トピックス(2003.6)

5回目のドイツ演奏旅行 成功裡に終わる

 6月18日から29日まで、ベルリン、ライプツィヒ、リンブルグ、ニーダーヴェルシュタットの4カ所を訪れ、5回のコンサートを成功させました。今回の演奏旅行の主たる目的は、ベルリンで19日〜22日の間、開催されたドイツ合唱連盟主催の第20回全独合唱祭に参加することでした。1961年来、ドイツ合唱連盟の海外会員に登録している当合唱団は、1968年に初めて同連盟からの招待を受けて第16回全独合唱祭(シュトゥットガルト)に参加。以来、1976年ベルリン(第17回)、1983年ハンブルク(第18回)、1992年ケルン(第19回)と同合唱祭に参加を続け、今回もまた訪独したというわけです。
 とくに今般は、同合唱連盟から5大陸(アジア、アメリカ、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパ)の内のアジア大陸代表合唱団として指名を受け、21日にはWaldbuehneと呼ばれる聴衆2万人を収容する大野外音楽堂での演奏にも加わることが出来ました。この野外音楽堂は1936年にベルリン五輪が開催された時に五輪スタジアムに隣接する形で作られたもので、ベルリン・フィルやウイーン・フィルも夏場のコンサートを開く由緒あるところです。ターフェルはここで、単独演奏として、日本民謡「おてもやん」と「八木節」を横笛、和太鼓、樽の伴奏入りで披露して大喝采を浴びた後、ベルリンの音楽大学学生による混成オーケストラ、他の4大陸代表合唱団との合同演奏で、カルミナ・ブラーナ(C・オルフ)の一部やChoros Nr.10(V・ロボス)、火の音楽(F・ヘンデル)を演奏しました。
 ベルリンは大変気候不順で、前日のリハーサル中には5度も6度も大驟雨に襲われ、気温が10度以下に下がって真冬の様相を呈したのですが、幸い当日は晴れ、会場もほぼ満席の盛況となりました。
 ベルリンでのターフェル独自の演奏会は、20日の午前11時、市の中心部にあるFranzoesischer Domと呼ばれる教会で、地元の女声合唱団Rundfunk-Jugendchores Wernigerodeとのジョイント・コンサートとして開催されました。この女声合唱団は、地元の音楽大学に通う専門家の卵たちで編成されたもので、見事な美声とアンサンブルは私たちを圧倒するものでした。ただ、向こうは静かな美しさで来ましたから、こちらは力量感で対抗し、十分の評価を受けました。
 演奏した曲目は三木稔作曲による「日本叙情歌集」(団員の岩佐義彦が指揮、ピアノ伴奏 石井美紀)、「三つのドイツ歌曲」(当団の名誉指揮者で、今回の旅行のアレンジもお願いしたD・シュミット氏が指揮)、「日本民謡集(おてもやん、五木の子守歌、百姓唄、南部牛追い唄、八木節の5曲)」(樋本英一指揮、ピアノ伴奏 石井美紀)でした。
 23日にはライプツィヒのゲバントハウス・メンデルスゾーン・ホールで、地元の男声合唱団Leipzig-Nordとのジョイントコンサート。演奏曲目はベルリンと同じでした。
 25日にはリンブルグでの演奏会。リンブルグはフランクフルトの北北西100キロに位置する人口3万5000人の都市ですが、文化に賭ける意気込みはすごく、独自にハーモニー・フェスティバルを開催して全世界から合唱団や舞踊のグループ、器楽のグループを招聘しています。2005年5月の初旬には、また、このフェスティバルを開催する計画で準備を進めていますから関心のある方は
E-mail: kontakt@harmonie-lindenholzhausen.de
Internet: http://www.harmonie-festival.de
に問い合わされるといいでしょう。
 26日には、ヴェルシュタットという人口6500人の小さな農村でコンサートを開きました。この村はフランクフルトの北北東70キロに位置するもので、日本で買う地図には載っていない場合もあります。オーダーヴェルシュタットとニーダーヴェルシュタットという二つの村の集合体ですが、私たちが訪れたのはニーダーの方でした。小さな村でも60人を超える男声合唱団、40人の女声合唱団が、他に児童合唱団、バンドのグループなど13もの団体が活動していると言います。私たちの演奏会は村の体育館で行われましたが、約700人もの聴衆が集まりました。人口の1割を超える大盛況でした。演奏曲目はリンブルグもニーダーヴェルシュタットとも同じです。
 旅行最終日の27日は、ヴェルシュタットの村をあげてのレセプションでビール、ワイン、子豚の丸焼きを堪能し、大いに交流を深めて、別れを惜しみました。こんな旅行が出来たのは、当団の名誉指揮者で今回も各地で指揮をする一方、事前には旅行の行く先とのアレンジをしてくださったディートリヒ・シュミット氏のお力をはじめ、ドイツ各地の合唱団のご協力があったからです。多くの方々に深く感謝しつつ、ターフェルの団員50人と家族を含めた一行90人は29日早朝、無事、成田空港に帰着しました。

(記:古川 和 , 写真:福嶋 修)





トピックス(2003.1)

Sonderkonzert (Special Concert in Berlin)

 ドイツ合唱連盟の機関紙"Lied und Chor"の2002年12月号で、2003年6月の合唱祭の記事が掲載され、ターフェルのことが紹介されていますので、要約を紹介します。

 合唱祭のSonderkonzertは、混声、男声、女声などの色々な合唱団の中で、古典曲、現代曲、民族曲などの音楽分野に、それぞれすぐれた実績をもつ合唱団に演奏の機会が与えられる場であって、東京リ−ダーターフェルがその好例である。この合唱団は、1925年に山口隆俊氏によって創設され、 日本のすぐれた歌曲と、さらにドイツの音楽を原語で演奏することに力を注いできた。ドイツの音楽については、戦後、日本のドイツ人学校で教鞭をとったD. Schmidt氏の貢献が大きい。ドイツ各地の合唱団との交流も多く、1968年以降ドイツ合唱祭にも毎回参加している。現在の常任指揮者は樋本氏である。  また、音楽を通じた人間関係が、政治的な国際関係の難かしい面を補っている好例が、ターフェルと韓国男声合唱団(KMC)との1985年以来の交流である。KMCは1958年に、ドイツ系の米陸軍中佐Hugo Götz氏の指導を受けて創立され、幅広い音楽分野で活動している。 この合唱団では、独特のリズム感をもった韓国民族歌曲が得意レパートリーのひとつになっている。KMCもまた来年のベルリン合唱祭に参加することが決定している。

(訳:鳥山純一)





中学の音楽の教科書にターフェル掲載

 教育芸術社発行の2003年度教科書「中学生の音楽」の教師用参考書「音楽の基本ネットワーク」(新学社発行)に、「東京混声合唱団」、「東京レディースシンガーズ」とともに、代表的な男声合唱団としてターフェルの名前と写真が掲載されました。1999年の定期演奏会の写真です。中学生の皆さんに「東京リーダーターフェル1925」の名前が浸透することを期待しましょう。




トピックス(2002.4)

外交の壁を超える草の根交流

ワールドカップ共催を前に多様化する日韓の市民交流

4月18日の The Japan Times紙(朝刊)に掲載された記事の訳文です。

『音楽は世界の言葉』
 市民による草の根活動が外交上の混乱を超えたことが、過去にもあった。
 1999年9月に日本音楽の演奏がソウルで部分的に許可されたが、それよりも10年以上前に、戦後初めて韓国で日本歌曲を演奏したのは、「男声合唱団 東京リーダーターフェル1925」と言う東京で活動しているアマチュアの男声合唱団だった。
 共に約80人のメンバーで構成される「韓国男声合唱団1958」と「東京リーダーターフェル」との韓国で開催された初めての交歓演奏会でそれは実現する。
 「私たちは聴衆が日本歌曲に対してどう反応するか少し心配していました。しかし、歌い終わった時4000人の聴衆が総立ちとなり、スタンディングオベイションで歓迎されました。そして、多くの人達が何10年ぶりかで日本歌曲を聴いて涙を流しているのが舞台から見えました」と日本側のメンバー、71歳の五十嵐徹さんは語る。この両グループの交流は、1980年代に韓国で生活していた五十嵐さんの尽力により実現した。
 当時を振り返って五十嵐氏は、市民コーラスグループの競演という趣旨が、韓国政府を動かし、例外的に許可が得られたのではないかと推測する。
 両団体はこの木曜日(4月18日)に交歓演奏会をソウルで開催することになっており、そこでは合同で日本と韓国の伝統的な歌が歌われる。
 「これは日本と韓国に限ったことではないのですが、国と国同士は決して友達にはなれません。何故なら外交上の関係は常に国家の利益とプライドがもとになっているからです。」今年度のコンサートを目前に控え、元会社役員の五十嵐さんは言う。
 「しかし、個人同士はお互いに深い親交を築くことができ、友達になることができます。世界の言葉である音楽は、そのような関係を築く上で、格好の手段であると私は思います。」

The Japan Times, Thursday, April 18, 2002 掲載記事(執筆者:松原 央 氏)
(訳:四元 勝一)





トピックス(2001.7)

常 任 指 揮 者 決 定

 2002年1月より、樋本英一氏に第6代の常任指揮者をお願いすることになりました。ご期待下さい。

樋本 英一(ひもと ひでかず)氏
 1954年、東京都生まれ。東京芸術大学声学科および指揮科を卒業。声楽を畑中良輔、平野忠彦、大久保昭男、指揮を伊藤栄一、金子登、遠藤雅古、マルティン・メルツアー、佐藤功太郎の各氏に師事。指揮科在学中に安宅賞を受賞。

1985年、ニューヨーク・カーネギーホールにおける東京・ニューヨーク姉妹都市提携25周年記念「シルバーブリッジコンサート」を指揮し、ニューヨーク・タイムズ紙で高い評価を得る。
オペラでは、1981年「喪服」(石桁真礼生作曲)、84年「魔笛」を指揮した後、88年より星出豊氏の副指揮者として日本オペラ協会を中心に多くの公演に参加。
1990年、91年と日本オペラ振興会新作オペレッタ「ピノキオ」(宮本亜門脚色・演出)の指揮で好評を博する。
1991年、「天守物語」(水野修考作曲)で日本オペラ協会指揮者としてデビュー。さらに、95年には「山椒太夫」(小山清茂作曲・新作初演)の東京本公演を指揮。
その他、「フィガロの結婚」、「カルメン」、「こうもり」、「那須与一」など多くのオペラの指揮を行うと共に、新国立劇場こけら落し公演「建」で合唱指揮者を務める。
合唱では、1989年、早稲田大学グリークラブの中国公演、武蔵野合唱団のハンガリー公演に指揮者として同行した他、東響コーラス、横浜市立大学混声合唱団、慶応義塾ワグネルソサイエティ女声合唱団、早稲田大学グリークラブ、武蔵野合唱団などの定期演奏会や東京六大学合唱連盟演奏会等の合同ステージを指揮。
ヘンデルの「メサイア」、モーツアルトの「レクイエム」、「戴冠式ミサ」、ヴェルディの「レクイエム」など、オーケストラ共演による合唱曲の指揮も多い。
1990年、東京混声合唱団のコンダクター・イン・レジデンスに就任。定期演奏会を始め、多くの公演を指揮。
当団では、1995年の創立70周年記念演奏会で「ドイツ合唱曲集」を、また、2000年の創立75周年記念演奏会でヴィラ・ロボス作曲「聖セバスチャンのミサ」、清水脩作曲「智恵子抄巻末の歌六首・或る夜の心」を客演指揮し、団員や聴衆に深い感動を与えた。
現在、東京芸術大学、桐朋学園短期大学、新国立劇場オペラ研修所、二期会オペラ研修所の講師を務める傍ら、合唱コンクール審査員、合唱講習会や指揮講習会などの講師としても活躍中。



トピックス(2001.1)

ドイツ合唱連盟機関紙にターフェル特集記事

 ドイツ合唱連盟(DSB)が発行している「Lied & Chor」の2000年11月号に、ターフェル創立75周年に関する特集記事が掲載されました。表紙にも1992年の第4回訪独時のベルリンにおけるハッピを着たターフェルの舞台写真が、指揮者・荒谷俊治氏の名前と共に掲載されており、あたかも東京リーダーターフェルの特集号のようです。以下はその本文記事の訳文です。 (記事の写真はこちら)

『75周年を迎えた東京リーダーターフェル』
 「歌うことは理解すること」。この良く知られたスローガンは世界中どこにでもそのまま当てはまる言葉である。たとえば東京では……。そこは日本の巨大な首都であり、我々から見ると言わば世界のはずれにある。そこではドイツの合唱音楽に関心がある反面、ヨーロッパ音楽からはかなり隔たった孤立した文化圏を形成していると考えられている。ただ、仏教寺院や神道の神社においては、修道院等のグレゴリオ聖歌に似た表現形態の旋律が伝承されている。
 ある時山口隆俊氏が、ベルリンにおけるツェルターのリーダーターフェル運動のことを文献で読んだことがきっかけとなって、1925年に日本で初めての男声合唱団が誕生した。山口氏はその合唱団の名称をドイツ語で、ただし日本のカタカナで「リーダーターフェル」と名付けた。今から75年前にターフェルが創立されたことは、その後の日本の文化にとって、また日独交流にとって、いやそれ以上に大きな意義を持つことになった。さればこそ、歌うことは理解をもたらしたのである。
 創立当初からこの合唱団はドイツロマン派の合唱作品を原語で歌うことを目標にしていた。やがてそれは一つの流行ともなったが、そのうちに邦人作曲家もヨーロッパのお手本にならって合唱作品を書くようになった。「けれども…」と知日家でターフェル名誉指揮者のディートリッヒ・シュミット氏は言う「日本には民謡や仕事歌に基づく沢山の新しい合唱作品があり、それらは紛れもなく日本人の心を表現しているものなのです。高名な作曲家・三木稔氏は自身ターフェルのメンバーでもありました。」
 1927年、この東京の最古の男声合唱団は、すでにドイツ・リーダーターフェル協会の海外会員となっており、のちにドイツ合唱連盟の会員となった。もう今では身内と言って良い。
 1958年9月からは、当時東京のドイツ人学校で教えていたディートリッヒ・シュミット氏が、この合唱団と親密な関係になった。彼は12年の長きにわたって東京に在勤し、その間ターフェルの客演指揮者を務めた。シュミット氏は現在ボーデンゼーの近くに住んでいるが、勿論今年お祝いのために日本に駆けつけた。彼はこう書いている。「日本ではドイツロマン派の伝統的合唱曲と並んで、現代ドイツの合唱作品も多くの演奏会で指揮してきましたが、ターフェルは実に卓越した合唱団で、日本の曲を暗譜で歌うばかりでなく、ドイツの合唱曲もまたドイツ語で(暗譜で)演奏するのです。」
 1968年に「東京リーダーターフェル」はシュツットガルトで開催されたドイツ合唱祭に初めて招待を受けた。それは初めてのドイツ旅行であったが、シュツットガルトを初めドイツ各都市で賛嘆の嵐を巻き起こした。
 シュミット氏はこの極東の「リーダーターフェル」が合唱を通じて善隣友好に尽力している事例を、こと細かに報告してくれている。たとえば、ソウルの韓国男声合唱団(KMC)との交流について以下のように述べている。「戦後もなお長い間、日本と韓国との間には植民地支配に基づく強い緊張関係が存在したが、ターフェルのメンバー五十嵐徹氏が韓国に赴任した際、まず韓国の合唱団で歌い、そしてKMCとターフェルのコンタクトを図った事から両団の交流が実現して、現在までに7回に及ぶジョイントコンサートが開催され、かつて対立関係にあった両民族の関係修復に貢献した。次回の第8回親善演奏会は2002年に予定されている。」

(訳:森田敏昭)