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ここだけの話 <61>〜<65>
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<61> 木々の葉が色づいてきた。紅葉の報せも相ついでいる。今度の連句会のころ、多摩のあたりはどうだろう。 長距離通学や通勤に慣れていた身でも、最近はさすがに多摩センターは遠くなった。会場に着いたころには 疲れて句作りどころではなかったりするが、花の季節、青葉の候、紅葉の時期には、武蔵野線やモノレールから 車窓の風景が楽しめるのは捨てがたい。京都の古刹の紅葉に見惚れもしたし、桜名所の眩暈を誘うような花吹雪 に酔ったものだけれど、この頃は民家の庭の一本の桜や、若い人たちが球技に親しむ広場や釣り人が点在する 川原のうしろで、それぞれの色合いを見せる黄葉した木々の群れに心が惹かれる。多摩センターへの電車はまさに それらを俯瞰して走るのだ。多少時間はかかっても、新宿経由のコースを選ぶ気にはなれなくなった。 ところで・・・ ふと何かがピンときて、山口県まで一っ跳びしてきました。ありました! 見事な紅葉。日付からして、ごく最近アップ されたご様子。記憶も理解もとんと駄目なのに、こういう勘ばかりはなぜ冴えてるんでしょうね。でも同じギャラリーで、 もうひとつ見つけてしまったのがこの絵。 ![]() 風景画の多い中で珍しいのですが、このガラスの質感に惚れ惚れして お借りしました。作者さんは壜の中身に惚れ惚れなさったのかも、と余計な詮索をしながら。 今日は久しぶりに連句のことを書くつもりで開いたメモ帖だったはずだが、それはまたいずれ。 (2006、12、1) <62> 師走も半ば、今年最後の更新である。 連句作品はつい先頃「にほんご連句会」と合同で巻いたもののひとつ。この合同句会も年二回、 交互に主催しながら会を重ね、お互いに心待ちにしている。今回もいつもと違った刺激を得させて いただいた。 そして「旅人の水彩画」からお借りする表紙の画も最終の掲載となった。 ![]() この絵は現在まさに開催中のスケッチ会のグループ展の案内はがきにも掲載されている、福永様の 作品。展覧会には昨年もうかがって歌林HPに絵をとお願いしたのだった。以来、時折メールを いただくこともあったが、春の六義園でのご挨拶が雨でかなわなかったので、今回、初日に銀座の 画廊にうかがった。HPで見せていただいて馴染んでいても、肉筆の絵にはまた違う魅力や生気が 漂う。福永様にもお会いできて、絵のこと、旅のことなどうかがい、そして連句会のことなどお話して 一時間ほどお邪魔していただろうか。ネットで水彩画のサイトを探し、見ず知らずの方にメールを 書き、そして直接お会いする、という十年前までなら思いもよらないことをし果せている自分に、 いささかあきれながら、雨に濡れた道を我が家に向かった。 一年間、沢山の素晴らしい絵を快くお貸しくださった福永様とお仲間の方々、心より御礼申し上げ ます。 来年は歌林も十周年。このサイトもいつまで続けられるのだろうか、いずれは区切りをつけることに なるのだがと思いながら、また探しに出かけてしまいました。マウス握ってあちこちと。 来年の表紙に絵をお貸しくださる 画家さん、いらっしゃいましたよ。ありがたいことです。年明けを楽しみにお待ちくださいね。 (2006、12、15) <63> 新しい年を迎え、表紙の画像を女流日本画家、荒川美知子様にお願いできることになった。 日本海に面する地域の自然や人々の生活が濃やかに描かれて、わが歌林ホームページにも 活力と彩りを添えていただけるだろう。 この日本画、画材は岩絵の具。鉱物を砕いて粉にし、指で膠とまぜて使う絵の具だという。 ![]() yumeのあとりえ「自然はともだち ひともすき」 もう、何十年も前のことになるが、日展で覗いた日本画の 部屋で、これも日本画なの?油絵じゃないの?と思う絵を見て不審に思うことがあった。 それから数年して、近所に住む若い奥さんを訪ねたおり、開け放たれたドアからのぞく 壁面に、百号と思われる絵が飾られていた。用事そっちのけで絵を見つめている私に 気がついた彼女、「ああ、私が描いたの。上がって見てって。」 見せていただくと、見事な菊が重なり合うように十本余り描かれている。洋画の静物画 とはどこか違った構図、画材はあの不審に思った絵と同じらしい。「これ、日本画・・?」と おずおず問うと、「あら、よくご存知ね。岩絵の具っていうのよ。」と教えてくれた。 作品は高校で美術部に属していたころのものだそうで、今は描く暇もないけれど、子供達が 小学生になったら、ゼロから勉強し直すの。と、やんちゃな兄弟を追いかけている時とは 違う表情を見せた彼女、その後お互いに転居して音信はないけれど、今はきっと豊かな時間を 手にして作品に向かっていることだろう。 荒川様はメールに 日本画はスケッチから始まり 時間かまわず納得ゆくまで構想を暖め 小下図から大下図、本画に転写して そのあとがまた塗っては乾かしのくりかえし、 一作品に数年がかりのものもあります と書いてくださった。吸い込まれそうな錯覚を覚える深みはそのようにして培われている のだろうか。そういう作品の数々をお借りできる幸せを思うばかりである。 なお、昨年からお借りしている上掲のワインの絵は、作者神徳さまのご厚意のもと、 もうしばらくここに飾らせていただく。皆さまグラスを手におくつろぎください。 ここだけのお話なども置いていっていただければ幸甚です。(2007、1、1) <64> 先だって、文音用の掲示板で、朝日新聞の虫食い川柳が話題になった。 「盗人は酒屋餅屋に借りが出来」という古川柳の「酒」の部分が□に なっていて埋めさせる問題だったが、これはどういう意味なのだろうと いうのが話題の発端。手許の古典体系「川柳狂歌集」には載っていないが、 ネット検索すると『誹風柳多留』の三十二篇にあるという。更には驚くべき ことに、世の中には虫食い川柳の考察を相互扶助(?)している掲示板があって、 そこでこの「盗人」は「盗人上戸」のことであろうとの見解が述べられていた。 「盗人上戸」は広辞苑、日国にも出ているが、お酒もたしなみ、甘いものも 好む人、両刀使いをいうのだとか。この解釈でいいのかどうか定かではない けれど、ともかく納得。 辞書の引きついでに見ると、「盗人」を含む表現はいろいろあるものだ。 名詞だけでも盗人根性、盗人算、盗人萩、盗人宿、盗人連歌・・・?と 思ったらこれは通常「連歌盗人」と題される狂言のことだった。この狂言、 お金に困った男二人が連歌仲間のお金持ちの家に盗みに入るが、床の間の 懐紙を見て添句をつくる。その家の主に見つかってしまうが、主は自分が 第三をつくるから、それに句を付けてみよ、もしうまくできたら許して やろう、という。付けられた四句目に感心した主は盗人を許し、酒肴まで 振舞ったという筋立て。なんとも優雅な盗人噺である。「連歌盗人」は 六月国立能楽堂の演目になっているようだ。 それにつけても昨今の鉄関係の盗難品のなんと多様で、また大形なこと! 作業は建築や道路工事の現場のようだっただろう。それでも“窃”盗というのだろ うか。被害が大きな事故に繋がったりしなければいいけれどと思う。 この度掲載した三月例会での作品にも 「行方も知れぬ鐘・線香皿」 が時事句且つ釈教句として登場している。巻の名にも戴いた。行方も知れぬ といいながら、次の付句が何やら匂わせているのがまた可笑しい。 (2007、3、15) <65> 「歌林は十年で区切りにする」。手留さんからかなり前に聞いた言葉だ。今年は十年目。 昨年秋ぐらいから、十周年を意識し始めた連衆の中で、どうなるのだろう?この頃そんな 言葉も聞かないから、このままずっと手留さん主宰で続けてもらえるのではないかしら、 などという希望的観測も出ていたものだったが、この二月、やはり十年を機に六月をもって 代表者の座を後任に渡したいという意思を明確にされた。ヒラになって、連句会に遅刻したり 自由に休んだりしたいとの言葉に、この年月背負ってこられたものの重さがしみじみ思われ た。 後継はとまとさん。そして奇数月、偶数月に分けて会場設定などの面でサポートに当たってくださる のは、絢子さん、霞さん。連衆に才ある人は数々おいでだけれど、多摩の坂にも疲れを 感じ始めたなどという人も含む十数名を率いて、七十歳の山を越えて更に歩み続けようという 旅の長は、やっぱりとまとさんが適任だ。フットワークの軽さ、才気、カリスマ性、超のつく明るさ、そして 優しさ・・・彼女を評する連衆の言葉はさまざまだが、第二次歌林へのスムーズな移行がなされる 見通しができたことは喜ばしいことだし、更に新代表の個性が歌林に何か新しいものをもたらして くれそうな期待も抱かせる。 とまとさんは言う。 「わたしは、なぜかいろんなところで知らない間に幹事なんかになってるのよね。 中学、高校の同期会とか。」 「そんなことはない、高校は知らないけど、中学のは、ちゃんとみんなのいる教室で推薦で決めた じゃないの。」 「そんな五十五年も前のこと、よく覚えてるわね。全く記憶にありません。」 ・・・。中学校卒業間近のホームルームで、卒業後のクラス会幹事を決めることになった時、「池ちゃん (とまとさん)がいい。お家が学校に近いし。」とわが身に降りかかりそうになった火の粉を慌てて 彼女のほうに煽ったのは誰あろう私だった。忘れる筈がないのだ。お世話様です、あれも、これも。 (2007、4、1) |