7月の話題


2005年7月

<電波望遠鏡> 電波天文学というジャンルがあることを知った。人類は永らく夜の天空を肉眼で、やがて光学望遠鏡で探索し、その望遠鏡も大気の塵埃を避けて高山(ハワイのマウナケア山)や更には人工衛星(ハッブル望遠鏡)などに設置するようになった。しかし宇宙には肉眼ではもちろん精密な光学望遠鏡でも視認できないブラックホールが数多く存在することが知られるようになった。これは強力な重力によって光をも吸引してしまうが、一方で強い電磁波を放射する。銀河の中心核には巨大なブラックホールがあって、その周辺にある新事実を知るのに電波望遠鏡が不可欠になってきた。

 1997年2月宇宙科学研究所はM-Vロケット1号機(4段仕立て)を内之浦から打ち上げ、試験飛行なしで世界初の電波天文衛星“はるか”を予定した周回軌道に載せた上で姿勢制御を完了し、太陽電池を拡げ直径8mのパラボラ・アンテナの展開に無事成功した。中心から放射状に伸びる6本の柱(モーター駆動)が6000本のケーブルを引っ張り、金メッキしたモリブデン線の網を拡げて、アンテナ主鏡面の精度0.5mmを達成した。そのための地上における事前の展開試験、面調整は何年にも及ぶ基礎実験をベースに最終テストまで入念に行われた。実際に関係者が内之浦に集合して実施した展開作業は太陽の日射に合わせて衛星の向きを調整し、各部の温度・長さ・電流をモニターしつつ4日もかけて慎重に行われた。
 この衛星“はるか”の電波望遠鏡と地球上の電波望遠鏡を機能的に連結すると最長30000kmの巨大な瞳が合成でき、V.S.O.P.計画と名付けて角度にして1万分の3秒という細かな天体の映像を見ることができる。これは月の上の50cmを見込む角度になる。ハッブル宇宙望遠鏡の解像度は可視領域で0.05秒程度なのでその150倍になり、2次元の画素数としては2万倍を超える。“はるか”の電波望遠鏡の単独試験終了後、宇宙科学研究所臼田宇宙空間観測所の64mアンテナの観測データと相関処理をした結果、1997年5月世界初の干渉縞が検出され、“はるか”と地上アンテナが連動して動くことが確認された。更に米国追跡局(西ヴァージニア州グリーンバンク)とクエーサ観測データの合成を行い観測波長18 cmで解像度1/1000秒の電波画像作りに成功、次ぎに観測波長6 cmでその3倍の解像度10万分の33秒を達成した。以後世界の34局、アンテナにして88基がスケジュールに従って共同観測している。

 V.S.O.P.によって136億光年遠方のクエーサーの姿をも捉えることができる。ビッグバンから150億年経っているので、宇宙の果ては150億光年だが、今やその9割の距離にある天体の映像を見ているのだ。このように遠方天体の撮像観測でV.S.O.P.は他の観測装置に対して圧倒的な力量差を示す。我々の太陽系の属する銀河系の中心までは25000光年の距離があり、塵などのために光では見えないが、遠赤外線では銀河の中心で高速に運動している星がいくつも見えて一説によれば太陽の260万倍の質量が集中しているとされ、ブラックホールである可能性が高くその直径は1600万km、月までの距離の42倍と計算される(?)という。同じ電波でも波長の長い電波ではぼけるので、銀河の中心はミリ波で観測する必要がある。
 乙女座には数千個の銀河があるが、中心部に最大級の楕円銀河M87がある。その中心から長さ1万光年に及ぶ光のジェットが放出されている。“はるか”は米国の電波望遠鏡群10局と共同でM87のジェットの付け根を波長18 cmで観測した。観測の解像度は千分の1秒角、この天体を0.25光年のサイズで見分けることを意味する。中心のブラックホールの大きさが70億kmとすれば、その150倍にまで迫っていることになる。ジェットは緩やかな1光年程度の螺旋を描き、次第に暗くなるが10光年ほど先まで螺旋が続いているのが認められた。ブラックホールから両方向にジェットが噴出する機構やジェットが螺旋を作るわけはまだよく分かっていないが、引き続いて電波望遠鏡による観測が行われている。
 1951年に水素原子の出す1420MHzの電波が検出され、引き続き水酸基、アンモニア、一酸化炭素が見つかってミリ波帯での星間分子線発見ラッシュとなる。酢酸も発見された。野辺山の宇宙電波望遠鏡は1 cmから3 cmの波長帯では世界最強力で、何百本という星間分子の線スペクトルが観測されている。中には一直線上に炭素が11個も並んだ分子もある。こんなものは地上にはない。

 この一連の話は“星と生き物たちの宇宙”(集英社新書)という冊子での電波天文学者平林 久と宇宙生物学者黒谷明美の対談の中から電波望遠鏡に関する部分だけを抜粋した。ブラックホールに関する知見は数年前に比べると着実に豊かになってきている。光年という距離の単位が宇宙では常識になってきた。だがまだ訳の分からぬ話もある。136億光年遠方の天体の姿というのはそこから地球に電磁波が到達する時間を考えると遙か昔の姿を今見ていることになるわけで、その天体がまだ十分遠ざかる前の約70億光年離れた姿かもしれない。そうすると136億光年という現在位置をどうやって特定したのか、考えるほどに怪しく思えてくる。それはとにかくとして、平林氏をはじめとする関係者が“はるか”プロジェクトを成功させた苦労は今まで全く知らなかったが、複雑な手順を過ちなくやりとげたのはロケットの失敗が相次いだ中だけにまさに賞賛に値する。厳しい宇宙科学研究所の予算ではやり直しは許されなかった。

<ニュースキャスター> テレビのメデイアとしての強さを発揮する番組の一つにニュースキャスターが取り仕切る話題のニュース特番がある。その番組の中身については当該キャスターがかなり自由に構成を左右できるので、ある程度個性が出るとともにそのテレビ局の特徴にもなってくる。内容は日本ならびに世界のニュースを扱うのだから、誰がやってもさほど相違はないように思う人もいるだろうが、ニュース原稿を読み下すだけの定時ニュース番組とは違って取捨選択が許されるし、現場に派遣されたレポーターによってかなり突っ込んだ情報提供が可能になる。会社勤務中はそういった番組を毎日視聴する余裕がなかったが、最近はゆっくり親しむ余裕があって、慌ただしい定時ニュースでは見逃してしまう世の趨勢や新たな潮流を教えてもらっている。
 当然ながら番組では前面にニュースキャスターの表情と声音が出てくるから、その取り扱う情報以前にキャスターの個人的な好悪にある程度影響を受けるのも避けられない。昨年3月までテレビ朝日には久米宏がいた。長期休暇を取ったり個人的な旅行先から番組に加わったり勝手なことをしたりしたが、憎めないキャラクターだった。自分で引退の期限を決めて、後のことなど知らないとばかり未練なくさっさと辞めてしまった。テレビ朝日は古館伊知郎に“ニュースステーション”を“報道ステーション”と名を変えて後をやらせているが、番組に招いた石原東京都知事にその見識のなさ(ミーハー族的な関心のもちかた)を面と向かって指摘される(する方もする方だが、よほど勘にさわったのだろう)など、大きな事件への彼自身の反応の凡俗ぶりは見てはいられない。ただその日のできごとを要約しているし、他に適当な番組がないから止むを得ず見ている。N.H.K.には国谷裕子がいて、月曜から木曜までの午後7時半からの30分のゴールデンタイムに時の話題を1件づつ取り上げている。最初のうちは女性なのによく頑張っていると感心して見ていたが、最近はそれとなく鼻につき出した。外国の一流政治家へのインタビューも流暢な英語で気後れなくこなすし、才女であることは疑いないが、最近は採りあげるテーマの多くがうまく行っていないのに対して苛立っているようも見受けられる。しかし世に起こる事件総てを裁判官のように裁くわけにはいかないのだ。彼女が対談相手に「どうなんでしょう。この・・・」と言うのを聞く度に理由なくぞっとするようになってしまった。

 筑紫哲也という男がいて、T.B.S.で“NEWS23”をやっていることはそれとなく知っていたが夜遅いので彼の番組を視聴したことはない。このたびこの標題と同じ“ニュースキャスター”という彼の著書を読んだ。彼は1989年10月から“NEWS23”を始めた経緯を記している。久米宏は1985年からテレビ朝日で“ニュースステーション”を始めていたので僅かながら先輩に当たる。週5日の定番番組に固まる以前に試行段階があった。その頃女性キャスターの先駆けとしてT.B.S.に久和ひとみがいた。着目されたが若くしてこの世を去った。開始に当たり番組のエンデイングテーマに井上陽水の“最後のニュース”を決めた。番組の始まりと終わりに流す器楽曲としては坂本龍一が“Put Your Hands Up”を作ってくれた。筑紫はT.B.S.の社員にはならずに通した。
 米国C.B.S.テレビに1968年以来ゴールデンタイムに毎週60分放送されている”Sixty Minutes”という硬派の報道番組がある。当時ニュースは金にならないというのが一般の風潮だったが、この番組は並みいる娯楽番組を抜いて高い視聴率を稼ぐようになった。その番組創設以来で現役最長老のキャスター、マイク・ウオーレスと筑紫は対話をする機会を2001年にもった。どんな国際政治家と対談しても“あがる”ということのなかった筑紫だが、ウオーレスとのインタビューではいささか緊張したという。”Sixty Minutes”の調査・報道が基になって逮捕・投獄された者は数知れずで、裁判沙汰になったことも多いが、番組側が敗訴したことは一件もないという。筑紫の“インタビューにとって最も大切なことは何か”という質問にウオーレスは言下に“準備だ”と答えた。筑紫氏によればウオーレスは北風で自分は太陽だという。彼は日本人でウオーレスに近いのは“サンデープロジェクト”の田原総一郎だと書いている。
 1998年11月クリントン米大統領の来日時に市民集会を主催、2000年10月朱鎔基中国首相の来日時の市民対話の司会をした。この二つの件でT.B.S.がN.H.K.を出し抜いたのは“NEWS23”がそれ以前から米大使館との付き合いが深かったのと、中国が米大統領の市民集会を注視していたからだ。2001年9月11日は通常番組をブチ切って特番(特別番組)を立ち上げた。“NEWS23”はタイミングが偶然にもピタリと合った。私は憶えているが、久米宏のニュースステーションの方は番組の終わりの方で“ニューヨークのビルに飛行機がぶつかった模様です”などと言っている内に時間切れになってしまった。

 遡るが1996年3月25日、“NEWS23”は“今日でT.B.S.は死んだ”*と衝撃的に発表した。その日の午前中に磯崎洋三T.B.S.社長は記者会見をして“坂本堤弁護士が殺害される直前に同弁護士の未放映インタビュー・ビデオをオウム真理教幹部に見せていた”と発表した。これはオウム側の殺意形成に大きな役割を果たしてきたと見られるこの事実関係について当時T.B.S.側が検察に対して否定し続けたのを反転したわけで、これ以後T.B.S.社内外で大争論を生み、磯崎社長は責任を取って辞任する。筑紫は逆にあの発言*で辞めるに辞められなくなったと書いている。“NEWS23”が社長発表の前に本件をどう扱っていたのかは知らない。恐らく辞める辞めないを口にする位だから、疚しいことも少しはあったのだろう。
 それ以前にも危機はあった。バブル期に企業は争って財テク、マネーゲームに狂奔した。バブルが崩壊して損失が出ると、一部の証券会社が一部の企業に損失分を補填していることが明るみにでた。“NEWS23”はこれを資本主義におけるルール違反として厳しく糾弾した。ところが報道機関の中ではT.B.S.が損失補填を受けていることが判明した。番組は窮地に立ったが、スタッフ全員協議の上でこれを公表、社の利益を守るのは悪いことではないとする社長と対立した。結局社長の退任となった。
 阪神大震災の時には時を移さず現地に乗り込んだ。被災者にとってはカメラをもって群がってくる取材陣は救援もしない闖入者である。がれきの下敷きになって救いを求める人の声がテレビ撮影のヘリコプターの騒音にかき消されて届かず死に至ったという噂が流布された。取材する暇があったら救援物資を届けろ、生死に関わる生活情報を現場に届けろという声に胸が痛んだという。メデイア自体がバッシングの対象になった。

 長年こういう仕事をしていると期せずしていろいろな大事件にもぶつかる。自分たちもその中に巻き込まれて、公正無私などときれい事ばかりは言っていられなくなる。ニュースキャスターはオピニオン・リーダーかという議論がある。筑紫は自分でも言っているが、そういう役割は無理であると。私もそう思う。嘗て久米宏は自衛隊のイラク派遣に反対だと言っていた。アナウンサーと違ってニュースキャスターは言葉の端に事件に関する自分の意見を覗かせることは許される。しかし決定的な事は言わぬ方がいい。言うのなら引退した後にすべきだ。
 なお鳥越俊太郎というニュースキャスターがいる。この人は容貌が筑紫哲也と酷似している上に同じ職業で同年配だが、全くの別人である(右の写真)。為念。

<日本語表現における是非> 父は国語の教師だったし、自分でも典型的な日本人と思う私はこうして随筆を書いていてふりかえってみると、“日本語”に関して既に5件の話題提供をしていて我ながらこだわりが強い(表題索引参照)。N.H.K.で夕方“ことばおじさん”と称して梅津正樹アナウンサーが“お元気ですか 日本列島”という番組に登場し、“気になることば”と題してもう1年半もいろいろ論じている。それだけ長く論じるネタが尽きないのは世間でも言葉の深淵の底深さを感じる人が多いということにもなる。今回は“問題な日本語”(大修館書店)という冊子を教材にして更に少し論じてみたい。編者は北原保雄という“明鏡国語辞典”の編者でこの道の専門家であるが、本の帯に“へんな日本語にも理由(わけ)がある”と記しているように、新しく生まれたことばとそれを生んだ若い人々にも理解のある姿勢を取っているが、かといって新流行語を徒に容認しはしない。読み進むと説得力のある分析と評価を展開していて、ひそかに一家言あるつもりの私にもほぼ異論なく受け入れられる。
 最近日本社会で用いられる35の用例をやりだまに挙げている。その是非を論ずる時には絶対的な基準はないから主観が入る。著者の評価と自分の評価を比べてみると、総じてほぼ同程度であるが、否定したい気分が自分の場合には守旧的で妥協を許したくないのに比して、著者の方は今はまだ認められないが将来は状勢が変わるかもしれないと、容認の余地を残した言い方が目立つ点に相違がある。

 A)そういう中で数は少ないが自分としてこの表現は断固支持するという用例を挙げると、@“全然いい”という言い方。 “全然ダメだ”という伝統的な“全然”の使い方には反するが、思い切って認める常識破りの感覚が好ましい。A“台風が上陸する可能性があります”は台風が望ましくないものだから“可能性”を“恐れ”に変えるべきだという論に逆らい、よいことでも悪いことでも“可能性”を使ってよいと主張したい。B“理由は特にないです”という“ない”と“です”の接続。不自然さが残ることを全否定はしないが、だからといって“ありません”と言い換える必要まではない。C“とんでもありません”という言い方を支持する。伝統的には“とんでもない”という表現は途中で切ってはならず、丁寧に言うのなら“とんでもないことでございます”と言うべきだという考えがあるらしいが、反対する。―こうしてみると肯定と否定で表現を変えるべきという保守的な思想には自分は抵抗を感じていることになるー
 B)語源を知らぬあるいは聴覚の錯覚の為の変な日本語の例―断固排斥したいー@“やむおえない”と書いたり、“やもうえない”あるいは“やむ、おえない”と発音するのは“止むを得ない”という言葉の真意を知らないからだ。A“ふいんき”―パソコンでこう入力して漢字変換ができないと怒る人がいるというー雰囲気は“ふんいき”と発音する。聞き違いに基づく思いこみは恐ろしい。B“そうゆうことは・・”―話し言葉としては通るが、書き言葉として失格。C“おざなり”、“なおざり”両者の意味は違うが発音が紛らわしく混同されることがある。これは音転倒と呼ばれる。Dこの種の取り違えは他にも多々ありそうである。

 C)敬語の誤りー必ずしもやさしくはないがこれは許されない。現在の小学校で国語の時間に的確に敬語の使用法を指導できる教師が少ないのではないか。ー@“おビールをお持ちしました”という言い方。ビールに“お”をつけるな。それから自分の行為に“お”をつけるな。A“御注文は以上でよろしかったでしょうか”―素直に“よろしいでしょうか”と言うべき。B“コーヒーの方をお持ちしました”ー“の方を”は別に選択の結果ではなく、ぼかした表現のつもりなのだが、余計な言葉で、省いて素直に“コーヒーをお持ちしました”と言うべき。C“記念品を受け付けで頂いてください”―不合格。“お受け取りください” と言うべき。D“お連れ様がお待ちになっております”―最後がダメ。“お待ちになっていらっしゃいます”と言わなければ。E“お”と“ご”の使い分け。漢語は“ご”で、和語は“お”が原則だが、その識別がむずかしい場合や言いやすさなどもあって、実情はやや複雑である。
 D)現代語の一つとして認めはするが、嫌いな言葉。@“すごい”、“チョー”―おいしい、まずいなどの前に形容詞を修飾する形で用いる。“すごく”と言わない。A“きもい”、“きしょい”、“うざい”―不快な若者ことば。いくつか派生語がある。
 E)自分勝手で少し反感を覚えることば。@“私って・・じゃないですか。”―“そんなこと、知るか”と言いたくなる。A“私的には”―これは謙虚ともとれるが、一般論を言いたくない逃げでもある。この延長線に“的”の広い使い方がつながる。
 F)この本に載っていて(私にとって)全くなじみのない言葉として“なにげに”や“さりげに”がある。それぞれ“なにげなく”、“さりげなく”という意味で若い人々に使われはじめたという。同じ日本人としてこういう言葉の変化は意外である。しかしこの本では現時点では誤用と見られる表現だが、“なにげ”の解釈が不分明になっているから生まれた用法として一定の理解を示している。ことばは生きているから、こういうところから次第に我々も時代遅れになっていくのだろうか。

<談合> 日本道路公団の発注する鋼鉄製橋梁工事について道路公団を退職後に横川ブリッジ(株)に天下りしていた神田創造元理事が橋梁メーカーに対して従来の受注実績を考慮して予め受注予定者を決め、予定者が受注できるように入札を指導して業者間の競争を制限した疑いで他の4人の業界関係者とともに7月12日東京高検など検察当局に逮捕された。談合組織(かずら会)に加盟する企業には現在43人の公団O.B.が在籍して事件の温床になっているが、関係先への2年以内の天下りが法律で禁じられている国家公務員と異なり、公団にはこのような規定がない。神田元理事は公団在任中から約10年間談合システムのトップに君臨して業界を指導し年間約1000億円の公共工事を采配した。
 日本経団連は今回の逮捕劇を機に浮上し談合根絶の究極の策として “天下りの受け入れ自粛”を検討していたが、官民の反対の大合唱の前に11日正式会議では議案に上がることもなく消え去った。奥田会長は“天下りや談合は問題があるので、引き続き検討していく”と発言するにとどまった。
 公共事業に関する受注業者の事前調整が日本国内のほぼすべての業界で以前から実施されていることは公然の秘密であって、検察当局はたれこみなどによって事態を放置できないと判断され、当該業界への踏み込みが暫く行われていない事を前提にして、このような見せしめの糾弾を思い出したように行うのが恒例になっている。

 罪名は独占禁止法違反(不当な取引制限)で、“カルテル”として明白な法律違反であることを小学校(中学校?)から教えているから誰でも知っている犯罪行為だが、資本主義社会における防止困難な社会矛盾として、良識ある人々も見て見ぬふりをしてきた。競争入札だから参加する業者を制限しなければ必然的に受注したい業者は低い価額を出して談合統制は破綻するが、工事実績や信用のない業者に無闇に受注させるわけにもいかない。従って工事を発注する官庁や公社は入札に参加する業者に資格を設けて指名された業者だけが入札に参加することになる。そこで談合による統制に従わない業者は発注者から指名を受けられない余地が生じ、発注者・受注者コミの談合システムが形成される。
 違法ではあるがこの談合システムは果たして直ちに撲滅すべき“悪”であろうか。公共工事の成果は例えば本四架橋を3本も実施して公費のムダ使いをした挙げ句採算が取れない問題を将来に残したりしたが、これは工事対象をどう選ぶかという貴重な国家予算の有効な使い方についての戦略上の問題であって、技術的には採択した工事案件について地震や暴風にも耐える高い信頼性を保持していて、概ね世界にも誇れる水準を保つ功績を残した。談合による高い入札価額(道路公団では官の予定価額の約97%になっていると言われる)が非難の的になっているが、万一施工不良のために橋が崩壊でもすればその社会的な影響は2割や3割の高値では補えないだろう。公共事業受注によって得られる高い採算性は信頼性と業界の高い技術水準の保持に役立っているともいえる。この鋼鉄製橋梁工事における神田理事によるいわゆる“天の声”が業者の実力と機会をほぼ適正に評価した結果として業者側から異論は出ていなかったと言われている。

 カルテルを違法としてあまねく取り締まるためには、天下りが談合にからまぬことも含めてこうすればうまくいくという代案が提示され、世の中がそれを納得する必要がある。戦後長年月経つがこの問題を鮮やかに解決できるような成案を聞いたことがない。それを誰も案出できないのであれば、智慧のない人間たちはこの際法令を取り下げるべきではないか。さもないと今回の神田元理事他4名のように談合行為を主導して法によって断罪された人は運が悪いと同情されることになる。この問題で頭を悩ませた人とその時間の総体をもし日本全国で集計・表示できれば驚くべき数字になるはずで、それがこれまでほとんど空転してきたことはまさに深刻な国家的損失である!

<病院の情報システム> 私は6週間に一度の頻度で血液内科医師の定期検診を受けるために横浜労災病院を訪れている。理由は不明だが、退職する頃に血液中の血小板濃度が異常に増加したので、それを正常に戻すために訪れたのがきっかけである。薬を服用するように指示され、その後1年以内に血小板の異常は収まったが、薬の服用をやめるとまた異常が発生する恐れがあることと、コレステロールなどその他の老人特有の血液成分の異常を監視予防するために、継続的に通院して薬の服用を続けるように指導されてしまっている。本来投薬はどうしても必要な時にやむを得ず限られた期間行うべきものと思うのだが、私の担当の医師を含めて世の中は何とかして薬を止めることを考えようとしない。もう7年目になるので、私の体も薬を常用することに慣れてしまった。この調子で多くの人が不要な薬を飲まされているのだろうし、製薬会社は繁栄する仕組みになっている。

 ところでそのようにして病院に通い続けると、現代の大病院というものが否応なしに情報システムの支配を受けて、それなしには一刻も運営できないようになっていることを知った。まず受診用のプラスチック製のカードだが、これには患者の基本情報が入っていて、受付・診察・各種検査・精算など病院内のすべての窓口にはこれを提示しなければならない。医者はパソコンの置かれた机の前に座っていて、患者と話をしながら絶え間なくパソコンに入力している。前回に血液検査を受けた場合はその結果が表示されているので、それを見て検査値が正常域から外れているか否かを医者は患者に告げる。大概は異常がないから、次回の検診日時を患者と相談して決め、またパソコンに入力する。病院は予約システムになっていて、その予約日時を医者はプリントアウトして患者に手渡す。始めて病院を訪れる人(初診者)は予約患者の後に回されるから、受診カードの作成も含めてその日は1日がかりになる。
 病院内の医局間には搬送システムがあって、事務の女性が何やら専用のパソコンに入力して専用の箱を所定の位置に置くと、コンベアがその箱を取り込んで床下の搬送路へ送り込み、他方で別の部署から送られた貨物が同じ専用の箱で床下から浮き上がってくる。それらの情報通信システム機器にはすべて富士通のマークがあるので、この病院のシステムは富士通製だなと分かる。こういったシステム構築はオーダーメイド的なもので、ソフトウエアの要素が強くなる。よほどのことがない限りこの病院と富士通の縁が切れることはないだろうし、富士通のこの病院から得る収入は殖え続けるだろう。初期の受注には苦労があるだろうが、一旦受注した後は会社経営の面では極めて有難い世界である。

 富士通は経営計画で07年度の病院・情報システムの売り上げ高2400億円を予定していると発表した。情報システムには医者たちが重視する“電子カルテ・システム”だけでなく、病院経営者を支援する情報システムとして、各種データベースの構築も含まれている。大病院にとって今やこのようなシステムは必要不可欠になっていて、それが故障したり定期的なメンテナンスに不都合が生じたりすれば機能麻痺で大混乱になることは必定である。先日郵政民営化の参議院審議で、一人の野党議員が民営化のための(情報システムの)切り替えは連休が3日ないとできないから07年度の実施は無理なはずだと力んでいたが、真偽は兎に角金融界の情報システムは休日がないと運営に支障が生ずることが常識らしい。裏返せば休日返上を前提とするエンジニアの努力が求められる世界だ。企業における情報システムのあり方というものはまだ歴史が浅く、いくつかの面で未成熟な問題を抱えているに違いない。

<東京地方の地震> 7月23日午後4時35分頃、千葉県北西部を震源とし関東一円で規模の大きい地震があり、私の住む横浜地方でも震度5弱と報じられた。拙宅は建築基準法改正前の建築だから地震強度が十分とは言えないが、この地震でもごく短時間ギシギシと厭なキシミ方をした。揺れ始めにはどれほど振動が強大になるか強い不安を覚えながら待ち構える。今回は振動の大きさに比しては振動の継続時間が短く、ほっと気が安まった。実は直前まで高速道路を利用して車で遠出していたので、自宅に帰着した直後の地震で運良く交通渋滞に巻き込まれずによかったと胸をなでおろした。
 最大震度5強でその割には報じられる実害は小さかったが、関東地方の鉄道は長時間麻痺してしまった。私鉄に比してJ.R.が殊にひどく、山の手線、中央線、京浜東北線などは発生後約3時間は動かなくなってしまった。お陰で土曜日夕方の大勢の帰宅客が駅の構内でこの暑さの中を長時間閉じこめられる羽目に遭った。タクシー乗り場も1時間以上待たされるという。テレビ・ニュースはまだ動かないという実情を各線ごとに継続して伝えたが、何故それほど復旧に手間取るのかその理由は一切伝えなかった。鉄道全線にわたって線路や架線などに異常がないか徒歩で調べて回るからだろうか。路線によってはその晩は復旧しないものも出たようだ。こういう際の適切なマニュアルを運行関係者が所持していないに違いない。この混乱で鉄道側の不手際を責める声が全くと言っていいほどなかったのには奇異な感じを抱いた。
 私が運行責任者なら、徒歩の検査員を長い距離歩かせるようなことはせず、各列車の運転手と電話連絡をとって時速20km以下の低速で路線状況に注意しながら走らせる。万一線路に異常が発見されれば、そこで始めて運行停止措置を取ればよいのであって、全列車に2〜3駅を分担徐行検査させれば短時間で異常なしの確認から正常運転への復帰が叶えられる。

 ビルのエレベーターがこの地震で5万台も非常停止し、自力復旧できないために各所からエレベーター会社に電話がかかり放しで混乱は夜の内にはとても収まるどころではなかったようだ。エレベーターというのはある程度以上の地震を感知すると自動的に停止し、係員が駆けつけて異常のないことを確認の上でロックを解除するシステムになっていて、ビル側では手が出せないらしい。何という愚かなシステムであることか!これでは明らかに人災をわざわざ作っている。もしエレベーターが階の途中で停止してそのまま動かなくなったとしたら、乗っていた人の悲惨は想像するまでもない。
 地震が収まった後に最寄り階まで動いてドアを開くまですれば、最悪の事態は防げるが、そのような配慮はほとんどなされていないのではないだろうか。それでさえも高い階に閉じこめられて、泣く泣く長い階段を降りなければならない。ホテルを始めとして高層ビルは軒並み開店休業状態になる。設計者はあるいは関係法令はどのような事故を想定してエレベーターを非常停止させるのだろうか。エレベーターの箱の中で地震が収まったことを知った人が備え付けのボタンを押して非常停止を解除できるようにし、従前の運行を再開して差支えのあるケースが何%あるだろうか。箱を吊ったロープが地震で切れるなどということはまず考えられない。あり得るケースは箱がガイドから外れて正常に上下運動できなくなる場合で、こういう時に限ってはそれを検知して係員が駆けつけるまで非常停止を持続しても仕方がないだろう。
 次の日の報道は各地の震度データが気象庁に集まるのに30分以上かかったと伝えた。国内の震度計の数は阪神大震災以後約10倍に増えたというが、震度情報はまず都道府県に集められるが、それを即刻気象庁に送る仕組みができていない。関係者によればコンピュータが8年以上古いので伝送に時間がかかるのだというが、これは事態を正確に把握しているとは言えないようで、必要なシステム化が進んでいないからだろう。いずれにせよ、関係機関はこれを機にデータ収集の迅速化に努めるという。地震対策など平素飽きるほど論じていながら、いざ起こるとアチコチに不具合が生じてうまく事が運ばぬのが世の常である。非常事態というものをもっと身近に考えて、トラブルを最小限にするシステム作りを皆で考えなければならない。小泉首相が数日を経ずしてこの地震による鉄道とエレベータのトラブルが多かったことに言及して、関係者に今後の対応改善を要望したのは流石であった。



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