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ここだけの話 <11>〜<15>


<11>
連句会を起こした翌年の秋だったと思う。連衆の一人から電話 が入った。当時はまだ例会が隔月だったこともあり、なかなか 基本事項も身に付かないから、二人で手紙で連句をやってみない か、という。連衆の中では一番古くからの友人である。どんな ことになるのやらわからなかったが、誰に見せるわけでもない ものだし、先ずはやってみようとスタート。長句、短句は偏ら ないよう、二句ずつつけることにもした。共通の思い出なども 詠み込まれて順調に満尾。今見返せば、打越、四三、季戻り等 恐れ知らずの巻だが、宗匠には初心者の作品として誉めてもら えたし、このような方式を「文音」ということ、句は三句ずつ 作り、次の人は中から一句を選んで付句する、といったことも 教えてもらった。
宗匠は文音は余り奨めたくないと言われる。短時間に付けるの が身上で、たっぷり時間をかけてしまっては意味がないという わけだ。しかし、俳句や短歌と違って、連句は一人では出来な い。座の機会もそうあるわけではない。練習ぐらいしたってよ かろうとばかり、その後も頑固に続けている。メンバーも一人 二人と増え、現在は五人になった。
(02、12、15)



<12>
文音の初めの頃は郵便であった。句の下には作者名の欄があり、 その下にかなりのスペースがある。そこは、再考を要する箇所 や意見を書き込む場所の筈なのだが、結構いろんなことが書き こまれる。選句の理由もあれば、自分の句に対しての反省、 長く手元に置いてしまった言い訳など、ずっと後になって見たら、 なかなか味のある書き込みだと思うかもしれない。
回ってきた文音は、手許においてそれほど長時間あっためている わけではないが、四、五人になると次に回ってくるまでが長い。 流れなど忘れてしまうこともあるし、ときには、文音なんかやっ てたっけ、になってしまうこともある。これではあんまり勉強に ならないということで、二巻を逆回りに同時進行させたことが あった。でも、やはり来ない時は来ない。やっと来たかと思うと 二巻一緒に来たりする。結局この同時進行は、一回で止めになっ た。それにしても、歌仙などの擦り切れて破れんばかりになった 用紙が何枚も重ねられて挙句にたどり着くさまは、諸国行脚の果 ての修行僧を思わせる風情になる。
文音はどうしても時間がかかる。颯爽とはさんだつもりの時事句 が、満尾の頃には色褪せてきてしまう。ファクスに切り替えて みた。確かに時間は短縮できる。が、ファクスは三軒目でどう にも読めなくなるのだ。結局三度に一度は書き直す必要に迫ら れる。しかも、歌仙を巻いている折など、ファクスから長々と 用紙が流れ出てくるさまは、例えようを知らない。
ここまで読まれた方は、メーリングリストか掲示板を使ったらいいのに、 とお思いになるだろう。文音の連衆全てがパソコン使いになる 日を首を長ーくして待つばかりである。
(2003、1、1)



<13>
昨年七月で、会は五年を経た。発会当時からの連衆はそれぞれの 思いを胸にしたことと思う。
五周年目前の頃、一つの電話があった。当初から事務方として多 大な尽力をしてくれていた実枝さんからである。毎回の作品の プリントが大分たまったし、担当者によって書式も少しずつ違う ので、全部を統一してワープロで打ち直した。欲しい人がいれ ばコピーをとるつもり。その際の表紙をどうするか考えているが、 歌林ホームページの看板はどうだろうというのである。看板云々 の前にまず驚いた。六十編になんなんとする巻々である。よくぞ、 の思いがあふれた。昔から、教室での一言の発言の陰に、膨大 な調査、研鑽が隠されている人だったことを思い出す。 表紙のこと、綴じ方のこと、お互いたいした知恵の出ないまま、 次の句会の折に宗匠以下に相談しようということになり、私は 最初のホームページの看板に似せた表紙デザイン案を作り送っ ておいた。
次の句会に欠席した私のところに、実枝さんから電話。結論は そんな手作り風のものでなく、折角だから、きちんと印刷製本し たものにしようということになったという。出版社勤務の経歴を もつ手留さんが、かつての同僚にデザイナーを引き受けてもらい、 仕事はスタートしたとのこと。オンデマンドによるそうだが、これ で実枝さんの作業は終わったわけではなかった。(03、1、15)



<14>
手許に、実枝さんの手による作品集出版までの経過報告のプリント がある。手留さん、デザイナーの矢崎さんと三人による再三の打ち 合わせの傍ら、段組の計画変更によるキイの打ち直しもあったと のこと。紙質や発行部数と会計面との関係など、会員の意向を確 かめながらの道筋が淡々と、しかし克明に記されている。校正面 では手留さんは無論、宏子さんの応援があったという。そうとは 知らず、九月初旬良寛の足跡を追って日本海側に旅に出た面々 は、湯上りに宿のテーブルで手留さんから校正刷りを突きつけられ 「こんな句、私、作ったかしら?」などというとぼけた会話も楽し んだ。会員全員、自分の句や文章の校正には当たっている。だが 軽い気持ちで始めたことが思わぬ大仕事に発展し、最後まで責任を 持つことになった実枝さん、ほんとうにお疲れ様でした。
かくして昨年十一月、九十ページ足らずのささやかなものだが、 手留さん命名の『転石』なる歌林連句会作品集が誕生した。昨夏、 初めて句集を出された方の「うれしくて枕元に置いて眠った」という 一文を読んだが、他の連衆はともかく、私個人はとてもそんな 心境にはなれなかった。勿論私とて、身内に渡し、諾否も聞かず 友人に送りつけたりもしている。が、この気恥ずかしさは一体何 なのだろう。「文台引き下ろせばすなはち反故」と信じて、わやわや と楽しむばかりで真摯に取り組んでこなかったからだろうか。今も よくわからない感情を身の内に飼ったままでいる。(03、2、1)



<15>
「当会は古語を含めて現代仮名遣いを使用しています。」
ここのホームぺージにはこう書いてある。これは事実である。明記 しているのは、途中から加わろうという方に、まずはこのことを 了解のうえ、参加してもらいたいからだという宗匠の考えによる。 我々連衆も初日に言い渡された。現代語は勿論、古語も現代仮名 遣いで表記するという。
当然、連衆からは疑問の声があがった。
「問わざる」「集えども」と表記するということになる。「問う」 「集う」は現代語にもあるから抵抗はないが、古語の助動詞や 助詞を伴いながらの現代仮名遣いは受け入れられない。
それに対し、宗匠の考えは
現代連句なのだから、当然カタカナ語も含んだ現代的な句が 付けられてくる。一巻の中に現代仮名遣いと歴史的仮名遣い が混在するのは奇妙なものだ。だから現代仮名遣いに統一する。
というのである。
宗匠の属する他の会もそうしているとのこと。結局それに従うことに なった。連衆の中から「日本語も古くは表音主義であったのだから それでいいのよね。」という言葉も出て、むかし学生時代に聴いた 「金田一・福田論争」の講義が一瞬頭の中を走っていった。
(03、2、15)


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