
<中国の神話> “饕餮”は“とうてつ”と読み、身は牛の如くして人面、目は腋の下にあり、虎歯にして人爪、その音は嬰児のようであり、人を食らう獣と記されている。目を欹てるようなややこしい漢字が使われるているのがいかにも漢字の国らしい。殷・周の古銅器に饕餮文という虎をモチーフとする文様が多く用いられた。殷・周の時代に南方の異族“楚”の国に生息した虎を饕餮と呼んだという説もある。この項の知見は以下も含めて“中国の神話”(白川静・中央公論新社)による。
神話はそれぞれの民族がもつ固有の構想力に基づいたその幼年期の1回きりの所産であり、民族の歴史的な生命はここから始まる。中国の国土は広大であり、歴史的に見て日本とは異なり複数の民族が並存して、それぞれ独自の神話を生み出した。洪水説話は創生の神話の最初の形態として現れる。人々が土地に定着して農業を始めたときに最も恐れられたのが洪水だからであった。それは民衆の生活基盤を奪い、荒廃をもたらすだけでなく、ときには種族を滅亡の危機に瀕せしめた。
古代王朝殷は多くの神話をもっていた筈だが、牧畜族の周に滅ぼされ、殷の子孫宋の国は周の天下で軽侮の対象となった。例えば切り株に兎がふれて死ぬのをじっと待っている間抜けの話など。国が滅びると神話も消滅する。周は洪水神としての禹を治水に成功した古代の聖王として伝えた。合わせて伝えられた黄河の支流・伊水の洪水神話がある。「伊水のほとりに住んでいた女に夜夢に神が現れて“伊水の流れに臼が流れてくるのを見たら、東の方にひたすら走って、後ろを振り向いてはならん”と教えた。翌朝果たして川に臼が流れてくるのを見て、近隣の人にも危急を報せ、東に十里走ったところで後ろを振り返ると、村は既に水中に没していて、女はそのまま桑の木になってしまった。後にその桑の中の空洞に生まれたばかりの嬰児がいるのが見つかり、育つと世にも稀な賢者・伊尹になり、湯王の創業を助けた」と。
別に伏羲・女?の説話というのがあり、太古の大洪水の時に兄妹二人だけが助かって夫婦となり、人類の始祖となるという類の洪水遺民説話を50ほど集めたものである。洪水神は伏羲・女?を対偶の竜形神として石碑に刻まれている。これが苗族の神となった。またこれとも別の共工の説話をもつ羌人という人種もいて、既述の殷人と羌人、苗人は互いに宥和できない異族神をもつために激しい対立関係にあった。お互いに異種族は自己の奉ずる守護神の霊を安んじるために、動物犠牲と同じく殺害して神に捧げるべきものだった。苗族は江南からヴェトナムの方まで南下したために南人とも呼ばれた。苗族は銅鼓という楽器を使った。銅鼓の文様には湖面に浮かべた舟上で剣矛を携え、斬首をぶらさげ、強弩を張る勇士たちの姿が鋳込まれている。異民族を平気で殺戮する本能は昔の方が強かったのかもしれない。
羌人の治水神である共工については「共工の臣を相柳氏と言い、九首あり、以って九山に食らう。相柳の至るところは掘られて沢谿となる。禹、相柳を殺す。その血腥くして、以って種を樹うべからず。・・・」と記されていて、九首の蛇神相柳というのは黄土地帯における洪水現象を指していて、その後は血腥い不毛の地となる。やはり治水がままならず苦しんだ歴史が偲ばれる。詳しいことは省くが、尭・舜の説話は羌人の神話から由来している。羌人は牧羊人であり、チベット系で恐らく辮髪だったのであろう。殷人にも剽悍な部族がいて牧羊人は格好の捕獲対象になった。羌族は追われて聖地である河南の嵩岳を捨て、ひたすら西方に敗退した。
厖大で且つ散漫な神話の全般にこの限られた紙面で触れるわけにはいかないが、わが国日本の神話が多元の複合ではあっても、あざなえる縄が最後には一本に撚り合わされる形式でまとまっているのに対して、広大な中国の神話は多元的であってかつ孤立的かつ非体系的な群をなしている。現在に至るまで民族的にも宗教的にも多様なままに推移しているこの国では、現在のような共産党の変則的な支配体制ぐらいしか全体の統一を保つ方法がないのかもしれない。日本では神話も愛国心を強める要素なのだが、中国ではそうはいかないのだ。最後に中国の神話紹介には当用漢字にはない矢鱈に難しい漢字が続出するので、根気が失せたというのが正直な感想です。ここまでの文章も事によるとインターネットの画面では、的確に表示できていないかもしれない。

<葬式仏教> 私の小学校の同級生が父の墓を預けている郷里の寺の住職をしている。父の法事で「朝には紅顔、夕べには白骨」を含む蓮如上人の御文章の一節を読み上げた後の食事の席で、ボソリと相いも変わらずやっていることといったら葬式の後のお勤めだけだと自嘲するように言ったので、この人にも仏教僧侶としての悩みがあるのだなあと感じた。
徳川幕府が成立した後に幕藩体制確立のために、三代将軍家光は家康がやり残した宗教政策にも手をつけて、仏教を御用化した。元和の法度・寛永の法度が制定され、宗教を幕府の思うままに牛耳った。以下は作家水上勉の解説である。
僧侶は幕藩体制の下で公務員となり、理想的な民衆育成をはじめとするさまざまな役割が課され、その見返りとして土地が千石、百石、五十石といったランク別に与えられて、宗派ごとに厳密な本寺・末寺関係でしばられる事になった。幕藩公務員としての僧侶の役割は三つあり、一つは村役人の仕事の肩代わり、二が思想善導役、三が特高警察であった。僧侶は檀家の人々の冠婚葬祭の証明書発行と旅行手形の権限を握り、檀家や民衆に説く説法の中に幕藩の期待する民衆を育て上げることに協力した。そのために、仏教の教えの中に権力の要求する儒教思想が大幅に盛り込まれた。
生きる上の悩みに手を差し伸べられない僧侶に民衆の布施はなくなった。そこで僧侶は食うために檀家の墓の面倒を見始めた。本来なら1階級下の勧進聖たちの仕事を奪ったのである。葬式は一人一度だけで死者を媒介に収益を上げるために、檀家の人々の過去帳を作り法要の回数を三回忌、七回忌、十三回忌と増やしてその都度お布施をもらう仕組みが作られた。こうして魂の救済たる宗教の本質は失われていった。
明治時代になると一転して明治政府は幕藩体制の一貫を担っていた仏教寺院に代えて国家公認の宗教として神道を置き、神社を国家の宗祀としての体裁を整える神仏分離・廃仏毀釈運動を進めた。多くの寺社や仏具・経典などが破壊されたが、やがて民衆の抵抗も強くなってこの運動は竜頭蛇尾に終わった。
しかしこのような度重なる強い政治の介入に遭った仏教は始創期の強い精神救済の機能をすっかり失って、今や趨勢は表題の如く“葬式仏教”と堕するに至った。決して我が級友の罪ではない。日本人は殊勝に定められた葬儀の慣行を守っているが、私などは昔の禅僧のように独自の生死観を貫く生き方に憧憬を禁じえない。
<索引作成> 思いついてこの随筆集の索引を“あいうえお”順で作ってみた。多分に自分のためであって、忘れっぽくなったので、同じ内容を繰り返し書きはせぬかという懸念が第一だが、表題の作り方でも重複を避けたいという気がある。また一度書いた記憶があるが、総目次も長くなって捜索が簡単でなくなったのも理由の一つにある。濁音は清音にならって組み込んだ。
実際に作業を進めてみると、事前には表題を索引の対象とすることを念頭においていなかったために、その意味では不適当な表題のことばも少なくないことに気が付いた。“最近の”だとか、“再び・・・について”などという冒頭の語句は実体中心の検索の邪魔になるので、敢えて検索用タイトルの文字からは外すことにした。なお語尾に“について”とか“研究”など余計な言葉が付いても、これは索引として採用する上からは気にするに及ばない。
そういう意味では原文の表題に必ずしも忠実ではないが、慣れればその方が使いやすくなるだろう。この索引は読者のためというよりは、自分自身のために内容を改めて整理・確認するのを第一目的としていて、これを機会に名は体を表わすように表題の定め方を考えるようになる効果が生ずるはずだ。
濁音で語源的には“たちつてと”の行の筈だが実際にワープロ・ソフトで入力する時には“さしすせそ”の行でないと漢字変換を受け付けてくれない語がいくつかある。例えば“地震”という語は”ぢしん“ではなく”じしん“と入力しなければならない。“地”の“ち”が濁ったのだから語源的には“ぢ”の筈だのにである。こういう場合は索引を“し”の項に入れるか、“ち”の項に入れるかで迷い、結果としても処置が徹底できなくなっている。地震の場合は“ぢしん”として扱った。M.S.WORDの扱いが誤っていると考えたからだ。
索引の作成は現在から順に過去に遡って行ったが、初期のものは若干気分に任せて軽く書いている風があり、表題のつけ方もやや無責任の気味があって、データベースとして後に参考にするためには手を入れる必要を感じた。従って2001年前半あたりから前はすべてを索引登録するのでなく、内容によって取捨選択することにし、表題も一部修正することにした。
“国際テロ”と“経済問題”については時系列的なニュースに属する話題は省いて、後に参考にしたくなるような特記事項と普遍的な情報だけを選択・登録することにした。
今までその時々に考えたことを勝手に文にしてきたが、このようにして一つのまとまったデータベースの扱いをしてみると、個々の話題の扱いに時点のずれもあって一貫性を欠いたり矛盾が露呈することもあるだろうと懸念が生まれた。若干冒険ではあるが、しかし本来思想が時間とともに移り変わることはあるのだから、総合的に見て破綻してしまうこともないだろうと思い返している。またこのような索引を設けることによって、表題に掲げたテーマの内容については一通り書いてあるように錯覚される向きもあるかもしれないが、百科事典とは違うので、そういうテーマについてのごく一端に触れただけの随筆として理解して欲しい。
なお索引の個別の項目をクリックすると直ちに該当する月の該当する箇所に飛ぶようにすれば、利用者に便利なことは重々承知しているが、そういう仕掛けを設定するには大変な手間がかかるので、横着を決め込むことにしたことをお断りしておく。
<マスコミの信念欠如> 小泉首相が年初に靖国神社に参拝すると、途端にマスコミが寄ってたかって騒ぐ。「中国や韓国国民の心情をどう考えるのか」というのである。私はこの元凶は朝日新聞社一社かと思っていたが、昨今はN.H.K.が中心になり、すべての放送局や三大新聞社が一緒になって騒いでいるように見える。
見解を求められた小泉首相が答えたように何もそう大騒ぎをすることではない。新年に当たって2度とあのようないくさに国民を巻き込まないように誓ったというのなら、素直にそう受け取ればいい。靖国はA級戦犯が合祀されているなどというのは、非合理のきらいはあったが極東裁判で決着が着いたことを蒸し返す話で、仏教を尊ぶ日本流に言えば死者にはすべてが赦され且つ崇められなければならないのだ。軍部の暴走に対する反省は別に十分にやっている。日本の政治家が日本民族固有のしきたりと考え方に従って行動するのは当然のことだ。他の国の政府に自国の首相のそういう言動を逐一ご注進に及ぶなどという馬鹿げた事をいつまでやっているのか。
イラクへの自衛隊派遣についても派遣を予定されている自衛隊員やその家族のところまで出向いて「現地には危険があると言われているが、派遣をどう思うか」などとわざわざ訊いて回る。米国の対イラク侵攻は大量破壊兵器隠匿が事実無根であったらしい点で正当化できないが、それはそれとして既成事実になった侵攻の後始末に日本も参加を決めた以上、復興事業に自衛隊が加わる上で慎重は期すべきだが、100%安全の保障はない。それなりの覚悟はあって当然だ。
嘗て日本の福田首相だったか、「人の生命は何より重い」と言って日航ハイジャックを起こした日本赤軍に対して超法規的措置と称して北朝鮮行きを許したりした。これも日本のマスコミが、政治の容喙によって犠牲者(死人)が出ることを毛嫌いするせいとも言える。二人の外交官がイラク北部で銃撃され殺害された件では政府は特別の指示を出していなかったからマスコミも政府を責めてはいないが、今回の自衛隊派遣で1人でも死者が出たらそれ見たことかとヒステリックに騒ぐだろう。
イラン南部の地震では2万人以上の死者が出た。理由は違っても死者には変わらない。マスコミの厭なことは死人の出るような国際的な事故が起きると、被害者の中に日本人がいるか否かを真っ先に調べて、日本人が巻き込まれていないとなると、手の平を返したように冷淡になることだ。イランもその例に洩れない。
一方で国際テロに対処しようとするのは一種の戦争である。戦争に関われば間違えば死人が出る。極端な例かもしれないが、第2次大戦に先立って、日本軍はロシアの南下を抑えようとしてノモンハン事変を起こし、1万人の戦死者を出した。日露戦争で乃木将軍は203高地をひたすら攻めて1万5000人の戦死者を出した。これだけ多くの死者を出せば戦法の拙劣さは問題になる。紛争を収めるのに犠牲者を最小にすべきだが、万端の注意を払ってもゼロにはできないかもしれない。
世論というものの少なからぬ部分がマスコミの論調によって左右される現実をふまえて言うならば、もっと頭を冷やして発言・行動してもらいたいものだ。ずっとテレビ朝日のニュース・ステーションを見ているが、久米宏のイラク派兵問題への論調もこのところ少しヒステリックな気がする。

<日本語のルーツ> 例によってネタとなった文献を先に紹介してしまう。「日本語の誕生 安本美典・本多正久 大修館書店」−ここでは先ず言語と言語の近さの度合いを数字で測る研究というのが紹介されている。この本には実に多くの先人の研究が集約されているが、最近はこのようにコンピュータを利用して客観的な論拠を確かめるようになった。前者の多くは比較言語学と言われる領域で、後者はその成果も利用した数理言語学の分野である。
ヨーロッパの多くの言語(スペイン語・フランス語・イタリア語・ポルトガル語・ルーマニア語)が古代ローマで使われたラテン語からそれほど違わない時期(約1500年前)に分裂し独自に発達したことが比較言語学の“音韻対応の法則”によって明らかになっている。洋の東西を問わずひとつの祖語(上記ではラテン語)から分裂が始まってから約2500年以内ではこの“音韻対応の法則”が成り立つことが分かっている。これは日本語の内地方言と琉球方言の間にも成り立つ。内地方言の”o”が琉球方言の”u”にほぼ正確に対応する(内地方言の夜(yoru)は琉球方言のユル(yuru)になる)。
分裂後2500〜5000年ではこの法則適用がやや困難になる。すべてのヨーロッパ言語の分裂は4500〜6000年以内に行なわれたらしい。祖語から分かれて6000年以上経過した二つの言語では洋の東西を問わず“音韻対応の法則”が成立することが厳密に確かめられた例はない。日本語と朝鮮語も分裂後7000年以上は経過していると言われ、この法則は成り立たない。世界中の言語で琉球語を除いては日本語と音韻法則が成り立つ言語はない。ここで日本語の起源を求めるのに数理言語学の助けが必要になってくる。著書では世界の主要な48の言語の内から2を選ぶ組み合わせ2256のケースについて基礎200語・基礎100語を用いて偶然以上の一致を認めるケースをいくつものパラメータについて徹底的に洗い出した。
地理的に言って英国もそうだが、日本は世界のさいはての地であり、文明の終着駅である。その点でアフガニスタンのように、地域は道が八方に通じていて文明の通過駅であった国とは違い、流れ込んだ文明は出て行く先がないからいつまでも残る。日本への文明流入ルートは主に@琉球ルート、A朝鮮ルート、B江南ルートである。
ここで“語順”の問題を取り上げる。日本語は「私は本を読む」というが、中国語では「我読書」であり、英語の”I read a book.”と同じ語順である。ところで朝鮮語、満州・シベリアなどのツングース系諸言語、ウラル諸言語、モンゴール語、ウイグル自治区の言語、トルコ語、チベット・ビルマ諸言語、インド・イラニアン諸言語もすべて日本語と同じ語順である。すなわち、ユーラシア大陸では中国語を取り囲む形で日本語と同じ語順の言語が広く厚く存在している。漢民族独自の言語発生が歴史的にみて先か後か分からないが、その周囲を取り巻く“環中国語”圏の一角を日本語も占めている。
この環中国語の一部であり朝鮮語とも関係のある言語層が日本語の最も古い層で、その上に南方的な要素がいくつかかぶさって日本語が成立したと考えられている。日本語・朝鮮語・アイヌ語は語順だけでなく語彙面でもつながりがあり、7000年以上前それぞれの言語として発展を遂げるまで“古極東アジア語”としてまとまっていた可能性が高い。
6000〜7000年前ごろインドネシア、カンボジア方面から第2の言語の波が日本列島に到来した。5000〜7000年前にインドネシア語とポリネシア語が分裂し、インドネシア語はサンスクリット語の影響を受けた。数理言語学の分析によれば、基礎200語・100語についてインドネシア語は朝鮮語より日本語に近い。なおインドネシア系言語とクメール(カンボジア系)言語の流入には僅かな時間差があった模様である。
西暦紀元前2〜3世紀に中国の江南地方からビルマ系の言語が第3の波として日本に押し寄せてきた。この頃日本列島はまだ言語的に統一されておらず、第3の波はまず北九州に上陸、やがて南九州・本州へ伝わるにおよびインドネシア系言語要素を吸収して行った模様である。当時揚子江以南の土地には漢民族以外のベトナム族・ビルマ族などがいたが、漢民族の南下によって圧迫を受け、稲をたずさえて日本や朝鮮に渡来したらしい。日本語とビルマ系諸語の身体語の近さは英語とドイツ語の身体語の近さに匹敵して、共に2000数百年前の最近のことのようである。日本列島の言語がかなり統一的なのは、大和朝廷による政治的な統一の寄与するところが大きい。一方で諸方言の分裂の時期は2000年前と考えられている。
最後に西暦紀元前後からその後2000年近くにわたって漢民族の第4の波が漢字とともに多くの文化的な語彙をもたらした。この時期の影響については多くの記録文書があるので周知である。この段階ではもう語順はもちろんのこと、4声に代表される声調言語としての漢語の特徴が移植されることはなかった。
言語の歴史を考えるときに印欧語はある源(ラテン語)からあふれ出る形で発展したので、派生を論ずる系統論が用いられるのに対して、日本語は多くの言語が注ぎ込む形で成立している。前者が分岐型なのに対して後者が合流型と考えれば分かりやすい。日本は大陸や太平洋上の諸島と海によって隔絶されてはいたが、有史以前から航海術にたけた人々が、場合によっては100人以上乗れる舟でいわゆる“海上の道”からたどりついた。
言語と共に異人種が日本列島に流入したのである。血液型の”O”型因子は南方民族によってもたらされ、血液型の”A”型はチベット・ビルマ系民族によったという説がある。一方で強調しておきたいことは、一般に想像されるほどには朝鮮語は日本語と強い類似性がなく、ごく古い昔を除いては言語的には強い影響を受けなかったことが数理言語学上明らかになったことである。
<地震の共振> 先日の十勝沖地震で思わぬ所に火の手が上がった。苫小牧の石油備蓄タンク1基が炎上し、余震の収まらぬ2日後にもう1基が、消防の努力にも関わらず中身の燃え尽きるまですさまじい黒煙を高空にまで立ち上げながら燃えてしまった。発火の原因は地震の後半時期に生じた長周期の振動にタンク内の備蓄燃料油が共振して液面が大きく揺れ、浮き屋根構造の上蓋を持ち上げて貯油の一部がタンク頂部から溢れ出るとともに上蓋がタンク側壁に打ち付けられて破損し、気化して上方に立ち上がった可燃ガスが衝撃の火花で着火したと考えられる。燃え尽きた2基のタンクの他に、5基の備蓄タンクが同じ原因で上蓋が破損、浮力を失って沈没しタンク上面の覆いが取れた危うい状態になった。
日本全国に同じ構造の備蓄タンクが多数あり、そのほとんど全部がこの種の事故に対して設計上の配慮が不十分であったことが明らかになって、識者の間で危惧と反省の声が上がった。このようなタンク内の液の振動をスロッシング(sloshing)と呼び、円筒形タンクの固有振動周期は直径20mのタンクで5秒、40mのタンクで7秒、80mのタンクで11秒という。一方で例えば東京湾の地下構造は今回災害のあった苫小牧と同様のすり鉢型(私にはこの言葉の意味がよく分からない)になっていて、8〜12秒の長周期固有振動特性だと報じられた。そしてこの地域には千葉地区に288基、川崎地区に253基、横浜地区に76基という多数の備蓄タンクがあるので、もし今回の十勝沖地震と同程度の振動があれば災害の大きさは相当甚大になる恐れがある。
ここまではN.H.K.のテレビ報道でも流された内容だが、不審に思うのは具体的なこのスロッシング対策については誰も何も言わないことである。設計に不備があれば当然日時をおかず手を打たなければならないはずだが、問題の範囲が大きいのと長年月にわたって技術界で見過ごされてきた経緯があるだけに、対策立案が慎重になっているのだろうか。
大学の講義でスロッシングが論じられたことはあまり多くないかもしれないが、原理的に考えれば地震に伴ってタンク内の液体が周期的に半径方向に流動し次第に振動振幅が増す現象だから、対策としてはタンク内に半径方向の流れを妨げる隔壁を設ければよいはずだ。具体的には上から見て十字に入れれば十分だろう。問題は隔壁の高さだが、タンク内の貯油の深さがどう変わろうともタンク側壁の高さの1/4もあれば大きな制振効果があるだろうと考える。但し貯油量が少ない場合に浮き屋根が隔壁に接触する点にどういう配慮をしたらよいのか、浮き屋根についての具体的な知識がないのでコメントできない。残るテーマとしては既成のタンクに隔壁を取り付けるのに溶接作業を最小限にするというような実際面での工夫であろう。安全上の注意は大切である。
この程度のことは機械技術者なら誰でも容易に発想・理解できることだが、私が懸念するのは戦後間もなくと違って大抵のことはルール作りができあがっているので、若い人たちが新たな問題にぶつかった時に必ずしも自由な発想で対応できなくなっていはしまいかということだ。
N.H.K.の報道は更に高層ビルを襲う長周期振動の脅威を紹介した。地上ではもう地震が終わったと思うころになって、体感困難な地盤の長周期振動を拾ったビルの揺れが次第に成長し、ゆらゆら揺れるビル頂部の振幅はメートル台に達して、室内の机などが大きく水平移動する。建物の強度支持部材の継ぎ目に修復不可能な損傷が発生する。これを防止するためには筋交いの形で何本ものオイル・ダンパーを取り付ける必要があるという。
このような懸念に対する対策は理解できたとして、問題は既存の構造物に手を加える新たな費用を如何にして捻出するかということになる。いつ襲われるかはっきりしない災害に対して、少なからざる費用を予算として計上するのは相当な決意を必要とする。別に今日明日は何事もなく過ぎる公算が高いし、切羽詰らなければ腰をあげない人が多いからである。昨年9月に触れたように我が家にも懸念があるが、災害を受けて困るのは自分だけだから腹をくくっている。でも公共の設備はそうはいかない。
<バカの壁> 「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。これをバカの壁と言います」―こう語るのは養老孟司・元東大医学部教授。この特徴は特異な人に限らず人間誰にでも大なり小なりあることで、これが発展すると戦争・テロ・民族間宗教間の紛争になると説く。更に追い打ちして、よく“一生懸命誠意を尽くして話せば、分かってもらえるはずだ”というが、これはとんでもない勘違いだと言う。
氏はこういう状況における人の脳細胞の反応を”y=ax”という一次方程式モデルで説明する。” x”は脳への入力、” y”は出力であり、入力への反応である。くどくど言う母親の言葉を聞かないこどもの場合、”a=0”になっているから、説教の効果はない。一方で尊師のことばは”a=∞”に迎えられ、その人にとって絶対のものとなる。好意をもつ人なら”a”はプラスだが、嫌いな人に対しては”a”はマイナスになる。人間は自分の脳を高級なものと思っているが、こういう場合の脳は予め設定された係数”a”で作動する計算機に過ぎない。
氏が強調するのは“個性を伸ばせ”などという昨今の教育方針は全く誤っている、他人の気持ちがどこまで分かるかというふうにもっていかなければいけない、意識というものは共通性を徹底的に追求するもので、その確保のために言語の論理と文化、伝統があると説く。個性などは放っておいても出てくるもので、人が存分に個性を発揮したら精神病院行きだと言う。
記憶力が人並み外れて優れた人は実は社会生活に適応できないようなタイプの人で、また何かの能力に秀でている天才の場合、別の何かが欠如していることが多く社会的には迷惑な人で、結局社会的に頭がいいというのは多くの場合バランスが取れていて、色々な局面で社会的な適応ができるということになる。
N.H.K.は“公平・客観・中立”がモットーと自称しているが、氏は「お前たちは神様か?」と言いたくなるという。実証できないのにも関わらず自分は“客観的である”と信じこんでいる。現代人はいつの間にか自分の周囲に壁を築き、よく分かってもいないのに「わかっている」と思い、自分は正しいと思い込み、大事なことを考えなくなってしまう思考停止を招いている。ではどうすればよいか。謙虚さが必要だ。普通の人はどの程度で丁度よいのかよく見据えて、欲はほどほどにしなさいという。その面で仏教は多神教・自然宗教でよい教えである、一神教・一元論・原理主義は排他的で危険であると指摘する。
私の中学時代の稲葉という国語の教師で、秀才面をせず決して怒らぬ好々爺のような人だったが、ある時“人間は中庸をとるのがよい”と諄々と話したのを憶えている。僧籍をもっておられたかもしれない。その時は若気のせいで“なんて平凡なことを言うか”と反撥を感じたが、今となるといつの間にか“壁”が取れて共感とともに懐かしく思い出す。