11月の話題


2003年11月

 

<遺伝子の川> 想像力に欠ける私が相変わらず読書を通じて始めてものを考える怠惰を許してほしい。今回の導き手は「遺伝子の川」(リチャード・ドーキンス、草思社)とインターネットの遺伝子関連記事である。まず述べられているのは“すべての生物がすべての遺伝子を、祖先と同世代で失敗した者からではなく、子孫を残した祖先から受け継いでいる以上、あらゆる生物は成功する遺伝子をもつ傾向がある”という。チャールズ・ダーウインの説く“適者生存”の論理だ。もう少し追及すれば、劣った遺伝子は若死にするか、繁殖しないで死ぬ身体の中で終わりを迎える。各世代は篩(フィルター)であって、すぐれた遺伝子は一つまた一つと篩の目を通り抜けていく。1000世代にわたってうまく通り抜けた遺伝子は多分すぐれた遺伝子だろう。特異にみえることさえある生物の様々な特徴を含めた効用関数の最大化は正義などと関係なく利己的な遺伝子によって達せられる。
 流れの中の岩がたまたま飛び石として役に立っても、それはたまたまそうであったに過ぎない。しかし生物のあらゆる構造・機能については「何故そうなっているのか?」と問うことが許される。生物の体とその器官はどこもかしこも用途が書き込まれているように見える。眼や嘴、営巣本能など意図的な設計が潜んでいると錯覚するあらゆる事柄を生んだのはダーウインの唱えた“自然淘汰”とひとびとは理解するようになった。
 昨夜のテレビ番組“動物不思議発見”では東南アジアの熱帯雨林に棲む珍獣“日よけ猿”の生態が紹介された。昼間樹の幹に張り付いて動かない姿は保護色のためもあってよほど見慣れた目でないと見分けられない。食物は木の葉で枝から枝へ飛翔する。四肢をピンと伸ばすとその間に張った膜で四角な凧のようになる。そのうえ両下肢間の膜は上下にあおることができて推進力を増し、80mの飛翔距離を120mに増すことができるという。更に指の間の小さな膜を使い、航空機の主翼後端に付いている方向舵のように手首を回転することで、器用に飛行経路を曲げて樹間を縫うように飛ぶ。あの地方は1億年前からの地殻変動による大陸移動でもずっと熱帯地域に留まったため、氷河時代も緑豊かな森林が絶えず進化が進んだのだろうという。
 1953年にフランシス・クリックとジェームス・ワトソンは遺伝子の分子構造解明を発表した。生物身体のすべての細胞には同数(人間では46本(23対))の染色体があり、それぞれ1本の2重螺旋構造のデオキシリボ核酸(DNA)分子から成っている。その骨格は糖と燐酸が規則正しく連なっており、糖には更に4種類の塩基(プリン:アデニン(A)とグアニン(G)、ピリミジン:チミン(T)とシトシン(C))が付いている。2本の燐酸の鎖はプリン塩基とピリミジン塩基の間の水素結合を介して規則的に結合されているが、アデニン(A)の相手は必ずチミン(T)、グアニン(G)の相手はシトシン(C)という厳しいルールで行われている。一方でこのA/T、G/Cが正順・逆順を含めてどのような順序で染色体分子上に配列されるかは自由であり、それが遺伝情報を伝える鍵になる。細胞分裂の際は、水素結合は解け2本の鎖が巻き戻り解離する。それぞれの鎖は鋳型として働いて新たな鎖をその上に形成するので、結果として二対の鎖を作ることになり、塩基配列はそっくり複製されることになる。
 遺伝情報は4個の記号をもつ四進法暗号であり、遺伝子の機械語はコンピュータ言語に似ている。遺伝システムは徹底的にデイジタルであって、生物はデイジタル・データベースを増殖させるようにプログラムされた生存機械といえる。アナログ情報はコピーによって劣化が累積されていくが、遺伝子はデイジタルであるために突然変異は別として何世代にも全く劣化がない形で完璧に保存される。1セット(ヒトの場合は46本の染色体)の遺伝情報伝達単位をゲノムとよぶ。
 生物の種類ごとに決まっている染色体の本数とゲノム量(1ゲノムに含まれるDNA塩基の数)を表に例示する。進化的には下等と考えられる生物が意外にも多い染色体数や大きいゲノム量をもっているのが興味をそそる。容易に推測できるようにDNAの中で有用な遺伝情報が書き込まれているのは全体のごく一部と考えられている。
生物種           染色体数(2n) ゲノム量Mb(100万塩基)
ヒト              46        3200
マウス            40        3300
フグ             44        400
メダカ            48        800
ヒラメ            46        700
チョウザメ         250        3000
黄色ショウジョウバエ   8          180
トノサマバッタ        5000
イネ             24        430
トウモロコシ         20        2500
コムギ            42        16000
ノリ              6         280
 遺伝子は滅多にないことではあるが、突然変異によって変化する。突然変異のし方は二重鎖をつなぐ塩基対が別のものに置換される、新たな塩基対が追加される、既存の塩基対が欠損するの3種類で、要するに何でもありである。更に長期的には染色体の数さえ突然変異の対象になり得る。すべての生物にとって突然変異は環境の変化に適応するための重要な機能で、これあるがために適者生存と自然淘汰の原理に従って生物は進化を続けている。
 ところでわが国でも西暦2000年紀に合わせた国家プロジェクトとして“五大疾患の克服”を掲げ、@アルツハイマー病など痴呆系の神経疾患、Aガン(悪性新生物)、B糖尿病・高脂血症等代謝性疾患、C高血圧等循環器系疾患、D気管支喘息等免疫・アレルギー性疾患について疾患関連遺伝子の発見に努め、個人情報の収集・集積を行なうという。もちろんこれだけでは具合が悪いから、併せて治療のために薬剤反応性関連遺伝子の発見もテーマに掲げている。個体ベースで言えばどんな努力をしても生まれつき受け取った遺伝子構造はその欠陥も含めて変えようがないのだから、こういうプロジェクトが人の幸福に資するか疑問に思う。人間は何でも知りたがるが、知らぬ方がよいこともある。
 癌の発病などは多分に自分の体細胞の遺伝子によって左右されると思うが、今は知らぬが仏で将来の運命を知らぬままに皆気楽に暮らしている。今後データが蓄積されて、上記の疾患と発病の可能性が高い遺伝子構造の関係が明らかになり、血液検査の結果と照合してその事実が本人や家族に告げられるようになれば、これは多数の人にとってむしろ不幸をもたらすだろう。ましてそのデータが生命保険会社などへ流れればまさに寝た子を起こす事態になる。現に英国では検査の結果癌を引き起こす遺伝子を持っていることが分かった人が保険の解除を突如通知される事態が発生したという。近頃は住基ネットの情報が部外者に洩れると問題になっているが、もし個々人の遺伝子情報が解説付きで開示されたら、その影響の大きさは住基ネットの比ではない。

<日本の民情・風土> 古いチャーリー・チャップリンの映画を見たが、彼の時代風潮を見る醒めた眼と卓抜な運動神経に改めて舌を巻いた。“独裁者”という映画ではヒットラーに似た軍帽をかぶって地球儀を象った大きな風船を仰向きに寝転がった姿勢で何度も蹴り上げるのが実にユーモラスだった。観衆の見守る上に綱を張り、命綱もつけずに綱渡りを始める。中央部でズボンを脱ぎ始めるが、そこへ二匹の猿が彼の顔にからみつく。観衆は次々に課せられる障害にハラハラし通しだが、本人はそれぞれのテーマを区分けしてやりこなしているように見えた。そのチャップリンが戦争直後に来日し、日本を心底から愛し日本人に接して涙ぐんでいるようにさえ見えたと黒柳徹子が語った。天ぷらを好んで食したと伝えられる。少しこじつけがましいが、こんな稀有の天才に愛された日本はかけがいのない国らしいと言いたいのである。
 戦前(1921年)にラフカデイオ・ハーンを読んでぜひ直接に見たいとアインシュタインが来日した。ノーベル賞受賞のニュースは日本渡航の船内で聞いた。彼が日本人から受けた印象は個人がそれぞれの感情表現を抑圧する躾で、欧米人にはそれが虚偽または不正直と誤解されるが彼はそれを民族性として理解し、むしろ日本人の心情が自然と緊密に結びつき自然と人間は一体様式以外の何物でもあり得ないと感嘆している。更に彼は日本人が西洋文明を崇めるあまり西洋よりも優れて持つ大いなる宝、すなわち生活の芸術的造型・個人的欲求の質朴さと寡欲さおよび日本的精神の純粋さと静謐さを失うのを心配し、それを純粋に保持するように強く望んでいた。今から80年以上前の話だ。
 アインシュタインはこうも言い残している。「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一ヶ所位なくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれたことを・・・」。
 最近中国は有人宇宙船を打ち上げたと口惜しがる。北朝鮮当局の言動に日本のマスコミはウロウロ躍らせれている。米国政権に日本政府は舐められているようにも感じる。しかしこういう天才たちの感性を信じて、我々日本人はもう少し誇りと自信をもつ必要がある。インターネットでの“日本の祭り”の紹介がまた追加されて282件になった。日本の四季・土地の風土に応じた多様な祭りに地元の老いも若きも熱狂的に参加する姿が少しずつ増えてきているようで嬉しいことだ。米国にはハロウインとかクリスマスはあっても、こういう伝統に根ざした地方独自の祭りはほとんどない。原住民を追い出して移り住んだばかりの人々の文化だからだ。

<血栓> 日本人の死亡率の第1位は悪性腫瘍だが、血栓によって惹き起こされる脳血管障害と心疾患を合わせると死亡率はそれより高くなるという。「血栓の話」(青木延雄・中公新書)でその辺りの知識を仕入れたので紹介する。病院の血液内科で定期健診と調剤を受けている身だから、大いに関係が深いのだが今までその方の知識が乏しかった。出血するとやがて傷口の血液が固まって出血の持続を防ぐ。しかしそういう血栓が体内にできると状況によっては致命的になる。その辺の血小板の凝集の機構と血漿蛋白などとの関係はかなり複雑である。20世紀に入ってから様々な成分が血栓の発達とその溶解に関わっていることが発見された。それらを羅列してもその因果関係が説明できない以上素人には無意味なので省略する。
 血栓症は動脈系血栓と静脈系血栓に大別できる。動脈系血栓は白色を呈しているので白色血栓とも言われ、それはフィブリンにからまった血小板の凝集塊が主体になっている。血小板凝集の引き金になるのは血管内皮細胞が傷害を受けて変性剥離し、その露出した内皮下組織へ血小板が粘着することだ。動脈系血栓の代表的なものである心冠動脈血栓(心筋梗塞)と脳血栓(脳梗塞)において動脈硬化が血管内皮細胞の変性・剥離の原因となっている。
 静脈系血栓は血小板の関与は少なく血液凝固が主体で赤色を呈しているために赤色血栓とよばれる。静脈内では血流速度が遅く血小板の細胞の歪みは少ないので血小板凝集は起こらず、血液凝固が血栓形成の主因となる。その代表的なものは下肢の深部静脈血栓症である。
 冠動脈血栓は内膜の内側にコレステロールなどの脂質が沈着することに起因し、それが次第にマクロファージ、泡沫細胞、更には動脈壁の腫大した粥腫(アテローム)に発達して血管内腔を狭窄していく。こうして狭心症を発病しこれが心筋梗塞に発展して心筋が壊死して死に至る。このような虚血性疾患の危険因子として高脂血症・高血圧・糖尿病・肥満・運動不足・ストレスが挙げられている。
 脳については心筋梗塞に対応するのが脳梗塞で、その手前の狭心症に対応するのが一過性脳虚血発作である。原因は頚動脈から脳の各部分に潅流する動脈のどこかに動脈硬化性狭窄が生じていることによる。脳動脈に血栓ができて脳梗塞が発生するのを脳血栓と呼び、脳以外の場所に生じた血栓が流れてきて脳梗塞を起こすのを脳塞栓と呼ぶ。脳血栓は睡眠時または安静時に起きやすく、脳塞栓は昼夜を問わずあっという間に発症する。危険因子は虚血性疾患と同じである。
 深部静脈血栓症は圧倒的に下肢が多く、またその7割以上が左側であるという。これは左下肢の深部大静脈が左下腹部に入るが上下の中心線を越えて右下腹部で右下肢の深部大静脈と合流する構造になっていて、その間S字結腸や動脈・脊椎椎骨にはさまれて前後方向に圧迫されやすいからである。またこの血栓が血管壁から剥がれて血流に乗り、肺に至って肺動脈を閉鎖するのを肺塞栓症という。
 抗血栓薬療法としては抗血小板療法・抗凝固療法・血栓溶解療法の三つの柱があるという。具体的な薬の名は沢山挙がっているが、専門的でよく分からない。いざとなれば専門医に頼るしかない。要は先に述べた生活習慣病の如きものを潰していく心がけが大切なようだ。禅僧のような清貧な生活がこうした病気予防には一番よい気がするのだが。

<衆院選挙> 蓋を開けてみると小泉首相の率いる自民党は前評判ほどには票を得られず、民主党の追撃を許した。人の心はうつろい易い。選挙が近づいてから小泉党首にいまひとつ殺し文句が出なかったのに対して、菅直人党首は小沢一郎自由党党首の従属合併の決断を追い風にして二大政党の角逐ムードをタイミングよく醸成し、マニフェストを導入したりして“一度我々に政権を任せてみてください”の殺し文句で無党派層に働きかけ、それなりの成果を上げた。イラク派兵問題はイラク国内の米国への反感の高まりと抵抗が嵩じている現在、自衛隊派遣の必然性について日本国民への充分な説得はなされておらず、民主党の公然たる反対を許して比例代表選挙で自民党得票の足を引っ張った。
 それにしてもマスコミの選挙結果報道の迅速さは舌をまくほどだ。締め切りの午後8時直後からテレビ報道では出口調査結果を含めて当選確実者の報道が流れはじめ、翌日の朝刊には当選者全員の顔写真と経歴が載っている。関係者は不眠不休で働いた。考えてみれば小選挙区制で大政党以外は選挙区内1位を取りにくいからどうしても出にくくなる。共産党、社民党などはよほどの個性ある人でなければ野党の意見も少しは国会に反映させたいという動機では選ばれない仕組みになっている。憲法改正反対を唱えるだけの土井たか子も小選挙区制では落ちた。山崎前幹事長(副総裁)も選挙民に影が薄いと見られて落選した。政治家の存在感を認めさせ真剣に投票を訴える場が政治家に逃れられないのはよいことだ。
 ところで私的な感想として投票所では鉛筆が用意してあるが、先端が丸くなった少し短い鉛筆は私には感触が今ひとつで書きにくいので、普段使い慣れたボールペンを持参して投票所でそれを取り出したところ、目ざとくそれを見つけた係りの人がこれを使ってくれと別の鉛筆を差し出した。身振りでそれを断ったらそれ以上強いられることはなかったので、予定通りボールペンで投票用紙に記入して小さい満足を得たが、折角鉛筆が用意してあるのだからそれを使うべきだという雰囲気が会場にはあった。こういうのは日本人社会の気に入らぬ点だ。
 もう一つは記入し終わった投票用紙を内側に折って人に見えぬようにして投票箱に入れるのが礼儀と思うのだが、折り曲げに抵抗する紙の癖があって私のように左手の使えぬ者には折りづらくて苦労する。予め折る癖をつけておいて欲しいと毎回思うのだが贅沢だろうか。それとも票を数える人の便宜のために折り曲げずに投函させるのを奨励するのなら、ハッキリそういう注意書きをして投票箱の挿入口ももっと大きくすべきだ。こういう工夫を誰もしないから、皆が小さい苦労を永く続けている。

<シェイクスピア> この高名な戯曲家の作品は中学の頃に国語教師だった父の本棚から引っ張り出して片っ端から読んでいたが、もちろん邦訳もので従って筋書きだけを追いかけていたようなものだった。英文学者だった中野好夫が随筆風に“シェイクスピアの面白さ”という小品を出していて、忘れかけている古典のよさの一端に触れられればと覗き読みをした。著者(中野好夫)は日本人にはシェイクスピアの真のよさが理解されていない、その訳は1に作者が大文豪で作品が世界的な古典だという先入観があり、2に心ない教師たちによって教科書として使用されたからだと言う(尤も現代では英語の教材などにはなっていないと思うが)。そして作品を不朽の古典などと思わずに、浅草あたりの大衆芝居の座付き無名作者の書いた新作でも読むつもりで対せよと説く。
 まず挙げているのは戯曲の語彙の豊富さ、警抜さ、胸のすく面白さだ。「このドロンコ頭の、大飯食らいの、アンポンタンの、助平じじいの、脂肪樽野郎が!」といった調子の悪罵が機関銃のように次々と飛び出してくるという。こういうのは韻をふむとかいろいろあろうから、原語で読まないと生きのよさが味わえないだろう。演劇というのは言葉の芸術であって、戯曲には小説でなら痒いところに手の届くように用いられる心理説明がない。ある西欧の名優は”yes”という一つの言葉の抑揚、高低で優に30通り以上の心理を表現してみせると豪語したそうで、こういうのは戯曲テキストの弱みだが直接観劇しない以上は逆に想像力で補うしかない。そういう空想の楽しさを最大限に与えてくれるのがシェイクスピア劇だと著者は言う。
 具体的な戯曲の面白みの例として著者は“ジュリアス・シーザー”を挙げる。第3幕第1場でシーザーの暗殺があり、第2場は市民広場で暗殺首謀者の一人ブルータスが登壇して、暗殺の止むを得なかった理由を市民たちに説明する。市民は歓呼してこれを納得する。その後シーザーの友人であり同志であったアントニーが登壇し、その雄弁をもってシーザーの人格・市民愛を強調して、見事に市民たちの心をつかんでしまう。興奮した民衆は暗殺者たちを咎める暴動に発展していくのである。
 この場の動きを詳しく分析してみると、ブルータスはシーザー暗殺の大義を説く。友人としてシーザーを心から愛しているが、彼の野心を知ったが故に彼を刺したという堂々たる正論を展開する。但しブルータスは学者政治家であって、民衆というものは究極において理性や論理で動くものではないということを失念していて、迂闊にも演壇をアントニーに譲って引き揚げてしまう。アントニーは四面反シーザー、従って反アントニーの敵意の中で口を開いた。開口一番「私はシーザーを葬るために来たのであって、彼を賞賛するために来たのではない」と市民を安堵させる。その後も演説の大詰めまでブルータスを褒め、決して彼を誹謗していない。アントニーは理屈などは述べず、シーザーに関して児女の情に訴えやすい感傷的な事実を次々と語った。彼は夫の急死後の細君の身代わり候補は最高点で当選するという不文律を知っていた現実政治家だった。彼は演説の途中で「ブルータス君は人格高潔の士」という殺し文句を巧妙に反復している。こうして感傷的な訴えを繰り返す内に、いつの間にか民衆を変節と意識することなくシーザー讃美者に変えていった。最後になって始めてアントニーは民衆の心の変化を十分に見極めた上で、ブルータス一味を“叛逆者”と断罪した。叛逆者打倒を叫んで暴動化して押し出していく民衆を見送ったアントニーは「あとは勢い」と会心の悪魔的な笑いを見せる。
 著者は人間には天邪鬼という欠点があって、ブルータスを高潔の士と何度も褒めると、さてどうだかと疑心を強める、言葉の上では煽動していないのに、反って煽動効果を高めると指摘する。こういった人の心の動きの秘密をよりたくみに捉えた戯曲として「オセロ」の第3幕第3場で、イアゴーがオセロの心を手玉にとってありもしない愛妻デズデモーナの不貞・姦通の罪を確信させてしまう。ここでもイアゴーは決して“奥様は不貞”などとは口に出さず、人間の好奇心と天邪鬼心理を利用して、オセロをして遂には罪もない妻を殺害し自らも身を滅ぼす結果に陥れる。著者中野好夫はもし誰かに借金をしなければならなくなったら、この第3幕第3場を再読・三読して出かけたいという。イギリスの若い政治家、外交官にとってシェイクスピアは必読書だそうだ。日本の政治家・役人も味読したらどうかと書いてある。

<本の革命> この項は毎日受信している“Mainichi Interactive Mail”の記事から引用する。
 ―本年末から来年にかけて大手家電メーカが相次いで電子ブック用の情報端末を売り出すのだという。松下電器産業は近く、新しい電子ブック端末を発売する。「シグマブック」と名づけた新端末は、本と同じように左右に見開く形状で、2面のディスプレーを搭載。中身となるコンテンツは、PCサイトからダウンロードするか、書店に設置された専用端末からSDメモリーカードに書き込む。PDAなどと違い、一覧性や文字の読みやすさがポイントとなっている。開いた状態の大きさは、幅292ミリ、高さ205ミリ、厚さ12.7ミリ、質量520グラム。手にすると、ちょうど単行本1冊程度の大きさで、紙の本を読む時の感覚に似ている。
 特筆すべきは、記憶型液晶を採用している点だ。コンテンツを表示しているときは電力を使用しないため、単3乾電池2本で3〜6カ月は使用できる。液晶は青白16階調で、解像度も180dpi(7.2インチ、XGA)を実現し、中間調も表示できる高解像度イメージ表示を採用した。これにより、PDAやパソコンでは表示が難しかったマンガの吹き出し文字やルビもストレスなく読むことができる。販売価格は3万円台と予想されている。
 同様の端末は来年東芝やソニーも発売する見込み。高性能の端末が揃うことで普及が加速しそうだ。
 一方で電機メーカや通信会社などが参加し、株式会社「イーブックイニシアティブジャパン」を設立、本格的なコンテンツ配信事業に乗り出した。同年12月、配信サービスがスタート。専用端末ができるまでの間、PCを使ったダウンロードに対応するため、インターネット上にBB専用サイトを設置し、配信を行った。
 「パソコンでは読みにくい。本を楽しむというところまでいかない。どうしても専用端末が必要だった。本を読む感動がないと普及しない」と、イーブックイニシアティブの鈴木雄介社長は振り返る。「電子ブックをやるなら、本を学んでほしいとメーカに迫った」という。こうした声や実験の成果を受け、いよいよ年末から04年にかけて、待望の専用端末が発売され、本格的な普及の準備が整った。
 イーブックイニシアティブは現在、マンガや小説などのコンテンツを配信している。マンガ、小説(文庫)1冊当たり300円で、実際のコミックや文庫の半額程度の値段だ。会員は約4万人。データはマンガであれ小説であれ、画像形式の専用ファイルで配信され、テキストデータは使わない。
 イーブックイニシアティブは毎年売上高を伸ばし、前月比10〜20%のペースで増えている。「04年度第1四半期(04年1〜3月)の間には、単月黒字化を達成できる見込みだ」という。現在はマンガ9割、総合図書1割の売り上げ内訳だが、「専用端末が出れば、総合図書の割合は増えるだろう」と予測している。専用端末が出て、コンテンツの充実が一層進めば、一気にブレイクしそうだ。―

 とまあこういうことで、発展性があるようだ。今の本の制度には確かに問題がある。一度に沢山本を買うと持って帰るのに重くて苦労する。買った本を読み終えてしまうと、途端に置き場所に困るし、かと言ってさっさと捨ててしまうのも何となく未練がある。いつかもう一度読みたくなることがないとも言い切れない。本棚は地震で倒れかかる危険がある。ペーパーレスにすれば、地球規模で見れば森林資源の枯渇防止にも繋がるし、方向としては大いに結構なことだと思うが、自分としてはすぐに飛びつく気はしない。
 専用端末はメーカによって方式が相違するようだし、実際に使い出してみると予想以上に問題が出てくるだろう。インターネットでの買い物もまだしていない立場としては、発注や支払い、受け取りの仕組みになじむには少し時間がかかりそうだ。また現在は買ってきた本を読みながら急所に当たる文章には緑色のマジックペンで着色することにしているが、この楽しみを奪われてしまうのでは辛い。大体において1月に書籍に支払う金額など多寡が知れている。どうせやるのなら新聞も扱ってほしい。私は手が不自由なのであの大きいサイズの紙の折りたたみにいつも苦労している。出版社・本屋・新聞配達店など既存業界は影響も大きいだけに抵抗もあるだろう。どこまで発展するものか、もう少し様子をみることにしよう。

<シックハウス症候群> 近頃新築の校舎で建材の影響で児童に健康被害が出て、折角の新校舎から一時退避せざるを得ない騒ぎがアチコチで出ている。自分には直接関わりないことだが、こういうのは一部の悪徳業者がなすべからざる施工をしたための特異な事例だろうと受け止めていた。ふと思いついてインターネットで最近のその方面の情勢を調べてみる気になった。まずキーワードを「シックハウス症候群」として調べると、住居の内装、建材、家具などから発生する揮発性有機化合物*によって生ずる自律神経系統の障害とある。その有害な揮発性有機化合物*としてはホルムアルデヒド、ベンゼン、トルエン、キシレンなどが新建材に接着剤、防腐剤、防カビ材、白蟻駆除剤、防虫剤などとして使用されるためだと記されている。そして一番の悪玉は接着剤として使用されるホルムアルデヒドらしいということも推測できる。
 ところで対策はというとなるべくV.O.C.(揮発性有機化合物)の少ない材料の選択・利用が望ましいと抽象的に書いてあるだけだ。シックハウス症候群対策建材・資材データベースというのがあった。“シックハウスを考える会本部”という仰々しい名の団体が管理していて簡単に中身が見られず、使用許可の申請と年間使用料の納入によって使用許可の送付とパスワードの設定など面倒な手続きが要る。建材の商品名や供給元などが記されているらしいが、簡単に素人には見られないようになっている。一方では合板に関するJAS規格があって、等級ごとにホルムアルデヒドの放出量平均値などを定めているが、この基準を超えてはならないという厳しい罰則規定はなさそうだし、等級(合板の枚数と関係するのだろう)による数値の開きが実に大きいし、市販材料への表示義務もないようだ(但し専門家に詳しく訊いた訳ではないことを断っておく)。V.O.C.の発生が少ない賢い建材の選び方というようなガイダンスは見当たらない。やおら気が付いたのはこの世界は業界がいいように牛耳っていて、官庁は規制や監督など必要な措置をとっていないし、一般需要家の正しく知りたいという欲求は業界によってたくみに妨害されているらしいということだ。
 次に「新建材」というキーワードで調べてみた。ここにはー新建材は20年ほど前から大量生産・施工性に重点が置かれ、経験の浅い人でも簡単に施工できるように化学物質を使った建材や接着剤がたくさん使用されるようになったーと解説があり、また―塩化ビニールクロスなどの壁材に含まれる可塑剤、それを貼る接着剤、畳にも防虫剤など化学薬品がふんだんに使われている。ドアなども集成材を成型して表面にごく薄い木模様の紙様の材料を貼り付けている、新建材は総じて見た目はよいが長い寿命は期待できないーとあった。こういう世界ではコストを重視するかぎり劣悪な材料を使わざるを得ず、健全で無垢自然な素材など期待するのが愚かということになる。
 思えば建築費を節約して1世代限りの見てくれのよい住宅を建てたがる大衆需要家にもこういう嘆かわしい風潮を生んだ責任の一端がある。“シックハウス症候群”はそういう安っぽい新文明の生んだ必然的な弊害の一つだろう。こうして人々はいつの間にか虫や雑菌への耐性も失っていく。民主党は“シックハウス対策関連法案”を用意しているそうだが、この辺のカラクリを果たして十分に理解し、実効ある方策を考案しているのだろうか。

<日本人と木の文化> 表題に関して小原二郎という大学教授が木を愛する事情を綿々と語っている小冊子(「木の文化をさぐる」NHKブックス)を読んだ。この人の文章が“法隆寺を支えた木”として中学国語の教科書に、また表題のままで高校現代文の教科書に載っているそうで、私は時代が違うから知らなかったが、大抵の若い人は影響を受けているらしい。日本人の教養としてはよいことだ。受け止める側としては断片的な知識になってしまうが、著書にはいろいろなことが随筆風に書かれている。
 近畿地方の古墳から出土した木棺は例外なくコウヤマキで、古代人が木について深い知識をもち、適材適所に使い分ける能力があった証拠だと説く。日本書紀でスサノオの命の説話として、宮殿にはヒノキを、舟にはクスとスギを、そして木棺にはマキを使えと教えているという。地球を覆う樹木は約2万種で、そのうち1割の2000種が日本に生育しているという。現在日本は世界有数の木材消費国で、消費量の8割を海外から輸入している。著者は西欧の“石の文化”、“金(かね)の文化”に対比して日本の“木の文化”を挙げ、建物の材料に木のような生物を使い、しかも木の肌を厚い塗料などで覆わずに白木の素肌に心の休まりを覚える日本人の感性を強調する。
 今地球上の森林は減る一方で、やや昔から世界の変遷を眺めると、メソポタミヤ文明はザクロスの森を伐り尽して滅亡し、ギリシャ文明は周辺の巨木の森を切り尽して衰退した。国旗にも採用されている有名なレバノン杉は今ハゲ山の中に僅か600本が残っているだけだし、米大陸はヨーロッパからの移住後300年で森の80%が破壊されたといわれる。中国の黄河流域は砂漠化したし、南半球の熱帯林では目下大規模な伐採が続いている。日本国土の森林が曲がりなりにも残っているのは貴重である。木材不足の大部分を外国に頼っているのは問題だが。
 日本建築技術の伝統は寺社の建立とその維持によって保持された。著者は知人でもあった西岡常一棟梁の話を随所に挙げているが、木造建築の優れた技術は彼ら宮大工によって伝承された。彼らは木と木を組み合わせるだけで滅多に釘などの鉄を使わない。最近の洋釘などは20年しか持たないのに対し、1400年経過した法隆寺の古材は新しいヒノキより強度が高い、それは伐り倒されてから200〜300年は強度がジワジワと上昇し、その後長年月をかけて緩やかに下降するからだという。
 伊勢神宮は20年に1回ご遷宮があり、宮大工の技術を人生60年の中で一度は習い、一度は自分で造り、一度は教えるというサイクルが守っていけるシステムになっているとのこと。薬師寺の東塔は柱も梁も垂木も一本として同じ寸法の材料はない、1割以上の寸法差がある、これらをうまく組み合わせるのがこつで、柔らかな味わいがあり、1300年の風雪に耐え、地震にも倒れない建築に仕立てる。これは石の形状やサイズの多様性をたくみに生かす石垣積みと相通ずる考え方で、寸法規格の統一を求める工学にはない融通性がある。また古材の再利用、再々利用の計画を立て、木を無駄にしないシステムもできている。この辺りは現代機械工学の大いに反省すべき点だと指摘している。
 直接木と関係ないが、著書中の次の論説は留意に値すると思ったので転記する。ものを知るには三つの方法がある。それは“分ける”と“つかむ”と“さとる”である。
 “分ける”というのは対象物を分解していって、最終端末のエレメントがすべて分かれば全体が分かったとする分析的な理解のしかたで、明治以降の西欧的な教育の根幹をなし、“解明”という語に象徴される。
 “つかむ”というのは東洋伝来の思想で、分析とは逆にまずものを全体として捉え、必要に応じて細部を抑えていくやりかたである。わが国固有の文化も芸術もこれを基礎にしている。
 “さとる”というのは“分ける”と“つかむ”を組み合わせ、一段高いところから理解しようとする方法で、古来高僧たちが修行の目標とした。
 分析的な考え方を進めると、本質的でないものを切り捨てていかなければならない。ついその方向が正しいと人は突き進んでいくものだが、しかし視点を変えると何が本質的かという座標が変わってくる。こうして絶対と思っていた価値観を換えることが必要なことが必ずあるというのが著者の主張である。他文明の理解にはまさしくそれが大事になるだろう。どこかの国の大統領には考えてもらいたい。




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