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何時もお世話になっている建築写真家”大竹静市郎”氏
新潟日報に連載中の” 想い出写真帳〜昭和30年代〜”から、少しご紹介したい。

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新潟日報に連載中の”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”






           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から


   文中にある安藤忠雄設計の「TIMES」撮影取材の折の貴重なポジフィルムを記念にと頂いた。
   本当に有難うございます。
        



           ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜” 新潟日報 連載から



               ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”連載から
                       新潟日報 2006年9月28日



               ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”連載から
                       新潟日報 2006年9月27日



               ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”連載から
                       新潟日報 2006年7月27日


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2006 12 02
”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”  その3

大好きな写真の一つ・・・

僕は小さい頃、絵を描くのが大好きだった。
キャンバスは道だったり、人んちの庭だったりもした。何処もかもが僕の絵のキャンバスだった。
不思議だったけど蝋石で描く白い線がとても好きだった。蝋石の持つ硬さと線の滑らかさのギャップ・・・蝋石を持ってなければ木切れや小石を使ってどこにでも・・・
自分の中では物語があって、途切れることの無いキャンバスに”夢”を描いていたように思う。
 船や飛行機が大好きで、たしかこんな船の絵をよく描いていたなぁ・・・
近所のおばちゃんが通りがかりに声を掛けてくれる。「テッちゃんは絵が上手やね〜。大きくなったら絵描きさんになるん?」 「この船は何処まで行くん?」
「え〜っとねぇ・・・・」 僕の話を笑いながら聞いてくれた。

今では、道路や人んちの庭に絵を描いたら怒られるだろうし、話を聞いてくれる”優しいおばちゃん”も居ない。
寂しい・・・
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               ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”連載から
                       新潟日報 2006年8月1日


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2006 11 29

先日(2006 10 18)紹介した、新潟日報に連載の”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”
とても好評だったのでもう少し紹介したい。

いじめっ子って居たよねぇ〜・・。こんな奴。
体の大きい奴で”ドラえもん”に出てくる”ジャイアン”みたいな奴・・・「俺の言うことが聞けないのかぁ〜」
小さい頃、僕もよくいじめられた・・・(
非力だったけど向かって行ったよ!
結局はヒクヒク泣きながら家に帰った・・・
あいつ、今頃どうしてるんだろう?○○会社の社長をしているらしい???
・・・今ではとても懐かしい!

「いじめ」が社会問題になって久しい。しかし、最近の”いじめ”はどんどんエスカレートし、陰湿さを増して行く。
周りがあまり関知しない、知らない振りをする。そんなところに問題があるような気がする。
守ってあげる周りが何故居ないのだろう!

昔、僕がいじめっ子に泣かされて帰ったとき、それを見た隣のお姉ちゃんがいじめっ子を叱りに行ってくれたことが有る。(お姉ちゃんはいじめっ子よりも数才年上だった)
翌日、いじめっ子が僕のところへ来て「昨日はごめんな。」そう謝って行った。それから彼の僕への”いじめ”が無くなった・・・

隣近所、周辺が僕の家族だった。

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               ”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”連載から
                       新潟日報 2006年10月6日



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2006 10 18
-一枚の写真から-
昨日、建築写真家 ”大竹静市郎”氏から”郷風-Satoburi-”の竣工写真のプリントが届いた。
出来栄えは・・・お楽しみに!(早速、お施主さんにも1冊お届けした。)
その包みの中に大竹さんからのプレゼントが同梱されていた。
大竹さんは新潟県新発田市出身。昨年、氏が出版された”東京の激変(世界文化社)”。
  氏が写真家を志し、東京に出てきた頃(昭和30年代)から撮りためたものと、現在の東京の同じ場所に立ち、定点撮影したもの。東京の激変を伝えている。 氏のエッセイも添えられている。
出版された”東京の激変”を地元、新潟の新聞”新潟日報”が紹介したのをきっかけに、この夏から”大竹静市郎 想い出写真帳〜昭和30年代〜”が”新潟日報”に連載されている。
氏がカメラに執りつかれた頃や、カメラ小僧だった頃の想い出、風景が当時の写真と共に綴られている。
紹介された記事と14編のコピーを送って下さった。
  記事には”東京の激変”を出版した時、”建築家 安藤忠雄”が100冊の注文をしてくれて、建築家仲間やゼネコンに「読めよ!」と勧めてくれたそうだ。「とても嬉しかった」・・・そんなエピソードも書かれている。
 昭和30年代といえば最近の映画”ALWAYS 3丁目の夕日”-北の国から-の”純くん”吉岡秀隆主演の映画の舞台にもなっている。
実は僕の幼い子供の頃でもある。・・・貧しかったけれど、人の心は温かく、見守られながら、楽しく遊ぶことだけを考えていた。

貧しかった時代。衣服はみすぼらしく、背景の建物もあまりにもひどい。
しかし、みんな笑っている。楽しかったのだ!
わずか50年程前の日本の風景。
現在の日本が忘れているものがそこには有る。
最近、楽しいですか?こうやって仲間とみんなで心から笑ったことって有りますか?・・・・
時代や風景は変わっても”人の心は変わらない!”・・・はず。

一枚の写真が語りかけている。

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2005 11 22

先日、ご紹介した建築カメラマン”大竹静市郎”氏が出版された”写真で見る東京の激変”
今回は”週刊文春”11月24日号、”写真で綴る東京今昔物語”と題してグラビア3ページで紹介されています。








2005 08 07
-カメラマン”大竹静市郎”-
いつもお世話になっている東京のカメラマン”大竹静市郎”氏が「写真で見る 東京の激変」という本を出版された。現在は建築カメラマンとして日本全国を飛び回っていらっしゃる。
氏が写真家を志し、故郷の新潟から東京へ出てきた時から撮り続けた東京の風景。昭和30年代半ばの東京主要地の景観と生活スナップ。それに対応し現代の東京を定点撮影、その激変ぶりを紹介している。
  
 ”写真で見る 東京の激変” 大竹静市郎 著  A5版 世界文化社 \1,890
月の2/3を旅しているという大竹さん。いつもお一人で撮影機材の詰まった重いリュックを背負い両手に荷物を下げて汽車を降りてこられる姿には感心させられてしまう。確か60歳半ばになられるはず・・・生涯現役を貫くそうです。頭が下がります。
僕は自称”大竹さんの飲み友達”
また大竹さんに撮影して頂けるように頑張らなければ!
そして美味しいお酒をご一緒出来るように!!