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<1> 今年の七月末で、歌林連句会も発足まる五年になるという。作品 集もできる予定だし、このサイトに載せた作品も六十巻を越えた。 ふと、あの初めて日のことを思い出す。蒸し暑い日だった。駅から のゆるい坂を上りきると、そこは会場パルテノン多摩。低い山並み と、切り開いてできた街並みを見渡せる位置にある。室内には数 人が既に集まっていて、机はコの字型に並べられている。奥のホ ワイトボードの脇に宗匠手留さんが坐っていた。大学時代の同級 生で、「テル坊」と愛称で呼ばれていた人である。が、学生時代 から周囲はある種の畏敬を持っていたと思う。無論私もそうだっ た。あれからの長い年月、非凡な過ごし方をし、重厚な蓄積をして きたに違いない。かなり前から村野夏生氏のもとで連句を学んで いることは本人から聞いていた。新しく連句会をおこすが参加し ないか、と私にも誘いがかかって来たのだ。「何も知らないのよ。 今日は見学させて。」という私を容赦はしてくれなかった。「ここに 見学はなし。来た順に詰めて坐って。」昔ながらの張りのある声。 かつてのクラスメート数名に、手留さんと繋がりのある三、四名。 これが連衆とやらいうものらしい。「さ、発句を出して。準備してき たでしょ。」・・・・・ 確たる決意もないまま、私の連句生活はスタート したのだった。(2002、7、15) <2> 初めての連句会、それは手留さんの苦闘の始まりだった(だろう)。 基本的な式目、季節配分のプリントが配られる。学生時代から 見慣れた懐かしい字の手書きコピー。 集められた発句は浄記されて、連衆にまわされる。点の多かった 句が発句になるわけだが、手留さんは更に全句を板書して適否の 解説。高点句は 一列に山百合咲けり多摩の丘 「本当は、ここへ来る途中見た家の近くの丘の景色なんだけど。」 という作者のことばはあったものの、多摩センターでの第一作、 挨拶の句として、文句なく発句となる。 続いて脇。多少の修句を経て治定。 細き脚して行く日傘人 日傘人、字を見れば意味は了解するが、およそ使ったことのない 語だ。これが季語ですか。国語の時間に俳句を扱うときには、必ず 歳時記を持って行って、わかった振りの解説をしたものであるが (なんという若気の至り!)改めて眺めると、初めて見る語のなんと 多いこと。こうして、二段構えの家の書棚の奥にあった歳時記が 日の目を見るようになり、更に仲間を増やしていくようになる。 (02、8、1) <3> 発会当時、連衆のなかで連句経験者は手留さんのほかに一名。他 は俳句や短歌を学んでいる人もあり、そうでなくても、奈良、平 安和歌や江戸の俳諧にはなじんできた人がほとんどではあるが、 連句などは初めて、という人ばかりだった。会に誘われて、大 慌てで入門書など買い込んでも、そうやすやすと身につくものでは ない。「初めに概略の講義をして欲しい。」だの、「お手本を見せ て欲しい。」だのと懇願する声もあったが、手留さんは実作しなが ら説明するという方法を崩さない。まずは、季節、月の座、花の座、 前句につけて、といった程度で半歌仙が進められてゆく。短歌、俳 句のように、我が世界に没しているわけにはいかない。あれこれ 考えあぐねた末に、短句の場所に、「ちょっと字余りなんだけど。」 といって出した句が、紛れもない長句だったりして、爆笑がわく。 間には手留さん手配の七百円の自然食品の昼食もはさんで、和気 藹々と会場制限時刻を迎えた。花前の決まったところで部屋を出、 ロビーに場を移す。それぞれ花の句を手留さんに預け、治定と 挙句を手留さんに任せることにして解散。数人の古い友人に逢え たこともあって、まるで学生時代が戻ってきたような一日。などと 大喜びしたのは、こちらのこと。ずっと立ち通しで、初心者に気を 遣いながら出句を板書し、作者の意図を確め、治定し、式目を基 本的なものから少しずつ教えて、休む間もない手留さんはさぞかし お疲れだったに違いない。 (02、8、15) <4> 初回は十名余りで一座であったが、二回目から十名を越えた時は 二座に分けることになる。捌は宗匠手留さんと、もう一人の連句 経験者、敏江さん。一つ部屋だから、ホワイトボードを挟んで お互い相手方の出句や進み具合などが気になる。特になにが気に なるといって、半歌仙の表六句がいつ終わるかということ。終 わったら一緒に昼食をとることになっているし、自然食品のお弁 当は、十一時半には届いてしまうので、後れを取ったほうは 「お待たせしてはならじ」と焦るのだ。昼食後は裏。恋句、時事 句と暴れなくてはならない。相手方の出句の偵察に席を立つ人も 出るし、お返しの訪問者もでる。双方から偶然同じ趣向の句が出 ることもある。しかし、その前句や付句は全く異なるのが、連句 の面白いところなのだろう。 句会の会場は午後五時まで。なんとか挙句にこぎつけるのが精一 杯だった。某書などには、短歌行は三時間程度で巻き上がり、適 当な長さだと書いてあるけれどとんでもない。連衆もこの頃にな ると、句よりも家庭が頭にちらつき始めるのも偽らざるところ。 が、ともかく数日後には、事務担当さんから清記プリントが届いて 二巻を改めて詳細に眺めることになる。 二座に分けても、捌のできる人も二人。なんの不都合もなく、隔 月の句会は回を重ねていった。(02、9、1) <5> 平穏を、安穏を愛する連衆に対して、我が宗匠はひとつところに とどまらぬお人である。発会から一年も経った頃だったろうか、 「もう、みんなにも捌をやってもらう。」との御託宣。・・「捌?」 連句入門書などをみても、捌というのは、連衆に付句の示唆を 与え、出された句の選定をし、場合によっては修句もする。式目 に通じ、連衆の信を得ている人のすること、と書いてあるでは ないか。「えーっ、そんなこと、いわれたってぇ。」「誰から、 するのー?」「トシの順!」。 まるで、女子高生の教室のよう だった。だが、俳句に関わる仕事もこなし、豊富な読書量、明晰 な頭脳及び統率力に定評のある、瑞草さんがトップバッター を引き受ける。もうあとは、ひとりふたりと捌き実習に冷や汗を かくことになり、最近では入会間もない人は免除されるものの 毎回籤引き制になってしまった。 捌が回ってきてみると、己の知識の不確実さが身にしみる。そば に宗匠に座っていてもらえる時はまだいいが、そうでない座の捌 の時は悲惨だ。間仕切りのホワイトボードの向こう側の宗匠に 質問抱えて教えを請う。答えを聞きながら、”これ、前に教えて もらってるな。”と気づいて情けない思いをする。時には宗匠の 言葉の前に「いつも言ってるけど・・」「だからぁー・・」など という枕(!)が付いたりすると、ただ、「スミマセン」と恐縮 するばかり。 手留さんが捌の時から、式目は折にふれ教えられているし、それ ぞれメモもとっているのだけれど、それが咄嗟に頭に浮かんで こないのだ。これではあまりに情けないし、第一、宗匠が気の毒 という話が連衆の間で出始めた。曰く「手留語録を作ろう。」 そして句会とは別に、式目勉強会の日を設けることとなった。 (02、9、15) |