第15章

<米国 対 中東諸国> 田中宇の国際ニュース解説というドキュメントがほぼ1週間に1回のペースでメール発信される。この人の論説におけるブッシュ米国政権の世界戦略についての見方は、米政権が継続的かつ一貫して米国の敵を力づけ、育成し、世界の米国への競合勢力が力をつけるのを容認して、今までの世界の中での米国1強の状勢を分散多極化へわざと導こうとしているというものだ。最初はそういううがった見方もあるものかと読み流していたが、彼の論調はテーマが変わってもその基本姿勢においては変化がない。奇妙なことではあるが、最近の国際情勢の変化はそういう田中宇の見方を裏切らない方向にズンズンと進んでいくように見える。極端な言い方をすれば、例の9.11事件以後米国は一見在来のスタンスを保持し自分の足場を固めつつあるように見えて、実はジリジリと自らの首を絞めて崩壊(そこまで言うのが不適当なら弱小化)の方向に進んでいるのではないかという彼の論調に私も諸手を挙げて同意したくなっている。
この見方を裏付けるためには最近の主要な国際情勢の変化を概観すればよい。
まずイラク。大量破壊兵器を保持しているという米国のイラクへの軍事征服の根拠が偽りであったことは明確になった。フセイン政権を軍事的に倒した後、イラク国内に平和は訪れずスンニ派を中心とするゲリラの国内テロは一向に沈静化せず、長きにわたり治安組織の結成を妨げた。一儲けしようと乗り込んだ米国資本は恐らく暴発の止まぬテロに逃げ出したに違いない。ようやく実施された選挙の結果は国内が利害の反するシーア派、スンニ派、クルド人の三派に分裂したことが明らかになった上で、彼等の唯一の共通指向が反米(米軍出て行け)とあっては米国の希望とはほど遠いものになった。更には最大勢力であるシーア派を中心に親イラン反米政権が樹立されることが確実と見られている。新政権側の働きかけがあって嘗て仇敵であったイランは急接近し軍事・石油採掘などの面で関係を強めようとしている。一方で米国は国内世論の反対もあって、侵攻したイラクのみならずアフガンからも撤退を企てている。
北朝鮮 ブッシュ政権発足当初大統領はイラン・イラクと並んで北朝鮮を“悪の枢軸”と宣言した。北朝鮮政府はこれを大変気にして先制的に核保有宣言をするなど悪あがきをしたが、最近の6ヶ国協議では核開発の放棄と原発の供与のどちらを先行させるのか結論が不明確なままに推移し、その折衝の中で“米国は核兵器その他の兵器を使って北朝鮮を攻撃することはない”という不可侵宣言だけが交換条件なしに成されてしまった。この保証さえもらえば北朝鮮は更に交渉を進める必要はなくなった。最近は偽金造りに絡んだ米国の金融制裁に北朝鮮が反撥(何という不遜!)して次回の6ヶ国協議の予定が立たなくなってしまった。米国は金正日に完全になめられている。ブッシュ大統領は人民の戦死を何とも思わぬ北朝鮮や中国共産党と本気で戦争をする気がないことを見透かされている。
イスラエル 強硬派で知られたシャロン首相は1903年12月ガザ地区からの撤退を発表して世界を驚かせた。05年9月に実際にガザからの撤退を完了したシャロン政権は更にイスラム諸国など今まで敵対関係にあったクエート・カタール・バーレーン・パキスタンなどと国交正常化を視野に入れた関係改善に動き出した。こうした動きは米国がイラクで実質的に敗退し出て行った後で、イスラエルが周辺国の憎悪に潰されずに生き延びるための方策と考えられる。イスラエルにとって米国のイラク侵攻は自分らのせいにされかねない迷惑な行為だった。事実イランのハマデイネジャド大統領はイスラエルに対する強い敵視発言を行っている。一方でイスラエルが米政界中枢に以前から強い影響力を保持していることは事実で、田中宇氏は最近米国内の中道派が自滅的とも思われる世界政局の多極化を試みるのは、そうでもしなければイスラエルによる米国支配は止められないと考えるからだろうと言う。シャロン首相は最近脳出血で倒れたが、代行のオルメルト率いる新政党カデイマ政権の西岸地域からイスラエル人を撤退させる方針は意外にも多くの国民の支持を受けているという。
パレステイナ 1月25日に行われた議会(評議会)の選挙では132議席の内76議席(58%)をイスラム原理主義ハマスが獲得し圧勝した。従来の与党だったファタハ(P.L.O.)は43議席しか取れなかった。イスラエルの苛酷な占領政策が元来穏健だったパレステイナ人の気持ちを根底から変えた。これまで何人もの自爆攻撃者を生んだハマスはイスラエルが消滅するまで戦うという組織目標を掲げている。ファタハのアッバス議長は選挙が自党に不利なことを感じていて、“(イスラエルが)東エルサレムで投票を許可しないので、選挙を延期せざるを得ない”と言明していた。イスラエルとしてもヨルダン川西岸地域から分離壁内側への撤退を選挙前に済ませておきたかった。ところが選挙延期に横やりが入った。ブッシュ米大統領である。ブッシュは以前から“テロ撲滅のために中東を民主化する”と言っており、“中東の有権者は平和を好む政党を勝たせる筈”と信じていたから、渋るアッバスに“予定通り選挙をやれ”と圧力をかけた。イスラエル政府はブッシュに“中東民主化戦略は失敗するので止めた方がよい”と忠告していたが、無視された。選挙後ライス米国務長官は嘘か本当か“国務省内では誰もハマスの勝利を予想しなかった”と語った。
イラク、イラン、パレステイナ、エジプト、シリア、ロシア、北朝鮮、ベネズエラなど、ブッシュ政権が“民主化する”と言って介入した国々はすべて反米化する方向に動いている。田中宇氏はこの度重なるお粗末な戦略を単なる過失の連続と考えるには無理があると指摘する。ブッシュ政権は“故意の失敗”を繰り返しているのではないかという疑念がわくと述べている。ハマスは政権運営の経験がなく、ファタハのアッバス議長に連立内閣を組む提案をした。アッバスはイスラエルの敵視政策を止めるように条件を出し、これに対しハマスは“イスラエルがパレステイナ占領地から完全に撤退し、パレステイナ国家の樹立を認め、難民問題にも協力するのなら、イスラエルと長期停戦してもよい”というところまで譲歩した。ところがブッシュ大統領はそれでは不十分と“イスラエル敵視を完全に止めない限りハマスを経済援助しない”と言い張り、ハマスは“脅しには屈しない”と言い返して決裂、ハマスはイランに援助を求めた。ヨーロッパ諸国とイスラエルはハマスとイランの連盟を懸念しているが、まだ見通しは立たない。
イラン ブッシュ米大統領から“悪の枢軸”に指名された国の一つである。欧米は以前からイランが核兵器の開発をしている疑いがあると主張していたが、I.A.E.A.の度重なる査察などの結果そういう事実はないことが明らかになってきた。一方でイランは核の平和利用のためのウラン濃縮は容認されるべきだと主張している。1950年代からイランに傀儡政権(パーレビ国王)を置いていた米国は1979年のイスラム革命後のイランを一貫して敵視し続けており、核兵器開発に移行する危険があると一切のウラン濃縮を容認しようとしない。2005年6月の選挙直前にはブッシュがイラン敵視を強めるような政策を次々に発表したために、国民感情が反米に大きく揺れて反欧米強硬派のアハマデイジャネドが米国との話し合い路線を取るハタミに代わって大統領に選ばれた。アハマデイジャネドは8月に凍結していたウラン濃縮の再開を宣言し、併せてイスラエルに強い論調の非難を繰り返した。ブッシュ米大統領は“核を悪用しそうだと最初から分かっている国には平和利用権もない”と言明し、国連安保理に提訴した。ロシア・中国の働きかけで制裁は抑えられているが、米国側で先制攻撃によりイラン核施設の空爆を検討しているという情報が盛んに流れるようになり、そうなればイランがホルムズ海峡を封鎖して原油価額が狂騰するという懸念が浮上している。

<アスカリヤ・モスクの破壊>
2月22日早朝、イラク中部の町サマラにあるアスカリヤ・モスク(アスカリ廟)が爆破された。サマラはバグダッドの北方約100kmにある昔の首都である。その後イラク中がシーア派、スンニ派間の報復とされる殺戮などで大混乱が報じられているが、田中宇はこの事件を以下のように米国とイラク軍の傀儡部隊による破壊工作と見ている。
サマラは、イラクの中でもスンニ派が多い「スンニ・トライアングル」の中にある。スンニ派の居住地域の真ん中にシーア派の聖地が存在している理由は、 今から1100年以上前にアッバース朝がイマームをここに幽閉し、殺したか らである。
米軍はすでに何回も「スンニ派ゲリラ掃討」と称してサマラを包囲攻撃しており、スンニ派の方も米軍に対して反撃し続けてきたが、この間、アスカリヤ・モスクはずっと無傷で、スンニ派がこのシーア派のモスクを攻撃することはなかった。
世界のマスコミ報道を見ると、アスカリヤ・モスクを爆破したのは、アルカイダなどスンニ派のイスラム原理主義者たちであるとされる。一方、爆破に対する報復としてスンニ派モスクを攻撃したりスンニ派の宗教者を殺したりしているのは、シーア派の民兵勢力であるとされている。モスク爆破後、スンニとシーアの抗争はひどくなるばかりで、もはやイラクが本格的な内戦に陥るのは時間の問題だとされている。
だが田中宇は最近のイラク政界の動きはシーア派最大派閥のサドル氏が敵だった筈のスンニ派に接近し、両派で“反米・イスラム主義”の統一イラク政府を作ろうと動いていたと指摘している。更にサドル氏はイランやシリアを訪問し、三ヶ国が“反米・反イスラエル”という軸で結束しつつあるという。米軍が近くイラクから撤退することになれば、イラクには暫定政権の混迷から脱した反米イスラム主義の統一政府が生まれ、イラン・シリア・ハマスのパレステイナ・エジプトなどの反米政権と密接な連携を保つようになる可能性が高い。米国中枢の人々はスンニ派とシーア派の敵対を激化し、イラク内部の結束を妨げておきたいと考えるに違いないと氏は推測する。
重要なのは、サマラのアスカリヤ・モスクが爆破された際の手口についてである。爆破は、モスクの礼拝大ホールの屋根(ドーム)を支える4本のコンクリートの大黒柱に穴を開け、中に爆弾を埋め込み、加えてホールの地下にも爆弾を仕掛けた上で、それらの爆弾を導線でむすんで起爆装置とつなぐ仕掛けを作って行われた。事件当夜は以前から出ていた夜間外出禁止令を補強すべく、イラク兵とアメリカ兵の部隊が終夜モスクの前に駐留していたという複数の証言がある。
爆破後、現場を視察したイラクの建設大臣(Jassem Mohammed Jaafar)は「大黒柱に爆弾用の穴を開ける作業には、1本あたり4時間はかかる」「作業には全部で12時間はかかるはず」「爆破によってドームが確実に崩れ落ちるよう、爆弾を仕掛ける方向を工夫してあり、軍事のプロの仕業である」と述べている。この建設大臣は視察直後に何者かに襲われ九死に一生を得ている。彼の行動を事前に知っていたのはイラク政府もしくは米軍上層部だけであるという。
ロンドンの大学教官をしている亡命イラク人分析者(Sami Ramadani)は「イラクでは、占領軍(米英)がイラク人の集団を雇い、イラク人の各派閥間の抗争を扇動する目的で、殺害や攻撃を繰り返しているという指摘(うわさ)がひんぱんに出ている」「アメリカは、イラクを分裂させて弱い傀儡国家にするため、イラク人の各派閥の中に扇動勢力を潜り込ませている。イラクの内戦 は、スンニ対シーア対クルドという派閥間の戦いではなく、米軍に雇われた勢力と、その他の人々との戦いに向かっている」と指摘している。

<C.I.A.> “9.11”米同時多発テロ事件を予知・防止できなかったC.I.A.の職務怠慢・機能停止はなぜ起きたのか。“C.I.A.は何をしていた?”という元C.I.A.局員ボブ・ベアによる刊行された(日本語訳・新潮文庫)。本人は著書のまえがきで次のように書いている。−本書は記憶、調査メモ、日記を基に書かれた。C.I.A.に雇用される人間は出版目的で書いたものの事前調査検閲を認めるという同意書にサインを求められる(本文中にはアチコチに黒々と主として固有名詞が抹消されている)。私はワシントンがさまざまな特殊利益がらみでどのように動くか、自分なりの理解を提示するのを控えなかった。C.I.A.は政治的公正・政争・出世第一主義・官僚性その他によって組織的に破壊されてきた。大企業の利益が優先し、C.I.A.は牙を抜かれた。2001-9-11、不注意のつけが全世界に曝された。ユナイテッド航空93便の勇敢な乗客がホワイトハウスの唯一の防衛線になった一方で、権力者の無策な堕落ぶりに強い義憤を感じているーと怒りをあらわにしている。
事件以後C.I.A.に対する批判の中で目立つのはHUMINT(HUMAN INTELLIGENCE)の軽視を指摘する声だ。これは人間によって直接収集された情報を意味し、SIGINT(SIGNAL INTELLIGENCE)やIMINT(IMAGE INTELLIGENCE)など通信傍受や衛星写真といったハイテク機器によってオフィスに居ながらにして収集された情報に対置される。クリントン政権下でC.I.A.長官を務めたジェイムズ・ウールジーはC.I.A.の今後の課題について次のように述べている。「大使館のカクテルパーテイで情報取りをする人間はいらない。その国の裏通りで、危険を冒しても精力的に動く工作担当官が必要だ。現地語を流暢に操れるレバノン系やイラク系などの移民を工作担当官として積極的に登用することが、テロ対策として、最も重要だ」と。ここに述べられている工作担当官(ケース・オフィサー)像は移民という点を除き、ボブ・ベアその人に該当する。しかし本人は“私には追いつけない速さで変化した” C.I.A.を追われるように辞任した(1997)。何よりも悪かったのは、C.I.A.が身内の人間、特に最大限の危険を冒そうとする人間を気遣うことをやめてしまったことだ。C.I.A.は官僚主義にどっぷりと浸かっていた。ボブの後任にはロクに現地語も話せない男が充てられた。彼はC.I.A.が大洋を運行する大型船になっていて、舵を切るには何十年もかかると悟ったと述べている。
著者は1976年C.I.A.入局以来、過酷な訓練を受けた後にインドを皮切りにレバノン、タジキスタン、イラクと動乱の地をスパイとして渡り歩いた。C.I.A.の組織はD.I.(情報本部)とD.O.(工作本部)とに分かれていたが、彼のように博士号はおろか修士号ももたない者はD.O.に属して軍隊並みに国外の現場で働く道しかなかった。D.O.の局員は偽名を強いられ、C.I.A.で働いていることは家族にも伏せなければならない。1983年のベイルート米大使館爆破事件については、本部が追求を実質的に断念した後もほとんど単独で追い続け、イランが指示しファタハのネットワークが実行したという推論をまとめた。イラクについては、1995年フセイン政権打倒を目指すイラク反体制派諸勢力が決起寸前まで行きながら、ホワイトハウスの支援を得られず空中分解してしまういきさつを克明に記している。このクーデタが実行されていたら、その後のイラクと中東の歴史は今とは変わったものになっただろう。その後米国に戻った著者はF.B.I.捜査官によってサダム・フセインの暗殺を企てた疑いで嘘発見器を含む尋問を受けている。彼は弁護士なしで最高刑は終身刑か死刑となる危機を無事に乗り越えた。C.I.A.はこの頃には現場の局員の保護をとっくにやめてしまっており、その活動をF.B.I.に牛耳られていた。
著者はオサマ・ビン・ラデインがアルカイダのネットワークを利用するだけで単独で行動したのでは決してないと断言する。ビン・ラデインは既に1995年イランと対米協調作戦を働きかけていたし、エジプトの原理主義集団とも繋がっている。C.I.A.が自己保身の官僚主義に足を引っ張れているのに対して、テロリストには制度もなければエゴもない、彼らはひたすらゴールを目指し、使命達成と同時に解散し、必要があればそのコネクションを利用して新たに再編成すると言う。1976年に入局した頃のC.I.A.には荒野に分け入り、見つかるものに立ち向かう根性をもっていた。今のC.I.A.に求められるのも彼らテロリストたちの情報を直接収集することであり、そのための唯一の方法は、沼地がどんなに濁っていようとも、秘密を探る手立てを知っている人々に任務を遂行させる強い意思をもつことだと説く。

<ダライ・ラマ14世> 第11章 <チベットの悲劇>*でダライ・ラマの自伝「チベットわが祖国」の読後感を載せたが、悲しいことに日時の経過とともに強く心を動かされた衝動が薄まっていってしまう。今回同じダライ・ラマ14世の“ダライ・ラマ自伝”(文春文庫)を読み、改めて中国共産党の暴虐ぶりに憤激を新たにするとともに、古き良き時代は決して戻らぬばかりか、永遠に葬り去られていく深刻な現実を改めて認識させられた。著者もテーマも同じだが、細部の記載はかなり相違して、1950年以降如何にチベットが中国の武力によって無惨に蹂躙されてきたかが具体的に述べられている。前回*は時系列的に事態を転写したが、今回は内容別に彼が訴えている事柄を確認してみよう。
