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ここだけの話 <26>〜<30>


<26>
七月二十八日は歌林連句会とこのサイトの創設記念日。
連句会は昨年を一つの節目と考えたが、サイトは今年で 満三年、それなりの感懐はある。 開設に当たって心がけたことは地味に、渋く、落ちついた ものにしようということだった。ともかく連句作品の掲載の ためのものだから、中味が勝負であって、ページのデザイン などに凝るのは本意ではない、と構えたのである。開設の 折に相談に乗っていただいたその道の先輩からも、 「画像をやたらに動かさないよう。」と言われたが、 事実老眼鏡の手放せない年代には、 なにやらちょろちょろする画面や、見る間に変貌してゆく画像は 苦手である。土台、当時の私のHTMLの知識は、そんなところまで 届いていはしなかった。それで結局niftyのHPから ナビゲーションボタンを持ってきたぐらいで、表紙もその他 のページのタイトルも、ペイントだけで手作りしたものだった。 現在、「プロフィール」と 「俳諧書を読む会」のタイトルだけは 記念に当時のものを残している。
そのうちyahoo検索で、また、俳句や連句関係のサイトのリンク をたどって素材サイトを覗くようになり、看板のプレートを 借りたり、小さなアイコンを借りては ぽちっと置いたりして、人知れず楽しむようになっていた。
昨年の秋の終わりの頃、友人Mさんとネットの話をしていた。 同じ年代ながら、その読書で蓄積され、作歌で磨かれたらしい 独特の世界、そして持ち続ける新しいものへの貪欲さに、 私は敬意を払ってやまないのだが、 彼女が言った。
「貴女のつくるホームページって、つまらないのよ、更新しない から。」
「え?・・・月二回、作品入れ替えてるけど・・・」
「色も飾りもなんにもなくて、素のまんまなところ、あなたそっくり。」
(お主、見ておったか)。私は思わず噴き出したが、
「あれは作品載せるのが目的だから……」
と言って、話題は別の方向に逸れていった。
彼女の色や造形に関しての執着は強烈だ。別れてから、ふと思った。 書籍だって、例えそれが 自費出版のささやかなものであっても、装丁やデザインには意を 尽くすのだろう。その頃出来た歌林作品集にはURLも載せた ことだし、ひょっとするとこのサイトを覗く人が増えるかも しれない。これまで、親しい人しか来ないのだからと、 文字の羅列に終わっていたのは失礼だっただろうか。もっと色気も洒落けも持たせる べきか。少しお化粧をしてみよう。
年明けに、と思ったが善は急げ、クリスマスから 年末へとせっせと表紙を替え、新年にはコンテンツにも手をいれた。 以後、半月ごとの作品更新に合わせ、表紙には歳時記を繰りながら 季節にふさわしい画像を載せることにしている。「お気に入り」 にも、十以上のweb素材サイトの蓄えが出来た。
ある時、思うようなものが見つからず、私が見ても素人臭い、いわば いつもよりは レベルダウンしたお花の絵を載せたことがある。 早速連衆の二人から質問あり。「あれは、貴女が描いたの?」 つぶさにHP更新を見ていてくれるのはありがたいし、いつも使わせて もらうようなカットを描く技もツールも、私が持ち合わせないのは事実 である。でもねぇ。なんだかフクザツな思いを味わい、それからというもの、 私の意識のなかで素材探しの占める位置は連句のそれをはるかに凌駕した。
この春、Mさんが言った。
「この頃、ホームページ、少し綺麗になった。」
「だって、貴女言ったじゃない、私のは色気も洒落けもなくて、私そのまんま だって。だから…」
「そんなこと言わないわよ。」
「言った!」
「言ってない!」
「でも、そういう意味のことは言ったでしょ?」
「言った!」
友達とはありがたいものである。 (03、7、28)



<27>
八月の例会は「にほんご連句会」と合同だった。 一昨年ごろから、定期的に年二回の合同会をもつようになっているが、 この会の名前だけを見たある友人が、「にほんご?」となんとも不審 そうな顔をした。では他の連句会は日本語を使わないのか、と思った わけではなかろうが、気持はわかる。事情を知って いる者にとっては至極当たり前の名前なのだけれど。
この会は、日本語教師の集まり「にほんごの会(企業組合)」の有志に より、歌林より四ヶ月ほどおくれて十一月に発足したものである。 「にほんごの会」には宗匠はじめ歌林連衆の何人かが創設期から関わって いたのだが、ある時、試みに連句を巻いてみたところ、是非続けたいとの 声があがり、同じく手留さんを宗匠に頂く姉妹会になったという。
歌林よりも年齢に幅があり(要するに平均年齢が若く)、専攻分野も いろいろで闊達な雰囲気。手留さんが忙しくなって、会に参加され なくなったあとも、決して衰えることなく隔月の例会が続いている。 手留さんがお休みの座は、どこか箍がゆるんで捗らず、閉会時刻が 近くなってから、(ある連衆の言を借りれば)脱兎の如く 巻き上げたりする我が会とは、どうも性根が違うらしい。
それはともかく、二つの会のメンバーの入り混じる座は、いつもと違った 発想にはっとさせられたり、出句のすばやさに眼を見張ったり、いい刺激を いただいている。学生時代にどこかの教室で同席した 記憶のある方と、何十年ぶりかでお会いするという拾いものまであった。 (03、8、15)



<28>
月例連句会は多摩市のパルテノン多摩を会場にして始まり、 一年ほど前から、隔月に桜蔭会館を使用するようになって いるが、さらに気分を変えようと時折場所を移すことがある。
花の下連句会と称するお花見を兼ねた句会に、パルテノン 多摩から程近い中央公園の「富沢家住宅」、大学通りの桜並木が見事な 国立市の「郷土文化会館」、横浜港の見える丘公園の「大仏次郎記念館」 などを予約し利用してきたが、 桜は無情、というより天候が無情で、なかなか花の盛りに ぶつからない。「これ、桜よねえ。」とつぼみさえ見当たらない 桜の木の下を歩くこともあれば、昨年のように"葉桜の下"句会と あいなることもある。それでも連句の花の座は、けなげに 満開の桜を詠んでいる。
花と無縁な時期の句会はというと、これまた一筋縄ではいかない。
国分寺殿ヶ谷戸公園「紅葉亭」の句会は二月だった。第一火曜だから まだまだ寒い時期である。ところが前日が、びっくりするほど暖かい 四月のような陽気。これについ気を許して でかけた会場はお茶室で、平年並みに戻ったその寒さは、上着を巻き つけて耐え忍ぶようだったという。ということは 私自身は都合で不参加だったのだが、あとで「貴女、正解だったわよ。」 といわれたものである。
秋の「関口芭蕉庵」はもっと凄かった。本当に凄かった。朝、台風接近のニュース を聞き、「早く帰るほうがいいよ。」という声を背に会場へ向かう。 定刻まではそれぞれに庭園を散策する。しっとりと茂る木立を縫って しつらえられた小路、細かな雨を受けて静まる池の水面。広くはないが 都市の喧騒から隔絶されて、ひとときを楽しむ。が、間もなく ストッキングの上から吸い付く蚊、傘の内で唸る蚊に悩ま され、早々に館内に戻った。皆そろったところで発句、脇句と進み始めたが、座敷の中にも 蚊が自在に飛び回っている。蚊取り線香を借りてなんとかおさまった。 お昼を済ませ、仕切りのない二座はお互いの話が筒抜けで、滅法賑やかだ。 「わ、凄い。」という声に気がつくと、外は大きな木が風になぶ られて撓っている。しかも篠突く雨。「急がなくちゃ。」駆け足で 挙句に到達。それぞれ用意の雨具を纏い、「完全武装」などと軽口を 叩いて門を出たが、完全武装には程遠かった。江戸川橋組は駅までの 舗装された路を小川を渡るかのように歩く。 何とか交通機関は動いていて、心身びしょ濡れで家に着いた。二時間ほど 後に帰宅した家人は、「もう、殆ど降ってなかった。」とけろりとした顔で 言う。どうやら我々は雨の一番激しい時を選んで帰ってきたらしい。
翌日は、雲一つない青空の広がるまさに秋晴れ。昨日の騒ぎは夢ではないかと 疑ったが、玄関には私の靴だけが、濡れて型崩れしている。 乾かそうと持ち上げたら、靴の跡がべっちょりと残った。
いま、「関口芭蕉庵はやり直しをしよう。」という宗匠の ことばに、連衆は深くうなずくのである。(03、9、1)



<29>
先日、連句を初めて経験された方とお話しする折を得た。 理学を修められ現在はある省の委員会メンバーとして、後進の 指導にもあたられる方だが、短歌に長いキャリアをお持ちだそうだ。 私は「短歌の世界にいらした 方にとって、他人と連携しなければならない連句に、違和感 のようなものはありませんでしたか?」とうかがってみた。 答えは「全然。」とあっさり。そしてこんなことをおっしゃった。
連句には式目という規制があり、前句に付けるという、他人との 関わりの上で成り立つものだけれど、そのようなことは世の中では 当たり前のこと。仕事の上でも規制のないものはないし、他人と 関わらずにやれるものではない。むしろ、そういうルールがあるから 面白いんじゃないでしょうか、と。
連句が世界の韻文学のなかでも滅多にない性質のものであり、 現在の俳句も俳諧の連歌から始まったことなど、いまさら私などの 口にすることでもないし、連句をやると俳句がくずれる、他人と 付け合うのが面倒だ、自分の世界を存分に詠いたい、式目がうるさい といった連句批判もよく聞くところだが、いずれにしても、他の文学 形態と比べての評価である。日常の業務に比較しての、この方の お話は、さわやかに私の心をとらえる。
まだ仕事に多忙なので「連句にはまったら困る。」と笑っていられたが、 そういえば、ネット連句にも、多忙な方がわずかな時間を利用して熱心に 参加していられるのを垣間見る。おそらく似たような感覚をお持ちなのだろう。
ところで、「連俳は文学に非ず。」とした正岡子規も晩年は連句を楽しんだ らしい。「はまったら困る。」と常に自戒しながら・・・いえ、これは “ここだけの話”でした。 (03、9、15)



<30>
連句会が始まって六年が経つのだけれど、腕の程はいっこうに あがらず、宗匠は今もしばしば苦言を呈する。「古いねえ。」 「名前見なくても、誰の句だかすぐ分かる。」などなど。
「古い」のは、作者が長い間関わってきた分野や、読書傾向の なせる業で、本人にはなんの違和感もないのである。その時浮かぶ イメージや心象を自然に表現したものがそれであれば、「古い」句が 混在してもいいのではないかとも思うのだが、現代連句の中では やはり芳しくないのだろう。
「誰の句かすぐわかる。」これはこのサイトで作品の入れ替えをして いる私も頷くところである。作品(1)を更新するとき、メモ帳で 前の巻に新しい巻を上書きするのだが、作者の名前はそのままで 済んでしまうことが結構あるものだ。二座のメンバー区分けは 籤引きだし、半歌仙あり短歌行ありと作品の形態も同一ではないけれど、 発句に採られることの多い人、雑の短句が得意な人、裏に入ると俄然生き生きする 人、恋の座は寝た振りの人など、お互い暗黙の了解めいたものができてきて しまっているのも否めない。 中で「私、発句を採ってもらったことがない。」とぼやいた お方。いつも斬新な句で座の沈滞を救ってくれるのに、と、よく考えたら 遅刻の常習犯。発句選定のときにはまだ会場に来ていないのだ。当然出句もなし。 これでは発句が採られるはずもないと、一同大いに納得した。
ところで、今回掲載の作品(1)「アトム誕生」の巻で、私が刮目した 一句。
「金で買えます民主主義 エッ」。
最近出版された『金で買えるアメリカ民主主義』を踏まえての時事句だが、 「このエッというのは何?」と問われた作者、「音数が足りないから入れと いたの。」と笑う。 かねてから“投げ込みの月”というのを一度詠んでみたいと思いながら 実現できないでいる私は、この「エッ」を密かに“投げ込みのエッ”と 名づけた。(03、10、1)




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