話題提供3b


1999年3月


<芸> 「八代亜紀と素敵な紳士の音楽会」と称して世良譲、ジョージ川口、北村英治らと八代亜紀がライブで共演し、彼女を心から愛する老人たちがジャズ・バージョンと言いつつ力まず自然にジャズの世界に彼女の歌を導いた。この世界の約束事にうとい私には専門的な解説などできっこないが、長い時間視聴していて惹きつけられ放しで、もう終ってしまうのかと惜しむ感情は現在の他の歌手には滅多に味合わないものだ。かといって彼女は精一杯皆の前で頑張っているという風情ではなく、合間での歌の選択に関する老人演奏家たちとの会話も含めて如何にもリラックスして歌を楽しんでいるのが如実に感じられるから、こちらも楽しく聴けるのだろう。こういうのを本当の芸の力というのだと思う。

<花の民> ヒマラヤ山脈の北ラダック地方ダー村に棲むドクパという人たちがダライラマの遊説説教を聴くために、標高5200mの峠を越えてヒマラヤの南の村落まではるばる500kmのバスの旅をするのをテレビが紹介した。彼らは花の民と呼ばれ故郷の村は勿論だが旅の途中でも路傍の野に花を見ると車を止めて歌を口ずさみながら花を摘む。「私達の故郷は天国のように美しい」という歌詞だ。男も女も全員が楽しそうに花を摘む。摘んだ花は色取りの組合せを考えて綺麗な花束にして帽子に挿し込んで飾る。あの地方の花は赤や黄色だけでなく鮮やかな空色があり、組合せ甲斐がある。
 舗装などしていない悪路を長いバスの旅で皆疲れ果てた顔だったのが今や皆活き活きしている。到着した式典会場はダボ寺というラマ教の寺院で巡礼をして集まってきた人数が2万人。持輪金剛潅頂の儀式が行われる。ダライラマ14世は中国の圧迫を逃れて1959年チベットからインドへ亡命した。儀式の後で活仏は気さくに花の民にも会ってくれ、一人一人と握手をし記念写真にも応じてくれる。感激した男たちは後で静かに涙をぬぐっている。彼らはこの記念に極彩色に印刷した曼陀羅の絵を買い求めた。故郷に帰ったらこの一生に一度の経験を留守番をした人たちに何度も話して聴かせるのだろう。少女は母からもらい大事に持ってきたお金で靴を買った。この純朴な人たちに今の日本にはない幸せを見た。

<文明の衝突> サミュエル・ハンチントン教授の著書「文明の衝突」を読む。彼は文化と文明のアイデンテイテイが米ソ冷戦後の統合や分裂あるいは衝突を形成するという。典型的な対立はキリスト教の西欧とイスラム教のアラブだが、東方正教会、中華そしてヒンドウーも独立の文明をもち、それら異文明の断層線(フォルトライン)上で紛争が続き、容易な解決法は無いという。ユーゴの紛争で若者たちが勇んで戦地に赴いたり、相手の集団に属する住民たちを皆殺しにする動機がここにある。著者は西欧文化の普遍性を信ずる欧米の信念には誤り・不道徳・危険という三つの問題があるといい、巻末に異文明間の大戦争の一シナリオを紹介する。一方でこのほどイランのハタミ大統領はバチカンでローマ法王ヨハネ・パウロ二世と会談し、異宗教との和解協調を願う両者の対話路線が具現化した。ローマ法王庁はアブラハムを共通の父祖とするイスラム、ユダヤ、キリストの3宗派の和解・強調を促進させたいという。国際政治評論家の中村薫は国籍、民族、宗教、イデオロギーの差異に関わらずすべての人は深いところでつながっている、「世界平和のためのone world」と故笹川良平と同じことを言う。果たしてどうなるか。

<襖絵> NHK「とびきり京都」の番組で和紙の活用先の一つとして襖絵を紹介した。京都黒谷のある料亭。まず女将が紹介した部屋の襖は目覚めるような鮮やかな青の渦の列。大胆な色の採用で部屋に緊張感がみなぎる。次の部屋の襖は渋い色調でずっと落ち付いた雰囲気をかもし出す。まさに襖絵が部屋の性格を定めている。絵の柄には長い伝統に支えられた数多くの自然の風物を描いた優美な模様があり、襖に用いられた和紙の良さを活かしきっている。訪問した女性が襖絵の製作に挑戦した。まず和紙専門店で何百とある微妙に色調の異なる襖用の台紙から淡い褐色の和紙を選ぶ。昔から使われている版木の中から蔦の葉と蝶を選び金色の絵の具を溶く。蔦の葉を主体に余白を十分取って和紙に版木をじっくりと捺し、最後に2匹の蝶をあしらう。専門家の指導でうまくできた。これはまさに日本文化の一つ版画の世界につながっている。

<足形測定> きんさんぎんさん50歳代 土踏まずも健在  名古屋市南区に住む106歳の双子姉妹、成田きんさん、蟹江ぎんさんの足形が、今なお50〜60歳代の状態にあることが靴メーカーの測定で分かった。「新婚旅行は田んぼ」と語るほど、20歳前後から農作業で鍛え、100歳でデビューしてからは全国各地のイベントに足を運び、大好きな散歩を続けてきたのが、足丈夫につながった。あす15日は「靴の記念日」。健康づくりのウオーキングが注目される現代、きんさん、ぎんさんが"トップ・ランナー"だった!? 【山田 泰生】
 かかとの巨骨から親指骨にかけての中足骨のアーチがしっかりして土踏まずが健在。足裏は弾力性があり、マメやタコなど傷一つないのが特徴だ。また、かかと幅が足幅に対してかなり大きめ。「もともと大きかった足幅が小指側だけ退化し、かかと幅はそのまま残った」と、出利葉さんは分析。「見た目には、しわがあって皮膚が変色しているが、触ると温かい。二人とも筋肉や骨格は丈夫で50〜60歳代の足形」と太鼓判を押した。
 きんさんは、自宅から約100メートル離れた公園まで散歩を楽しんでいる。冬の間は散歩を休んだが、暖かくなると乳母車を押しながらのウオーキングがまた始まる。昨年暮れから近所の接骨院に通って、毎日のように筋力トレーニングに励んでいる。片足1・5キロのオモリをつけての体操は熱を帯びる。「イーチ、ニー、サーン……」の掛け声で行うオモリの上げ下ろしは最初40回だったが、今では300回以上できるようになった。接骨院の久野信彦院長(53)によると「2カ月あまりで足の後ろ側の屈筋がついてきた。足は100歳だろうと150歳だろうと、鍛えれば鍛えただけ筋組織ができる」という。
 一方、ぎんさんは元々、きんさんより足が丈夫だったが、姉にお株を奪われた形。今年1月には風邪をこじらせたものの、すっかり回復。「私は、きんのように無理せんでもいい。ポカポカしてきたら、気の向いた時に歩みたい」と、金色のウオーキングシューズを握る手に力を込めた。 [毎日新聞3月14日]  長くなったがインターネットニュースから引用。歩けなくなったら人間はじきに死ぬ。

<機械と人間> 毎日朝からパソコンに向かう。することは次から次へと生じてネタ切れにはならない。昼食を摂ると眠くなるので安楽椅子で昼寝をする。これを怠惰につながる悪習と感じたある日昼寝を省いてIGO-NETによる通信対局を強行した。圧倒的な優勢が決め所を逸してズルズルと相手の石を活かし敗勢に転じたころ、頭が全体に圧迫されるように痛くなった。冷静な判断などできるわけがない。投了して日課の散歩に出る。外を歩けば次第に頭痛は治るかと思ったら大違い。痛みは収まらず足も前に出ず歩行速度は平常の更に1/2に落ちた。息は荒くなり立っているのも辛いのをやっとの思いで家に辿り付くと安楽椅子に倒れこんだ。小一時間そうしていたが治らない。これは今までと違う、脳溢血か何かえらいことだと晩飯を断ってベッドにもぐりこみ気が付くと3時間経過し一応頭痛が去った。翌一日この後遺症の感じで頭がぼうっと重く、パソコンをほどほどにし十分睡眠を摂った。考えると会社でも辞める前の1年以上パソコン漬けだったが、夕刻頃には視力が落ちて画面が見えなくなってくる。家で新調したものは液晶画面で、テレビコマーシャルで長島が言うように目に優しい、これは一日やっても大丈夫とたかをくくっていたら強烈なアッパーカットを食った。矢張り機械とはほどほどに付き合わないといけない。でも脳溢血でなくて助かった。昼寝ぐらいはすすんですることにしよう。

<イラスト> 大学時代の友人に電子メールを通じてこの随筆を読むように押し売りした。その後感想を求めたらホームページに載せたらどうだと云って来た。退社直後からホームページを開けばと勧める人が複数居たが、自分のことを漫然と出したって面白くも何ともないと放置していた。しかしこの随筆を載せておけば見る人は見るだろうし、押し売りの迷惑は与えなくても済む。なるほどそれなら身の為人の為だやってみるかと準備にかかった。自分の顔写真は最近人が撮ってくれた中からスキャナで小さく切り取った。
 冒頭に掲げるイメージ写真としてインターネットで岡崎の写真家の出した「夕暮れの海を進んでいく漁船を海中に垂直に立った竿に留った鳶が眺めている」作品が気に入ったのでメールで本人にお伺いを立てたところ快諾してくれた。次に随筆本文だがズラズラと文字ばかり並ぶのは如何にも味気ない、何かよいイラストがないかとインターネットサーフィンを繰り返すうち埼玉県春日部の人が四季の花を200点近く提供しているのに出会った。しかもホームページに利用してよいと案内に記してある。念のためにこれもメールでお伺いを立て快諾して頂いた。カットとして使える絵のほかにシールと呼ぶ小品もあり、これだけ揃えるのに相当な手間をかけたと思う。おまけに花言葉が付けてある。下らぬ絵を少しばかり並べて大げさに複製を禁ずるホームページが多い中でこういう人には頭が下がる。目移りするので全作品のリストを作り季節を合わせて花を選んで文章の間に配置すると確かに目が休まる。更に別のホームページでとぼけた動物のイラストに出会い、作者は少女と分かったが使いたい絵を申し出たところ遠慮がちに認めて下さった。これは数の制約から冒頭の月のタイトルのそばに配置する。次第に画像展示会の様相を呈し始めた。

<寿命>  【ニューヨーク21日=山中季広】不老長寿の研究は人類の幸せ、それともよけいなお世話? ヒトの寿命をめぐる論争が米紙上で盛り上がっている。遺伝子研究の成果を踏まえて「科学者たちの関心は、寿命を二百歳まで延ばすことに移った」と報じられたのがきっかけ。「ぜひ遺伝子治療を受けて長生きしたい」と喜ぶ声もあれば、「つらい人生、延ばしてどうするの」と嘆く人もあって、反応はさまざまだ。  上記は朝日新聞ニュースの一節である。日本では少子化に伴う年金制度の財源をめぐり定年の延長論議が加速されるだろう。世界中の開発途上国では無縁に近い話だ。年をとればどうしてもポッキリ折れやすくなるが、生活習慣を固定して狭い領域で何とか適応しようとすれば天災地変や人災がないかぎり寿命は延ばせるだろうが、世の中詰まらなくなる事は疑いない。昔と変わりなく生きておりますと言うのは私は厭だ。

<鬱病> 月刊誌「致知」を通じて結成された横浜地域の木鶏クラブのメンバーである知人が同クラブの「朝飯会」のメモとして送ってくれた会員の談話記録の中に次の記述があった。
*認知の歪みの定義(デビッド・D・バーンズ著「いやな気分よさようなら」/知療法より)
 1)全てか無か思考:少しでも失敗があれば完全な失敗と考える
 2)一般化のし過ぎ:たった一つの事例で、世の中すべてこれだ、と考える
 3)心のフィルター:たった一つの事例に拘ってくよくよ考え、現実を見れない
 4)マイナス化思考:良い出来事を無視し、日々の生活が全てマイナスに
 5)結論の飛躍:根拠もないのに悲観的な結論
 6)拡大解釈(破滅化)と過小評価:自分の失敗:過大、長所:過小。他人は逆双眼鏡のトリック
 7)感情的決め付け:自分の憂鬱な感情は現実のリアルな反映と
 8)すべき思考:何でも「〜すべき」「〜すべきでない」。他人には怒り・葛藤
 9)レッテル貼り:「一般化のし過ぎ」の極端。自分のミス→「自分は落伍者」   他人→「あのろくでなし」。レッテルは感情的で偏見に満ちている
 10)個人化:何か起こった場合、自分に責任が無い場合でも、自分のせいだ
文明社会に生きる人間は多かれ少なかれ鬱病的な要素を心に持っている。これを分析してみると上記の10項目には思い当たることが多い。なおかつ本人はつい自分だけの問題と考えてしまいがちだ。しかしこのように客観的に眺めてみると忽然と開放されるだろう。何をクヨクヨ川端柳とね。人の話は聞くものですね。

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