
<旧約聖書断章>
(国際テロ第8章“旧約聖書の世界”参照)
この世界は私のような非信者(似非仏教徒)にとって容易に理解できない領域ではあるが、数千年の過去から数え切れないほどの人がその教えに跪いてきたのだから、何らかの道理はあるに違いない。しかしこの旧約聖書を頭の“創世記”から順番に読んでいくというのは“戦争と平和”や“源氏物語”のような長編小説を読むのと違って、対象がそれに適したようには整備されていないし、根気があればできるという代物ではないと諭す人がいて、それに代わって副題“24の断章”としてその思想を紹介する小冊子(関根静三・講談社学術文庫)があったので、内容について十分には納得できぬままにその一端をやはり断章の形で紹介する。
○隠れた神 「まことに、あなたはご自身を隠し通す神。イスラエルの神なる救い主よ」(イザヤ書)。これは預言者第2イザヤがバビロニアに集められていた捕囚民が祖国への帰還を許された時に発した嘆きのことばである。神が半世紀にわたって捕囚の身になった苦難の間救済のために姿を現すことをしなかったことへの怨みもこめられている。「救い主よ、あなたは救わない神だ」と民が嘆くように、神の隠蔽性は一時的なものではなく、常態なのである。“出エジプト記”に神が現れるのはまさに例外なのだろう。
○偶像禁止 「君は、君のために、彫像を作ってはならない。また上は天に在り、下は地に在り、更には地の下の水にあるもので、如何なる形をも。」(出エジプト記)。古代イスラエルでは偶像崇拝が盛んだったと言われ、意識的にこれを禁止した。これはモーセの十戒にも出てくるし、前項の“隠れた神”にも通ずる。何故偶像が禁止されるのかについては諸説あるが、有力な一説は人間が神を任意の場所で利用することを恐れたのだというもので、もう一つはヤハウエは古代オリエントの神々(これは偶像化された)とは異なる絶対神であるが故に彼等と区別する必要もあって、偶像化を禁止したというもの。思想的に隠れた神にも通ずる。
○創造 「神は言った“我々は、我々の形に、我々の似姿のように人を作ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地上を這う全ての這うものを、支配させよう”と。こうして神は人をご自身の形に創造した。神の形に彼を創造し、男と女に彼等を創造した。」(創世記)。第1日目に光、第2日目に大空、第3日目に地と海と植物、第4日目に日月星辰、第5日目に海と空の動物、第6日目に地の動物と人が創られ、第7日目は安息の聖日とされたという7日にわたる文書の記述に現代科学が反論しようとも、宇宙や生命の神秘性について現代科学が十分に説明出来ない以上、その神秘を致す神への賛美は続けるべきとする。神は絶対の孤独において次々と創造の業に携わった。最初に「光あれ」と神が言った時の状況は思い浮かべるだけでも凄い。
○愛児の献供 「これらの事の後、神はアブラハムを試み、彼に言われた、“アブラハムよ”。そこで彼は言った、“はい、ここにおります。”彼は言われた、“さあ、君の息子、君が愛する君の独り子イサクを連れ、モリヤの地に行き、彼をそこで、わたしが君に言う山々の一つで、全焼の生け贄として捧げなさい”。」(創世記)。アブラハムは三日の旅の後に神の命に従おうとし、すんでのところで神は命令を撤回する。正にイサクを殺そうとしたアブラハムに神は“君の手をこどもの上に伸ばしてはならない”と言った。神は子殺しという倫理を越えても神に従う宗教的服従心を試した。殺してはならないと一方で命じておきながら、子殺しを命じる矛盾した神である。今の時代にこんな事が起これば、たちどころに人は無神論になりかねない。
○頑迷預言 「行け、そしてこの民に語れ、“君たち、繰り返し聞け、だが理解してはならない。君たち、繰り返し見よ、だが認識してはならない”と。肥え鈍らせよ、この民の心を。彼の耳を重くし、彼の目を閉ざせ。彼が彼の目で見、彼の耳で聞き、彼の心で理解して、立ち帰って癒やされることのないためである。」(イザヤ書)。これはイザヤが爾後の40年の預言活動の課題として神に与えられた指示である。イザヤは“主よ、いつまで?”と問い、答は“荒れ果てて、町々に住む者なく、家々に人なく、その地が荒れ果て荒廃に帰し、ヤハウエが人を遠くへ移し、その地の中に見捨てられた場所がいや増すまで。”であった。イザヤは当初民が悔い改めて癒しの道に立ち帰ることを期待したが、民は悔い改めず頑迷になったので、遂にイザヤは絶望し、神からの使命をそのことば通りに完遂した。この頃イスラエルの民は神を畏れるふりをしたが、それは偽善であって、実は勝手放題をしたので、神に愛想を尽かされたのである。
○愛 「君たちの神ヤハウエはーえこひいきをすることなくー、孤児や寡婦のために裁きを行い、寄留の他国人を愛してこれに着物と食物を与える。君たちも寄留の他国人を愛しなさい。まことに、君たちもエジプトの地では寄留の他国人だったのだ。」(申命記)。「もし君を憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら水を飲ませよ。君はこうして彼の頭に炭火を積むことになり、ヤハウエが君に報いてくださる。」(箴言)。西洋思想史では愛には三つの形態があると言い、それは“エロース”(恋愛)、“フィリアー”(友愛)、“アガペー”(無償愛)であるとする。ここではアガペーの重要性について説いている。正統派を自認し純血を重んずる高慢な多数派は心低い異邦人たちを軽んじた。「私が目を留めるのは、謙って心砕かれ、私の言葉におののく者である」。しかし見逃してはいけない。神は決して他民族と心から宥和しろとは言っていないのだ。自民族保全のために他民族にも恨まれぬようにすることを説いているものらしい。
○終末 「災いだ。ヤハウエの日を待ち望む者たち。ヤハウエの日は君たちにとって、いったい何になるか。それは闇であって、光ではない。」(アモス書)。「審きの谷には群集また群集。ヤハウrの日が審きの谷に近づくからだ。太陽も月も暗くなり、星々もその光を失う。ヤハウエはシオンから叫び、エルサレムから声を挙げる。天も地も震える。だが、ヤハウエはその民にとっては避け所、イスラエルの子らにとっては砦である。君たちは知るだろう。わたしが君たちの神ヤハウエであり、わが聖なる山、シオンに住んでいることを。エルサレムは聖地となり、他国人は二度とそこを通らない。」(ヨエル書)。「君たちは悪ではなく善を求めよ。そうすれば、君たちは生き、君たちが言うように、万軍の神ヤハウエが君たちと共におられよう。君たちは悪を憎め、また善を愛せ。また門で公正な審きを遂行せよ。あるいは万軍の神ヤハウエは、ヨセフの残りの者を憐れんでくださるかもしれない。」(アモス書)。ヤハウエが叫びをあげる時は世界の終焉である。歴史の終焉において神は介入し、艱難辛苦の後に救いがあるかもしれないと暗示する。
全体の感想としてこのヤハウエという神はそれに仕える人々にとっては替え難いのであろうが、とても厄介で扱いにくい神のようだ。十戒に見るように要求は厳しいし、心を許したり甘えたりはできない。日本の神話に出てくる神々のような寛容さとは大違いである。我が日本には厳しい戒律もない。その差はイスラエルの民が昔から置かれた厳しい自然と人的周囲環境と、周囲を海で守られた穏和なやまとの国との違いによるものだろう。日本人は安全と水は只で手に入ると思っていると言われる所以である。日本人はこのような国に生まれて幸せと思わなければバチが当たる。しかし海も万全ではない。この聖書は狭い地球上で押し合いへし合いしている人類が将来を生き延びていく厳しさを諭しているのかもしれない。

<鉄道乗り尽くしの旅> 俳優関口知宏が一昨年の鉄道一筆書きの旅に次いで、昨年は春と秋に分けてJ.R.の日本全国路線をくまなく乗り尽くす旅に挑戦した。こういう旅行は嘗て宮脇俊三が最長片道切符旅行として1978年に実行し、北海道の広尾から九州の枕崎までの13320kmを乗りこなした。当時はテレビ中継などはなく旅行記を残したが、ほとんど誰も知らぬ中での氏の完全な単独旅行だった(2000年10月の<鉄道狂>で紹介)。今回は両年ともにコンテンツを求めるN.H.K.が格好なテーマと飛びつき、車内からの風景だけでなく、走行する列車を沿線から美しい風景こみで撮影するという全面的な支援を行った。テレビ放映の効果は目覚ましく、特に二年目の昨年は行く先々で老若男女の声援が飛んだ。
乗車距離は宮脇氏の時代に比して北海道などで不採算区間の廃線化が進んだために、新幹線は増えたが一筆書きコースが約12000 kmに減った。関口氏は一筆書きで乗り残した残りのブツ切れ路線を昨年は丹念に悉く拾って乗車し、その累積距離は約8000 kmに達したので、2年間の有効乗車時間は484時間、累積距離は19844 kmになり、通過駅は4590となった。生中継は112回、主要立ち寄り駅で押した記念スタンプは80駅分に達した。
テレビを見ていて感じたことはかなりの田舎に行ってもまた1日の走行本数は少なくなっても、走る電車は立派な外観をしているし、空いていても列車の連結車両数は多い。昔は蒸気機関車があり、それに対応して電化されても電気機関車があったが、今や電気機関車などどこにもない。考えて見ると駆動力をもたない客車を多数台牽引するためには機関車の重量がある程度大きくないと機関車の駆動輪とレールの間で滑ってしまって牽引できない。そのために何を載せているのか知らないが電気機関車というものは長大で、見るからに重そうだった。モーターを各車両に載せて駆動力を分散させ、運転台で統括制御できれば、電気機関車などという無用の長物は要らなくなるわけで、事実いつの間にか消滅してしまった。


<大久保利通> 大久保利通の伝記を書いた人はいないようだが、この人を知る人たちの回想談記録が残っている。報知新聞の記者松原致遠は利通が遭難して32年後それらの談話筆記を報知新聞に載せ、その後その主たる部分が文庫本(講談社学術文庫・佐々木克監修)に載せられた。この人は清濁併せ呑むという豪傑肌ではなく、謹厳実直そのものだったが、利権にまみれるのが当然とも思われる混乱期の明治維新政府の頂点にあって、清廉潔白を貫き、薩摩・長州勢が政権を取った勢いに乗り人事をも壟断しようとするのを抑え、佐幕・倒幕いずれの陣営に属したかに拘らぬ能力・識見重視の人事を行った。一方で西郷隆盛の一生についてはこの人抜きには語れない。
回想談の殆どは明治維新後のことだが、彼が政界のトップに昇りつめる実績を稼いだのはもちろん維新以前の活躍による。数少ない維新前の活動についての話を勝手な回顧録の中から抽き出すためには、本を頭から終までめくり返さなければならない。少年時代は乱暴でいたずら好きだったが、鹿児島では有名だった鳳徳さんという蘭学者に大変可愛がられた。西郷は同じ郷中で3歳年上だったが、友として一番の仲良しで始終互いの家を行き来していた。両者の生家は100mと離れていなかった。大久保には三人の妹がいたが、よく可愛がったし、妹たちは兄を無条件で尊敬していた。彼が20歳の時に“高崎くずれ”という騒ぎが起きた。藩主島津斉興が妾のお由良の方を愛して嫡男の斉彬を斥け妾腹の久光を立てようとした。この陰謀に反対した家臣団の動きが発覚して首謀者は死罪、助成した大久保の父利世は遠島、一家は禁足となった。長男の利通は父に代わって家計を支えなければならなかったが、家計の貧窮は非常なものだった。6年の間彼は毎朝未明に家を出て、島津藩の祖を祀る大中神社に参詣し父の無事を祈った。親戚に借金もした。大久保公後年の大成はこの時の苦労がよほど助けになっているという。
その後斉彬公の世になり、父子の罪は許されて利通は直ちに徒目付を命じられた(27歳)。じきに御小納戸に上げられる(32歳)。しかし彼は威張る風はさらさらなく、登城も人の通らぬ道を選んだ。西郷も斉彬に愛せられ、密書を携えて他藩の間を巡るなどをした。しかし英主斉彬は程なく薨じて、久光の世となる。大久保は深く落胆し、西郷は殉死の覚悟を固めて僧月照と入水する。西郷は助けられて蘇生するが、大島へ遠島を命じられる。藩内には斉彬の遺志を継いで勤王を志す精忠派の一派が脱藩を企て、大久保は久光との間に立って苦労する。相談したい西郷は近くにいない。彼は久光が囲碁を好むことを知り、吉祥院という住職に囲碁を習い、住職の紹介で久光のお側に上がるようになった。大久保は久光に精忠派の志を説いて京都御所の守護に久光の同意を得て彼等の脱藩を中止させる。改めて御小納戸になり、久光公に随従して上洛、江戸へも出て公武合体運動を推進する。これは幕閣にも響いて慶喜公が立ち、参勤交代は中止になった。大久保の嘆願により西郷は赦免になって島から戻る。大久保は斉彬公の遺志を果たせたことを喜んで3日間神仏にお礼参りをした。
藩政の改革は大久保と西郷でやったが、西郷は大抵外に出ていたから内の改革は大久保が主にやった。最後の改革が最も激しく、大西郷が参政になって昔の門閥や家老は一人も藩の重役に与らぬことになった。久光公は怒って大久保を呼び付けたが、沈着な大久保は頑として譲らず、改革は断行された。この後も大久保たち維新政府が進めた版籍奉還・廃藩置県に久光公は抵抗したが、大勢に届かぬところとなった。西郷・大久保は主に逆らったわけで、二人ともずっと気は遣っていた。
木戸孝允らと薩長連合を結び、土佐藩とは薩土盟約を結ぶ。戊辰戦争直前、京都にいた大久保は品川弥二郎を伴って岩倉具視に会いに行く。品川は公武合体を計った岩倉を奸物として暗殺する気でいたが、豪傑であることに驚いた。大久保・岩倉は既に大政奉還の方向で肝胆相照らしていて、王政復古クーデターの首謀者となった。この二人は鳥羽・伏見の戦いに際しては京都にいて廟堂の不安を抑え、西郷を安んじて戦わせた。また大久保は秘かに錦地を求めて品川に渡し、錦の御旗二旒を作らせた。江戸を陥落させた官軍大行進の筋書きは大久保が作った。江戸城の新政府への引き渡し後、大久保は早速明治天皇の江戸行幸を敢行する。京都を中心とする人心の反撥を考慮して“遷都”という言葉は慎重に避けたが、この時から江戸城は宮城となり、江戸を東京と改名した。
薩摩藩の指導者として新政府の中枢に入り、参与、次いで参議になる。岩倉具視を団長とする欧米視察団に大久保も特命全権副使として参加したが、軽燥な伊藤博文とは異なり大久保は寡黙で煙草ばかりふかしていた。旅行中「私のような年取った者はこれから先の事はとてもダメだ。」と言い、国政は後進に譲って引退するつもりでいたようだ。尤も岩倉公が「年寄りがこれから働かなくてどうするか」と言うと、大久保は黙っていた。この使節団と会った西洋人は諸々の点で岩倉・大久保・木戸(孝允)の三人に感心し、尊敬の念を覚えたようだという。
視察団が帰国すると征韓論が起こっていた。朝鮮は随分無礼なことをする。陸軍には積弊があるので外へ目を転じて人心統一を図らねばならぬ。西郷が出かければ朝鮮人は俺を殺すだろう、そうなれば朝鮮を攻める大義名分ができると西郷は桐野利秋に言ったという。そうとなれば尚更西郷を出すわけにはいかないし、第一国内は多事多難であって、外に力を注ぐ余裕はないと大久保は征韓論を抑え込んだ。西郷は卒然と政府の役職を辞して故郷へ帰ってしまう。司法卿だった江藤新平もこの時に失脚する。


<痛苦抑制> 1月7、8の二日間のゴールデンタイムをぶちぬいて、N.H.K.で国谷裕子キャスターが日本における癌医療の現状に関する問題を論ずる関係者の大討論会を催した。癌に罹ると潜伏期は兎に角として、最盛期から末期まで患者は我慢出来ぬほどの疼痛に苛まれる。またそれを治療するための放射線照射や抗癌剤投与は患者に別の種の深刻な苦痛を負担させる。ところが癌治療に当たる医師たちは体内各所に発生する癌組織の消滅や転移防止には努めても、患者の苦痛に対しては積極的な対策を講じず、やむを得ないものとして放置するか、我慢を強いるのが常態である。癌の進行が明らかに回復不能の状態にまで達した末期において、患者および周囲がもう治療を諦めて安楽な最期を望むようになってようやく、病院などの医療施設ではないホスピスで痛苦を抑制する薬剤投与が行われる。だがここではもう治療は行われない。即ち治療かホスピスかの二者択一を強いられるわけで、患者を抱える家族としてはなんとか治したいという欲があるから、最後近くまで患者を痛苦を強いる環境に残す心事になる。
国谷キャスターはこの点に改革すべき医療上の大問題があるのではないかと問い掛ける。統計で見ると米国と日本では癌患者一人当たりの痛苦抑制のための薬剤投与は凡そ7:1で、日本の癌患者は圧倒的に苦痛の我慢を強いられている現状が判る。ここに“緩和ケア”という新職業が医療界に生まれた。まず米国で、次いで英国で。10年前の英国は現在の日本と同様で、医者は患者の病巣を対象に“治療”をしたが患者の苦痛は二の次で、人間性を大事にした痛苦のない治療は行われていなかった。しかし英国では1995年に国がリーダーシップを取って緩和ケアをすべての医療現場に導入するガイドラインを発表し、併せて医師の意識改革と専門医の育成を行った。試行期間を経た現在では癌患者の70%が緩和ケアを受けており、専門医師と看護婦とから成る緩和ケア・チームは病院内の縦組織である内科・外科を横断して活躍し、抗癌剤や放射線治療の効果を高める。
患者は苦痛が抑えられるようになると、積極的に治療を受けるようになる。一般の医師は緩和ケアには素人で、モルヒネは末期にのみ使うものだと思っている人もいるくらいだし、鎮痛抑制にモルヒネでは利かないケースがあることやモルヒネ以外の各種薬剤の効用も知らないぐらいだから、治療に当たっては緩和ケア専門医の助力を受けることが絶対に必要である。従来の大学医学部では恐らく緩和ケアに用いる薬剤などの講義はしていなかったし、医者は患者より疾患に向き合うべしという教育をしていたのだろう。だから教育の根幹に踏み込んで修正を加える必要がある。地域では緩和ケア・センターをもつ総合病院とかかりつけの医者の他に独立の緩和ケア・センターの存在が必要であり、これら三者が個人の在宅治療を支える形で有機的に機能することが望まれる。誰だって出来ることなら自宅で最期を迎えたい。在宅緩和ケアにはより多くの医療人材やボランテイアが必要になる。
テレビの討論会では患者側に属する多くの人たち(その多くが女性)の間で日本では英国のように急速に事情が好転するとは思えないと悲観的な空気が強かった。国谷キャスターは出席した厚生労働省の役人(審議官)に行政の強力な力が必要と思いますがどうですかと詰め寄っていたが、問題を十分に認識しており、検討しますと答えるのに留まった。尤もそうなればそうなったで、薬剤費を含めた医療費は現今より一段と上昇するだろうし、鎮痛は治療ではないのだから、病気の悲惨さは減るかも知れないが、死亡者がそれほど減るわけではない。人間何度も死ぬわけではないのだから、一生の終わりに少しはこたえる苦しみを味あう方が人間らしいし、未練なく死ねるという考え方もある。
私は嘗て東京逓信病院でペイン・クリニックという施療を受けた(1999年8月、話題提供8<ペイン・クリニック>参照)。これは当病院における一種の緩和ケア・センターで、その手法は薬剤投与ではなく腰椎部の神経ブロックだったが、率直に言って技術的に完成とはほど遠く、私の場合副次的に生じた苦痛の方が大きくて、懲り懲りして早々に病院から逃げ出したがその後暫く副次的な障害に悩まされた。だがこれは疾患そのものの治療ではない痛苦抑制という医療方針の我が国におけるさきがけではあった訳で、それが現在では米英両国で薬剤投与という手段でかなり有効にその目的を達しているということなのだろう。但しそのような施療を受けた人に訊いてみれば判ることだが、病因そのものの除去はできていないのだから、我慢できないような疼痛は大いに緩和できるとしても、疾患が身体に与える不快感が消えてなくなるということは決してないだろう。患者が若く体力があれば、暫くは身体の変調をなだめつつ勤務を続けられるにしても。

<日本語テスト> ジャストシステムの“国語テスト”というものがあり、インターネットに入れる人なら誰でも無料で複数項目からの選択方式でテストを受けることができる。毎日新聞の日刊情報関連ニュースでこれを見つけ、どんな具合か試しにやってみた。慎重にやるのなら答を提出する前に見直すべきなのだが、そう気張ることもないと、30ほどの問題を第一感で選んだままに10分ほどで片付けて早速結果を見ると、「62点 普通です」というレスポンスが表示された。“ガアーン”である。日本語については人並み以上の見識をもっているつもりの鼻っ柱をへし折られた感じである。次いで“寸評”があって、「日本語に関するスキルは低くないのに、基本的な漢字でつまずいてしまったあなた。音読みや訓読み、同音異義語など、確かに難しい点もありますが、新聞などで漢字を追って読み書き能力の向上に挑戦してみよう。」とある。これを読んで我はと思う人は以下を読まずに早速挑戦されたら如何。http://www.atok.com./nihongotest/
題名は“ATOKの国語テスト”である。30問のテストの内容は漢字力9、表記力5、文法3、敬語4、手紙の常識4、語彙力5となっている。問題は“明鏡国語辞典”編集委員の鳥飼浩二氏が作成した。昨年12月に実施した10〜50歳台の1000人の事前テストでは、平均点が59.6、50歳台が最高の60.9、10歳台が最低の50.7だったという。
模範解答が設問と併せて記載されている。私が誤った項目だけを列記すると、
1)一世一代 いっせいちだい いっせいいちだいーは誤り
3)旗幟鮮明 きしせんめい きしょくせんめいーは誤り
7)この子は親のいうことを聞かないーは誤っておらず、隣室から流れてくる音楽を聴くともなく聴くーが誤りと指摘すべきだった
8)会費を徴収する 会費を徴集するーは誤り
9)欲望を追求する 犯人を追求するーは誤りで、追及とすべき
11)地震 じしん ぢしんーは誤り
12)二百十日 にひゃくとおか にひゃくとうかーは誤り
16)彼女はものを知らなすぎる ものを知らなさすぎるーは誤り
24)冠省 かんしょう かんせいーは誤り
27)愛想もこそも尽きはてる 愛想もくそもーは誤り
30)幽明、境を異にする 幽冥―は誤り
以上を概観すると、11)、12)は我々の小学校教育と現代国語教育の差らしい。1)、3)、27)はウッカリした。24)は使わないので知らなかった。7)、9)はやや微妙な問題。
最近はワープロを使うとひらがな入力で候補になる漢字が表示されるから、適正なものを選べばよく、複雑な漢字をスラスラと手書きできなくなっていても、自分の能力低下に気付かない弊がある。一方で“じ”と“ぢ”、“ず”と“づ”のような同音異字について語源から考える方法が“地震”のように否定されるケースがままあり、惑わされる。いずれにせよ発音と表示は決まり事だからツベコベ言わずに従わなければいけないのだが、旧仮名遣いに慣れた人が容易に改めないような老人の域に私も入っていることを認めざるを得ない。

<ライブドア> 1月16日夕刻、六本木ヒルズのライブドア本社および同社の堀江社長自宅は証券取引法違反(偽計、風説の流布)の容疑で東京地検特捜部の一斉捜索を受けた。公表された容疑はライブドアの子会社“ライブドアマーケテイング”(L.D.M.)が04年10月25日に出版社“マネーライフ社”を株式交換で子会社化すると発表したが、マネーライフ社はそれ以前にライブドアが出資して実質支配する投資ファンド“VLMA2号投資事業組合”に既に買収されていて、これを隠して虚偽の事実を公表した偽計の疑いと、L.D.M.社が同年11月架空売り上げを計上して第3四半期の純利益黒字化の虚偽事実を公表した風説の流布の疑いだという。またライブドア本社に関しても同様な株価操作を計った疑いがあると言われる(写真はライブドア関連会社の入っている森タワー)。
これだけの事実では何も目くじら立てて騒ぎ立てるほどのこともないような気もするが、ニッポン放送株のフジテレビとの争奪戦に始まり、プロ野球への参入表明、衆議院選挙での立候補などで世間の耳目を集めたホリエモンこと堀江貴文社長の知名度を急激に高め企業を急成長させた手法に強引なものが感じられた事は確かで、最近は宇宙産業に進出するなどと言い出したが、ここでその勢いは一服させられるだろう。1月17日の株式相場でライブドア関連株は暴落し、値幅制限一杯にまで売り込まれた。諸々の嫌疑はいずれも関連会社の株価を無理に吊り上げるためのものだっただけに、その反動は大きく底値は見えない。側杖を食う形でソフトバンク、楽天などのI.T.関連株も大巾に値を下げ、平均株価全体に影響が及んでいる。
ホリエモンがここへきて本業でない分野でマスコミを騒がせた事件では表面的には決して成功はしていない。ニッポン放送とフジテレビの株のねじれ現象を突いたが、フジテレビに警戒され、同社がライブドアの株主になることによって和解した結果はテレビ業界への進出にはつながらなかった。プロ野球パ・リーグがオリックスと近鉄の合併で1チーム減るのを防ぐために仙台に新チームを発足させるのろしを上げたが、楽天に漁夫の利をさらわれた。小泉首相の衆議院解散では刺客の一人になって(小泉首相にとって最も憎き)亀井静香氏の地盤の広島の選挙区に立候補したが、政界専属になるのを嫌って自民党の公認は断り、亀井氏には僅かに及ばなかった。結果として自民党の比例代表議員にはならなかった。しかし彼の動きは時代の火種に食いついて動いており、とにかく精力的であることに感心する。
私は暫く前にブログを使ってみようと試しにライブドアのシステムを利用させてもらった。ブログは私にとってあまりメリットがないことが判って早々に止めたが、関わりついでにnews_maimagl@livedoor.netという送信者名で“ドア日新聞”というメールが毎日届くようになり、ここには週刊誌が採りあげるような話題のテーマがズラリと並んでいて、興味のある事項のU.R.L.をクリックすると、“livedoor'NEWS”というホームページの該当記事の欄へ飛んでいく。この項で取り上げているニュースも公平に載せていて、“ライブドアを家宅捜索 企業買収で風説流布容疑”というテーマになっている。最近は週刊誌など買ったことがないが、お陰で毎日週刊誌の記事を興味に応じて無料で見ることができる。日常話題を求めている私にとってこれはライブドアの小さな恩恵である。
地検の家宅捜索で堀江貴文社長のパソコンが押収された。彼は重要な社内への指示を電子メールで発していると言われ、彼のパソコンの発信記録を見れば、彼の活動のほとんどが判るであろう。当面彼は手足をもがれたようになって困るだろうが、すぐに新しいシステムを立ち上げるだろう。今回の騒動で一時的にはライブドアは大きいダメージを受けるだろうが、いずれ立ち直るだろう。誰が黒幕か知らないが、多分情報産業の金融業界への急激な侵略を快からず思う向きであろう。堀江社長はここでまた一つ勉強して前車の轍を踏まぬように心がけるのではないだろうか。彼の表情や服装・発言は率直に言うと私にはあまり快くはないのだが、一歩退いて考えると独創的で今度は何をやらかすかと期待したくなる有能な新しい日本人像として愛すべき男と思う。人間が勝負できるのは40歳までというのが持論らしいが、そんなことはない。徳川家康を見習って無理をせずにゆっくりやればいい。
<ライブドアショック> 私の予測は甘かったようだ。情報も不足していた。騒ぎは拡大の一途を辿っている。東証は18日午後2時過ぎに1部、2部ならびに新興企業向けマザース市場に上場する株式や社債の全銘柄の売買を全面停止した。売り注文が殺到し、売買システムの処理能力が限界に近づいたためという。現在の売買システムは1日450万件を超えるとそれまで約定した全取引の決済ができなくなり、売買システムがパンクするのだそうだ。日経平均株価も1ヶ月ぶりに15100円を割り込むなど全面安の展開になっている。
東証はライブドアが上場廃止基準に抵触する粉飾決算疑惑も出てきたために、ライブドアの上場を廃止する方向で検討に入った。東証は同社に詳細な情報開示を要求、その結果を見極めて最終判断をするという。東京地検特捜部の強制捜査の真の狙いもその辺にある模様で、粉飾決算の総額は16億円を超えると言われる。
それにしてもこの売り一色の騒ぎはパニックと呼ぶのがふさわしい。東証の取引停止が拍車をかけた。昨今バブルの再来かと言われ、個人投資家が猫も杓子もムードに乗って付和雷同した勢いが、こういう“想定外”の冷や水を浴びせられると例外なくぐらついてしまう。投資家にろくな信念がないことが露呈した。皆頭を冷やして行動する方がよい。大体売り一色では売買も成立しなくなる。ホリエモンが大衆を引き込む狙いで百株を一株単位に分割したために零細株主が急増し、これらが慌てふためいて一斉に売りに出れば市場も混乱するわけだ。
私はあまり知らなかったが、ホリエモン率いるライブドアの最近の実態はI.T.企業というよりは大衆の投資熱を煽る金融業になっていたようだ。そうなると今回の騒動は決定的に事業の根底を突き崩したと言える。彼は最近独特の振り付けによる歌手としてのデビューをスタートしていたようで、もうこうなると売名行為でしかない。今日届いた“livedoor'NEWS”には“歌手生命の危機”というタイトルがあり、一体何の事かと思い記事を見たら、そういうわけだった。ここまで来ると才能の無駄遣いで、もう応援する気も失せてしまった。
その後の進展を記録しておく。東京地検特捜部は改めて事情聴取の上で1月23日にライブドア社長堀江貴文、同財務担当取締役宮内亮治、L.D.M.社長岡本文人、金融子会社ライブドアファイナンス社長中村長也の4名を逮捕した。東京証券取引所は同日東証マザーズ上場のライブドアとライブドアマーケッテイングの株式を監理ポストに移した。“livedoor'NEWS”は連日特捜部の動きを中心に事態の成り行きを報道していたが、堀江社長以下の逮捕のニュースと副社長のライブドア社が事業継続する意思表示を載せた。

<雪> 21日には予報通り(正確には予報より6時間以上早く)関東地方に雪が降った。この2〜3年ろくに雪など降らなかったので、久々の大雪である。日本列島への寒波の到来は昨年末から例年にない厳しさだったし、日本海側の積雪は記録的な多さで、多いところは4mに近い積雪量に達して、屋根の雪おろしが雪国の人々にとって大変な負担になったし、雪おろしに伴う死者が1月早々に100人を超えたと報じられるという異常気象である。日本だけでなく、ロシアの寒さも厳しくモスクワでマイナス40degになった(路上生活者の凍死が増加した)など北半球の寒さは一様に記録的な厳しさらしい。
そういう深刻な北陸地方の大雪に比べれば10cmに達しない横浜の雪などは笑い種に近いが(写真は庭の雪)、それでも自宅の前の通りに積もった雪は除雪によって道路の縁にかき寄せても、なお中央部はウッカリすると見過ごすほどだが蒼氷が薄く氷結していて、私など脚の悪い者には極めて危険で暫く散歩を見合わせなければならない。今朝(23日)は通学の小学生が滑る道路をキャーキャー言いながら通過していった。近くにはアチコチに日の当たらぬ坂道もあるし、新聞配達の2輪バイクは随分神経を使うだろう。
再び西高東低の冬型気圧配置に戻って関東地方は晴れ渡ったが、日本海側は折角雪下ろしをした屋根に再び重い雪が降り積もる。気象庁は年末にこの寒さを、北極を周回する気流が何らかの事情で蛇行しているためだと説明したが、どうもこの異常気象はそういうことでは説明できないようだ。確かに昨年秋は10月中冷房するなど残暑が厳しかったが、これだけ冷えると地球温暖化も単純な解釈では納得できない。
ホームページに今まで掲載していた小生の写真は10年近く前のものであったが、友人にそれとなく注意され、やっと携帯カメラを入手したので最近のものと取り替えた。如何にも老人くさくなったが、現状認識を避けては通れないと覚悟を決めた。頭髪はすっかり後退したが、まだ消滅はしていない。少し太り気味なので、軽量化に努める必要がある。

<阿川弘之> 1月25日の“徹子の部屋”に弘之・佐和子の父娘二人が出演した。冒頭黒柳は新幹線開通前に小田原からの試乗会で弘之と顔を合わせた話をして、弘之の好奇心の強さに好感を持った話を披露する。実は彼は“きかんしゃやえもん”・“空旅・船旅・汽車の旅”・“お早くご乗車願います”・“南蛮阿呆列車”・“南蛮阿呆第2列車”など旅行好き・鉄道好きでも有名なのである。広島生まれ。作家で志賀直哉に師事した。主な著作としては“雲の墓標”・“魔の遺産”・“春の城”・“志賀直哉”・“カリフォルニヤ”・“坂の多い町”・“山本五十六”・“米内光政”・“井上成美”・“軍艦長門の生涯”などがある。海軍大尉で終戦を迎えたこの人には戦争を採り上げたものが多い。最近新潮社が“阿川弘之全集”20卷を発行した。月刊文芸春秋の随筆集劈頭に“葭の髄から”という欄で随筆を載せ始めて105回に達した。平成11年に文化勲章を受章した。芸術院会員。日本李登輝友の会初代会長。1920年生まれだからもう85歳になる。
黒柳が「親子ともに“瞬間湯沸かし器”という渾名があるんですって?」とからかったように、弘之・佐和子親子は短気でも有名だし、佐和子はせっかちは遺伝だという。特に弘之は佐和子の言葉遣いにうるさかった。子供の頃作文で“だった”を多用して「“ダッタダッタ”と安機関銃じゃあるまいし!」と叱られたという。対談でも“とんでもございません”や“パソコンを立ち上げる”は日本語の乱れだと言い切っていた。佐和子は最近親父が書いたものはほとんど読まないと言うし、弘之も娘の作品は照れくさいからあまり読まないようにしていたと言うが、最近佐和子が“スープ・オペラ”という小品を出版し、弘之がそれを読んだという。対談の際に本に赤い付箋を沢山はさんだものを佐和子が持っていた。親父から要訂正箇所として渡されたばかりと言う。彼女はそれをどうするのですかと訊かれて、まだ見ていないけれど直しますと言い切った。同じくエッセイストで親友の檀ふみは早くに父君を亡くしているので、そういう彼女が羨ましいようだと徹子が言った。
最近の佐和子さんは如何ですかと訊かれた弘之はもう言うことはありませんと答え、佐和子はそれを聞いて嬉しそうだった。普段の毒舌は影をひそめて、ひたすらしおらしかった。随分お見合いもしたが、それを言う時期も過ぎたと弘之も観念しているようだった。この親子揃ってのテレビ出演は珍しいことであった。私は阿川弘之の作品をまだ一冊も読んでいないのは申し訳ない。