蔵茶録2.クイーンズベリィ侯爵

僕の空き缶コレクションの原点。読み物としての紅茶容器として、大変な傑作ではないかと感じられるもの。トワイニングの色違いシリーズやフォートナム・メイソンなどの見慣れた缶にも、そういえばなにか字がたくさん書かれてるなあ、と再認識させられたのは、この紅茶に出会って。
武蔵小金井で「ニュートラル」というカフェ・バーを始めたとき、店で出すのに大きな缶が頼もしい気がした。



THE MARQUESS
OF
QUEENSBERRY'S
The Clipper Tea & Produce Co.Ltd.
LOWER WHARF ・ OLD ISLEWORTH
MIDDELESEX・ENGLAND


まず中身の茶葉自体も、一般的な紅茶よりもずいぶん大きくてウーロン茶のような、つまり破砕されていない状態。
この、大きな葉を見てはじめに頭に浮かんだのは、太平洋戦争末期の市民生活の小説。
来襲したB29が爆撃の合間、非戦闘員の懐柔用に投下した食品の中で、当時の日本人に食べ方が判らず、食べ物かどうかも不明だったのは、この製品だったのかもしれないなということ。<「あめりか ひじき」,「火垂る(ホタル)の墓」野坂昭如



1/2ポンド入りで、四隅の天地が少し絞ってある凝った造りの缶。紅茶の入れ方の能書にあてられてる以外の、三つの側面にそれぞれ一枚ずつ三枚の絵。優雅に午後のお茶を楽しむ三人の貴婦人の絵、スコッチ・ウィスキーで有名なカティ・サーク号とおぼしき紅茶輸送用の高速帆船の絵、そして対峙する二人の拳闘家の絵、が描かれている。



他の二枚は紅茶に結びつくけれど、相撲の錦絵のイギリス版のような、上半身裸で拳をかまえて向かいあうマッチョな二人の男の絵には、どうしても解説が必要になる。
そして、学生時代ボクシング部員であり、世紀末芸術に魅惑されていた僕は、たかが紅茶の缶にも一つの因縁の物語があることを知る。

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アマチュア・ボクシングの古典ルールにその名をとどめる硬派(?)の八代目侯爵にしても、バカ息子には悩まされた様子が浮かび上がる。
世紀末のダンディの代表のような、オスカー・ワイルド。皮肉な童話「幸福の王子」、永遠の美青年の謎「ドリアン・グレイの肖像」の作家。
オーブリー・ビアズリーの挿し絵とともに、具現化された世紀末芸術の精神ともいうべき「サロメ」。
タイプの近い映画監督のうちで、比較的危険度の少なそうな(たとえばデレク・ジャーマンなんかは危険なタイプだとして)ケン・ラッセルによる映画化作品は、時代考証のことまでは不案内だけど、僕にとっては、オスカー・ワイルドが闊歩した世紀末ロンドンの雰囲気が的確に、いつも見ていた夢のように、表現されていた。



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そして、さまざまな奇行のエピソードの主としての、オスカー・ワイルド。ボクは彼の精神的末裔なんだろうと自分では信じていた時期があった。
洋書の解説書では、ワイルド関係とジャン・コクトー関係は、けっこう最後まで手元に残っていた。
侯爵家の美貌の極楽青年アルフレッド君とワイルドが一緒に写っている写真も何枚かあった。美意識が異なるのか、僕には少しも美青年とは見えなくて、あまり自分の意志を押し通さないで、「ま、いいか」となっちゃうタイプにみえた。
ワイルド自身のほうは、ちょっとブライアン・フェリーに似てたかな。

しかし、その筋では有名なワイルドの不純同性交遊の物語の当事者が彼であり、名誉毀損の訴訟合戦の渦の中心に、おそらくは台風の目のように脳天気な彼がいたのだ。
他の面には、国王から爵位を授かった記述などが書かれ、自己の権威・正統性をアピールしている。
世界中に輸出された1/2オンス入りの紅茶缶が、宿敵オスカー・ワイルドをスキャンダラスな異端としてノック・アウトするための、左右からの小刻みなジャブとして、プロバガンダの役を担い続けているって訳だ。

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研究社の英和大事典には「クイーンズベリィズ ルールズ」の項がちゃんと見つかる。 そして、すぐ近くの「クイーン」の項には、「おかま」や「男色の女役」の説明もある、絢爛たる名作映画「プリシラ」の副題は
「Desert Queen:砂漠の女王(オカマ)」

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近日また、神戸方面に出かける予定だけど、震災後に靴が壊れるまで歩き回った街の様子の記憶と、野坂昭如の終戦前後の混乱や悲惨さをモチーフにした小説を読んだ記憶が重なっている。
幼い戦災孤児の兄妹が、結局死んでいってしまうのを読み続けていたときの、無情感(<火垂るの墓)。兄が力尽きる最後のときまで抱きかかえていた(妹の?)遺骨の入った缶カラ。
ひょっとして、投下された紅茶を持て余して「米国産の乾燥ひじき」だと考えて茹でて食べてみた(<あめりか ひじき)大人達が捨てておいた、大きな葉っぱの紅茶の空き缶だったのではないかと、ふと思った。
これを書いていて、じつは少し涙ぐんでしまった。僕も三歳とゼロ歳の二人の子供の父親になっていたのだ。

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1980年前後から国立駅前のセキヤ酒店で何度か購入した。
時間をかけてからサーブしてミルク・ティーを薦めたたことと、少し経ってもポットの中で苦くなりにくかったので好印象を持ったことを覚えている。

ちっぽけな店は、何代目の誰かが、まだ続けていてくれるらしい。


Charlie 1996

www.tea41.com
Charlie K.'s "Tea for One"
mail: t41@nifty.com