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<66> とまと (65)読みました。「ちょっちょっちょっと待って」渓さんも私のおっちょこちょいを 知っているでしょう?フットワークの良さというのは、そういうことだし。超明るいと 言っても人に知られぬ(喋っちゃうから知ってる?)苦労を背負ってきてるのよ。自分史 でも書きたいくらい。そもそも3割引の安売り人間ですから、することも7割の完成度が あればいい方。期待しないでくださいね。今のうちに言っておかないと。ではよろしく。 (07、4、19) <67> 熊野古道・吉野・飛鳥・弘川寺の旅(2007・4・5〜4・9) 実枝 ーその1ー * 旅は連句の精神で * 手留さんの発案で歌林の仲間で熊野古道を歩くことになった。中辺路から入り、本格的に歩くとい う。参加者は、次第に増えて7人になった。 細かいルートやコースタイムは絢子さんが作ってくださった。花時なので吉野に行きたいとおまけ が付き、それではその日には帰れないというので、飛鳥に寄ろうと1日増え、どうせなら、西行終焉 の寺、弘川寺にぜひ行きたいと手留さんは欲張る。 遂に4泊5日の旅になった。期間の都合で、霞さん、節子さんは6日に那智を見ずに帰ると言い、雅 子さんは那智を見てからゆっくり帰るという。最後まで行くのは、手留さん、絢子さん、智さんと私、 実枝の4人である。 雅子さんだけは、連句実作の会には出ず、俳諧書の勉強会のメンバーだが、皆旧知の仲、名前と言う より連衆名で呼び合った。2日目に会った里のおばあさんが、仲の良い人達だねと言ってくれた。宿 泊した近露の月の家主人は、メンバーのばらばらな住所を見て、更に我々の言動を見て「あんたがた は何者だね」と言った。 確かに女性グループにしては、遠慮のない物言い、しかも統率も取れていて、なにやら不思議な感じ かもしれない。趣味の仲間ですと言っておく。 いつも例会で句作に困ると助け合い、何とか良い1巻に纏め上げようとする癖がついている。今回も 4泊5日、かなりハードな旅であったが、助け合い、仲良く、連句精神で乗り越えた。この1巻の旅、 さしずめ捌きは、手留さんと特に後半は絢子さんかと思われる。 * 熊野古道中辺路「弁当も文化やからね」・・4月5日 * それにしても、初日の古道歩きは、大変だった。 朝5時前に起きて、12時過ぎにようやく紀伊田辺に着く。いよいよ中辺路の出発点である。 初め予定されていた滝尻王子はバスから遥拝、絢子さん手配の近露王子の月の家旅館のご主人の出迎 えを受けて栗栖川で下車。荷物を預け、皆なら、近露まで4時間で歩ける、6時までに着ける、道の 駅まで迎えに出るから、7人一緒に行けと言われ、のどかな「高原」の里を出発する。そのあたりは 豊かな感じの家も多く、白々と新しい「なかへぢ」の提灯をぶら下げていたりした。 歩き始めてすぐ、「珈琲あります」の看板につい惹かれて入った民家で、待たされて珈琲を飲む。 ![]() 聞けばリタイア後、横浜からの移住者とか、「この先は、人家1軒ありません。懐中電灯は持ってますか。 山道は、6時には暗くなって、足元が危険です。」と脅される。そんな用意はない。慌てた。 後は黙々、杉林の中を、露わになった杉の根を踏みしめて登ったり、下ったりの難行だった。「大門王 子」「十丈王子」「大坂本王子」などの跡があったが、いずれも立て看板だけ。藤原宗忠、藤原定家もここ を通ったと言うようなことばかりが書いてある。昔は、大変だったろうと思うと同時に、「中右記」「明 月記」の記事が今に生きているのを見て記録の威力を思った。「蟻の熊野詣」と言うけれど、まったく他 のグループに会わず、さびれた、寂しい世界遺産の古道だった。 ![]() ひたすら歩いてようやく道の駅に到達。予定より早かった。月の家のご主人の車に迎えに来て貰う。 おじさんは、すごい段腹である。 夕食後、明日の予定を立てていると、先ず、箸折峠まで行ってやるから、登って牛馬童子を見て、次 に「野中の清水」や、「秀衡桜」も見せたいから、継桜まで送ってやる。近露へは、いい道だから、逆 に帰ると良い、その後荷物を背負って、発心門までバスで行き3時間歩けば、熊野本宮大社だと言う。 荷物を送る方法はないかとしつこく聞くが、返事がない。では、弁当のお握りを少なくしてと頼む。 すると「弁当も文化やからね」と拒んだ。 その夜、驚いたことが1つあった。我々が通り過ぎた滝尻で降りた男性が夕食で一緒になったのだ。 ずっと歩き通したと言う。こういう正規の古道歩きの方もあるのだ。 * 「これを飲めば、死ぬまで元気」・・4月6日 * 2日目は、まったく月の家ご主人の親切に助けられた1日となった。 牛馬童子は60センチほどの見落としそうな像だった。「野中の清水」は、「これを飲めば、死ぬま で元気」、野中の一方杉の洞は、「ここへ入れば死ぬまで長生き」と、教えられたとおりに飲みもし、 入ってもきた。一方杉は南方熊楠翁が、伐採を阻止した古木大木群である由。安倍晴明の腰掛石、 女性の寝顔山、秀衡桜、継桜王子、比曾原王子跡なども思いがけず見られた。確かに継桜から近露ま での古道は、整備されていて明るく気持よい道であった。丘から望んだ近露の部落は、桜も美しくの どかに見えた。農協や郵便局も、なかへち美術館などというモダンな建物もある。しかしご主人によ ると部落そのものの存在が、過疎で危ういのだとか。 朝の7時前の出発でこれだけ歩かせて貰って得した気分で帰ると、更にご主人は本宮大社まで送って やると言う。土産物屋に荷物を預けてから、発心門に帰り、手ぶらで歩くと良いと言う。親切!昨夜 のわれわれのこだわりに応えてくれたのだ。車には、前に4人、後ろの荷台に3人が座った。 湯の峰経由で壷湯も教えられて本宮着。発心門でいよいよお別れ。教えられたとおりに古い方の門で、 手荷物も手袋、帽子も取っていよいよ聖域に入る礼拝をする。ここからは、長野から来たという、ガ イド付きバスツアー客と前後する。断然歩きやすい古道になっている。昨日の山道を歩き通した我々 には、何よ、これで古道を歩いたと言うのという感じ。 水呑王子で昼食。文化だという弁当の目張り寿司と黄粉のぼた餅は、われわれ向きに小さく仕立てて 呉れていて、紀州の梅干もおいしく、完食した。無人のお土産スタンドや一本桜、地元富士など、穏 やかに広がる山里の風景を楽しみながら、伏拝王子、祓戸王子を経て本宮大社に着く。われわれは、 社の後ろから入ったわけだ。表は、人で賑っていた。 大社を拝んで後、もとの大社跡という大斎原に行く。広々とした、川沿いで気分がのびやかになる。 大鳥居の近くで雉も歓迎して出てきた。奥駈道というあたりの山の桜も美しかった。 新宮へ出るバスを待ってゆっくりしていると、なんと、月の家で同宿し、継桜、水呑でも出会った男 性がやってきた。千葉の人と言う。とうとう中辺路を滝尻から完全踏破、おめでとうを言う。でも私 たちは、彼が見落として次の課題に残した牛馬童子をちゃんと拝んだんだからと心に思う。
<68> ーその2− * 風にかたむく那智の滝見ゆ・・4月7日 * 3日目は小雨。新宮の浮島を見て神倉神社へ行く。噂に聞いた険しい石段の上に大きな球体の石が あって、注連縄を巻いてご神体と言う。熊野灘が初めて見え、濃い色の桜が、色を添えていた。この 石段で二人死んだと土地の人に聞く。転んだら止まらないからねと言う。恐ろしい話。 ![]() この坂でも健 脚振りを示したのは、いつも先頭を切る霞さんと絢子さんだった。 速玉大社まで荷物を持って歩き、そこで霞さんと節子さんと別れる。坂で手袋を擦り切った実枝の ために、節子さんは、買いたての手袋を置いていってくださる。いつもながら、優しい節子さんの心 配りである。 勝浦に荷を置いてから、那智に行く。大門坂から、古道ウォーク。広告でもよく見る熊野古道の代表 格だ。車やバスで来た人が多い。那智の大社と青岸渡寺をお参り、いよいよ那智の滝に下りる。2日 間歩き通した足が痛む。 佐藤佐太郎の歌に 冬山の青岸渡寺の庭に出でて風にかたむく那智の滝見ゆ と言うのがある。なるほどこの展望台からの歌かと見る。滝近く降りて見上げれば、滝は一部ちょっ とよろめくようにも見える。これだな、「風にかたむく」といわれた訳はと納得する。 この歌は、語法も変っているし、一気に落ちる那智の滝の水量を考えるとおかしいと言う人もいる。 でも、冬なら、そう見えても不思議はないと実感する。 ![]() 勝浦で、雅子さんとさよなら、彼女も足を痛めた組だ。大勢だから、頑張れると言うことがある。 私たち4人組は、和歌山まで戻った。 * 吉野の桜は三万本・・・4月8日 * とうとう4人になって、吉野に向かう。和歌山から、遥遥と電車に乗る。山間を走る頃は、春霞か黄 砂かと思うほどに霞んでいた。そういえば、内陸の近露でも先日ひどい黄砂があったと言う。砂も馬 鹿に出来ない。 早く出たので吉野には、10時頃着く。しかし、花時の日曜日だ。駅前、ロープウエイ、蔵王堂の近 くの尾根道は、ひどい人出。 吉水神社の一目千本を見て、一先ず、満足。吉野銀座とも言うべき尾根道を避けて、温泉谷へ山道を 降り、静かな桜を見てから、如意輪寺へ。空腹を満たすには、粗末なきつねうどんだった。トイレも 遠いし、手留さんは、整備しろと町に投書せよなどと言う。 ![]() でも、五郎兵衛茶屋付近の中千本は綺麗だった。如意輪寺から見た、明るい緑の草地との対照が特に 素敵だった。 竹林院から、金峰神社までバスに乗り、奥千本と西行庵へ下る。奥千本は、まだ固い莟だった。山道 を分けて西行庵へ着く。何もないというに等しい遺跡である。芭蕉も来たと言う苔の清水を汲んで、 金峰神社へ戻った頃には、花ももう沢山、歩き疲れた気分ではあったが、水分神社、花矢倉だけは、 どうしても見せたいと実枝が言い張る。幸い、花矢倉から上千本の九十九折の花を眺め下ろし、地蔵 堂までずっと続く花の峰を遠望して、やはり見てよかったと思った。 ただし、下りのバス停までの道は、きつかった。飛鳥のペンションの6時の食事に間に合わせると言 う制約があったから必死であった。ウォーキング慣れした手留さんも膝が痛いと黙りがち。 吉野の花の下で花の風情を愛でつつ一服と言う余裕が無かったのが、まこと惜しまれる。なお吉野で は、今も桜を植え継いでいて俗に上千本、中千本、下千本に奥千本というが、現在は、優に3万本は あるのだという。 飛鳥ペンションの食事はおいしかった。窓からの夜桜も綺麗だった。町営の「太子の湯」と言う大きな 福祉施設の温泉に入ったのも珍しかった。 <69> ーその3− * 飛鳥はとんと様変わり・・・4月9日 * 1日バス券を求めて先ず、甘樫の丘へ。飛鳥は、高校のときと20代で来たから、およそ、40年 振りである。その頃は、甘樫の丘などへ登る道もなかった。それが、広い道が出来、公園になってい る。ここでも桜が美しい。畝傍、耳成、香具山の三山もよい天気ではっきり見て取れる。ボランティ ア・ガイドのおじいさんがついてきて、方面など教えてくれて我々のコースの相談に乗ってくれた。 ![]() 飛鳥寺、入鹿首塚を見て、てくてくと野道をと言いたいところだが、バス道を歩いて、亀形石造物 にたどり着く。山道を上がって酒船石を見る。 岡寺までの登りもかなりきつかった。立派なお寺である。健脚ならと教えられた山道の上り下りで 石舞台に出る。途中島庄あとをよぎる。ここにも犬養孝さんの解説つきスタンプ台がある。あの歌う ような万葉の読み方を思い出したりする。 石舞台は、まったく記憶と趣を異にしていた。石組みは勿論同じなのだが、昔は、周りに何もなく て、畏れ多くも、石に登ってお山の大将を気取ったものである。ところが,広大な公園になっていて、 菜の花畑や、桃の花列があり、石舞台古墳そのものは、ぐるりと桜に囲まれていて見事な花の名所に なっている。昨日までは、ライトアップもされていたそうな。石には、勿論入場券売りの人もいるし、 乗れるわけがない。 ![]() 好天の下、智さんに草餅をご馳走になり、柿の葉寿司も食べた。時間短縮のためタクシーに乗って 高松塚古墳まで。ここも広々とした、丘続きの公園である。小学生が遠足に来そうな広さである。こ の日は、広さがかえって恨めしかった。今修理中の古墳は,鞘堂の中である。 せめてもう1度1日券を使おうと、ここから、バスで飛鳥駅へ出た。 * あわただしくも弘川寺・・・9日午後 * 飛鳥から、近鉄で富田林へ行き、タクシーで弘川寺へ飛ばす。弘川寺は西行終焉の地である。裏山に 西行堂、西行塚、西行桜などがあった。 西行塚には、一対の桜の大枝が供えられていた。奥山のさ まざまな桜は、自然の趣で花や芽吹きの色に染まっていた。が、資料館を見る余裕はなかった。寺の 庫裏の庭には古い海棠の花も咲いていたが、鎌倉の大きな海棠を見慣れている目には、さして素晴ら しいとも思えなかった。帰りのタクシーではどうしても4時に駅についてくれと頼む。あわただしい 往復であった。 ![]() 富田林を発ったのは、16時16分。それでも、新大阪発18時19分のひかりまでには、お弁当 やお土産を買う余裕ができた。昨夜絢子さんが、携帯電話でお宅のご主人に依頼して、パソコンを駆 使して調べて下さったタイムテーブルどおりに事を運んだおかげである。ありがとう、川岸氏!感謝 いたします。 * ああくたびれた ・・・* 到底独りでは、こなせない内容の旅であった。欲張りな旅であった。楽しかった。連衆の皆さんの 励ましと助けがあってはじめて成り立った一巻の旅だった。皆さん、どうもありがとう。 ![]() 今度は、またどんな旅が出来るのか楽しみでもあるし、果たして参加できる体力が保てるか、心配も している。なお挿入した写真は智さんの写されたものです。他の写真を見たい方は下記をクリックして ください。 http://love4tomo.cool.ne.jp/omotyabako/phot/2007/0405kumano/0405kumano.html 智さんの写真集があります。 (07−4−21) 後記 読み返すと熊野三山の、神社についての記述がないのに気付く。目標はただ通り過ぎるのみ だったかのような。ま、今回は、古道ウォークだったわけで・・ごめんあそばせ。 <70> 六月五日、第一次歌林連句会最後の例会だった。久しぶりの二座。この出席率のよさには理由がある。 昼食をともにしながら手留さんに感謝の、そしてとまとさんへの引継ぎの会を持つことになっていたのだ。 いつものように短歌行のオモテからウラへと進んだ頃、五階の中華料理店へ移動して開会。まずは手留 さんから十周年に当たってのご挨拶をいただき、ついでとまとさんの次期代表就任の弁、そしてお花と お礼の品の贈呈。十年間、謝礼を固辞し続けられていただけに、果たして受け取って くださるかと心配もしたけれど、絢子さんの周到な準備もあり、連衆の気持ちを素直に汲んで いただくことができた。食事を摂りながらこれからの会の持ちようなど話し合って座に戻ったのは二時過ぎ。 さてそれからが難苦行。とろりとしてくるアタマを叩きつつ進行。ふと見ると、停滞気味の座を引き締め ようとする捌さんの傍ら、手留さんが私語を楽しんでいるではないか!肩の荷を降ろして気楽になられた のだろう。でもまだ六月いっぱいは代表なのに、と思いながらも、なんだかそんな手留さんがいとしくなった。 半世紀に渡るお付き合いの中で、こんな感情を抱いたのは初めてだ。が、これを聞いたら、ご本人から どんな返事が返ってくるだろうか? 第一次の会は無事終了。今は「ありがとうございました。」の一語に尽きる。 記念撮影の顛末はマル秘(欠席だった明子さん、ごめんなさい)、個性豊かな連衆に 恵まれた幸せを思ったことだった。 ![]() 続いて第二次に移行。歌林きっての元気印・とまとさん、よろしくお願いします。 このサイトも、次期更新から少し模様替えして整理縮小する予定です。“老後”にふさわしく、軽く気儘に、 そしてまたCDに収める時に容易いように。 「懇談室」も再び「ここだけの話」として、もう少し陽の当たる場所におき、初めにとまとさんの就任挨拶を いただきます。皆さまの気軽なご寄稿もお待ちしています。連句、俳句、歌林に少しでも関わりのあること ならなんでも歓迎です。管理人の個人メールアドレスまでお送りください。 infomation のページを設けて、会の予定や連絡事項なども載せていきますので、欠席の後、忘却の折には覗いて みてください。ここへの入り口は、目立たないように置きます。 皆さんにご協力いただいていた十周年記念CD作製も、智さんに手伝っていただきながら、最終チェックを 済ませました。次の会の折にはお渡しできるでしょう。 (07、6、15) |