかったのだとか、予め経済封鎖によって戦争の継続に必要な石油その他の資源を抑えられていたからだとか、謀略と外交不手際を伴った真珠湾攻撃によってその気のなかった米国民の戦意に火をつけてしまったとかいろいろ論じられている。その大国アメリカが北朝鮮、ヴィエトナムと続く戦争には勝てなかった。日本があのように一方的に敗けたのにはそれなりの軍事的な理由があるはずだ。このテーマに挑んだのが防衛大学関係者を中心とする研究会で、その成果は「失敗の本質」(副題は“日本軍の組織論的研究”、中公文庫)に著わされた。メンバーは戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎。その論説の要点を紹介する。
そもそも軍隊とは近代的な合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものの筈である。その日本軍がしばしば合理性と効率性とに反する行動を示した。すなわち日本軍には本来の合理的組織となじまない特性があり、それが組織的欠陥となって大東亜戦争の失敗を導いたと著書は説く。戦後になって作戦の失敗は指摘されたもののあまり真剣に論じられず、失敗の原因を当事者の誤判断や日本軍の物量的劣勢に求めるのみであった。しかし問題はそのような誤判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的な劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしめた組織的な欠陥にこそあり、このような日本軍の組織的な特性はその欠陥も含めて戦後日本の組織におおむね無批判に継承されていると指摘している。
平時において有効に機能していた日本軍の組織が危機(不確実・不安定で流動的な状況)において破綻した事実は、現代日本の組織一般についても危機を迎えれば同様な運命に曝される恐れを内在している(実際にはもう表面化している!)のだから、この際嘗ての日本軍の失敗を戦史に辿って反省に資する意味が少なくないと説いている。
本書は六つのケースを取り上げ、それぞれの失敗の内容を分析した。すなわち、ノモンハン・ミッドウエイ・ガダルカナル・インパール・レイテ・沖縄である。ノモンハンは第2次大戦以前であるが、ここでの失敗はその後にも続く軍組織の欠陥の露呈の典型であり、失敗の序曲であるとともに学習されることもなかった意味で失敗の典型である。ミッドウエイとガダルカナルは第2次大戦の海戦と陸戦におけるターニング・ポイントで、日本は両作戦の失敗を転機に敗北への道を走りはじめた。インパール・レイテ・沖縄はそれぞれ敗け方の典型的な事例であり、作戦の目的に関する大本営・当事者間の意識のズレが失敗の主因であった。すべてのケースで戦略的な合理性が貫徹されていない。
これら六つのケースを通じて大本営の戦略目的が不明確で、目的の単一化と兵力の集中化がなされず、兵力の逐次投入の愚を犯している。またコンテインジェンシー・プランを準備せず、統帥綱領の墨守精神が視野の狭窄化・想像力の貧困化・思考の硬直化を生み、戦略の進化やオプションの拡がりを阻害した。ここでは詳細を省くが1991-1の話題に<ノモンハン>、1999-10の話題に<戦艦大和>、また2002-5の話題で<日本近代史>に触れている。
日本の軍隊は日露戦争での勝利によって強力な戦略原型(パラダイム)をもった。陸軍は白兵戦における最後の銃剣突撃である。それは多大な犠牲を払ったにもかかわらず、旅順戦で最後の勝利を得た203高地の戦いを範とし、精神主義に徹した。海軍は日本海海戦の完全に近い勝利で得た信念による艦隊決戦の思想に拠った。そのために大艦巨砲主義を採り、先制と集中を重んじ「攻撃は最大の防御なり」と唱えて防空・防禦を軽んじた。
日本海軍は真珠湾で機動部隊という航空優位の組織を作ったが、戦艦優位の編成を最後まで崩せなかった。一方で米海軍は真珠湾に学びタスクフォースを作るとこれを洗練させて、1隻の空母を中心に半径1500mの円周上に戦艦・巡洋艦・駆逐艦9隻を等間隔に配置する輪形陣対空防衛システムを開発した。空母に突入せんとする日本の艦爆機も雷撃機も攻撃直前を狙われた。日本は警戒艦が少なくまたレーダーもなかったので空母を防衛できず、空母は自分で防ぐしか方法がなかった。
日本陸軍も歩兵・火砲・航空機の有機的統合が図られた組織になっておらず、白兵戦を展開する歩兵が突出する組織で、諸兵種連合の機械化部隊は実現されていなかった。一方米軍は水陸両用作戦のドクトリンを開発、海兵隊によって陸・海・空を有機的に統合した独特のタスクフォース組織を作り上げていたのである。
日本軍は米軍のように陸・海・空の機能を一元的に管理する最高軍事組織としての統合参謀本部をもたなかった。白兵銃剣主義と大艦巨砲主義とでは軍事合理性または技術の面から統合を促す必然性が少なかったのだろうと著書は皮肉っている。日本軍は個々の戦闘結果を客観的に評価し、それらを次の戦闘への知識として蓄積しない組織だった。日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応し過ぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまったことにあると指摘している。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分に伝播していくということは驚くほど実行されなかった。
次に軍備について触れる。日本は一点豪華主義で、ある部分は突出して優れているが他の部分は絶望的に立ち遅れていた。戦闘を有効に展開するために無線・電話・レーダーなどの通信・捜索システムが有効・的確に作動する必要があるが、この面での劣勢は甚だしかった。一方で戦艦大和の46センチ主砲は最大射程40kmを誇るものだったが、一度もその威力を発揮することはなかった。米国の生産体系は徹底した標準化が基本で長期間設計変更しないで大量生産をはかったのに対して、日本は性能の改善を求めるのに急で一品生産的になり、例えば伊号潜水艦は27の艦型が開発され1艦型当り僅か4.2隻になった。米軍はインダストリアル・エンジニアリングの発想から平均的軍人の操作が容易な武器体系としたのに対して日本軍は零戦に見るようにその操作に名人芸を要求し、その結果ソフトウエア開発は弱体でありひいては情報システムの軽視につながった。米軍に暗号を完全に解読されていたこととも密接に関係がある。
軍人の教育システムについては将校育成のために陸士・海兵があったが、その成績優秀者がそれぞれ陸軍大学・海軍大学に進んだ。陸大出身者は参謀という職務を通じてラインの指揮権に強力に介入(幕僚統帥)し、しばしば下克上的に突出する弊害を生んだ。海軍の場合参謀が指揮権に介入することは強く戒められていたので事情は異なるが、大本営において陸海軍部は完全に独立・並存していて相互に密接な情報交換もなく、両者の協調をはかる権能は天皇にしかなかった。東條首相はかなり後になってミッドウエイの敗戦を知って愕然としたという。
各種操典に通暁した暗記と記憶力の強い者が大学成績優秀者となり、予め用意された模範解答に近いことが評価基準になったから、陸海ともに大学卒業生は教条主義に流れた。目的や目標自体を創造したり変革することはほとんど求められなかったし、また許容もされなかった。一旦卒業すれば年功で昇進してほとんどが中将ぐらいまで行く。しかし虎の巻として扱われた“海戦要務令”(日本海海戦に備えて秋山真之が作った)で指示したことが実際の戦闘場面で起きたことは太平洋戦争を通じて一度もなかったという。ある外国将校が日本の軍隊を評して下士官と兵は優秀だが、上級将校は劣等だと言ったのもあながち外れていない。上の方は何を考えているのかと歯噛みしながら死んでいった多くの兵隊の身にならないといけない。
<コンピュータ・ウイルス> テレビのニュースで新たなコンピュータ・ウイルスが発生し、世界中に蔓延しているという。今回のウイルスはメールを不用意に開くと感染するという類のものではなくて、インターネットに接続しているパソコンを起動した途端に入り込むという一段と悪質なものだ。ウイルスの名称は”Blaster”で、O.S.がWindows XPを対象にし、最新版になっていない場合に感染の危険があるという。
加盟している“N E C 1 2 1 w a r e ニュース”からも警戒を呼びかける緊急メールが入った。感染するとWindowsデイレクトリーの中に”msblast.exe”というファイルが植えつけられ、パソコン起動時に連動起動してエラー・メッセージを出し、異常終了・再起動を繰り返し正常な使用を妨げる。更にTFTPを利用しインターネット経由で他の感染可能なパソコンを探し、ファイル転送を行なうのだそうだ。
私もWindows XPを使っているがこまめにO.S.を最新版に更新しているので被害を免れているらしい。犯人はマイクロソフトのビル・ゲイツ会長の世界中のパソコンのO.S.独占戦略を切り崩そうという意図でやっているかに伝えられる。その気持ちも分からぬでもないが、突然やられて日常生活に深く入り込んでいるシステムが使えなくなっては迷惑この上ない。個人でなく会社組織に被害が及べば影響は甚大だろう。情報担当者の心労はお察しする。
ひとつだけこのウイルスの恩恵と思われる事実がある。最近とみに増加してきたジャンク・メールが昨日から一通も来なくなったことだ。日に10件近く舞い込み邪魔なのでメール・ボックスを開くやもちろん中身を見ずに片端から削除していたが、いささか迷惑していた。多分発信側がウイルスに見舞われたのではないだろうか。いずれ復活するだろうが平穏なひと時をおくれるだけでもよしとしなくては。

<異常気象> ややしつこいが、同じ月に2度気象を取り上げる。懸念していたように“長梅雨”は8月中旬になってもまだ終わっていない。日本列島の上をなぞるように通過した台風が去るとたちまち日本列島南方に列島に沿う形で不連続前線が復活した。典型的な梅雨前線である。気象の専門家は立秋を過ぎると“梅雨”とは呼ばないそうで、秋雨前線などと言っているが無理をしている感がする。東北地方は梅雨明け宣言がなく終わったそうだが、ヤマセと呼ぶかどうかは別として東北地方の今年の農作物の不作はこれで決定的になった。
ヨーロッパは猛暑が続き、老人たちが暑さにやられて病院は満員になっているという。山火事が消せず、ライン川の水位は下がり、竜巻まで発生している。北極を巡る偏西風が異常な蛇行をしているためだと説明している。日本の長梅雨と関係が深いのだろうが、誰もそれを関連付けて説明できない。そう言えば先の台風が北海道で甚大な降雨被害をもたらした。当日N.H.K.テレビは終日台風被害の実況と警戒のニュースを流し続けたが、北海道については特別な警戒を呼びかけなかった。例年台風が北海道に至る頃には気圧も衰えて足早に通り過ぎるのでその影響を軽視しているのだが、今回は異常に長時間豪雨が見舞った。
クドクド書いているのは一連の気象現象に対する予測がまるで当たらないし、納得できるような事後説明さえもできないことを指摘したいからだ。なまじコンピュータで計算できるばかりに過去の経験による言い伝えやノーハウなどどこかへ捨ててしまい、計算結果だけに頼っているがそれがまるっきり頼りにならない。大気圏の3次元流体予測がどこまで信頼できるのか、一度専門家の率直な見解を聞きたいものだ。
今回の北海道の被害が予想を超えて大きかったのは計測点が少なかったからだと、これから北海道の気象計測点を増やすと伝えられている。しかし気象予測に計測は直接関係ない。必要があるとすれば詳しい各地の地形データだがそんなものはもう掃いて捨てるほどあるだろう。やはりコンピュータの能力が全く足らないのに尽きるか。
<花火> 8月23日夜テレビで秋田・大曲の花火を放映した。本来花火というものは現地に赴き人波にもまれて腹にこたえるズンという音を味わいながら仰ぎ見るものだと思っているので、冷房のきいた自宅で勝手な格好で眺めるのは贅沢というもので、音が小さいぐらいは我慢して当然だ。この大曲の花火というのは全国の花火師が集まって、損得抜きで腕を競うのだという。生憎当日の現地は季節外れだが梅雨残りの雨で(関東地方は夏空が戻って終日快晴だったのだが)、何とかスケジュール通り全部こなしたものの、花火を揚げる人たちは随分やりにくかったようだ。
この際解説で教わった話をメモ代りに記しておく。花火の基本形は“菊”と“牡丹”の2種類で、それぞれ単純な形から八重芯(2重という意味)、更には三重芯、最近はもう一歩進んで四重芯まである。当然ながら多重の場合は色を変える。花火のよさは次の3点で評価する。―1)昇りつめた頂点で開く、2)大きく真円に開く、3)全体に同時に消える― 四重芯ともなると色の境がいまひとつ区切りがよくなくて、辛うじて四重と識別できる程度だからまだ改良の余地がある。
若いころ岡崎・菅生川のほとり、岡崎城の前に桟敷ができて催される岡崎の花火を毎年夏に見に行ったのを思い出す。昔と違うのはゴスペル調の歌声つきの音楽を流していることだ。それとテレビだからでもあるが、今から揚げる花火の種別と担当する花火師の出身地・氏名を報道する。玄人たちの競いのため今ひとつ素人受けはしていないようだ。
この秋田・大曲の花火は別として近頃は隅田川・横浜をはじめ各地で催される花火大会は随分大掛かりになった。野次馬の私にはこういう花火大会が興行的に成り立つ仕組みがよく分からない。桟敷席で入場料をガッチリ取っているのだろうか。広告もしていないからスポンサーもいるようには見えないのだが。中国でも盛んなようだが私は日本の花火が一番だと思う。朝の連続テレビ“こころ”でもやっているが、花火師の技術の伝統が衰えないように願っている。