第16章

<核兵器>
原爆開発のきっかけを作ったのはアインシュタインであった。彼はE=mc2という公式で有名な特殊相対性理論は、物質がエネルギーに変換されうることを示した。1939年8月、彼は数名の科学者たちの代表として、アメリカ大統領ルーズヴェルトに原爆の製造を進言した。ドイツ系ユダヤ人である彼は、ヒトラーが政権を取った1933年にナチス・ドイツを逃れてアメリカに移住していたが、ユダヤ人迫害を進めるドイツが原爆開発に着手したとの情報に接し、強い危機感をいだいたのである。アインシュタインはその後のマンハッタン計画にはまったくノータッチであった。原爆が完成した時にも、彼は日本に投下することに反対した。彼は広島・長崎の惨事に直接の責任はない。しかし、彼はこのニュースを痛恨の想いで聞いたのであった。「私は生涯において一つの重大な過ちをしました。それはルーズヴェルト大統領に原子爆弾を作るように勧告した時です」と語った。また、「もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、1905年に発見した公式を破棄していただろう」とも。1922年に訪日したことのあるアインシュタインは深く日本を愛していた。
彼のメッセージは、昭和23年の年頭に朝日新聞に発表された――
「このような〔原爆のような大量破壊兵器の〕不幸を防ぐ道は只一つ、これらの兵器を確実に管理し、従来戦争突発の原因となったようなあらゆる問題を解決する機関と法的権限をもつ世界政府を樹立することである。 こういう広範な権限をもつ世界政府の樹立は、すべての国の民衆が次のことを十分に理解した時にのみ可能である。すなわち諸国民の伝統的思想と気持にこれほど適応した、そして安い道はないということを。 こういう根本的変化を可能ならしめ、そしてこれを手おくれにならないうちになしとげるためには、すべての国で教育啓発事業を熱心に辛抱強く行うことが必要である。」
世界の行く末を憂慮したアインシュタインは、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに1955年4月11日、核兵器廃絶と戦争廃止を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名した。その2日後、彼は病に倒れ、18日に帰らぬ人となった。彼の遺言とも言えるこの宣言には、湯川秀樹(右上写真)ら世界の著名な学者9名が署名に加わり、のちのパグウォッシュ会議へて発展していくことになった。 ―本稿は“萬晩報”(2005-2-28、中澤英雄東大教授)より抜粋―
アインシュタインは湯川秀樹博士夫妻の手を取り、彼が核兵器の誕生に関わりあったことを悔やみ、涙を流したという。N.H.K.のドキュメントによれば、湯川博士は強い影響を受け、日本人初のノーベル物理学賞を受けるがその後の半生を核兵器廃絶に捧げることになる。しかし米ソの核兵器開発はエスカレートし、米国はビキニ環礁で広島型の1000倍のエネルギを出す水爆実験を行い、ソ連もこれに追随した。第2回パグウォッシュ会議では多数の学者たちが核による抑止力を唱えて開発を容認し、会議に出席していた湯川博士は気分が悪くなって最後の2日間はホテルのベッドに横たわっていたという。
彼が懸念していたのは米ソによる多様な核兵器の開発とともに、核兵器開発が世界各国に蔓延することだった。現に後者については英、仏、中国などの第2次大戦戦勝国をはじめとして、イスラエル、インド、パキスタンにおいてそれが実現した。中東ではイランが欧米諸国の反対を押し切って核開発の姿勢を隠していない。ここへきて北朝鮮が米国の脅威に対抗するためと称して、核実験を実施したことが報じられた。以前からその懸念があり、長年にわたって米国がアメとムチの政策でそれを抑えてきたが、金正日政権は密かに開発を続けてきたらしい。
