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ここだけの話 <36>〜<40>
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<36> 新年を機に、この歌林サイトに別館を設けた。 連衆のひとり、とまとさんの個人ページ 「小さな庭から」で、表紙下方のアイコンから入れる。 ここ数年、とまとさんは日本点字図書館発行のテープに同名の トークエッセイを収録していて、その原稿のコピーは私も読ませて いただいてきた。主要部分は本の紹介である。月一回、本の選定から収録まで の作業をずっと続けてこられたことも立派だが、耳だけで受け止められることを 意識した明快な文体や、本の内容に触れながら、さりげなく読後感を織り交ぜて いくその文章は、歌林内でもファンが多い。テープがどのくらいの部数配布され ているのか知らないが、彼女のコピーで読むことのできる人数は知れたものだ。 回を重ねる度毎に、もったいないなと私は思うようになった。「本にしたら。」 だの「ホームページ作ったら。」だのと勧めたりもしたが、むにゃむにゃ言って、 実現の兆しはない。こちらで彼女のサイトを作ることも考えたが、niftyさん、 IDひとつに無料ホームページはひとつである。それなら歌林サイトに載せてしまおう。 最近、彼女はワープロからパソコンに乗りかえた。チャンスである。ワードに 打ち込まれた原稿をメール添付で送ってもらえば、私が打ち込む手間は いらない。とまとさんも了解してくれた。 問題は一回分の原稿の長さである。もともと収録時間は十分前後。文字数は 六千字余りになる。これを全文横書きで読むのは、縦書き印刷に慣れた人間には かなりの苦痛になりはしないか。半分か三分の一に縮めて、という要求にも応えて もらい、今回初の掲載となった。 連衆のページではあるけれど、連句には直接の関係はないので、contents には 入れず、別館ということにした。歌林の皆さんにはご了解をお願いする次第。 (04、1、1) <37> 先月、ある連句サイトで芭蕉七部集の「冬の日」がアニメになってロードショウが 行われていると教えられた。歌林仲間の話だと新聞でも紹介されていたというが、 私は見落としていたようだ。そのサイトには、見てきてよかった、七部集を読み 直してもう一度見たいとまで書かれている。劇場でのアニメなど、子どもと行った ディズニーものがせいぜいの私だが、年が明けてから見に行ってきた。連れは 遊び友達のMさん。前日になって安東次男氏の『風狂始末』など引っ張り出し、 「冬の日」の部分だけ読んでみた。日・漢の先行資料や露伴他の評論に言及しながら 各句の付けや展開を論じている。連句を始めて間もないころに一度読んだときは、 鬱蒼とした茂みをかき分けて進むような気がしてたじろいだものだが、多少実作を 経験してから読むと理解度が大分違うようだ。こんな具合なら全編読み直してみようか。 それにしてもこの著作、ご自身の正続『芭蕉七部集評釈』を絶版にし、白紙に 戻しての執筆という。別冊として『・・・評釈(抄)』が添えられているのも、 筆者の姿勢がうかがわれて感じ入ってしまう。 さて、映画館はラピュタ阿佐ヶ谷。立て込んだ商店街に紛れ込むように建っているが、 木をふんだんに使って、そこだけしっとりと落ち着いた、ほっとする風情の建物。 まずはMさんがネットで検索済みのレストラン「山猫軒」へ。ここは宮沢賢治 「どんぐりと山猫」をうかがわせて、雰囲気を醸している。フレンチ風のランチ がどこか爽やかでいい。シェフご自慢の焼きたてパンもdelieciousだった。 二階がシアターだが、客席は五十ほど。まことにこぢんまりとしている。 アニメーションは、日本と外国の三十五人の作家が集まり、総合監督の川本喜八郎氏が 脇句と挙句を担当、あとは一人一句を担当している。前句と付句が大きく画面に 示されると、芭蕉以下連衆六人のそれぞれを担当する岸田今日子らの声優による 朗読があり、そこから各作家の解釈に基づくイメージが展開していく。画は、作者に よって、まさに三十五人三十五様の画風。句の解釈も時には笑いを誘われるよう なものもあるが、それはそれとして作家たちの感受したもの、表現しようとする ものを追いかけてそれに浸っているのは、至極楽しい時間だった。寺田寅彦は連句を 映画にしたら面白いだろうと言ったそうだが、しかし、こんなものが出来るとは 思いもよらなかったに違いない。 メイキングも、また面白かった。作家一人一人に寄り添い、経歴、制作の意図、技法が 丁寧に示される。実物の人形を動かしてカメラに収めたり、部分画をいくつもいくつも 描いていったり、レイヤーをかけて幻想的な画面を作り上げのたりの制作過程は、なかなか 興味深い。うれしかったのは、人物の手足を少しずらして描いた二枚の絵を、 重ねたり剥がしたりして、動きの様子を確かめているのを見たときだ。子どものころ、 厚い本の端っこに少しずつずらした人物を描いてぱらぱらとめくり、その動きを 楽しんだものだが、コンピューターを使って見事な画があっという間に出来上がる 昨今も、制作のほんの出だしはやっぱり似たようなことから始まるものなのだろうか。 連句に関する解説もほんの少し。歌仙の折の説明もあったが、「初表」を「はつおもて」 と読んでいて、「おや?」と気になった。 終わって外へ出ると、久しぶりの冬らしい風が吹き付けて遠慮がない。暗くなりかけた道を、 飛ばされそうな帽子を気にしつつ縮こまって帰る身は、何に似ていたのだろうか。 (04、 1、15) <38> 講座「歴史の歩き方26」・・・ 「連歌は花の下で」(中世が魅せられた遊びの文芸) に参加して 実枝 表題の東海エージェンシーの企画講座が三月十三日に有楽町の読売ホールで行われた。講師は、聖心女子大 の奥田勲教授と詩人の高橋睦郎さん。歌林連句会からは、絢子・霞・節子・宏子・実枝の五名が聞 きに行った。 そのときの様子を書けということなのだが、まさかそんなことになるとも思わず、友達を誘っての面白半分、 物見遊山の気分で出かけたので、いい加減な聴講者で通し、したがってこの報告も公正さに欠けているかと思 うが、お許しいただきたいと思う。 後半登場の高橋さんは、実際に自分が関わった連句・連詩のプリントを用意され、特に五名で巻いた歌仙の 解説を主に話された。私たちの連句よりよほど付けの説明が分かりやすく意外だった。付き過ぎじゃあないの という声もあったくらいである。ただ、自と他をかなり意識的に配しているのは、参考にすべきかと思った。 今回の講演で面白かったのは、どちらかと言えば、前半の文学史的なお話であった。徒然草や二条河原落書で 地下の連歌の盛況は知っているつもりだったが、あらためてその熱気に触れる思いがした。身分の上下を問わず 参加する人達を「無縁」というのだそうだ。連歌は、神や仏への供養としても行われ、天神社は、連歌の拠点で もあり(北野天神に連歌会所の井戸の跡が残っているというので、乗りやすい私は後日行ってみた。小さな薄れ た立て札と、閉じられた小さな井戸がひっそりとあるだけで、作業所のおじさんたちも知らなかった。)、寺社 では法楽連歌が催され、それは、枝垂れ桜の名所が、多かったという。(元は、出雲路、今は山科の毘沙門堂、 法勝寺、法輪寺、地主神社など。)(馬鹿ついでに、 私は、四月に毘沙門堂と、高橋さんお勧めの醍醐の枝垂れを見に行った。美しかった。)「菟玖波集」をひも とくとその場所がよく分かるらしい。 文音で、私たちも勝手なルールを作って「賦物」と称して遊んでいるが、「賦手何連歌」「賦何人連歌」 「四字上下略」(「うぐひす」の上下を略し「くひ」を詠む、「たまづさ」の上下を略して「まつ」を詠み込む) などの説明もあった。これは、連歌を詩としてよりもゲーム化し、後に形骸化して、無くなったというのだが、 初めは、連歌の進行速度を制限するために生まれたということだった。知らなかった。それほど矢継ぎ早に詠 まれたのだろう。 和歌と連歌の違いを素材から説明し、「汗」を詠んだ和歌がないという具体的な話は面白かった。数値を 上げての話は説得力がある。 連歌は、一座する人が心を合わせる働きがあるので、城攻めのときや、一揆のときも興行されたという。 そういえば、明智光秀も本能寺の変の前に、亀山かどこかの神社で、「時は今・・・」とか言う連歌を作って いたような記憶があるが、違ったかな。 この一味同心の精神は、茶の湯にも受け継がれて、日本の文化の一つの形を作ったという。世界にも類 まれな文化の形なので受け継いで行きたいと奥田氏は、話を結ばれた。 限られた時間内のあわただしい話だったが、連歌興行地の案内地図入りの(さすがJR主催)美しい解説の パンフレットも貰い、旅心を誘われた会であった。 (04−5−4) <39> 純子さんお葬儀のこと 実枝 すみこさんは、昨年の一月の例会には、来ておられた。三月の会記には、すみこさんがしばらくお休み するというので困ったと書いてある。その後ご病気の関係で長く座っていられないから辞めるとい われ、退会された。まことに惜しい逸材だった。 彼女のことを、「ここだけの話」にして良いものかとも思うが、忘れやすい私のこと、お葬儀に出 られなかった方にお知らせするために、記憶の鮮明なうちに書かせていただきたいと思う。 四月の末日に、宏子さんから、純子さんのご逝去の知らせがあった。彼女へは、高藤さんから連絡 があったのだという。高藤さんは、ホスピスに移られた純子さんを見舞われたが、まさかこんなに 早いとは思われず、宏子さんもお見舞いできなかったのだという。 高藤さんは、歌林にも一度参加されたことがある。「にほんごの会」で、すみこさんと一緒だった ご縁があるらしい。節子さん、宏子さんも同様で、四人で韓国や北京などへも旅行された仲なのだ という。朗らかで楽しい人だったと宏子さんは言う。病気になってからでもいつもからからと笑い ながらの長電話を貰ったことがしばしばだったとか。 純子さんが「実枝さんにも心配して貰って」と言われたことがあるらしくて教えてくださったのだった。 横浜線で一緒に帰ったし、耳が悪い共通点もあってのことかもしれない。 五月一日がお通夜で、高藤さん、節子さんが出てくださり、二日のお葬儀に、手留さん、宏子さんと 私が加わったのだった。古淵の葬祭場だった。ロビーに写真と色紙が飾ってあった。例会にも出て、 転石にも載っている 知恵袋春眠中に膨らませ という、皆がびっくりしたあの句と、辞世の句として作ったと見られるとご主人が後で話された 生も死も霞の中の誕生日 の二句であった。三月二十五日が、六十六歳の誕生日だったそうである。この句から、一月後に 亡くなられたわけである。ご主人は、歯医者さんで、性格も対照的だったと話されたが、俳句だけ は共通の趣味で、この句を何気なくノートの中に見つけ感動したといわれた。私たちも純子さんの 句には、いつも驚かされた。まことに、ユニークで、あっというような句が多かった。 俳句会の方が弔辞を読まれたが、三月の投稿日まで病気になっても一度も投稿がストップすること がなかったという。三月の五句を披露されたのだが、声涙ともに下るの表現そのものの弔辞だった のでうまく聞き取れなかったのが残念だった。そのなかに、 あすなろう檜になれず告天子 というのがあった。やはり六十六歳の若い死である。檜といわずともまだまだやりたいことも多かっ たに違いない。まさかの思いもあったろうと思う。病気が発見されてから、一年余の命だった。私た ちもあの飄々としていて明るく屈託のないすみこさんの、誰にも真似の出来ない句が、もっともっと 読みたかった。 純子さんは、三田高校で節子さんの一年先輩なのだという。お茶の水では、哲学科で新聞部だったと 聞いた。霊前の花籠の中に、学芸大付属中学というのがあったが、啓子さんや、とまとさん、敏江 さんとは、別の付属だったのだろうか。 知事の椅子にはノーといわない とか、 霞ヶ関の色変えぬ松 といった時事を風刺した付け句などさすが新聞部出身と思ったものだ。 花衣魂抜かるごと畳まるる 介護保険錬金術のみせどころ 捺印のずれ始めたり教師妻 あげればきりもないが、 まだら呆け介護認定してくれず とか、 財布の緩む百円ショップ 彼に向く狐の襟巻き流し目に ゴルフよりオペラを選ぶダンデイズム ああ、他の、誰にこんな句が出来ようか。 近いところでは、 SUIKAですいすい酒場直行(14年11月) いつも、時代の動きに敏感だった。 なお、純子さんの歌林での最後の例会の句は、 皿の絵の波透かし見せ夏料理 という涼やかな句であった。(15年1月新年会のとき) ご冥福を祈ります。 (04−5−8記) <40> 文音事始 智 その1 「連句ってどんなんもの」 「連句ってどんなんもの」と聞かれて始まった正聲(まさな)さんとの文音。 さてなんて答えていいものか、やっと連句歴2年の新米には答えようが分かりません。 「一度やってみます?」気軽にそう応じてしまいました。 「やりましょう」と即答でした。 そこで、まず発句をお願いしました。 ここで、正聲さんをご紹介します。 私は視覚障害者のためのパソコン教室のお手伝いをしています。そこで使うパソコンは、 私たちと同じようにキイを打つと、それが音声になるソフトが入っています。生徒さんは当然 ブラインドタッチ。文字変換も列挙される候補から選びます。Shift キイやTabキイが 大活躍します。1年近く各個人にメールなどを楽しんでいただけるようにしておりましたが、 そこへ彼が講師としてお見えになりました。(まったくのボランティアで交通費、機材、会場費まで 個人負担の講習会です。) 彼は視覚障害者です。途中失明ということですがとても信じられません。 彼のパソコンを見た時の驚きは今でもはっきり覚えています。画面が真っ黒、何にもないのです! 見えないという、恐ろしいような現実を突きつけられた思いです。パソコンの勉強にもなるから という軽い気持ちでお手伝いしていたことが急に重く感じられました。 彼が来られて講習内容が一変しました。ファイル管理、辞書登録などを始め、様々なパソコンの 機能の使い方が伝授されました。私はキー操作のアンチョコを作ってサポートしています。 マウスがないということは、ナンテ大変なのでしょう。 さて、発句が着きました。もちろんメールでです。 梅雨寒や身を寄せ合いし若心 正聲 発句の次は脇をつけながら、第三の説明です。 私が連句を始めたときに薦めていただいた、おうふう発行の『連句』を参考にしました。連句には 17季あること、ここで問題が起きました。普通の歳時記はCDになったものを彼がすぐに見つけて くれましたが、十七季の歳時記が見つかりません。 彼が利用できるのは点字か、パソコンに文字として表示できるものに限られます。 応急処置としておうふう『連句』の付属季語集から、夏(三、初、仲、晩)について、季語・振り 仮名・素材分類をExcelで表にして送り、後から順に全季分送りました。彼の使うソフトはExcelの セル番号まで読み取ります。さらに彼は、 CDになっている百科事典から該当部分を引用、コピーしてそれに取り入れ、吃驚するよう な歳時記に自分で作り上げました。 例の『連句』もお貸しすると、スキャナーでテキストとしてパソコンに取り込み、音声にして読んで くれました。 これは全篇を1ページごとにスキャナーで読み取って普通の本にしたてるという大変な作業ですが、 挿入図や頭注、脚注などがあれば、またそれぞれで編集するのですから、ものすごい手間のかかる ことなのです。私が読んだときに大切と思ってマーカーで印を つけていたりすると、それが災いしてその肝心な部分が読み取れなくなる、といったことも起こり ました。 彼はほかにも点字やPCソフトになっていない本はこの方法で読んでいます。このマウスを使わ ない方法は講習会で彼に教えてもらいました。パソコンのソフトメーカーで電話相談もこなして いた方ですから、パソコンについては、彼が私の先生なのです。 こうして季語集も基本のルールも整った正聲さんと、文音(メール)による両吟歌仙の旅が始まり ました。 (04、6、15) |