NPO評価にかかる「場」概念の明確化について
目 次
(はじめに)注
第1節 NPOの制度的定義
・1-1 特定非営利活動促進法
・1-2 先行研究におけるNPO定義
第2節 行政研究におけるNPOの従来の位置づけ
第3節 「Public administration」
・3-1 公共(public)をシステムとして理解する
・3-2 NPOの位置
(序章)注
第1節 NPOとは「市民」なのか
第2節 公共エージェント
(第1章)注
(第2章)注
第1節 「評価」を定義する
第2節 評価の「場」仮説
・2-1 構造
公共圏
デジタルネットワーク
コーヒーハウス
入会
概括
・2-2 立会者
評価情報提供者
評価管理・促進・編集者
評価参加者
(第3章)注
第1節 容器としてのインターネット
第2節 立会者は誰か
第3節 評価の具体的様相
(第4章)注
【NPO評価にかかる「場」概念の明確化について】
1998年3月19日、民間非営利組織(NPO)に法人格を与えることを主要な目的とした特定非営利活動促進法が国会で可決し成立した。特定非営利活動促進法が議員立法であり、多くのNPOの主体的取り組みによる成果であったこと(1)にも見られるように、NPOについての研究、紹介は近年、広範な蓄積が行われはじめている。(2)
このようななかで本論が答えようとする課題は、"public administration"からの視座において、NPOが如何に評価されるべきであるのかという点にある。
この課題に答えるために、本論では、NPOが "public administration" の場で、いかなる行為者でありうるのかを演繹的に考察し、「公共エージェント」としてのNPOという考え方を提示する。
そのうえで、NPOに対する具体的評価事例及び先行研究の検討を行い、さきの考察の結果得られたNPOの「公共エージェント」としての存在、機能にふさわしい評価のあり方の一端を展望し、NPOの評価の「場」を、いくつかの"構造"と類比する。
この"構造"には、デジタル・ネットワークのありよう及びテクノロジーについての分析を含み、従来の地縁・血縁と類比した「情縁」若しくは「情報縁」という考え方をも参照していくこととする。
これら、本論が意図するものをあらかじめ述べるとすれば、それは、NPOを今後ますます重要な存在としていくであろう現在において、本論の提示するNPO評価の「場」が、ソーシャル・キャピタル、社会資本として成立していくことへの期待である。
さらには、組織経営の自己評価という形でのマネジメント論からのアプローチとNPOによる社会への評価という形での社会運動論からのアプローチの、両者をつなぐような視角を、「評価」という視点から提示することでNPOを行政学のなかに位置づけることも意図している。
以下、章を逐って論を進めていきたい。
(はじめに)注
(1)特定非営利活動促進法の成立経緯については、堀田力・雨宮孝子編『NPO法コンメンタール』日本評論社 1998年が参考になる。
(2)1998年8月には、NPOに関する研究と活動の裾野を大幅に拡大するとともに、研究・教育水準を飛躍的に高めることを目的として、日本NPO学会も設立されている。
序章では、行政学の対象としてNPOを選択することの妥当性について、NPOの制度的定義を行ったうえで、行政研究における従来のNPOの位置づけ及び「Public administration」という概念の提示により説明を行う。
これは第1章以下において検討を行う「NPOはいかに評価されることが望ましいのか」についての基盤となる議論でもある。
第1節 NPOの制度的定義
NPOの定義について確認する。
NPOの機能的定義については、以降の章で議論の流れに従い検討するため、ここでは制度的定義について法律上の定義及び先行研究によって若干の説明を行う。
1-1 特定非営利活動促進法
特定非営利活動促進法はいわゆる「NPO法」と呼ばれ、日本におけるNPO=NonPrifit Organization(非営利組織)に関して幅広く法人格を付与することを法目的の一つとした法律である(1)。同法は、第2条で「特定非営利活動」を法別表に掲げる「保健、医療又は福祉の増進を図る活動」等12の活動分野に該当する活動であって、不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与することを目的とするものと定義している。そのうえで特定非営利活動法人を上記特定非営利活動を行う法人として定めている。
この定義は一般にNPOと呼ばれるものに比べ相当限定されたものとなっている、これは、日本における非営利法人・公益法人に関わる法律が既に個別的に数多く制定されているため、社会福祉事業法に基づく社会福祉法人等非営利の活動を行っている法人であっても特定非営利活動法人としての認証を必要としないこと、一方で特定非営利活動促進法が民法の特別法として制定されているため民法に定める法人の枠を越える組織への法人格の付与ができない等の事情による。
1-2 先行研究におけるNPO定義
制度としてのNPOについては、いくつかの定義があるが、ここでは代表的なものとしてJhon Hopkins大学政策研究所を中心とする非営利セクター国際比較研究における定義を紹介する(2)。それによれば、利益を分配しないことを内容とする「非営利」、政府からの自立を意味する「非政府」、組織としての形態を有している「形式性」、他の組織に支配されていない「自律性」、さらに自発的に組織され,寄付やボランティア労働力に部分的にせよ依存しているという意味での「自発性」という5つの基準によりNPOを定義している。
ちなみに、この国際比較研究によれば、日本で非営利セクターに働くものはフルタイム労働者換算で284万人に上り、非営利セクターの経常支出はGDPの4.5%にも相当し、その存在は規模としての意味においても無視し得ないものとなっている。(数字はいずれも1995年)
また、本間正明を座長とする大阪府民間非営利活動促進懇話会は、「NPO活動活性化に向けての提言」において、NPOを『非営利かつ公共的利益の領域において、社会的課題を解決することを目的とし、組織的には、ボランタリーな力(ボランティア、寄附)を運営の基本に備えた継続性のある組織体』と定義している。的確にNPOの定義を表していると言えよう。(3)
さらに、NPOという概念はアメリカに発し、ヨーロッパでは、むしろ「社会的経済」として、これらに相似した民間組織を多様ながらも範疇化している。例えば、J.L.モチャーヌは、共済組合や協同組合、非営利団体、財団、ボランタリー部門としての自助団体や慈善団体を含めて「社会的経済」としている。これらの組織は、5つの譲れない原則、1つの基本目的、それに、さまざまな社会的要請を明らかに共有しているとされる。その内容は、国家に対して独立であること、加入が自由であること、意思決定が民主的であること(一人一票)、資本が譲渡不可能で共有的な性質のものであること、出資に対する見返りは存在しないことを原則とし、基本目的としては、最良のコストで、加入者相互の利益に資するように財とサービスを提供することとしている。(4)
富沢は上記の「社会的経済」の定義を踏まえ、日本の状況を勘案した上で「協同経済組織」という概念を提出している。それによれば、協同経済組織は、1.開放性 2.自律性 3.民主制 4.非営利性の原則に基づくものとされている。(5)
これらはNPOを幅広く捉えるために有用である。
さらには、今後は"Civil Society Organization"(CS0)という概念やコミュニティビジネス等の組織もNPOとの関わりのなかで考察する必要が出てくるだろう。(6)
第2節 行政研究におけるNPOの従来の位置づけ
最近は、行政学に関わる分野において、特に地方自治体とNPOの関係に着目した研究、特に実務面からの研究は少なくない。例えば、松下啓一は(財)横浜・神奈川総合情報センター情報企画室長在任時に地方自治体におけるNPO条例制定の必要性について述べ(7)、神奈川県職員の経験を持つ久住剛は行政によるNPO支援の問題点を抽出している。(8)
しかし、これらは、いずれも地方政府としての行政が、NPOにどのように対応するかについての議論となっている。つまりNPOを対政府(地方自治体を含む)との関係論のなかに置いて、(であるがゆえに)行政研究の対象ととらえている点に注意すべきである。
一方で、行政研究においてNPOをそれ自体として研究対象とすることを展望した議論も行われている。村松岐夫は、「NGOやNPOの在り方も、今後は公共システムの一部と見られるであろう」として、NPOを対象とする研究の可能性について論じている(9)。村松の述べる「公共システム」という考え方は重要な提示であるが、「公共」概念については別に検討する機会を持つこととし、ここではD.イーストンの「政治システム」論との異同についてのみ確認する。イーストンは、内部社会的環境及び外部社会的環境からのインプットが「政治システム」に流入し、政治システム内部の変換作用によりアウトプットの一つのタイプとして公共政策が生まれるとしている(10)。ここでは、NPOは、インプットを生成するところの社会的環境の一部にとどまり、「政治システム」内部の変換作用に携わる存在としては認識されていないのではないか。
むしろ、宮川公男がG.アリソンによるキューバ危機の分析(11)に触れながら、「政策プロセス」における様々な参加者あるいはステークホルダー(利害関係者)間の相互作用に焦点をあてている(12)ことに注目したい。ここで議論の対象となっているのは「政策プロセス」であるが、そこにステークホルダーとしてNPOが存在しうると考えることは困難ではない。さらに過程としてのプロセス分析にとどまらず、構造としてのシステムについて分析するのであれば、それは村松の「公共システム」とは指呼の間にある。
以上を踏まえたうえで、では、どのような概念を導き入れることによってNPOを行政研究の主体的対象とすることができるのかを次節で検討する。
第3節 「Public administration」
前節で行政研究におけるNPOについての従来の議論及びNPOに関わっての方向性について観た。本節では行政を「public administration」、公共経営として位置づけることを通してNPOを行政研究の対象とする可能性について検討する。
「行政」という語を和英辞典で引いてみれば、そこには administration という単語があらわれる。では、逆引きをして administration を英和辞典で検索するとどうであろうか。言葉の遊びに過ぎないが、そこに目にするのは「経営」という語句である。行政とは「公共」を「経営」することであろうか。
宮脇淳は、行財政論の立場からではあるが、「公共経営」という語を用いている(13)。宮脇は、NPOについて、市場の失敗を官ではない民間による補完を可能とする存在として、また官とともに政策決定プロセスに参加しリスク管理を分担する存在として記している(14)。これは「公共経営」という語から導かれる興味深い着眼であるが、宮脇が主題としているのは、地方自治体による行政に企業経営の方法を導入することの必要性の提起であり、本論の主題であるNPOを「行政」研究の対象として把握し、議論を展開することを目的としたものではない。
「public administration」のもとでNPOはどのように位置づけられ、行政研究の主体となるのか。その問いに回答するにはガバナンスという考え方についての議論が必要となるが、その前に、そもそも「経営」されるべき「公共」とは何かについて概観したい。
3-1 公共(public)をシステムとして理解する
公共経営 Public administration について検討する際に、まず公共「public」という言葉について概観する。
J.ハーバマスは「公共性」を「公論の勢力圏」として捉えている(15)。そのうえで、公共圏を成立させるものは「議論する公衆」であると述べる。本論の趣旨に添い、さらに先取りしたうえでハーバマスの議論の展開を紹介すれば、ハーバマスは「真の評価は討論の中ではじめて達成されるのであるから、真理は一種の過程…という姿で現れる。」と書き、また、公的生活は市民の広場で演ぜられ、地域に結びついてのものではないとも論じる。
これを、敷衍すれば「公共圏」とは各々に「審判する」公衆の議論によって成り立つ「評価の場」としても現れることとなり、さらに、その評価の場は地域という属性に基づくものではなく、より自由な広場=ネットワークとして存在すると読むことができる。
また、公共というものを、「システム」として理解することもできる。ここでの「システム」とは、生態系、Ecosystemから導かれる発想であり「公共系」とでもいうべき発想である。
既に述べたように村松岐夫は、NGOやNPOを「公共システム」の一部と見る可能性について言及している(16)。先に、この議論について確認したときには「システム」の意味については保留したままになっていたはずである。
鷲田豊明は、環境評価の対象を考えるなかで、生態系、Ecosystemを、全体を部分に分解できない「全体性」として理解している(17)。単なる個別生物種への影響の大小の総和によって環境への影響を測るのではなく、ある境界づけられた範囲内における生物種の全てを、それと関係する非生物的要素を含めて相互関係とともに捉える必要について述べる。
「システム」の語の意味について確認するなら、山谷清志の要約が参考になる。山谷はシステムを4つの条件からなるものとしている(18)。それは、
1 複数の要素から構成される
2 各要素は相互に定められた機能を果たす
3 全体として共通の目的を持っている
4 タイムスケジュールを持っている
の4条件である。
この4条件についてのうち、3の共通目的についてはecosystemを考慮に入れるならば、明示的、意識的なものに限定されないと指摘できる。同様に4のタイムスケジュールについても「時間軸を考慮に入れる重要性」として読むことができる。これらの確認は、公共をシステムとして捉える際にも重要であろう。公共としての共通目的やタイムスケジュールは、鷲田の述べる「境界づけ」の空間的・時間的広狭により意識的にも、無意識的なものにもなりうる。そのうえで、鷲田や山谷の議論に従い、公共を「システム」として理解することで、公共を、NPO・行政・企業・市民等の多様な要素と、その相互関係による全体性として理解することができる。(注)
3-2 NPOの位置
以上、公共(public)とは何かについて、相互関係の下にある全体性、「システム」として理解する可能性を提示した。しかし、これでは公共という容器の様相を縁取りできたとして、まだ、その内容が十分に見えていない。
内容は、公共(public)を「経営する」="public administration" とはどのような概念であるのかを確認するなかで見えてくる。その検討のなかでシステムとしての公共において、NPOがどのような役割を果たすのかについて明らかになると考える。
"public administration"という概念を構築するに際して、重要な言葉に「ガバナンス」がある。「経営」という言葉と「ガバナンス」という用語は、コーポレート・ガバナンスという語句に見られるように親和性を持つ。コーポレート・ガバナンスとはまさに企業経営をどのように統治するかという課題である。
では、「ガバナンス」という概念を検討してみよう。
吉原直樹は、ガバナンスを「共治」と表現する(19)。多様な組織の間にある非統制的で相互連関的な連結・調整によって(地域を)治めること。具体的には地方福祉制度に見られる自治体政府機関(吉原は「地方自治体を中心にして。それと各種の行政機関」と表現しているが、ここでは本論の議論に適合するように読み替えを行っている)、民間企業、ボランティア組織による協力連携をガバナンスの例としている。ここでは、ボランティア組織をNPOと読んだとしても構わないであろう。
ガバナンスに関わって、直接にNPOを担い手とする議論も現れている。当時の小渕総理大臣のイニシアティブにより設けられた「21世紀日本の構想」懇談会の主要論点の中間的整理として1999年8月7日になされた河合隼雄懇談会座長の総括コメントでは、ガバナンスを多様な組織の協力・競争による自治と位置づけ、NPOを、自治体、プロフェッショナル集団、大学とともにその担い手としている。
この認識が、「参加し、公を担う」と名づけられた範囲の一部として現れることは、public administrationを「公共経営」と読み解くことに示唆を与えている。
大田弘子は,ありうべきガバナンスとして、「供給サイドも需要サイドも、政府も納税者も、ともにガバナンスに参画することになる。需要サイドは選択をとおして、納税者は監視と評価と意思表明をとおしてガバナンスに参画するのである。」と述べ、さらに「このようなガバナンスのあり方は、NPOの存在を抜きにしては考えられない。NPOは、サービスの供給者として、需要者として、あるいは地域づくりの主役として、今よりはるかに重要な役割を担うことになるだろう。」と、明白にNPOの役割を認めている(20)。大田がこの文章に至るまでに、「個々の経済主体に多様な選択肢が与えられ、その選択が十分に機能すること。」「需要サイドから供給サイドに対して監視がなされ、供給されるサービスヘの評価が行われること。監視と評価の前提として、供給サイドのアカウンタビリティが不可欠である。供給サイドには政府と営利企業だけではなく、NPOも含まれる。」との文を記しているのは、本論がNPOを「公共経営」のなかに位置づけたうえ、その評価のあり方を探ろうとしていることにとっての意味のある言及であると考える。
さらに『多元的民主主義』に関わる議論も、「公共経営」、「システムとしての『公共』理解」「ガバナンス」と関わりを持つ。
水口憲人は、多元的民主主義を「代表的官僚制」の議論を援用することにより説こうとする立場に対し、利益集団の行政への「参加」を多元的民主主義にとっての重要な構成要素とする考え方が存在することを示している(21)。
T.ロウィは、多元的民主主義については、利益団体の交渉、取引、妥協による公益の追求、その実行であるとすれば、それは利益追求団体による談合になり、連合の固定化により民主主義としての内実を失ったと批判したうえで、多元的民主主義が行政としての正統性を保持し得ないがゆえに行政が独立して公益を設定すべきであると述べている(22)。
しかし、行政による独立した公益設定が恣意的に流れることへの懸念は否定できない。 また、利益団体の交渉に基づく多元的民主主義は、市民による参加民主主義にとってかわられるべきであるとの議論もあり得る。
しかし、参加する市民が個人である限り、組織としての行政のもつ資源動員力に比較するならば、市民個々人の力の弱さは明らかであり、「参加」が内実のない外皮的なものに止まることも大いに考えられる。
もちろん、単純に政治優位を言い、行政の自律性を否定し、行政への立法府以外からの入力過程を無視する議論は、現在の行政の複雑化のなかで、「行政への参加」「行政への入力過程の適正化による"公共"の成立」が必要になっていることを過小視したものであろう。
これらを考慮したうえで、抽象的な言い方をすれば、多元的民主主義をいわば「開かれた」多元的民主主義として機能させることが、システムのしての公共を十分に成り立たたしめることになる。と考える。
具体的には、NPOが一つの「元」として、多元的民主主義のアクターとなることが、「開かれた」多元的民主主義をつくるために、必須な条件となるだろう。なぜなら、NPOはその特性として経済的利益の追及を第一義とせず、柔軟な組織構造をもち、組織内部からの異議申し立ての可能性が大きく、多様な存在形式を持つ(詳細は第2章のNPOの機能的定義を参照されたい)。
これらの特性を持つNPOが一つの「元」として多元的民主主義の主体となれば、いわば「閉じた」多元的民主主義のもつ決定的な問題点である、本来、政策課題ごとにつくられるべき連合が、その利益追求のために固定化してしまい、あるいは、代表される利益が限定されている状況に対し、「開かれた」多元的民主主義の成立に大きな貢献を行いうる。
また、NPOは政策形成過程だけでなく政策執行過程へも参加しうることにより、現場からの知恵をくみ出すことにも優位をもちうる。
さらに、NPOが、公益、公共性を追求する多元的民主主義(行政)のアクターのひとつであるとの措定は、単純にNPOを行政セクター、企業セクターと並ぶもうひとつのセクターと考える議論が没関係的な静態的議論に陥りがちであることに比べ、より動的な認識をもたらす。
このようにして、多元的民主主義のアクターとしてNPOを捉える議論は、先に見たNPOが"public administration"(公共経営)におけるガバナンスの主体となることを裏打ちし、NPOが明らかに行政研究の対象となることへの認識にもつながる。
(序章)注
(注)「公共」については、学問分野をまたがった多様でかつ重要な先行研究が存在する。例えば、経済学においては「公共財」の説明として、誰かが使っても他の人が使える量の減らない「非競合性」及びコスト負担を行わない利用者を排除できない「非排除性」という要件を挙げ、市場により供給できない「残余」として「公共」を理解することがある。
あるいは行政法学からのアプローチとして、憲法25条に代表される社会権の理念に裏うちされた極めて広範な分野を含む(岡田雅夫「公の施設と地方公営企業」(『現代地方自治法入門第3版』室井力・原野翹編 法律文化社 1995 p220)として把握されることもある。
本論では、これらを踏まえながら、「公共」の"構造"について検討を行ったものである。
(1)堀田力・雨宮孝子編『NPO法コンメンタール』日本評論社1998
(2)レスターM.サラモン 山内直人訳・解説『NPO最前線』岩波書店 1999 p106
(3)大阪府民間非営利活動促進懇話会『NPO活動活性化に向けての提言』1999 p7
(4)ジャン=ルー・モチャーヌ(Jean-Loup
Motchane)萩谷良訳「社会連帯経済の新たな地平」Le
Monde diplomatique 2000年7月号
(http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0007.html)
(5)富沢賢治「はじめに−新しい社会経済システムを求めて」(富沢賢治・川口清史編『非営利・協同セクターの理論と現実』日本経済評論社 1997 p18
(6)今田忠「第1回アジア第3セクター学会に出席して」(「日本NPO学会ニューズレター 1999年12月Vol.1 No.1」)
(7)松下啓一『自治体NPO政策』ぎょうせい 1998 p180
(8)久住剛「NPOと自治体行政」(山岡義典編『NPO基礎講座』) 1997 p144
(9)村松岐夫『行政学教科書』有斐閣 1999 p268
(10)D.イーストン『政策分析の基礎』(岡村忠夫訳)みすず書房 1968
(11)G.アリソン『決定の本質』(宮里政玄訳)中央公論社 1977
(12)宮川公男『政策科学の基礎』東洋経済新報社 1994 pp178-194
(13)宮脇淳『「公共経営」の創造』PHP研究所 1999 p1
(14)同書 p39
(15)J.ハーバマス『公共性の構造転換−第2版−』(細谷貞雄・山田正行訳)未来社 1994 p13
(16)村松1999 p268
(17)鷲田豊明『環境評価入門』勁草書房 1999 p212
(18)山谷清志『政策評価の理論とその展開』晃洋書房 1997 p93
(19)吉原直樹「地方分権とガバナンス4」(日本経済新聞新聞 2000年11月6日付け)
(20)大田弘子「新たなガバナンスの創出に向けて」(『「官」から「民」へのパワーシフト』TBSブリタニカ 1998 第4章)pp192-193
(21)水口憲人『「大きな政府」の時代と行政』法律文化社1995 pp134-178
(22)T.ロウィ『自由主義の終焉』(村松岐夫監訳)木鐸社 1981 pp62-75
NPO「評価」についてのナイーブな議論には「自分がいいと思ってやっていることを他人から「評価」されるなど耐えられない」という意見がある。あるいはNPOへの評価に関わる議論は自明視され、いかに評価するのかという視点ばかりが強調され、なぜ評価するのかという視点が希薄な場合も見受けられる。
この章では、これらの議論に対し、NPOを公共エージェントとして位置づけることによりNPOへの評価の必要性について確認する。
第1節 NPOとは「市民」なのか
序章において、NPOを公共経営「public administration」の主体として位置づけた。主体としてのNPOを評価の客体に転換する思考とは何か。
自治体、プロフェッショナル集団、大学、さらには企業もまた「public administration」公共経営におけるガバナンスの主体となりうると考えるが、これらの各主体による相互評価の存在によって、NPOは評価客体となるのであろうか。
語るべきもう一つのことが残っている。それはNPOとは「市民」なのかという疑問から出発する。
「行政セクター」「企業セクター」と並ぶセクターとして「市民セクター」というものが置かれることがある。さらに「NPO=市民セクター」と無媒介に市民をNPOに結びつけることもある。この考え方について、「プリンシパル−エージェント関係」という思考を対比させ、それにより、NPOに公共経営のガバナンスにおける評価客体としての位置づけを与える。
世古一穂は、NPOを個々の市民が共感する社会的テーマごとに自発的、主体的に参加してつくる非営利の組織として捉える。そのうえで、NPOを市民と同視し、図1-1-1のような模式図を提示し、第三セクターである市民(NP0)は、第一セクター(行政)、第二セクター(企業)と対等な関係にあるとする(23)。
図1-1-1 NPOの役割の概念図

世古が、この論で述べる「新しい公共」という考え方は、本論が序章で行った、公共(public)の読み直しと共通するところがあるが、NPOを市民と隙間なく重なるものとしたうえで行政・企業と並置する点で、本論と背離する。
世古の図を参考にして、市民、行政、企業、NPOの関係を図示するならば図1-1-2のように表されると考える。
図1-1-2 公共経営システム

図1-1-2に基づき言及すれば、NPOは、政府・行政や企業と比較して必ずしも市民との関係において特権的な関係を持っていないとの認識がある。
確かに名前のない「市民一般」というものではない、なんらかの個別テーマをもった市民にとって、後に述べるような機能的定義(先進性・個別性・多様性・非営利性等)によって、その負託・委任への対応能力において、NPOが他のシステムに比べ比較優位にあることは本論において別言するところでもある。
しかし、NPOが公共的、公益的サービスの提供において行政、企業と競合関係にあることも多い。「市民の思いを形にする」システムは既に直接請求等により保管された代議制民主主義という方法によっても行われている。さらにNPOと営利企業を截然に区分しきれるものではない。法人制度上は株式会社として存在しながら、その内部的・外部的機能としてはNPOと相似の公共的・公益的サービスを実施し、利益はもっぱら事業原資としての内部留保に充てられ出資者への利益配分が無いか極めて少ない例も稀ではない。
また、NPOのもつ多様性は、個々のNPOの持つ市民からの負託・委任への対応能力に格差を生む。NPOであるということが、そのまま市民にとって行政や企業よりも、市民に近い存在である、ましてや市民とイコールであるということには結びつかない。
第2節 公共エージェント
前節で、市民とNPOは隙間なく重なるものではないと考えることを説明した。このようにして市民とNPOを分離することで、NPOを評価客体として位置づける方向を示した。
これらを理解するために必要な枠組みとして、「プリンシパル−エージェント理論」を用いることができる。
本間正明は、先にも引用した「21世紀日本の構想」懇談会の合同合宿(2000年8月7日)全体討議において、契約理論におけるプリンシパル−エージェント関係をガバナンスの基礎とし、(市民としての)プリンシパルが、エージェントに預託・委任をする、そして、委任を受けたエージェント(代理人)がその約束事・契約をきちんと履行しているかどうかということをオブザーブ(観察)して、それに対して意見表明をしていくというのが、プリンシパル−エージェント関係におけるガバナンスの問題であると述べている。
野方宏は、企業のエイジェンシー理論について「企業を…長期の契約関係の束である」とする青木昌彦のことばを紹介しつつ、古典的企業家の危険負担と経営の2つの機能を、それぞれに株主と経営者に分離・帰属させ、株主による経営者のコントロール、規律づけを議論の分析対象としているとまとめている(24)。これに従えば、公共系とでも呼ぶべきシステムの変動によりリスクを負う市民は、公共経営(public administration)の機能の一角を分かち持つNPOをエージェントとして位置づけ、コントロール、規律づけを行うことになる。評価はそのためのツールとして重要となることは論を待たないであろう。
NPOを公共エージェントとして位置づける考え方の根拠として、NPOを「資源変換装置」として捉える田中弥生も参照できる。田中は、企業においては、顧客であるサービスの需要者が適正な価格を支払うことによって資源を提供するのに対し、NPOはサービス提供先からは十分な対価を獲得せず、一般市民、企業、助成財団からの寄付、行政府機関からの補助金、委託金、また、非営利組織の構成員からの会費などを主要資源として獲得する点に相違を求めている(25)。
このことは、企業の主要な活動動機が「利潤満足動機」であるのに対し、NPOの主要な活動動機が「使命(ミッション)満足動機」であると考えることで解くことができる。
つまり、資金・人材提供者によって負託されているものは、提供された資金・人材に見あう利潤ではなく、提供された資源に見合うミッションの満足、それによる適切な公共経営の分任である。
田中の指摘する「NPOはサービス需要者からは十分な対価としての資源を獲得していない」という論点について付言すれば、サービス利用者は確かに金銭としての対価を十分には支払わない場合も多いが、NPOが供給するサービスに依り直接的・間接的、明示的・黙示的、個別的・全体的に社会的達成を成就することによって、NPOの使命(ミッション)を満たす資源を提供していると考えられる。
さらに、レスター・サラモンは、「市民にとって、市民組織というのは、政府や市場には届かない自分の声を伝える道なのだ。」と述べている(26)。ここで市民組織をNPOに読み替えることができれば、NPOという伝導装置が、十分に機能しているか否かは、市民にとって公共系の適切な運営にとって極めて重要である。
以上により、NPOはまさにプリンシパルとしての市民にとっての、「公共エージェント」として捉えられる。そのために、NPOは観察され、意見表明を受け、評価されなくてはならず、評価客体としての位置づけを与えられる。
なお、エージェントを狭義の「代理人」と捉え、プリンシパルからの限定された個別的委任事項のみを行うものとするのは誤った解釈である。企業における経営者が広範な判断権限を持っていながら、株主への説明責任、応答責任を持ち、利潤満足動機を満たしているかどうかというモニタリングの下に置かれていることと同様に、NPOは適切な公共経営のための判断能力を期待され、その一方で使命(ミッション)を満足するための適切な活動を行っているかを不断に評価されなくてはならない。
(第1章)注
(23)世古一穂「NPO法施行1年の課題」1999年11月27日付け朝日新聞
(24)野方宏「企業のエイジェンシー理論について−その批判的検討−」(『神戸外大論叢』第36巻第4号 1985 p47)
(25)田中弥生「非営利組織(NPO)と資源提供者間のミスマッチ問題」(『NPO研究の課題と展望2000』日本評論社 2000 p107) なお、田中は株主−経営者関係について論及していない。株主−経営者関係を企業の「内部的プリンシパル−エージェント関係」として捨象し、いわば契約の束としての企業自体を対象として議論していることに注意すべきであろう。
(26)1999年1月23日付け朝日新聞
本章では、評価客体としてのNPOの機能的定義について、第1章第2節において考察した部分の残余について検討し、ありうべき評価システムを考察するためのスプリングボードとする。
NPOの特徴としてあげられるものは多くある。前章までに明らかにしたNPOの公共エージェントとしての機能と重なり、あるいは位相を異にして、どのような社会的意味をNPOが担っているのかを先行研究をもとに確認していく。
山岡義典は、行政ではなく民間が非営利のことを行う必要がある理由に触れ、NPOの社会的意味として、社会的実験を担う「先駆性」・少数者の要望であっても行える「多元性」・社会のモニター装置としての「批判性」・社会サービスを温かく、的確に行うための「人間性」をあげる(27)。
また久住剛は、行政が主体となる第一セクターの追求する社会的価値が「平等・公平」であり、企業が主体となる第二セクターのそれが「利潤追求」であるのに対比して、NPOを主体とする第三セクターは「生活・生命」を追求するセクターであるとする。さらに行政との相違を明確にするため「非平等・非公平」という言葉を用いてさえいる。さらに、NPOの行動規範・サービスの特質として「個性・個別、選択・多様」をあげる。NPOの特質として、「自主性・個別性・選択制・迅速性・先駆性・相互性・総合性・変革性」を列挙するに際しても、行政との対比を念頭に置いている(28)。
これら、過剰と言えるまでの行政との比較は、行政とは異なる、行政がその役割を代わり得ない公共主体であるNPOの存在を理解させることが必要であったNPO草創期における議論として記憶したい。
行政との相違を強調した議論以外にもNPOの機能的定義について多くの議論がある。
例えば、サラモンは「非営利セクターの役割」として、1)価値の守護神、2)サービスの提供、3)アドボカシー、4)民主主義のためのソフトウェアの供給 をあげている(29)。
奥野正寛はNPOの市場「成立」機能に注目する。奥野は市場について、それは放っておけば的確に機能するブラックボックスではないと指摘し、様々な組織がサポートすることで機能する「制度の集合体」として表現する(30)。つまり、単なる規制解除が市場を十分に成立させ、機能させるわけではないとする。その認識のうえで、従来、市場をサポートできていた政府が、急速に増大し多様化する情報をコントロールできなくなる事態になっていると見る。そのようにして機能不全を起こす市場に対して、多様なNPOがモニタリング等を通じてモラルハザードを回避させ、市場を適正に成立させるとしている。
奥野はまた、上記の内容を「事前合意の不完備性に基づく再交渉」を可能とする「コーディネーション」という概念に関わって述べている(31)。奥野によれば、情報化の進展により政府のコーディネーション能力は制限され、民間コーディネーションが必要となるとされる。この民間コーディネーションの担い手のひとつとしてNGO(NPO)が求められている。
田中尚輝(32)は、NPOを「市民事業体」と位置づけたうえで、その組織原理を、労働にあっては「共感と自発性、コミュニケーション、一貫性」、価値にあっては「多様なコミュニケーションに基づく多様、多元な価値」、関係にあっては「横」であると述べ、それぞれ、「強制・金銭背景の義務・命令、生産性と効率、分業」に基づく労働、「画一化された金銭による」価値、「上下」関係に対比させている。
金子郁容・松岡正剛・下河辺淳(33)は、NPOについて、情報の非対称性が強いサービス提供では非営利ゆえの「信用」を持つとする。経済的理由による機会主義的行動の可能性が小さいと考えられることがその理由とされている。あわせて、金子・松岡・下河辺が、ボランタリー・エコノミーという、自発的に形成された物理的なないしはバーチャルなコモンズ(共有地)に展開される自主性に富んだ経済文化を想定していることは、次章以降のNPO評価システムの議論にとっても重要である。
(第2章)注
(27)山岡義典「NPOの意義と現状」(『NPO基礎講座』ぎょうせい 1997 p13)
(28)久住剛「NPOと自治体行政」(『NPO基礎講座』ぎょうせい 1997 p152)
(29)サラモン1999 p17
(30)座談会「21世紀へのシステム転換」における奥野正寛の議論から(「エコノミックス」1999秋号 東洋経済新報社 p18)
(31)奥野正寛「情報化と新しい経済システムの可能性」(『市場の役割国家の役割』東洋経済新報社1999 p75,p98)
(32)田中尚輝『高齢化時代のボランティア』岩波書店 1994 ((財)長寿社会文化協会 WAC )p134,p170
(33)金子郁容・松岡正剛・下河辺淳『ボランタリー経済の誕生』実業之日本社 1998 p90
前章で概観したNPOの機能的定義にふさわしい評価システムとはどのようなものであろうか。
第1節 「評価」を定義する
「評価」という語の定義は一見した以上に困難である。
山谷清志によれば、英語で評価を意味する言葉として、「evaluation」「assessment」「appraisal」「estimate」「rating」「valuation」及び他の部分で関連用語として「audit」が、あげられている。また、これらをそれぞれの意味の違いに注目して日本語として訳し分け、evaluation=政策評価、assessment=事前評価(環境事前評価)、appraisal=(費用)見積もり・鑑定、estimate=見積もり・概算、rating=評点・評定、valuation= 価値判断、audit=監査と表している(34)。
また、英語ということであれば、ここに挙げられていないが「review of the proposal」と表現されるNPOからの助成申請に対する財団による評価を意味する言葉も、しばしば用いられる。
日本語における「評価」という語は、「客観的数値で表す物差しによる測定であり、『善し悪し』の決定ではなく『善し悪し』を判断する材料の提供であり、かつ事後的評価」(35)を示すevaluationに止まるものではなく、上記の多様な意味を含み、あるいは外側にある意味さえをも含んでいると考える。
鷲田は環境経済学の理解に立って、あるものへの評価という行為はそのものを社会経済システムに内部化することであると言う。その前提に、日本語の「評価」という概念の多義性を指摘する。鷲田は、「評価」には、現実のとらえかたの正確さだけでなく、より主観的な大切さとか望ましさ(選好)についての考え方が基準となっていると述べ、自然科学的評価とは異なった社会経済的評価というものを提示する(36)。社会経済的評価は、民主主義を前提として、それぞれの個人の選好がなんらかの方法で集積されて社会的選好となることによって行われる。こうして行われる社会経済的評価は、自然科学的評価が一つの尺度によって行われざる得ないのに対し、環境のような多次元な(多様な)対象も全体として評価しうるとする。注目すべきことに、鷲田は自然科学的評価は「正しい評価」の存在を当然に前提するのに対し、「社会経済的評価に正しい評価はない」と断ずる(37)。特定の時代の特定の人々の感性と知識、情報のもとで成立した評価であり、主観性を免れないからである。では、社会経済的評価は無意味だろうか。社会経済的評価は「社会の受け入れ可能性」accetabilityに基づく。社会が受け入れるだけの十分な評価システムの存在が要求される。いわば人々の「納得」が、社会経済的評価の最も重要な前提であると考えられる。
この考察は「評価のネットワーク志向性」というべきものにつながる。単独のあるいは固定した「権威」が一方向から評価を行うのではなく、ネットワークという多様で動的な関係性による評価が求められる。
この社会経済的評価の「弱さ」、それゆえに「ネットワーク志向性」を必然とし、多様な人々の支えを得ることにつながる「強さ」という状況は、金子が言う「弱さの強さ」「バルネラビリティ」(38)を想起させることにも留意したい。
鷲田は、先にも述べたとおり評価が民主主義的な性格を持っていなくてはならないことも指摘している。そのために必要なものとして、公平な評価方法(システム)、適切な量の適切に加工されたデータの提供等に加え、非営利なチェック機関の存在などを挙げている。
以上、先駆性をもち多様であり多元的な公共エージェントであるNPOにとってのふさわしい評価をネットワーク指向性を持つ社会経済的評価に求めることには大きな意義があると考える。これを補強するためにいくつかの議論を検討する。
奥野は、オープンな共同体組織についての評価(奥野は「マッチングとスクリーニング」と表現する)を社会の「評判」の仕組みに求める。「評判」が自生的に流通し、あるいは「格付け」により作られ、その評判が機能することで、それぞれのオープンな共同組織への参加者の増減が図られ「自然淘汰」により、公益をサポートする組織が選び出されるとする(39)。 限定された少数の権威による単方向的な評価ではなく、ネットワークに基づいた市場的評価の可能性について触れている点で、鷲田の議論につながるとともに興味深い。
「評判」という言葉からは、金子・松岡・下河辺の議論も想起される。金子らは、情報商品について「ネットワーク上の『評判システム』」というデジタルな仕組みにも言及する。そこでは、いくつかの仕組みを用いることでユーザーの評判や選考度をカウントできる。さらに管理制度の新設にあたっても参考のために分散型「評判システム」の創設を述べる(40)。
ここで確認しておく必要があるのは、金子らが「評判システム」を述べる際には、同時に「相互編集市場」(注1)という多様・多次元な参加者による、編集されることにより価値の生ずる情報商品を結び目とした、多発的な「場」が前提されていることである。先に触れた金子の「弱さの強さ」「バルネラビリティ」(41)が多発的な「相互編集市場」の成立要件の一つとなると述べることで、鷲田の社会経済的評価の「弱さ」が有意味化するであろう。
多様な参加者が情報を積極的に提示する=評判を立てることにより、議論の種をつくる=攻撃を誘発する(バルネラブルな状態になる)ことが、相互編集市場を成立・活性化する。
このことはネットワーク分析について述べた安田雪の紹介するグラノベッターの行った調査の分析によっても補われる。安田の紹介によれば、家族等の「強い紐帯」からの情報に基づき転職をした者に比較して、疎遠な知己等の「弱い紐帯」からの情報に基づき転職した者が、より満足度が高い。これは「弱い紐帯」が生活世界を共有していない離れた関係を意味することから、かえってネットワークが伸び、情報収集範囲が広がることが理由とされる(42)。
多様で広範な参加者の存在するネットワークは、攻撃を誘発し、日常生活世界を共有できない「弱さ」をもつために、「強い」情報収集能力、あるいは編集能力を持つ。
「評判」について再度確認する。山岸俊男は評判の役割を「評判の統制的役割」と「評判の情報的役割」に区分する(43)。評判が罰として、あるいは報償として機能することによる統制的役割に比べ、情報的役割は社会的不確実性が存在している状態においてのみ価値をもつ。人々が固定した関係に止まることで大きな機会コストを支払うことになる、流動性の大きな社会的環境においては、評判は重要な役割を持つことになる。繰り返しになるが、第2章において確認したNPOをめぐる状況は、まさに社会的不確実性に満ちた状況であった。
第2節 評価の「場」仮説
ここまでの議論を踏まえ、NPOへの評価について、鷲田の述べた「社会経済的評価」を適用できる可能性のあること、NPOを外部から評価するにあたっては、単なる単方向的な評価基準への個別的当てはめではなく一定の「ネットワーク=場所」が必要であるとの仮説を立てる。(注2)
では、仮説を少なくとも疎明するに適切な、NPOへの評価に適した「場」とはどのようなものであろうか。
ここでは、それを「公共圏」「デジタル・ネットワーク」「コーヒーハウス」「入会(いりあい)」を手がかりとして考えてみる。
2-1 構造
公共圏
公共経営として位置づけた行政の参画主体であるNPOを評価するにあたっては、再度、その評価の「場」を公共のなかに位置づけなおすことが必要である。
序章において検討した「公共」について再確認を行う。
ハーバマスの「公共圏」の考え方においては「議論する公衆」が成立要件とされる(44)。
また既に確認したように、ハーバマスは「真の評価は討論の中ではじめて達成されるのであるから、真理は一種の過程…という姿で現れる。」と書き、また、公的生活は市民の広場で演ぜられ、地域に結びついてのものではないとも論じる(45)。
公共エージェントであるNPOを評価するにあたって、これらの視点は基盤となると考える。
デジタルネットワーク
インターネットに代表されるデジタル・ネットワークについて、評価に関わる具体例を取り上げ、「評価の場」概念が成立することを示す。
これにより、NPO評価の「場」を検討する際の素材をあらかじめ確認する。
日本における著名な検索サイトである「Yahoo!japan」は、既に検索サイトと言うより総合的ポータルサイトとなっているが、そのサービスの一つに「Yahoo!Auctions」がある(46)。Yahoo!Auctionsには、出品者及び落札者についての「評価」という項目がある。これは売買の都度、出品者及び落札者が相互に取引相手について「非常に良い」「良い」「どちらでもない」「悪い」「非常に悪い」のうち、いずれかを選択するとともにコメントを加えることによって成り立っている。肯定的な評価は+1として換算され、否定的なそれは−1として換算される。サイト上では過去の売買の累計点数が表示され、あわせて、各取引についての評価・コメントが参照できる。出品者及び落札希望者は、そうした評価(さらに評価者についての評価を参照することが重要である。それにより「評価」自体への評価が可能となる)を見て、自らの責任により取引を行う、あるいは行わないことになる。
同様に、インターネット上でオークションを行っている「eベイ」(47)について、宋国憲による「同社はユーザーとの双方向性およびユーザー同士の双方向性に重きを置いた情報の「広場」を提供し、オークションを通じたコミュニティーの形成に力を注いできた。」との指摘もある(48)。いわば、コミュニティによる評価、コミュニティを評価の場とするビジネスと捉えられる。
また、オークションではなく、一般に売られている商品について口コミ評価を行い、商品購入希望者への参考とすることを目的とした「ユーザーレイティング」と呼ばれるサイトも存在する。もちろん「一部の人や組織票に結果が左右されるようだと『公正さを欠く恐れもある』と懸念する。一部の人が故意に操作できないほど大量の情報を集めることが、公正なランキング作成の第一歩となる」(49)との日経パソコン誌での意見もあり、口コミ評価を「評価」として成り立たせるためにクリアすべき課題もある。一方、日経パソコン誌の指摘にも関わらず、ユーザーレイティングについては、むしろ、何らかの形でクローズされたネットワークのなかで成立しやすい評価方法とも考えられる。評価した者の「身元」がいずれかで確認されている、矛盾した言い方ながら「閉じられた開放系」が成立していることにより、「口コミ評価」の信頼性は増すのではないか。例えば、アスクユードットコムの提供する口コミ評価サイト(50)では評価者の簡単なプロフィルや評価にあたっての考え方が参照できる。
これらは、いずれもインターネットという巨大でかつ簡易なネットワークが成立することによる評価システムと考えられる。先に記した「eベイ」により構築された「評価コミュニティ」についても、従来の地縁型・職縁型コミュニティでは属性の偏りや情報流通の量的限界により十分には効果を上げない。その意味では、いわば「情報縁(情縁)型コミュニティ」を前提とする評価システムである。
先行研究を確認する。國領二郎は、デジタルネットワークにおける「情報の非対称性の逆転」(顧客が販売者以上に製品に関する情報を多量に持つ状況を指す)を指摘した上で、顧客発信情報をビジネス化するモデルについて述べている。商品販売が「売り切り」から継続的な情報収集のためのサービスに変化し、信頼の欠如を補う試みとして「ユーザーグループの利用」が求められる。そうしたなかで情報集約事業者としての「プラットフォーム・ビジネス」の重要性が増していると論を進める(51)。
さらに金子郁容は「比較的うまくいっているインターネットモール・ビジネスは、多少でもコミュニティ性を取り込んでいるようだ。」「信用や信頼を提供するための「よりどころ」になりうるのが、ネットワーク上のグループなどを含めた広い意味でのコミュニティ」「ヒエラルキー・システムもマーケット・システムも自発的でみずみずしい情報を扱うのが苦手であり…個人の信用を担保する中心的存在はコミュニティ志向の組織体になるであろう」との意見を述べる(52)。
國領及び金子のこの議論はデジタルネットワークにより成立する「情縁型コミュニティ」を継続的な評価コミュニティとして活用することへの支えとなる思考であると考えられる。
コーヒーハウス
コーヒーハウス(ここではイギリスのそれについて述べる)は1650年にオックスフォードで初めて開かれ、18世紀にはロンドンで隆盛を極めた(53)。このコーヒーハウスについて、今井賢一・金子郁容は「18世紀、イギリスのコーヒーハウスは『情報革命』の現場である。」と述べる。そこでは「人気新聞の回し読み、会話、船舶情報、噂、あらゆる身分・職業・服装の男の自由な出入り」が行われた(54)。まさに、「評価の場」としてのコミュニティの萌芽とも見える。ただし、出入りする者は男性、それも上層なそれのみに限られ、地域的にも限定されていたことは指摘しなくてはならない。その結果として「新聞を始めとする情報メディアが一般化したためにわざわざコーヒーハウスに行く必要が薄れ」(55)コーヒーハウスは衰退する。一方向的情報発信が一般化することで、閉鎖的コミュニティ情報流通が廃れたとも読める。しかし廃れたのは単に閉鎖的コミュニティにおける情報流通だけではなく、単純な情報消費者ではなかった立体的情報構築者たちだったとも考えられる。
コーヒーハウスについては中山元の議論も確認したい。中山は、インターネットという空間を、「未知の人々と出会い、議論し、助け合い、そして別れ…新聞を読み、稀覯書のマニュスクリプトに頭を悩ませ、これまで入手できなかったような書籍を読む。ホットなニュースをラジオやテレビと同じように見聞きする…ロンドンのコーヒーハウスのような独特の雰囲気をもつ空間」であると書いている(56)。
さらに、ハーバマスもまた、コーヒーハウスを公共性の制度と述べている(57)ことも、先の公共圏の議論を踏まえつつ確認したい。
これらの議論により公共圏とデジタルネットワークとコーヒーハウスが評価コミュニティを結節点に結びつくことになった。
入会(いりあい)
評価の「場」構造を検討するために、さらに「入会」について学ぶ。ここでは特に「市場」との対比を行い、評価の場が「評価市場」と同視されるものではないことを確認する。
入会とは、「一定地域(一部落ないし数部落)の住民が、その集団の規制にしたがって山林原野その他の土地を共同して利用し収益する慣行」(58)である。
杉原は、この入会の法的把握として「総有」という用語を提示している。総有とは、「団体的つながりのある個人が共同で財産を所持する状態」を指し、「団体的つながりのない個人が共同で(複数で)財産を所有する状態」である「共有」とは異なる概念とする(59)。この点は、「閉じた開放系」として把握したデジタルネットワーク上の評価コミュニティのあり方と通う部分がある。
あわせて、入会の成立理由として「天候等に伴う…不確実性に対して…相互に保険するための相互扶助・互酬の存在や安定的・長期的利益指向の存在」及び「コミュニケーションによる、価値観やモラルやイデオロギーの共有と相互評価、情報収集の存在、それに付随しての規則違反のおりの制裁の存在」を挙げている。
これらは、公共エージェントとしてのNPOについての社会経済的評価を行うネットワーク志向型の「場」の意義・成立条件に重なる部分が大きいと考える。いわば「評価入会」として「評価の場」が成立することが、「人々の納得」を生み「社会の受け入れ可能性」を保障するのではないか。もちろん、先の議論に結びつければ、その「評価入会」の参加者は、本来の入会の参加者である地縁的存在ではなく、情縁型の多様な存在であり、かつ何らかの形で身元確認が可能であることで団体的つながりを持っていることが、より必要ではある。
上記に検討した評価という側面からの「入会」と同様に「場としての評価」である「市場(マーケット)」の意味について、対比的に触れる。「21世紀日本の構想」懇談会第5章 日本人の未来(第5分科会報告書)にもあるように、市場とは、一つの巨大な独特の評価システムである。
それによれば、無記名の大衆投票による選抜としての評価システムである市場の利点として、惰性的慣習や情実に基づく評価を破ることで、普遍的な公正を目指すことにより、それぞれの時点において、最も合理的な選択を見せることがあげられている。
一方で、その時々の大衆の目に触れにくい専門的能力、将来においては高い評価を受けるべき才能を予見することができないという点を市場という評価システムの短所としている。付け加えるなら、団体的つながりを何らもたない無記名の市場参加者による評価システムである市場は少なくとも「共有」に止まり「総有」されてはいない。あるいは「共有」さえされず「提供」されているとの認識であるかもしれない。
これらを踏まえ、以下に杉原の作成した「官民公私の4象限と土地関係」の図を、「評価の場」に援用した図を掲げる。
<官民公私の4象限と評価の場>
(杉原(60)「官民公私の4象限と土地関係」を基に)

概括
以上、NPOへの評価に望ましい「評価の場」がありうることを疎明するために参考となると思われる「公共圏」「デジタル・ネットワーク」「コーヒーハウス」「入会」について検討した。
既に検討した「NPOの『評価客体』としての多様性・多元性という性格」、「NPOにとってふさわしい『評価』であると措定される「社会経済的評価」という考え方」をあわせ考えるならば、NPOへの評価にとって「場所による評価」が望ましく、その「評価の場」がこの4つの事象の重なる部分にあるとの中間的な結論が得られたと考える。
2-2 立会者
NPOへの評価を「場」によって行われるものとするなら、当然に、そこに立ち会うものは誰なのかについて検討しなくてはならない。「場」はそれ自体が主語として成立するのではなく、立ち会うものたちの述語として、その多くが成り立つ。
ここでは具体的な例を含めて見ていく。鍵となる「ことば」は『評価情報提供者』『評価管理・促進・編集者』『評価参加者』の3つである。
評価情報提供者
「評価情報提供者」という概念を確認するための具体的な例として、IRRC(INVESTOR RESPONSIBILITY RESEARCH CENTER(61))を挙げる。
IRRCは、ソーシャル・インベストメント(財務的な観点からの判断だけでなく、事業の社会的側面をも考慮して行う投資)に係る調査専門NPOである。設立は1972年、使命として「世界の企業について最高の品質をもった、公平なリサーチを提供する」ことを掲げる。提供する「製品」は、リサーチの結果としてのニュースレター、1,500社以上のプロフィールを収納し各投資家がそれぞれに定義した15分野に亘るスクリーンに適合しているか否かが検証可能なパソコンソフトウェア、コンサルティングサービス、ガイダンス、アドバイスなどであり、提供先は、500人の会員、機関投資家代理人、法律事務所、その他団体である。(62)
IRRCの評価機能として、経済的準拠枠に基づき行われていた「株式投資」というものを、IRRCの"評価"という行為により、公的領域に引き出す働きを指摘できる。言い方を換え、社会経済的評価を定義する際に用いた言葉を利用するなら、投資をシステムとしての公共に"内部化"する機能を持つ。
しかし、興味深いことに、IRRC自体は、ratingを行わない。この企業には5つ星、この企業は星一つというような格付けの提供はしていない(63)。IRRCは「世界の企業について最高の品質をもった、公平なリサーチを提供する」ことをミッションとして、中立的な、しかし社会的責任の判断に必要な情報を提供する。つまり評価の素材を提供するにとどまり、判断を投資家に委せる。このことは、「評価」というものを、いわば「ネットワーク」・「関係性」のなかに置くという姿勢と捉えられる。
このようなIRRCの機能を『評価情報提供者』として定義する。
IRRCが基礎データを行政府からも得ていることにも注目すべきであろう。行政府から発表される、あるいは情報公開制度によって行政から入手したデータは、個別の利用に適合するようには十分に加工されていない。そうしたデータを例えば社会的責任投資のための企業評価に資するようにIRRCが加工し、提供する。評価情報提供者とは単に情報渉猟者に止まるものではなく、適切な形に情報を整理し、加工する者として捉えるべきである。このことを逆から照射すれば、行政府は情報公開という形でNPO評価の「場」成立に大きな影響を持っているということができる。
評価管理・促進・編集者
「評価管理・促進・編集者」という概念を検討するうえでの具体的な例として、パソコン通信のフォーラム(電子会議室)を挙げる。
フォーラムとは、ある議題(それは「政治・経済」のようなものから、たとえば化粧品や家電などの製品ユーザーの集まりであったり、よりインフォーマルなものまで、様々な種類がある)について意見を出しあうパソコン通信上の会議室である。現在、パソコン通信はインターネットにその位置を譲るようになったが、インターネットにおいても、様々な掲示板が生まれ、フォーラムの後継としての姿を示している。
このフォーラムについて、いくつかの先行研究による分析が行われている。
國領は、ある製品のユーザーが集まるフォーラムにおいて、顧客同士の情報相互発信・交換を意味する「顧客間インタラクション」がどのような場合に活性化するかという田村隆史による研究を紹介している(64)。田村隆史の研究は、フォーラムの参加者をヘビーユーザー、一般ユーザー、ROM(フォーラムで発言しないで、発言を読むだけのメンバー)、企業担当者に区分したうえで、ヘビーユーザーと企業担当者の発言がどのように顧客間インタラクションに関係するかを分析したものである。田村は、分析を通じて、ヘビーユーザーが存在することで顧客間インタラクションのレベルは高くなると結論づけている。
また、フォーラムにはシスオペという存在がある。シスオペはシステム・オペレーターの略ではあるが、むしろフォーラムの管理者という意味合いで用いられる。シスオペは例えば不適切な発言について注意を喚起し、異なるフォーラムがふさわしいと判断すれば、その旨を発言者に伝える。場合によっては、新たなフォーラムを立ち上げ、議論が不活発なフォーラムを統合する。
川浦康至も、シスオペはヘビーユーザーとともに「ROMも重要なメンバーだ」と聴衆価値を強く意識した運営を行っているとの具体的な研究成果を発表している(65)。
これら、ヘビーユーザーやシスオペの存在・役割はハーバマスの「芸術の判官」を連想させる。ハーバマスは「(18世紀半ば、フランスにおいて)公衆のアマチュア批評が組織化される。これに対応する新しい専門職は「芸術の判官」とよばれる。…彼は公衆の受命者たるとともに公衆の教育者として自任する。(彼らは)論証以外のいかなる権威も自負せず、論証による説得をうけつける全ての人々との一体感を持つ」「…したがって公衆は…エキスパートの存在を承認する」と述べている(66)。
評価促進者という観点からは、"on top"に対比しての"on tap"という言葉に注目する。これは、ロス F. コナーが行った国際交流基金日米センターでの講演からの引用であるが、コナーは専門家の役割に関わらせて"on tap"という語句を用いている(67)。専門家がヒエラルキー的に高みから託宣を述べ押しつけるのではなく、「場」が必要なときに必要な限度で介入する。それが"on tap"であり、評価の場をファシリテートさせる力を持つと考える。
評価の「編集」に触れたい。金子・松岡・下河辺は「編集行為」について、「さまざまな出来事や人物の消息と動向がいったん情報化され、これがすべて<編集価値>に置き換えられる。その編集価値が、メディアにのって流通されていく。まさに編集価値こそが市場をつくってきたのである。」と述べる(68)。
評価とは、まさに情報(処理)である。評価対象が様々に情報化されることで評価の「場」が成立する。であれば、そこには、情報としての評価を編集する役割が必要となる。もちろん、この編集権限はある権威が単方向で行うことにはならない。これについて金子・松岡・下河辺は「編集共約性」という言葉を使い、ネットワーク上では、編集がつなげられ、相互性が加えられた上で、さらにディスプレイされるプロセスのもとで、編集の過程そのものから新たな価値が生まれると説く(69)。
評価参加者
評価の「場」への参加者を考えるうえで参考となる具体例としては、静岡県によるNPO支援事業の一つである「NPOステップアップ講座開催事業」をあげる。「NPOステップアップ講座開催事業」においては、事業委託先NPOの選考にあたって書類審査のうえ公開選考会が行われた。公開選考会では、応募3団体が、各々プレゼンテーションを行い、その内容につき地元学識経験者等による4名の選考委員が、あらかじめ公表された評価項目に基づき1点〜5点の絶対評価を行い、総合上位である団体に委託先が決定された。
この公開選考会の特徴として、選考会の傍聴者に対し、応募3団体の相対評価についてコメントとともに評点アンケートを行ったことがあげられる。ただし、アンケートについては、事業の行政担当者である静岡県NPO推進室としての集計、整列は行わず、あくまで参考意見として、個別に選考委員への回覧を行ったにとどまる。
この公開選考会について「評価参加者」という概念に関わって積極面を二つ、消極面を一つあげる。
積極面としては、まず、既に述べたNPOのもつ多様性、多元性、先進性等を考慮するならば、4名という限られた選考委員の「目」によってのみ選考がなされるのではなく、できるだけ多くの「目」のなかで評価されるという点で重要であると思われる。また、会場意見の募集という方法により、「評価への参加」が行われたことは、会場意見の持つ最終選考へのウェイトが不明確であるとはいえ、多様な意見への選考委員の「気づき」をもたらすと考えられる点で意義が大きい。
消極面として、公開選考会の傍聴者の多くが、応募団体関係者であったことにより派生する「バイアス」をどのように補正したのか不明確であること、それゆえの会場評価についての信頼性の欠如があげられる(70)。
その他、米ヒューレット・パッカード社での従業員による地域助成の活動も参考事例として挙げられる(71)。
ヒューレット・パッカード社は熱心なフィランソロピーで知られている。その一つに従業員が個人的に寄付を行ったNPOなどに対し、会社もその寄付の同額を当該NPOに寄付するマッチングプログラムがある。また、マッチングプログラムとは別に地域のNPOへの助成にあたって従業員で組織される助成委員会を組織し、助成決定・事業評価に携わるというシステムを持っている。これは、いわば「評価の現地主義」とでも言うべきものだが、それが単に「現地のことは現地で」という単純な解決が図られていると見ることはできない。ヒューレット・パッカード社では、社としてのフィランソロピーの考え方について従業員に対し多様な研修を行い、いわば評価を管理・促進しつつ、現地での評価を参加者としての従業員に委せている。
近畿労働金庫の有する「NPO寄付システム」というNPO支援の制度も参考として提示する(72)。NPO寄付システムは、あらかじめ地域のインターミディアリー型NPOと近畿労働金庫が協議して寄付先NPO選択対象リストを作成し、近畿労働金庫の預金者は、このリストの中から適当と思われるNPOに対し、近畿労働金庫の預金口座から寄付を行うものである。ここでは二つの点に注目したい。一つは第一次評価とでもいうべき寄付先NPO選択対象リストの作成が、地域のインターミディアリー型NPOの参画の下に行われている点である。インターミディアリー型NPOの機能としてNPO評価の「場」において、評価情報提供者として、あるいは評価管理・促進・編集者としての役割を果たす可能性が具体的に示されている。もう一点は、寄付先の決定が個々の預金者によって行われている点である。これと対比的に見ることができるものに郵便貯金を利用した国際ボランティア貯金がある。国際ボランティア貯金では、寄付先について寄付者が指示を行うことはできない。いわば評価への参加が排除されている。もちろん、このNPO寄付システムにおいて寄付先決定のための評価が「場」において十分に行われているわけではない。あくまで評価参加という方向性を示すに止まっているといえるだろう。
もう一つ「評価参加者」に関わって金子の議論を示す。金子は「結(ゆい)」に触れながら、「結から学ぶ相互編集の知恵は、次のものだ。共有地を保全したり、そこに機能を追加したり、共同地からの果実を収穫しようと言う場合は、特定の一つの目的を設定せず、コミュニティのメンバーが、それぞれの得意を活かして参加し、いろいろな形でコミュニティに貢献できていると思える多様なロールを盛りつけ…」と述べる(73)。この文章のうち「共有地」を、例えば「評価入会(いりあい)」、「評価の『場』」として読み換えるなら、評価入会への参加者は、それぞれの得意を活かして参加し、多様な役割を分節的でなく担い、それぞれに必要な「評価(情報)」を得て帰っていく姿が見えると思われる。
(第3章)注
(注1) 本論においての「編集」という語は、松岡正剛に導かれて一般の語義より広く、「情報に何らかの形で働きかける」という意味で用いられている。
(注2) NPOへの評価については、ここで展開している「場」による評価ではなく、行政との関係の中で、議会による統制、行政による統制、さらにはオンブズマン等による民間統制が存在しうる。これらと本論における「場」による評価との違いは、大きくは「切り取る」評価と「つなぐ」評価との違い・「合否」のための評価と「選択」のための評価の違いとして把握できるが、詳細にわたっては別に議論したい。
(34)山谷清志『政策評価の理論とその展開』晃洋書房 1997 p15
(35)同書p16
(36)鷲田1999 p12,p48,p52,p55
(37)同書p61
(38)金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』岩波書店 1992 p112
(39)奥野1999 p96
(40)金子・松岡・下河辺1998 p246
(41)金子1992 p112
(42)安田雪『ネットワーク分析』新曜社1997 p136
(43)山岸俊男『信頼の構造』東京大学出版会1998 p98
(44)ハーバマス1994 p13
(45)同書 p13
(46)http://auctions.yahoo.co.jp/
(47)http://www.ebayjapan.co.jp/
(48)宋国憲「人気オンライン競売の秘密 eBay活用法」(Mainichi
INTARACTIVE Mail No.634【Cover story】2000年2月1日
http://www.mainichi.co.jp/digital/coverstory/archive/200002/01/1.html
(49)日経パソコン2000年3月20日号
(50)http://www.asku.com/
(51)國領二郎『オープン・アーキテクチャ戦略』ダイヤモンド社 1999 p59
(52)金子郁容『コミュニティ・ソリューション』岩波書店 1999(53)小林章夫『コーヒー・ハウス』駸々堂 1984 p14
(54)今井賢一・金子郁容『ネットワーク組織論』1988 p4
(55)同書p15
(56)中山 元「サイバー空間の思考――まえがきに代えて」(『ポリロゴス1 特集:ミシェル・フーコー』中山 元編 冬弓舎 2000)
(57)ハーバマス1994 p52
(58)小林三衛による「入会」の語句説明 『CD-ROM《世界大百科事典 第2版》』日立デジタル平凡社 1998
(59)杉原弘恭「日本のコモンズ『入会』」(宇沢弘文・茂木愛一郎編『社会的共通資本』東京大学出版会 1994 p118
(60)同書p123
(61)http://www.irrc.org/
(62)河井孝仁「社会的責任投資に係る調査専門NPO IRRC」(パートナーシップ・サポートセンター編『評価とインターミディアリー』2000 p93)
(63)水口剛 他『ソーシャル・インベストメントとは何か』日本経済評論社 1998 p57
(64)國領二郎 1999 p220
(65)川浦康至「イメージとしてのネットワーク世界」(『ネットワーキング・コミュニティ』池田謙一編 東京大学出版会 1997 p113)
(66)ハーバマス1994 p61
(67)ロス・F・コナー博士講演会「プロジェクト評価の実際と課題を考える」報告書 国際交流基金日米センター 2000 p46
(68)金子・松岡・下河辺 1998 p248
(69)同書 p249
(70)河井孝仁「行政とNPOの協働」(『企業とNPOのためのパートナーシップガイド』パートナーシップ・サポートセンター編 2001)
(71)小坂展子「活発なフィランソロピー活動を展開するヒューレット・パッカード社」(『評価とインターミディアリー』パートナーシップ・サポートセンター 1999 p53)
(72)河井孝仁「近畿ろうきんNPO寄付システム」(『企業とNPOのためのパートナーシップガイド』パートナーシップ・サポートセンター編 2001)
(73)金子1999 p204
ここまで、NPOへの評価を必要とする理由、NPOを評価するにふさわしい場のあり方について確認してきた。これを受け、具体的にどのような「場」がイメージできるであろうか。本章ではNPO評価の「場」について具体的な試案を提出する。
第1節 容器としてのインターネット
評価の「場」を収める容器としてインターネットを利用する。インターネットは多様かつ相当多量な参加者を可能とし、データベースへの接近、他の知的リソースへの連携が容易な利点を持つ。これにより、インターネットは情(報)縁型「場」の容器となる。さらに、より多元的な参加を可能とするため、パソコン以外の多様な端末からのアクセスを可能とすることは検討されるべきである。
情(報)縁について確認するならば、それは地域を超えることを可能とするが、地域コミュニティを排除するものではない。地域コミュニティ自体が情(報)縁として把握され直すこともありうる。
インターネット上にNPO評価の「場」を展開するためには一定のリソースが必要となる。ここで指摘するリソース提供者は、運営者という意味を持たない。その前提で検討するのであれば、公共経営のためのよきガバナンスの保障を理由とする行政府によるシステム構築に係る資金負担は肯えると考える。もとよりシステム構築に係る専門的能力は必ずしも行政の内にあるとは考えられないため、企業や専門性の強いNPOとの協働は重要である。なお、行政府について触れるならば、一定の範囲を持ちながら中央政府とは異なり、住民からの直接的アプローチが比較的容易な都道府県によるリソース提供は考慮されるべきであろう。
行政以外のリソース提供者もあり得る。例えば企業によるフィランソロピーの一環としてシステム構築に係るリソース提供もあり得るし、助成財団等からの資金提供によりNPO自体がシステム構築を行うことも否定されない。この場合、システム構築を行うNPOは個別課題型NPOではなくインターミディアリーNPOとなると考えられる。言い換えればNPO評価の「場」は多彩に存在しうる。それぞれがインターネット上で「リンク」することで、多彩でありながら連携した「場」が生まれる。
地域を基礎とするネイバーフッド型コミュニティによる「場」も可能であろうし、ある一定のテーマ、例えば児童育成支援といった主題を基礎としたテーマ型コミュニティによる「場」もありうる。繰り返しになるが、これらの「場」が縦横にリンクしながら存在することが重要である。インターネットはそれを容易にする。
第2節 立会者は誰か
第3章で確認した、NPO評価の「場」に立ち会うもののうち「評価情報提供者」とは誰か。試案として提示できるのはリサーチ型NPOである。具体的にはIRRCをイメージしたい。もちろん、評価情報は行政府の提示する情報を「翻訳」することによって生成されることも多く、行政府による情報公開の重要性は論を待たない。これらを利用してリサーチ型NPOは動的なデータベース構築を行う。その内容は個別NPOのマネジメント情報であったり、ミッションと現実として行われている事業成果との対比であったりもするだろう。
NPO評価の「場」の次の立会者は「評価管理・促進・編集者」である。この役割を担うものとしてプラットフォーム型NPOを挙げる。プラットフォームについては國領(74)を参照する。國領はプラットフォーム「ビジネス」の機能として経済への「信頼」と「ことば」の提供をあげる。國領は別の部分では信頼の「仲介」という言葉を用いる(75)。卑近に言えば面識のない各々がそれぞれに信頼する第三者としての存在である。コンピュータ・ネットワークの発達は決して「中抜き」を意味しない。取引に(本論では「評価」に)介在して活性化させる存在が必要であるとの國領の議論は納得しうる。
もうひとつ、プラットフォーム「ビジネス」の役割として「ことば」=プロトコルの提供が挙げられている(76)。多様なNPOが用いる「ことば」は形式は同じでも必ずしも同義ではない。その「翻訳」を行うことが評価の管理・促進・編集には必須である。
「評価参加者」について述べる。
NPO評価の必要性の理由として、第1章においてNPOの「公共エージェント」性を挙げた。そこからは当然にプリンシパルとしての市民が評価参加者として現れる。具体的には会員としての資金提供者・労力提供者(コーポレートガバナンスで言うところのシェアホルダー)に限定されず、ステークホルダーとしての存在までも評価参加者に含みうると考える。例えばNPOの提供するサービスの顧客も評価への参加が期待され、税優遇を受けているとの観点からは納税者としての市民もまたステークホルダーとして評価に参加しうる。さらに、ステークホルダーは個人としての市民に限定されるものではない、他のNPOによる相互評価参加も行い得る。ただし、すべての評価参加者が同じウェイトを持って存在するわけではないことも確認する必要がある。この点は後に述べる評価の具体的在りようにも関わる。
第3節 評価の具体的様相
では、インターネットを容器としつつ、前節で検討した評価の「場」への立会者を迎えて、どのように評価が行われるのであろうか。
以下のような具体的様相を提示してみる。
「評価参加者」は、各々が資金提供者として、ボランティアなどの労力提供者として、あるいはサービスの顧客として関わったNPOについて、資金提供・労力提供に際して期待したパフォーマンスを各NPOが果たしたと考えるか、顧客として各NPOのサービスは適切であったかを、コメントとして、あるいは一定の評価基準に基づいた付点として、適当と考える評価の「場」に投げ入れる。このコメント、付点は署名つきで行われることが原則となるであろうが、無署名での投げ入れも許容される。ただし、無署名であることは、そのコメント、付点への信頼性について判断するときの材料ともなるだろう。また、無署名であったとしても、評価管理者・促進者に対しては明示されることで身元確認・発言責任の担保を行う必要があると考える。
さらに先に述べた「一定の評価基準」について、それは画一的なものではなく、付点を行う評価参加者それぞれが定めた基準に基づくものとする。ただし、その基準は十分に明確である必要がある。
あるいは、評価情報提供者によってレディメイドな評価基準が複数データベース化されていることもありうる。そうした場合には付点にあたって、どのレディメイドな基準を用いたが明らかにされることになる。もちろんコメント・付点は上記のリサーチ型NPO・プラットフォーム型NPOへのコメント・付点を含み、評価参加者相互のコメント・付点により「メタ評価」も可能となる。そのうえで、「評価管理・促進・編集者」は、"on tap"な存在として、適切な「場」の管理を行いつつ、議論をファシリテート、あるいはエディットし、必要に応じ「評価情報提供者」に対し情報提供の依頼を行う。また、個別のコメントについてデータベース化されている評価情報との異同について注意を喚起する。
では、これらによって得られた評価参加者による評価の集積はどのように利用されるのか。
評価参加者は、潜在的な参加者を含め、評価の「場」に展開・集積された個別のコメント、付点を参照するとともに、データベースを確認し、自己責任による信頼性把握を行う。
これを容易にするために、様々な文書データから隠された法則性や単語同士の相関関係を発見するためのソフトウェアである「テキストマイニング」や、それらを総合化したナレッジ・マネジメントシステムを導入することも考えられる(77)。
確認するが、本論で提示するNPO評価の「場」はn個のNPOを第1位から第n位まで整然と画一的に並べるための「場」ではない。
評価結果を利用したいと考えるものが、自らの多様なニーズに合わせて、NPOの個別の信頼性を確認するための評価の「場」である。1からnまでの並び方は唯一ではなく、参加者の数だけ存在する。
いくつかの付言を行う。まず、上記に述べたNPO評価の「場」はインターネット上に展開する仮想の「場所」である。これを補強するために、評価管理・促進・編集者のイニシアティブによる各評価参加者の適時・適切なリアルな出会いの設定もあり得る。縦横に連携するネイバーフッド型コミュニティ、テーマ型コミュニティを基礎とする評価の「場」への帰属意識の醸成には有用であろう。
次に、コミュニティ・マネーの利用について述べる。ここではむしろコミュニティ・マネーと呼ぶよりNPOマネーと称した方が理解しやすいと思われる。ここで述べるNPOマネーは地域通貨の一種であり、国家中央の信用力により担保されたカレンシーではない。例えばインターミディアリーNPOによる発行が考えられる。NPOマネーはいくつかの特徴を持つ。使途はNPOの提供するサービスの購入、NPOへの寄付に限定される。負の利子を持たせることも考えられる。NPOマネーの死蔵はまさに「死蔵」となり、一定期間後にマネーとしての意味を失う。
では、このNPOマネーを評価の「場」においてどのように利用するのか、また、それによりどのような効果が得られるのか。NPOマネーは評価参加に対するインセンティブとして用いられる。評価意見や各々の基準に従った付点を、評価の「場」に投げ入れた評価参加者はNPOマネーを得る。さらに、そのようにして投げ入れられた意見や付点が別の評価参加者に参照された際にもNPOマネーが与えられる。多くの評価参加者からの参照に値する、いわば価値度の高いコメントや付点を投げ入れた者は、多くのNPOマネーを得ることになる。NPOマネーはNPOの提供するサービスの購入及びNPOへの寄付に利用が限定され、利用されなければ負の利子により無価値化することから、NPOマネーはNPOのサービス需要を高め、NPO活動の活性化に資する。
サービス供給によりNPOに集積したNPOマネーはどのように機能するのか。一つには、他のNPOによるサービス購入に用いられ、NPOのネットワークの中で循環する。それに加え、資金借入等の担保として用いることも考慮される。これについては地域の信用金庫や労働金庫などの協働に基づく金融機関の役割が検討できるのではないか。このような場合にはNPOマネーの利子率等について特定の規約が必要になるだろう。既に近畿労金ではNPO向け事業資金の貸し付けを行っている。現在は物的な担保を十分にはとらずに貸付を行っているが、NPOマネーを担保とすることも研究の余地があると考える。
以上、評価の「場」試案を提示した。
(第4章)注
(74)國領1999 p146
(75)同書 p153
(76)同書 p157
(77)野村総合研究所『経営を可視化するナレッジマネジメント』野村総合研究所広報部 1999 p368,p370
ここではNPO評価の「場」を、市民が社会生活を送るうえで必要なコモンズ(共有地)として位置づける可能性について展望しつつ、なお残る課題について確認して本論を閉じることとしたい。
コモンズに関わって、まずコモンズを成立せしめるための重要な要素であるソーシャル・キャピタルについて触れる。ソーシャル・キャピタルについては、金子が「関係のメモリーがコミュニティに蓄積されたもの」としている(78)ことに注目する。「うまくいく」コミュニティは、このソーシャル・キャピタルが豊かに存在する。言い換えれば、相互協力をもたらすサンクションが存在し、様々な社会活動に関する市民ネットワークが盛んであることによりソーシャル・キャピタルが醸成される(79)。これに関わってハーバマスが、公共圏について制度的保障では足らず、文化的伝承や社会化の規範などを受け入れようとする態度も必要であると指摘している(80)ことも確認する。
コモンズに関連して「社会的共通資本」という用語もある。宇沢弘文によれば「社会的共通資本」とは、「市民の基本的生活にかかわる財貨・サービスのうち…公的ないしは社会的メカニズムによって供給」されざるえないものと位置づけ、その理由として「必要度」の高さ、「代替性」の低さを挙げる(81)。金子の言う"ソーシャル・キャピタル"が「関係の在りよう」から観ているものを、宇沢が述べる"社会的共通資本"という語は「物」的な意味合いから観る。二つは異なったものではなく、同じものを別の方向から照射していると考えていい。
さらに、浅子和美・國則守生は、やや自然資源に寄り添った概念ではあるが「共有資源」(common property system)という語について、「たんにその資産が共有されているだけでなく、いろいろな取り決め等を含んだ1つの制度」と定義し、「common property resourceは、地域のコミュニティによって所有され、管理・利用されている資源である」とも述べる(82)。浅子・國則の「common property resource」という概念もまた社会資本と重なる部分が多いと考える。なお、そのうえで考察するならば、浅子・國則が「common property resource」を所有するものとする「コミュニティ」は「地域の」に限定されるものだろうか。本論としては、情報化の進展の中で例えば本論第4章第1節で検討したようにコミュニティという語が必ずしも地域に密着しない以上、「地域のコミュニティ」を「情(報)縁によるコミュニティ」とも読み替え可能ではないかと考える。
では、果たして、NPO評価の「場」は、ソーシャル・キャピタルを促進し、あるいはソーシャル・キャピタルに裏打ちされ得る社会的共通資本あるいは情(報)縁に基づく「コモンズ」として捉えられるであろうか。金子・松岡・下河辺は、「信貴山縁起物語」という説話に触れて、「富」(シンボルとしてのそれ)が流通するには「都」と「村」だけでは手詰まりが起き、法外な外部性のコモンズとしての「(信貴)山」が必要だったと述べる。「信貴山」が関係の編集を加速することで、その手詰まりを解消するという理由である(83)。
関係編集という点に注目するならば、「評価機関」「評判機関」「編集機関」「仲介機関」としての存在は、外部性としてのコモンズとして成立し、シンボルとしての「富」、すなわち市民の基本的生活にかかわる財貨・サービスの円滑な流通に大きな役割を果たすと考えられる。
コモンズとしてNPO評価の「場」を位置づけるための展望が生まれ得たのではないだろうか。
しかし、なお残る課題がある。社会資本、コモンズという概念からは当然に、G.ハーディンの「共有地の悲劇」(注)(84)が連想される。NPO評価の「場」もまた、悲劇に見舞われ荒れ果てるのだろうか。金子・松岡・下河辺はR.パットナムの実証研究をひいて、必ずしも「共有地の悲劇」が成立しないことを述べているが、本論第3章第2節において評価管理・促進・編集者の舞台として確認したフォーラム(電子会議室)を例に、情(報)縁デジタルネットワークでも、必ずしも「共有地の悲劇」が成立するわけではないことを示す。
池田は、ニフティサーブ(現アットニフティ)の1995年調査をもとに、フォーラムに参加しながら発言をせずに、ただ発言を読む(情報を入手する)だけのメンバーが74%に上るとしている(85)。これらのフォーラムに「貢献しない」多くのメンバーによって、フォーラムの「牧草は食い尽くされ」誰もコストのかかる発言行為を行わなくなる「共有地の悲劇」は生起するだろうか。
柴内は「情報発信者のみが得られる selective incentiveがある」として、場が消滅せず成立することへの積極的意見を述べ、その理由として、情報発信によって「自分の回りの情報環境をコントロールし効率的な情報処理を行うことができる」ことを挙げる。実証的にも、先のニフティサーブ調査をマクロ分析し、パソコン通信のフォーラムの規模が大きくなれば、発言せずに情報入手だけを行うメンバーにとっては情報オーバーロードストレスは高まるが、積極的情報発信者では、むしろストレスが低減されるという調査結果を示している(86)。
果たして、NPO評価の「場」も、上記のように共有地の悲劇を免れ得るだろうか。ここまでの議論でその疑問への答の一角を示し得たとは考える。もちろん本論が述べ得たものは僅かである。今後は、NPO評価に必要とされる「場」の構造について、十分には触れ得なかったネットワーク構造、信頼概念等につき検討を深め、「共有地の悲劇」を免れ得るNPO評価の「場」を、本論において提示した「公共経営(ガバナンス)」「公共エージェント」「システムての『公共』理解」を踏まえたうえで、より明らかに指し示すための研究を深めていきたい。
注
(注)「共有地の悲劇」とは、1986年にG.ハーディンが『サイエンス』誌に発表したモデルである。中世のある村を舞台に、牧草地が村民である羊飼い全員に共有されている。それぞれの羊飼いが自分の羊に牧草を均等に食べさせている間は平穏であるが、不心得な羊飼いが一人でもいて、何匹もの自分の羊に牧草を食べられるだけ食べさせようとする。すると、他の羊飼いも競って自分たちの羊に牧草を食べさせ、結果として共有地は荒れ果ててしまうというものである。
(78)金子1999 p171
(79)同書 p168
(80)ハーバマス1994 p xxxvii
(81)宇沢弘文「社会的共通資本の概念」(『社会的共通資本』宇沢弘文・茂木愛一郎編 東京大学出版会1994)p26
(82)浅子和美・國則守生「コモンズの経済理論」(宇沢・茂木編1994)p75
(83)金子・松岡・下河辺1998 p393
(84)同書 p103
(85)池田謙一「ネットワークへの参入」(池田編1997) p79
(86)柴内康文「ネットワークは爆発する」(池田編1997)pp92-98