
<YouTube> 今月取り上げた“Web2.0”の一つであり、最近流行りだしたこのシステムについて、手っ取り早くその概要を把握するために、Wikipediaを覗いてみよう。
YouTube(ユーチューブ)は、アメリカ合衆国の企業。また、同社が運営する、オンライン上で動画を共有、閲覧できる同名のソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト。
2005年2月、米カリフォルニア州サンマテオで設立。CEOは元PayPal社員のチャド・ハーリー。社員数50人。Tubeは英語でブラウン管(Cathode Ray Tube)の意味がある。キャッチコピーはBroadcast Yourself.(あなた自身を配信せよ)。設立のきっかけは「ビデオ映像を簡単に誰でも共有したかった」からである。2006年4月21日時点で4000万の動画があり、日に3万5千の動画がアップロードされていることがプレスリリースで発表された。利便性から世界的に人気があり、Google VideoやAsk ビデオなど似たサービスは他にもあるが、動画の数はYouTubeが圧倒的に多く、同系統のサイトでは最大規模になっている。
不特定多数の人々が動画データをインターネットに公開できる仕組みで、そのためのルールが事細かに定められているらしい。未だに毎日配信されているライブドア・ニュースの紹介で、“殺人的な砂嵐”のYouTube番組を観察した。―場所はイラク。手前は住居地域。晴天。砂漠の前方から段波の如く左右には限りなく拡がった砂嵐の塀が茶褐色の雲を巻き上げながらこちらに迫ってくる。上掲の写真では砂嵐が近づき過ぎ、砂煙の頂上がもう見えない。住人が画面至近距離に何人も現れるが、砂煙を見て慌てて住居に逃げ込む。一人だけ逃げない男がいるが、砂嵐の襲来とともに画面は薄暗くなり、彼の姿は黒い影に変じ、やがて一面の闇になる。強い照明灯の光だけが僅かに残る。―
私のweb環境はA.D.S.L.経由だが、伝送速度1.5Mbpsと動画受信には遅過ぎて、画像受信はブツ切れになり、受信1秒で待ち時間10秒といった具合になり、よほど対象に関心が強くないと忍耐の限界を越える。この場合も巻き上がる砂煙の動感はつかめなかった。こういう動画を度々見るのなら、我が家も接続方式を変えなければならない。
Googleは最近この企業を16億5000万ドルで買収したと報じられた。だが、チャド・ハーリーCEOはこれに対し「YouTubeはGoogleに買収されたが、今後もYouTubeとしたブランドで独立したサービスを提供し続ける」と述べた。
砂嵐の話に戻るが、あの外でウロウロしていた男はどうなっただろう。多分目も口も開けていられないので、どこか縁の下のようなところに潜り込んでアラーの神様に祈ったことだろう。待てよ、もう一人、あのシーンをカメラで撮影していた男がいたのだった。こういう人は人に驚くような画像を見せるためには死ぬ思いも敢えてする。感心なことだ。

<大化改新> センセーショナルな問題提起の仕方をすれば、「天皇をも凌ぐ力をもっていた蘇我一族が何故一夜にして滅亡してしまったのか」。西暦645年、飛鳥板葺宮における皇極天皇(35代)臨席の三韓朝貢の儀式の場で、当時政界最高の実力者蘇我入鹿は中大兄皇子、中臣鎌足らに斬殺された。クーデタの後、凶行に及んだ二人は反撃に備えて飛鳥寺境内に立て籠もった。報せを聞いた諸王子・王族・豪族たちは速やかに飛鳥寺に参集した。飛鳥寺は蘇我氏がわが国に仏教を招来し、物部氏などの反抗を抑えて(後述)初めて建設した本格的な寺院であり、当然蘇我氏の氏寺であった。それを占拠したのである。翌日父蘇我蝦夷は状勢不利を悟り、近接する甘樫岡の邸宅に火を放って自害した。
歴史を遡る。蘇我稲目が宣化天皇(28代)即位の際蘇我氏として始めて大臣に任命された。その祖先に武内宿ね{=孝元天皇(8代)の孫}がいたとされるが実在の人物か否かは確かでない。しかし臣姓であった。当時は大伴氏と物部氏が執政官だったが、稲目は朝廷の財政を担当して功績を挙げ、彼等に加わったと伝えられる。稲目は娘二人を欽明天皇(29代)に嫁がせて11人の皇子(皇女は7人)が生まれ、その中から用明(31代)・崇峻(32代)・推古(33代)という三人の天皇が出る。大王(天皇)と姻戚関係が結べるのは臣姓か君姓の豪族に限られており、実力があっても大伴氏や物部氏のような連姓の豪族にはその資格がなかった。まさに蘇我氏親族王権であり、その後も大王家と蘇我氏の姻戚関係は親密さを深めていく。
欽明天皇の時代(6世紀半ば)に百済から仏教が伝来した。当時百済は新羅に攻められ、倭国に援軍を要請しており、仏教はその見返りの意味があったらしい。仏教は紀元前5世紀に釈迦が創始し、中国には前漢の紀元前後、百済には6世紀初頭に伝来していた。天皇は関心をもったが群臣に諮った。物部・大伴両氏は古来の天地百八十神にはばかって反対し、蘇我氏だけが積極受け入れを主張したので、天皇は折衷案を採り蘇我稲目に仏像を与えて試しに礼拝するようにさせた。蘇我大臣は悦び、向原の自宅を改造して仏像を安置したが、後に疫病が流行り(物部・大伴両氏の糾弾を受けて)天皇の命で仏像は廃棄され、伽藍は焼き払われた。蘇我馬子の代になって再び二つのルートで仏像が渡来し、馬子は天皇の許しを得て仏殿を建てた。しかし当時国中に疫病が流行り、物部氏は天皇の許しを得てまた仏像を難波江に流し仏塔を破壊した。
その後物部守屋と敏達天皇(30代)が天然痘にかかった。人々は仏の崇りだと囁いた。馬子は自らの病を癒すために天皇に仏教復活を請願、認められる。天然痘により敏達、用明両天皇が相次いで崩御する。後継者をめぐり馬子が推す泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)と物部守屋の推す穴穂部皇子との対抗が蘇我・物部戦争に発展した。馬子は先帝敏達の大后の命を受ける形で穴穂部皇子を殺害、次いで厩戸皇子(聖徳太子)ら多数の皇族・豪族たちと連係して物部一族と戦い、これを滅ぼした。この戦勝によって仏教に反対する豪族は皆無となり、全国各地で寺院建立が盛んになるが、そのさきがけとして馬子は日本初の本格的寺院・飛鳥寺を日本仏教の中核として建てる。中央豪族間の力関係は決定的に変化し、馬子は歴代天皇の外戚として比肩するもののない実力者となった。



<日本の景観> 景観工学という言葉があることを知った。“日本の景観”(樋口忠彦・ちくま学芸文庫)という本によってである。著者は土木工学出身の工学博士で京大の大学院教授。“景観の構造―ランドスケープとしての日本の空間”が氏の学位論文で、この著書も余技ではなく、まさに専門分野の著作である。
景観デザインというのは構造物や施設などの単体のデザインだけではなく,風景全体にどんな影響を与えるか,風景としてどうあるべきか?と言うことを主眼にし、美しさや,使いやすさ,快適さ,心地よさ,そして自然環境との調和を目標としたデザインだと云われる。五重塔というのはあの上に人が上がって周囲の景色を眺めるために作られたものではない。周辺を訪れた人々に仏閣の所在を示すとともに心の平安を与える。その地域の象徴になる。近所に住む人々は朝に夕に眺めてしみじみと幸せを感じるだろう。
本題に戻る。著者は日本のふるさとの原型を神話に求めた。神武天皇は薩摩半島の西岸という西の果てから(本当か?)海岸沿いを進み、港々に停泊しながら、瀬戸内海に入り、漁人に先導されながら、難波津に達する。入り江の最奥から上陸して山を越えようとするが土地の豪族長脛彦に阻まれ、再び船で南に回り熊野の先から陸路北上して苦難の末やまと入りする。この地を近くの丘陵から眺め下ろして、“ああ、何と美しい国を獲たことか。狭い国であるけれど、周囲を蜻蛉が臀站して飛んでいるように、山々が取り囲んでいる国だ”という国讃めの歌を詠んだ。イザナギノミコトは“やまとは浦安の国(心安らぐ国)”と述べ、オホアナムチノオホカミは“玉垣の内つ国(美しい垣のような山々に取り囲まれた国)”と表現した。反抗する蝦夷を討ち、荒ぶる山川の神々を鎮めた長い東国遠征の帰途、疲れ果ててやっと伊勢まで辿り着いた倭建命は、はるか大和の国に思いを馳せ、“倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし”という歌を残して息を引き取った。
このようにしてやまと盆地は安息の地、憧れの理想郷となり、やがて藤原京、平城京という都が築かれる。次に京都盆地に移って平安京が築かれ、長期にわたり日本文化はこの二つの盆地で育まれてきた。一時は交通の便のよい難波に京が置かれたこともあったが、すぐに大和に都は戻ってしまう。一番奥の凹型空間に文化の中心を置くという思想は、奥座敷という日本建築の作り方とも繋がりがあり、この感覚は日本全国に発信されていった。
日本は山国であり、多くの河川が山から急勾配で流出している。上代の土着計画者は、安住の地を求めて川上へ川上へと遡った。谷の奥は両側から山が迫り、川が山を浸食している最先端に到達する。そこから下は谷川や谷沿いの道が里へつながっている。谷はこの世からあの世に至る通路であり、このような場所は現世とあの世という二つの世界の境目と考えられ、山宮が設けられて安住・定住の地となった。こうした谷奥の景観を筆者は“隠国(こもりく)の景観”と呼ぶ。例えば大和、初瀬川の谷の最も奥まったところに長谷寺がある。また熊野の那智川の谷をさかのぼると那智滝に行き着き、そこに青岸渡寺がある。その上の妙法山には日本中の霊が集まってくるとも言われる。
“野”というのは勾配のない“原”とは異なり、本来山の裾野、山のふもとの緩傾斜の地を表す地形語であるという。背後に山を負い、左右は丘陵に限られ、前方にのみ開いている景観*を筆者は“蔵風得水型景観”と呼ぶ。“蔵風得水”とは中国から伝来した風水の思想で、地中に流通する正気が水によって限られ風によって散らぬ場所に家を建て死者を埋葬すれば、子孫の幸せが約束されるという。東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武という四神が守る地(*前記の地形を指す、但し前方に小山があってもよい)を理想とした。先に挙げた都をはじめとして、日本全国の集落に蔵風得水型の景観が多数見られると筆者は言う。但し中国の都にならった碁盤の目状の都市は中心に強力な政権があって初めて成立するもので、中心があやふやになれば人々は好んで山の辺に移動して形はくずれる。人は居場所が平らな一面に広がった所では落ち着かず、本能的に背後によりどころを求める。平城京は農地化してしまったし、平安京は遷都後数十年で右京がさびれた。頼朝が幕府を開いた鎌倉も武田信玄が本拠を構えた甲府も典型的な蔵風得水型地形である。
その他に鬱蒼とした樹林に覆われ姿形のよい小山の麓に集落を設ける“神奈備山” 型景観、気軽に登れて眼下の風景を楽しめる“国見山” 型景観を山の多い日本に固有の数多い景観のタイプとして筆者は挙げている。中国の塔状建築や西欧における教会建築は高所から見下ろしてみたいという人間の基本的な欲求に応ずるもので、それを必要としなかった日本との差異の理由は地形にある。盆地であれ谷であれ、名山や海など日本は景観の宝庫であると筆者は強調する。


<Key West> Google Earthで世界探訪を試みている。このソフトをあれこれ操作していると、呼び出しもしないのに“Google Earth Wiki@Noblesse Oblige”という案内画面が現れて、特徴的なポイントの地名とその緯度・経度(並びに推奨画面拡大度)が表示される。“Noblesse Oblige”というのは高貴な人に課せられた義務というものだが、この提供されたデータとどう関係するのかはよく分からない。試しにアメリカ合衆国のフロリダ州を辿ると4点ほどお勧めポイントがある。その中から“フロリダキーズ”を選んでみた。この名称に予備知識はなかった。表示されている緯度・経度のデータを選んでGoogle Earthの画面左上の緯度・経度欄にコピー・アンド・ペーストする。(括弧)内の推奨画面拡大度は表示されていないが、implicitに緯度・経度のデータの中に含まれているらしい。その欄の右の拡大めがねマークをクリックすると、やおら画面が地球上を動き出し、所定の地点に向かって動いていく。その経路は大陸を概観するように表示されるので、ははあコウ動いたなというのが視認できる。しかし目的地に近づくにつれて高度を下げ、次第に狭い区域の表示に変わっていくらしいが茫漠として何も不分明になる。それをじっと待っていると、下段に“Streaming”という欄があり、ここが忙しくデータ表示が変化していることに気が付く。我がパソコンに収納されている画像データは少ないので、インターネット経由で不足のデータを送り込んでもらっているわけである。ここのデータが1から始まって10程度に増えた時に画面に特徴ある画像が現れはじめる。やがて画像は次第に鮮明になり、データが50を越える頃には最終状態(100)に相当近い精細度になってくる。
今回は海洋上の小さな島嶼らしいものを横に通過する白線が現れた。少し拡大すると、それは明らかに横に細長い形状の島嶼とそこを通過する道路(海上橋)であった。これだけでは全容が分からない。視点を高空に移してみると、次第に道路が白い線に変わりやがて細くて視認困難になる。仕方がないので低空に戻し、道路の行き先に次々と画面を移動していくことにした。島が次々に現れ、道路はその上を渡っていく。島の列は局部的には直線上に並んでいるように見えるが、大局的には結構曲がりくねっている。そうではあるが不思議なことに一本の道路でカバーできるように奇跡の如く線上に並んでいるのである。そして程よい間隔で“〜 key”という後ろにkeyの字がつく地名が現れる。表題の“フロリダキーズ”とはこれら多くの“key”を繋ぐ“Florida keys”であることを悟った。道路は延々と西に延びる。途中で一本南に海上橋が分岐したが、そちらは捨てて只管西へ追う。尺度がないのでどれだけ進んだか確かめられない。こんな長い道路橋の先に一本の橋を頼りに居を構えるのはさぞ不安だろうという思いを強くした頃、遂に大きい島にたどり着き、そこの中規模の都市が道路橋の終焉だった。その都市には“Key West”という名が付いていた。まさに西の終端である。大勢の人々がこんなとんでもないところに住んでいることに驚嘆した。


<ロングテイル> 前項Web2.0の続きである。引き続き梅田望夫氏の所説を少々借用する。本という商品を例にとって1年間の販売数の棒グラフを作ってみる。ベストセラーの第一位は軽く200万部を突破する。グラフの縦軸のスケールを200万部で10mとする。横軸は1冊あたり5mmとする。第10位の販売部数は第一位の十分の一以下なので、グラフ左端の形状は10m以上急降下する。日本での出版点数は年間7万点なので3年分を集計すると横軸は10kmを越える。1000部の高さは5mmで1冊なら5ミクロン。グラフ全体は10mから急降下して、あるところからは地面すれすれを這う。10km先では5ミクロンになる恐竜のしっぽのようだ。こんなグラフを実際に描くのは非常識だ。縦横とも対数軸に変えれば扱いやすくなるが、実務上はあくまで実数で扱うこの長いしっぽをロングテイルと呼ぶ。(右上の写真は由布岳:本文と直接関係はない)
このロングテイル論が脚光を浴びたのは2004年秋アマゾン・コムが全売り上げの半分以上を売り上げ順位13万位以下の本で上げていると発表したからだ。10km近く続くグラフ上のロングテイル部分を積分すると、塵も積もれば山となり、恐竜の首の販売量を軽く超してしまうというのだ。リアル書店では店頭に並べられない“売れない本”もインターネット・リステイングならコストはかからないから、アマゾンは230万点の書籍を扱っている。しかも“売れない本”は販売競争がないから利幅も大きい。こういう現象は楽曲販売(アップルのミュージック・ストア)でも現れ始めているという。
従来の世の中では何かに付けて“80:20”の法則が支配していた。それは100年前に経済学者パレートが“富の80%は人口の20%の人によって占有される”という観察を発表したことに始まる。それを受けて“プロジェクト全体の20%がマネージャーの時間・エネルギーの80%を必要とする”が常識化し、更には“80%の売り上げは20%の商品から”、“80%の利益は20%の優良顧客から”、“80%の成果は20%の優秀な社員から”などと発展した。こういう法則は品質・人事・営業・プロジェクト管理と大組織の至るところで通用すると考えられ、“取るに足らぬ80%は無視し、重要な20%にリソースを集中せよ”というのが経営の常識になってきた。この“取るに足らぬ80%”というのがまさしくロングテイルである。賢い商売人はさっさとこの領域を無視してきた。
ロングテイルに関わりあっていては固定費を賄うだけの売り上げ・利益を生まないという常識はリアル大組織では今でも正しい。しかしネット社会ではコスト構造が違うので、これと正反対の常識が成り立つことをアマゾンは実証した。広告事業でも電通は“恐竜の首”部分で事業展開するが、グーグルはロングテイルを追求する。既存の大組織にとって脅威なのは、このロングテイル追求者が産業社会全体の既存ルールの破壊者になり、恐竜の首部分の顧客まで着々と奪う可能性が出てきたからだ。eベイの創業者ピエール・オミデイヤーはWeb2.0について、“皆が一緒に働いたり、共有できる道具を人々の手に行き渡らせるのだ。「人々は善だ」という信念から始めるんだ。それらが結びついたものも善に違いない。それで世界が変わる筈だ。”と述べた。ロングテイルを切り捨てないWeb2.0は閉塞しかかっている社会を変える望みを人々に与える。効率優先・弱者切捨ての風潮がどの程度改まるか、乞うご期待。
<Web2.0> 近頃“Web2.0”ということばをどこかで目にした。何気なく見過ごしていたが、少し気にもなるので、改めて調べてみると、次のような解説があった。
―2004年頃から登場し始めた新しい発想に基づくWeb関連の技術や、Webサイト・サービスなどの総称。「2.0」という表現はソフトウェアの大幅なバージョンアップをなぞらえたもので、1990年代半ば頃から普及・発展してきた従来型WWWの延長ではない、質的な変化が起きているという認識を込めたもの。
特定の技術やコンセプトがWeb 2.0な訳ではなく「次世代のWeb」を漠然と総称する言葉であるため、明確な定義は無く使う人によって認識も異なるが、多くの人が合意するいくつかの有力な概念が含まれている。その最も大きな特徴の一つは、Web 2.0ではコンピュータにおけるOSのようにWebが一種のプラットフォーム(基盤)として振舞うようになり、その上で情報や機能が製作者の手を離れて組み合わされたり加工されたりするという点である。
従来のWebは製作者が作った状態で完結しており、利用者は単にそれを利用するだけの関係であったが、Web 2.0ではWebサイトの持つ情報や機能を外部のサイトやソフトウェアなどから参照したり呼び出したりすることができ、利用者や他の事業者がソフトウェアやWebサービスを組み合わせて新たなコンテンツやツールを作成できるようになる。
また、多くのユーザが参加して情報を出し合うことで、その蓄積が全体として巨大な「集合知」を形成するという点も重要である。例えば、ブログは多くの執筆者が議論を重ねていく過程が全体として広がりと深みのある情報の集積となっていくし、ソーシャルブックマークは参加者がURLに特徴や分野を表す短いフレーズであるタグを自由に付けていき、それを合成することによって万人にとって有用な分類を行なうことを試みる。
他にも、開発途上のベータ版の状態でサービスを公開し、ユーザの意見を聞きながら洗練させてゆく開発手法や、SNS(ソーシャルネットワークサイト)などに見られるようなユーザ数が増えると急速に価値が高まっていく「ネットワーク効果」の概念、ブログの更新情報の配布などに使われるRSSのような「データについてのデータ」であるメタデータの整備や普及、Ajaxのようなページ遷移を伴わないWebアプリケーションのインターフェースなど、多くの「Web 2.0的」なアイデアが提出されている。―
これだけでは今一つはっきり分からない。梅田望夫の“ウエブ進化論”(ちくま新書)ではインターネットの世界の在来の在り方を“Web1.0”と呼ぶのなら、Googleなどの出現によってネット社会に新たに生じ、現在進行形の革新的な風潮は、知の世界を再編成するという顕著で共通な特徴をもっているので、これをWeb2.0と呼ぶようになったのだという。梅田はネット社会で動き始め、リアル社会では決して成立しない三つの新しい流れを挙げている。@厖大な情報処理の結果得られる“神の視点(全体を俯瞰した視点)からの世界理解”、Aネット上に作った人間の分身がカネを稼ぐ新しい経済圏、B今まで無視されていた“無限大の数X無限小の価値=相当の成果”の追求。 その本質をいくつかのキーワード(新事業者と新事業)で具体的に捉えてみよう。
○Google:
情報検索の分野で今や世界に冠たるGoogleは自らの使命を“世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること”と定義した。それを支えるのが情報発電所 自前の巨大なコンピュータ・システム(極めて多数のC.P.U.とmemoryの集積.)。世界中の情報検索結果の集積と処理、システムのソフトは自作、O.S.はリナックス。
アドセンス 無数のウエブサイトを自動識別し、それぞれの内容にマッチした広告を自動掲載するシステム。Googleはこれで広告掲載料を稼ぎ、サイトにも分け前を配分する。
情報の無償供与 Google Earth(2006-7に紹介)、 Google Map(これはA.P.I.まで公開した)、 Google News(世界のニュースを自動編集している。自動送付も開始した)。
先発のヤフーが必要な領域ではぜひ人間を介在させるべきと考えるのに対して、グーグルは人間の介在を極力回避し、すべてを自動化しようとする信念と情熱が強い。
○Amazon.com:
インターネット販売により、全売り上げの三分の一以上を売り上げ順位13万番目以降の本(ロングテイル)で上げていると発表した。また“アマゾン・ウエブサービス”を開始し、アマゾンが取り扱っている厖大な商品データを、誰でもそれを使ってビジネスが起こせるように、無償で公開した。また利用者がそのデータを使ったプログラムを開発しやすいように工夫し(A.P.I.)、決済システムまで利用者はアマゾン・ジャパンに依存することができる。アマゾンはウエブサービス経由の売り上げから15%の手数料を得るので、アマゾンは自前の事業よりこのようなアマゾン経済圏支援事業の利益率の方が高くなった。アマゾン・ジャパンの商品データをウエブサービスで入手して、売れ筋商品をアマゾン・ジャパンのサイトより見やすく表示するショッピングサイトをアマズレットと呼び、このような多数のサイトから1年以内にアマゾン商品を数千万人が購入した。アマゾンはWeb2.0化に向けて最も先駆的に動き、バブル崩壊期の試練を乗り越えて遂にこのような成果をつかんだ。
○Wikipedia:
フリー百科事典 日本語版は2002年9月スタート。2006年10月現在登録件数268000件。今や大抵の語彙をGoogle検索すると、始めに近い順位でこの解説が現れる。一方において、どの項目も誰でも加筆修正できるのが特色である。エンサイクロペデイア・ブリタニカの項目数65000を凌駕している。世界で200に及ぶ言語で造成されており、オリジナルの英語では既に87万項目に達している。誰も権威のある人や団体が監修しているわけではない。明らかな間違いは日時を経ず修正されるが、特定の人間が特定の項目にしつこく修復することは防げないので、短期的には品質は保証できない。特に個人の項目には誹謗中傷が防止できない。集合知の成果と言い切るには論議の余地があるが、英ネイチャー誌は科学分野についての調査結果として、ウイキペデイアとブリタニカの正確さと信頼性は同程度であると発表した。

<けふ>
例の朝の幼児番組を見ていると、“日本語で遊ぼ!”の中でコニ(こにしき)ちゃんが踊っている背景に“いろは”48文字を書いた壁があって、これを歌うように教えている。幼児の内から知らず知らずに“いろは”を覚えるように仕組むのはよいことだが、よく見ると“うゐのおくやまけふこえて”のところで“けふ”を“キョウ”と発音させるのは、現代かなづかいの世では相当無理と気が付いた。私の小学校入学時は戦前で、本当に“今日”をかなでは“けふ”と書くように習った。“蝶々”は“てふてふ”と書いた。こういう仮名遣いはそれなりの理屈があったはずだが、戦後これだけ日時が経つと、もう任意の日本語をスラスラ昔の仮名遣いで書きこなす自信は全くなくなってしまった。同年輩の方、如何ですか。
誰が作ったのか明らかにはなっていないが、“色は匂へど散りぬるを 我が世誰か常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせず”という歌は実によくできている。仏教の教義をしっかりと含めている。しかし戦後多くの人たちが書きにくい(読みにくいわけではなかっただろう。習えば小学一年生でも読めたのだから)という理由で和歌などの伝統に目をつぶって旧仮名遣いを廃止してしまった以上、誰か有志が現代仮名遣いに適合した別の詩を考案すべきだ。それまでは残念でも“イロハニホヘト、チリヌルヲワカ、ヨタレソツネ、ナラムウイノオク、ヤマケフコエテ、アサキユメミシエヒモセス”と意味のない発音の羅列として暗誦するしかない。こういうのなら現代かなづかいでいくらもできる。仮名遣いの見直しにあたり同じ発音のかな文字を割愛してしまった。“ウイノ”の“イ”は本来“ヰ”だし、“エヒモ”の“エ”は本来“ヱ”だが、これらの字はもう死語にしてしまったのだから、“何故イとエは2度出てくるの?”と訊かれて困るではないか。この2字を整理し、代わりに“ン”を入れれば47文字になるが、整合する。先のように48文字を唱えた後で、とってつけたように“ウン”と言うのではスマートでない。

<裁判官の見識>
2004年4月<裁判所の判決>では、週刊文春問題と靖国参拝問題での地裁判決を取り上げて目立ちたがり屋さん裁判官の脱線行為と指摘した。2年以上経つともうその判決の及ぼした社会的影響力もほぼ消滅してしまったと認定できるので、それ見たことかと思うが、ここへ来て新たに似たような、何をバカなと思うような判決が2件も出た。いずれも地裁段階だから、控訴によって逆転する可能性が大きいが、対象が特異なものでなく、普遍的な性質が強く、従って類似訴訟が多い案件であるだけに、そういう際に改めて引用されるケースも多いと思われる。それだけに(判決を出すにあたって)もう少し考えた方がよかったのではないかと思ったのは私だけではないだろう。
@ 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。教員たちは今回の勝訴を大喜びしただけでなく、東京都に対して控訴しないようにと要請書を手渡した。これに対して石原東京都知事は早速控訴すると言明、“このような判決は教育の場を徒に混乱させる、(裁判官は)もっと現場を知らなければいけない”と非難した。文部科学省は全国の校長会に対して、従来方針にいささかの変更もない、惑うことなく粛々と既定方針を維持して欲しいと要望した。
A 日本中央競馬会(JRA)を相手取り、東京・渋谷の場外馬券売り場(ウインズ)内に敷かれた御影石上で転倒した男性が830万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、JRAの過失を認め、約260万円の支払いを命じた。藤下健裁判官は「転倒した場所は御影石が光を反射するほど磨かれ、傾斜している上、当時雨で濡れていた。歩行者が転倒する可能性は無視し難いものがあり、設置と管理には欠陥があった」などと判断した。男性は2004年8月、東京都渋谷区のウインズ渋谷近くを歩行中、歩道際にJRAが設置した御影石の上で転倒、ひざや腰を捻挫した。
まず@について更に詳しく述べると、
判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断。さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。裁判官は更に戦前戦中において国家全体主義の下で、国民が国旗・国歌への追従を強いられた歴史に言及し、その復活は自由であるべき教育者に対する不当な強制であり、それを強いられた教員たちの精神的苦痛は看過しがたいと主張した。
日本で在来矢鱈に裁判に日時を要する理由の一つに過去の類似判例を調べて判決がそれらと矛盾しないようにするためだと聞いている。今回の裁判官はその辺をどう考えているのか。この種の訴えは珍しいものではなく、日本国内で過去に何件も起きているが、いずれも教員側の敗訴で終わっている。私の知る限り今回の訴訟で過去のそのような案件との本質的な相違点はない。その意味では地裁レベルであるとは言え、こういう教育に関する基本的な問題で“反乱”ともいうべき離反が出ると、裁判制度に対する不信も招きかねない。
個人的には君が代にも日の丸にも僅かな違和感はある。しかし国民がこれを国歌・国旗として受け入れてきた歴史がある以上、異論を唱えても仕方がない。国という一つの単位で民族がまとまっていくためには、そのための象徴が必要で、折りある時にそれに敬意を表するしきたりが基本的人権に反するとは思えない。右上の写真に写っている人たちが“君は何国人か?”と訊かれれば、まず胸を張って“日本人です”と答えるだろう―そう言うことができるいささかの誇りと満足をもってー。世界には悲惨な、あるいは混乱した現状からして敢えてそう言いたくない人たちも少なからずいることを知るべきだ。大相撲の千秋楽で、君が代を斉唱できる喜びを共有できることを軽視してはいけない。何が精神的苦痛か。軍人が政治・外交まで支配して異論を許さず、第2次大戦にまで突入したことと、愛国心の高揚とは別次元の話である。
次にAである。
前の@に比べれば次元の低い話だが、最近このようなちょっとしたことで裁判沙汰にして補償金を取るケースが増えている。それも訴訟を起こさず泣き寝入りをする場合との差異が大き過ぎる。私など障害者は雨で濡れたホテルの入り口などで滑りやすい路面に差し掛かると、人一倍用心する。杖の先端は斜めにすると乾燥した路面に比して著しく滑りやすくなる。用心しているから、たとえ転んでも大きな怪我をしない転び方をする。だから、転んで大怪我をするのは、切羽詰った緊急止むを得ない場合か、慢心による場合であり、圧倒的に後者だと思っている。公共の路面に磨かれた御影石を置くのは迷惑だし、ぜひやめてほしいが、健常人がそこで滑って転んで怪我をするのも心がけが悪い。滑りやすそうなことは一見して分かるではないか。恥ずかしさと口惜しさを転化して裁判に及んだのだろうが、裁判官も人が保持すべき常識を無視して、怪我をした結果だけを見て賠償を命ずるのは必ずしも正義とは思えない。大多数の人たちはその地点を滑って転ばずに通過している。
犯罪を犯した犯人が捕らえられると、刑事訴訟法によって裁判を受ける。これは因果応報の精神に合致して合理的である。しかし被害者への賠償の問題は別だから、民法によって別途裁判を起こさなければ補償金は取れない。しかし犯人に経済的な賠償能力がなければ、裁判に勝ってもやはりダメである。逆に上記のケースでは裁判の被告(JRA)に弁済能力がある(競馬に通う人たちのあぶく銭でもうけているーという世間の意識がある)から、補償金を取りやすいし、裁判所もそれを命じやすい。これは広い意味で不正義ではないか。昨今酔っ払い運転やわき見運転による不注意で罪のない歩行者を殺害してしまうケースを多聞するが、これらの犯人の半数以上が多額の補償金の弁済能力がない(少なくとも当面は)と考えられる。そういう場合の民事裁判では恐らく被告の弁済能力が関係者の意識に上るだろう。しかしこういうことで仮に一家の支柱を失ったとすれば、その弁済は先のような自分で滑って転んだ男に対するよりは優先しなければ、社会の正義に反する。明らかに別件であって、調整不能であることは承知の上であくまで問題を提起する。
近々民間人が裁判に関与する制度が実施されるという。専門家である司法試験に合格した裁判官であっても、このようなさまざまな不正義を認めている世の中に、多数の素人が介入すると、世はどう変わっていくのだろうか。