書評
●「政策連携」の時代 上山信一 日本評論社 (記載 2003.01.08)
本書は、序章において「政策連携」とは何かを、具体的な表現ながら普遍的な形で示す。
そこで強調されるのは、問題提起からして「行政主導」ではだめだとの認識である。
注目されるのが「『政策連携』は『政策提言』ではない」という言葉である。
ここには、"政策=行政による策" ではなく、"政策=(集)まつりごとの策" との理解から生まれる「政策」の読み直し、あるいは本来の姿への造りかえが見られる。このことは極めて重要だろう。
私自身、行政に職場を持ちNPOでも活動しているが、「政策」という言葉が往々にして、行政の「策」として矮小化され、それゆえNPOの行うことが狭い意味での「政策提言」にとどまってしまい、「あとは行政の役割」となってしまう状況が反省される。
一方で、政府を(ここでの政府には地方政府としての自治体ももちろん含まれているはず)徹底的に利用尽くすべきだという、現実認識にも目を瞠らされる。
住民組織には、行政と癒着するか、行政非難に終始するかという両極に分かれる=結局いずれも行政を過大視しているものも見られる。そうしたなかで、本書の「(地方)政府が使い物にならなくなる前に、その"資源"を利用し尽くそうとの「醒めた」感覚には納得する。
特に地域では、信用力や人材などによっては、まだまだ使える「地方政府」が残存している可能性は小さくないだろう。
筆者が従来の思考を転換し「逆命題」と言う社会問題解決のアプローチも示唆に富む。
例えば、この正月の「日経新聞」でも「この国のかたち」論が熱心に行われていた。しかし筆者は「この国のかたち」論を真っ向から切り捨てる。「国家構想づくり」は知識人の自己満足に過ぎないとの文章は、70年代の記憶をひきずるものにとっても厳しくも肯える言葉ではないか。
中島みゆきの「世代」という曲にある「変わらないものとたたかうために〜」と、つい口ずさむことのある私にも「壊してもらうために」有意義だった。
また、「市民参加」ではなく「個別問題のプロ」が具体的な課題解決に参加すべきとの指摘は、市民排除を意味するものではないだろう。実は個々の市民はそれぞれの地域にとって"プロ"であることも少なくない。「私は市民です」ではなく「私は○○のプロです。(そのための能力と責任を有しています)」として参加することの面白さ、活性化へのつながりは確かだ。
また市民運動を「政策連携」と一般市民のリエゾン(=専門家集団の盲点チェックや政策連携の保守化への異議申し立て)として考えることは、市民運動の「素人」性をも、それなりに利用しようとする発想とも受け取られ、忘れてはならない視点だと思われる。
本書は、上記に抽述した内容を「ウォーミングアップ」としたうえで、3つの米国事例を挙げる。
そこでは、ウォーミングアップされたものが様々に組み合わされて詳述されている。
新薬審査についての「政策連携」に埋め込まれた「(コスト負担を例とする)改革へのインセンティブ」、2種類のNPO〜草の根市民団体とプロの団体の組み合わせ、情報公開、契約原理。
そのうえで、課題としてのリエゾンである市民運動を政策連携の運用プロセスに持続的に反映していく仕組みづくりについても触れる。
土壌汚染地再開発についての「政策連携」に見られるプロの活用(住民が政府とは別にアドバイザーを雇用するための資金補助)、リスク軽減のための支援組み合わせ、草の根方式の人材育成、民間主導での価値のキャッシュ化。
水域保全についての「政策連携」にある、ガバナンスからガバナンスへの移行、行政評価の活用、5種類、45機関にのぼる多様な機関の参画。小売りチャネルとしてのNPO。
このチェサピーク湾の例では、
3つの諮問委員会、特に市民諮問委員会が政府的な見解と違った市民からの見方を実行評議会や実行委員会に提供する点、「案の策定プロセス」への住民、科学者、民間企業の参画の事例は、具体的かつ有効だろう。
さらに、自治体がパートナーとして「認可」されるには一定の数値目標項目をクリアする必要があるというのは衝撃的だった。
第5章では練習問題として「富士山の開発と保全」が取り上げられている。筆者があげた再生への取り組みは、個別には行政やNPOが行ってきたこともあると思われるが、それが「政策連携」として行われることにより、問題解決につながる、との課題は、静岡県職員である私にとっては大きなチャレンジである。
幾つか希望を述べれば、
筆者はネットワーク社会の特徴として「仲介除去のインパクト」を挙げ、議員・議会の役割の縮小を述べる。その代替事例として市民電子会議室についても触れているが、電子会議室は、意見集約能力や「信用調達」の方法が議会に比べ不十分とも考えられる。
そうしたなかで、議会の意味をどのように「政策連携」のなかで考えるか、さらに突っ込んだ分析が欲しかった。
もうひとつ、第8章での理論的な位置づけにおいてサッチャー改革について多く述べられている。
しかし、その後のブレアによる「コンパクト」「ローカルコンパクト」は、筆者の言う「政策連携」ともつながる部分が多いと考えるが、この点への言及はない。可能であれば、また機会を改めて意見を伺いたいと思っている。
私にとって筆者のこれまでの著作のなかでも、最もワクワクしながら読んだ本であった。