阿波 徳島城跡 眉山

淡路(あわじ)2004年10月27日

ホテルの部屋のテラスから
鳴門大橋と淡路島が見えました。
昨日は、淡路を通らないで
小さな飛行機で阿波の国へ来ました。
あの橋を渡って
もう一つ橋を渡ると
神戸に帰ることができるのだけど・・・・。

本当に居た人

徳島駅前の観光案内所で
お薦めいただいて
先ず、阿波の十郎兵衛屋敷を訪ねました。
阿波の十郎兵衛は、実在していた!!
近松さんが作った話とは
違うけれど、似ている部分もありました。

ととさまの名は・・・

「生まれは阿波の徳島〜」
「かかさまの名はお弓と申します〜」
一日一回、十郎兵衛屋敷の
庭に建てられたテント内で
地元の民芸部員の人たちによって
演じられます。
涙・涙のお話です。



動かずとも・・・

歴代の人形師の方々が
魂を込めて作られ
演じられた人形たちが
飾られていました。
阿波の十郎兵衛屋敷では
現実と創作が交わって
人形に生命と存在を感じます。

鶴亀の庭

「傾城(けいせい)阿波の鳴門」の
モデルになった、板東十郎兵衛は
阿波の国・宮島浦の庄屋に
生をうけ、父の隠居後
「十郎兵衛」を襲名。
のちに苗字帯刀を許され、
藩主より「他国米積入れ川口裁判改め役」を
申しつけられた。
当時の阿波の国は
藍と製塩産業を奨励していたために、
米不足になっており、
他の国より米の買い付けを
しなければならなかった。
江戸幕府は、兵器や食糧を
集めることを禁止していたため、
食糧の輸入は密輸入となる。
不運にも輸入米をめぐり
部下が不正を働き、幕府の隠密も
やがて藩の米の密輸入を
かぎつけるに至った。
密輸入を幕府に知られた
阿波藩は、罪を全て十郎兵衛に
押しつけたため、十郎兵衛は
元禄11年(1696)11月21日
長男以下息子3人と共に処刑され、
その後妻「お弓」、娘「お鶴」は
相次いで病死した。
[資料館の説明]より

吉野川河口付近

十郎兵衛屋敷と阿波木偶人形会館を
見学した後、坂東十郎兵衛の無念や
家族の切ない思いを抱えながら
バスで一旦徳島駅に戻りました。

晴れたり曇ったり

寒い寒い日ですが、
徳島駅前の景色は暖かです。

橋の上でも

以前住んでいた高円寺でも、
商店街の町おこしのために
青年部が発案
昭和32年当時、参加者38名
観客2千人からスタートした
阿波踊りも、平成12年には
参加連70連、7千人の踊り手と
120万人の観客を動員、
大変盛大になりました。
こちらは高円寺の恩師です。
流石に本場!
街が踊っています。


男踊りは

おおらかに

かっこ良く!

女踊りは繊細に

しなやかに〜〜

どちらも

無駄なく

美しい動き!!







歩道橋

昼食後、歩きました。
徳島駅近くの線路を渡れば
徳島城跡です。

徳島城跡

徳島城は、1585年に
阿波に入国した蜂須賀家政が築城した
屋形造りの平山城であった。
幕藩時代を通じ
蜂須賀家が14代にわたって居城し、
280余年の間、阿波・淡路両国
25万7800石を支配した。
{城門前の説明文より抜粋}

石垣

石垣が全部青石(緑色片岩)!!!
石の性質なのでしょう・・・。
切り口がとても角ばっていて
特徴的です。

鷲の門

城の巽に位置する
表口見付けの門。
幕府に鷲を飼うからと申し立て
建造したところから
鷲の門の名があると伝えられている。

別名

徳島城は、その風光の美しさが
中国の渭水に似ていたことから
渭津、渭山城と称されていたそうです。


 
散策

城跡内を歩いていると
博物館の建物が見えました。

 
博物館では

城主お抱え絵師の
美しく立派な作品を
たくさん鑑賞。
絵画に流行があることが
よく解ります。

 
旧徳島城表御殿庭園

この庭園は蜂須賀公の居間や
表書院の庭先に当たったもので、
上田主水正(宗苗)の作庭といわれ
枯山水庭と築山泉水庭の
二庭からなり
池泉廻遊式と観賞式を
兼ね備えた庭園です。

阿波の特産

やっぱりこの庭園でも
青石(緑色片岩)がた〜くさん
使われています。
大きな石そのままが橋になっていたり、
組んであったり・・・・。
自然と石に眼が向きます。
緑色の石には
美しさと迫力が兼ね備わっています。

眉山(びざん)

徳島駅から一直線の道路の
突き当たりに、眉山に上る
ロープウェイ乗り場があります。
山頂から、海・川・市街を眺めていると
時が、雲と共に流れているようでした。

万葉の昔から

「眉のごと雲居に見ゆる
阿波の山
かけて漕ぐ舟
とまり知らずも」船王
1200有余年前から、眉山は
阿波の象徴だったみたい・・・。

山頂の休憩所も

建物の壁面が青石(緑色片岩)でした。
徳島にはどれほど緑の石が
あるのでしょう!?

松山にもお気に入りが・・・

今夜は、初めての松山に宿泊です。
到着が遅くなりましたので
もうすぐ松山市内というところで
夕食となりました。
携帯のネットで調べて
入ったレストランが、大変美味しくて
お気に入りのお店になりました。
携帯電話にも感謝しました。




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