
<会話> エリザベス・ギルバート著「巡礼者たち」(新潮社)という米国の地方を舞台にした十余の短編小説集を読む。さまざまな人たちの人生の断片(それは本人にとっては結構大切なひとときだ)が取り上げてあって興味深い。1篇読むごとに余韻が残る。残念なのは邦訳で読んでいるので会話の生の迫力が伝わらないことだ。日本語の意味は分るが発音が聞けないのは靴の裏から足を掻く思いだ。もっともそう言う私も発音だけ聞いたのでは意味を取りそこなうだろうが。例えばこういう記述がある。―その晩バヒーズの手元にはいつも二、三個分けてくれるイスラエル産のイチジクは一個もなかった。「ふん、バヒーズ、おまえのことなんて、もう知るもんか。この役立たず」「あんたの車こそ、だれかにお尻を潰されればいいでしょ」 そう言うと、ふたりは笑顔を交わし、手を振って別れた。― 会話は詩である。詩は耳で聞くべきだ。
<石窟> N.H.K.が有名な敦煌莫高窟より更に古いキジル大石窟群を紹介した。タクラマカン砂漠の中にクチャというオアシスがある。昔ここに亀爾という独立国があり、そこを訪れた玄奘三蔵は国王以下に歓迎され、国民は仏教の信仰心厚く功徳を積むことを競っていたと記している。この街はずれの高さ80Mの崖に東西2KMにわたって236の石窟が西暦紀元前2−8世紀の約千年の間に造られた。多くの釈迦涅槃の像とその没後56億7000年*して人々の救済に現れるという弥勒菩薩の像が描かれている。ここで座禅に明け暮れた僧たちの居住跡もある。気温は40℃からー30℃に及ぶ厳しい環境だ。壁面はもちろんだが天井にビッシリと色鮮やかな仏達が描かれている。天井の絵を見上げるのは姿勢が苦しいがこれを描くのはずっと苦しかっただろう。琵琶など24種の楽器が描かれている。正倉院御物の源流になるという。宗教と文化は一体化している。このような強烈な仏教信仰は人々の生活を圧倒的に支配しただろう。同じ人間として現代とどちらがよいか選択不可能な比較をしたくなる。亀爾国とその文明ははかなくも7世紀末に唐により滅ぼされた。その後多くの仏達の顔面はイスラム教信者によって破壊された。一方でこの長い期間*はつい最近高性能の望遠鏡画像により議論が盛んになった宇宙誕生からの経過時間と似通っているのは偶然ではない?
<日本語> この随筆を読んでくれた一人から私の文章が日時の経過とともにうまくなるという感想をメールで頂戴した、最初は自分のメモ代わりに始めたものを読者を意識して客観的な説明をおろそかにしないように丁寧に書くようにしたことと、最初に読んでもらった友人のアドバイスでタイトルを入れるようにしたぐらいのことだが。 一方でたまたま別の知人が最近読んだ本(ベストセラー?)として岩波新書の「日本語練習帳」(大野 晋)を挙げたので丁度取り寄せたところだった。よい文章とはどうあるべきか事細かに説いてある。私もこの歳まで随分長く日本人をやっているので、口はばったいが一通りは心得ていることが殆どだった。漢和辞典を座右に置きコマメに検証するというのがあったが、横着者の私には向かない。同書で目新しかったのは志賀直哉が戦後に国語問題を取り上げて「日本の国語ほど不完全で不便なものはない。この際思いきってフランス語か英語に国語を切替えてはどうか」と執拗に主張した事実が紹介されたことで、小説の神様ともてはやされた志賀直哉は日本語を使いにくい道具と考えるだけの文章を書く職人に過ぎなかったのかと著者と同じく幻滅を覚えた。既に述べたが私は世界への普遍性は別として日本語ほどすぐれた表現手段はないと固く信じ、日本語を心から愛し、この言語を育ててきた多くの先輩たちに感謝し、楽しんで使わせてもらっている。

<若さ> 独身時代によくつきあった男をふと思い出して自製の絵葉書を送ったところ、早速返事が来て退職後の自分の生活ぶりを詳しく紹介し、ついでに若いころの共通の思い出を一言二言書いてきた。途端にパッと心に甦った事件が二つ。
二人とも始めてのヨットを湘南の沖合いで試みた。微風のおだやかな天候の日でセールや舵の操作方法も教科書どおりうまく行き、船速が遅いのでヨットのまわりで泳いでみようかと海に入った。すると遅いと思ったヨットの速度が意外に速く少しづつ距離が開いてしまう。実は私は平泳ぎで50mも泳いだことがないのだ。相棒一人で慣れぬヨットを正確に反転して戻ってくるなど期待できるはずがない。犬掻きで必死に追いかけ相手にも精一杯手を伸ばしてもらってやっと届いた。初夏の穏やかな海で危うく溺死するところだった。
二人で奥多摩の沢登りをした。蒸し暑い日だった。元気に任せて河原の石伝いに跳んで行くうちに(多分苔で)滑って足が後ろに流れた。とっさに手が出ず(運動神経は自分でもよくないと思っている)顔面を打った。顔に傷ができると派手に出血するものだ。有合わせの手ぬぐいをグルグル巻きにし午前中なのに登山を中止して麓の駅の近くの医院に行って縫ってもらった。相棒の情なさそうな顔を思い出す。
慣れないことを無鉄砲にやっては人に迷惑をかけていた。汗顔の至りと今ごろになって返事で詫びておいた。
<竹> 真竹は60年ほど経つと花が咲き、そして地下茎まで含めて全部枯れてしまうという。また10年ほどで甦るのだそうだ。京都の竹林紹介での話だ。本当だろうか。私の育った岡崎の田園は至るところに竹薮があったがそんな話は聞いたことがないし、枯れた竹薮も見たことがない。真竹ほど素性のよくない野竹のせいだろうか。
<植物> 朝起きて雨戸を繰ると目の前に柘榴の木があって、陽光とともに一杯に拡げた緑葉と先端のまだ赤い芽といくつも開いた花のオレンジがウワッと眼にとびこんでくる。梅はもちろんサツキの花も既に終った。代って濃赤の楓の葉が松や槙などの濃くなった緑を活かしてくれる。百日紅はまだだがやがて来る炎暑に向けて枝の先端のほのかな赤に力をたくわえている。このところ空梅雨で一足早く夏が来たようなまぶしく暑い日中だが、人と違って庭の植物は一寸した地球の温暖化を嫌うどころかこぞってこの太陽の恵みを満喫している。この静かで旺盛な生命力は人類以前からまた多分以後も繁栄を続けたし続けるに違いないといや応なく感じさせられる。

<テレビ囲碁> 北京で行われた日本・中国・韓国三国の7棋士によるトーナメントが土日にかけて連続放映された。持ち時間各10分、後は30秒の秒読みという短時間の勝負である。国を代表して打つのに気負いのないはずはないが、皆表面は実に静かに落ち付いて対局する。流石に勝負どころでは秒読みの声につれて着手する石音が高くなる。見習うべきは中盤無暗に領域を広げようとせず自分の石の活形を確実にし、あるいは石を捨てても外勢を張り、間合いを計る冷静さだ。4局で6時間、観戦するだけで力が入った。特に武宮、依田の日本人棋士の碁が共に外勢をたくみに活用する息を呑む迫力には酔わされた。韓国で実力一と言われ、一旦勝勢になったらまず勝ちを逃さないことで定評のある李 昌鎬が相手のミスで予期以上の収穫を得て勝勢に立った直後に相手の地にヤキモチを焼いて深く踏み込み、相手の反撃で持ちこみになりかけて解説者に逆転だと叫ばせた。ところがそこで時間のない相手が平和時には絶対に手を抜けない地点に時間稼ぎに一手打った時、李が一旦手を抜いて争点にズカズカ踏み込み先手で決められるだけ決めた上で元の地点に手を戻して相手の勝機は去った。結果は幸いしたがこのようなな名手でも第3者から見れば魔がさすように余計なことをする衝動を抑えられないのは矢張り人間だなと興味深く思われた。考えてみれば時間のない中で一局一人150手近くを正確に打つなど至難の業ではある。そこには一手打つのに何時間もかけたりする二日制の碁では表面化しにくい不完全な美がある。決勝は依田紀基が一度だけアッと叫んでヒヤリとさせたが李 昌鎬をうまく抑えこんだ。
<コンキスタ> ヨーロッパ的世界史像*再考という副題をもつ「世界史への道」(石原保徳)を読む。*これだけでは何のことか具体的に分らなかったが、読み進むうちに著者の強烈な主張はスペインのコロンブスが始め以後ヨーロッパ各国が後を追ったコンキスタ(未開国の征服)の影響の大きさとその悪辣さがその被害を受けた立場から公正に再評価されるべきということだと分った。コロンブスは西インド諸島をはじめ北南米大陸を発見した偉人として伝えられているが、彼およびその後に続いたヨーロッパ人がどのように"発見した"諸国の原住民を迫害したかはその多くが歴史の記述の陰に隠されている。読むうちにこれはいわゆるホロコースト=ナチスドイツのユダヤ人迫害よりずっと地理的にも時間的にも規模の大きい大犯罪という感を強くした。ひとつだけ例を挙げればカリブ海に浮かぶエスパニョーラ島の300万の原住民は天然痘に対する免疫がなかったこともありコロンブスが発見して30年で死滅した。程度の差こそあれヨーロッパ人は第2次世界大戦まで同じ手法を北中南米、アフリカ、東南アジアの広い地域に適用した。著者の言いたい点はこのコンキスタによって在来地球上各地で個別に進んだ文明の進展がガラリと様相を変えたという認識である。語弊があるのを承知で言うがこのような当時の西洋人たちの行為の精神的基盤になり、それ以後の彼らが先祖の行為を(現代に至るも多分に)正当化するよすがとなったキリスト教という宗教の罪深さは一通りのものではない。もう一つは現在のユーゴでも続いているが、人類の異民族に対する冷酷さというものが容易に克服できない業であろう。
<血流障害> 一昨年の秋、会社での定期健康診断の血液検査で血小板の数が異常に多いことが分り、慶大信濃町病院で再度詳しく調べた結果その減少を図る薬を処方された。当時は特に自覚症状もなく、変化が慢性だったこともあって薬は服用しなかった。昨年末左足指先にシモヤケができ、保温に努めたが中々完治しなかった。春と共に一旦なんとか治ったが一月ほど前から再発し指の皮膚が黒ずみ触ると強い痛みが出た。下肢全体の痛みも強くなり放置しておいてはまずいと労災病院血液内科で診断してもらうと、本態性血小板血症で血小板の数が正常値の6倍で血流障害の原因になると言われ白血病の治療薬の服用を指示された。図らずもその直後に足の中指は悪化し皮膚が破れ痙攣と強烈な痛みで夜も安眠できなくなったため病院の皮膚科を訪れた。とにかく痛みを抑えるべく鎮痛薬をもらったが、3日でこれもあまり利かなくなった。痛むとき足の患部を手で揉んでやると一時的に痛みが去る。そうしている内に翻然として気が付いた。この痛みは血流障害の発生を告げる身体の警告であると。血流障害を放置しておくと指は腐ると医者に嚇かされた。身体はバカな男にでも気が付くように反応する。

<梅雨> 日が経つにつれ柘榴の花は皆散ってしまった。近くに柘榴を植えている家がなく花粉がないので結実しないようだ。以前はそれでも何個か実をつけたが今残るのは濃い緑のみ。ようやく梅雨空になって雨音はしないが絶え間なく微かに降りその柘榴の葉に水滴を結ぶ。また「竿や青竹」の声がやってきた。思うに路地をこまめにゆっくりと車でまわるこの人は家にじっとしているよりは定めた作業を実行することで、思い惑わずささやかな充足の時間をもっているのだろう。成果のあるなしは二の次なのだ。
<似顔絵> 金曜日の「たけしの誰でもピカソ」のテレビ番組では月に一回50−60点の似顔絵を紹介する。また毎日新聞は永嶋成行のデジタル・ヌーベルバーグと称する40点ほどの著名人の似顔絵をインターネットで提供しており、私の画像収集願望を刺激したのでこれをパソコンに取りこんだ。写真と違って絵はハッキリした輪郭線とその中を単純色で塗りつぶす手法を用いているので、オリジナル画像データのbmp形式をjpg形式に変換し絵のメモリー量を大幅に節約(約1/10)しても原画に全くと言っていいほど見劣りしない。似顔絵をこうして眺めていてこれは明らかに独立した美術の1ジャンルだと認識した。上記の如く絵の物理的な構成法は浮世絵と類似しているが、絵を画く姿勢には浮世絵のクソ真面目さとは程遠いユーモアが溢れる。例えば横浜ベイスターズの権藤監督の手をあごに添えている顔は星形で、眠そうな阪神タイガースの野村監督は狸の身体に虎の尻尾が生えている。村山富一元首相は青空にヒョロッと立った椰子の木で、梢に生えた葉の付け根の褐色の2ヶの椰子の実が眼を象徴しているという具合だ。また顔を強調すると首から下は小さく2頭身にしてしまう。肩がこらず気楽に流し見ができパソコンで扱いやすい現代向きアートである。
<眼鏡> 2種類の眼鏡を持っている。ひとつは(Aと呼ぶことにする)昔から常用している系統のもので上部は強度の近視に対応する遠方焦点、下部は読書などの近方焦点レンズに分れている。もうひとつは(Bと呼ぶことにする)約30cmの固定焦点レンズである。最近パソコンで作業するのにAとBを使い分けるようになった。インターネットで取りこんだ細かい文字の文章はBで読む。ただし特例としてこの随筆のようにM.S.ワードを使って大きい字を扱う時はやや画面から顔を離してAを使うのが楽だ。一方で読書の際はAの近方焦点レンズがピッタリこなくなり眼鏡を外すのが最適になった。都合3種のモードを使い分ける。テレビ画面を見る際はBもしくは裸眼をAに掛け直さなければダメだからながら族としては忙しいことになる。本来Aですべての用をまかなう筈だったし、そのために2年ほど前に近方焦点レンズを中心に新調したのだが、歳をとるとともに近距離の焦点が顕著に変化し適合距離範囲が小さくなって上記のような次第となった。縁を曲げたりして直したAやBを何個か所有しているが昔のものは微妙に合わない。
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