会津八一と法隆寺
小柳 左門(都城市・医師)
会津八一はこよなく奈良をいとほしみ、数々の歌は「南京新唱」などの歌集に収められてゐる。それらの歌の中から、法隆寺、斑鳩の里を詠んだいくつかの歌を集めてご紹介しよう。八一はことさらに聖徳太子への敬慕の念が篤かった。
なほ、八一の歌はほとんどが仮名だけで綴られてをり、和語に対する思ひがひとしほ感じられるのであるが、八一のかな書きの書もまったく素晴らしいもので、機会があれば是非ご覧になることを勧めるものである。
なほこれらの歌は、西世古柳平著「会津八一と奈良。歌と書の世界」からとったが、読みやすさも考へて、その本のままに歌は二行書きとした。
うまやどのみこのまつりもちかづきぬ
まつみどりなるいかるがのさと
いかるがのさとびとこぞりいにしへに
よみがへるべきはるはきむかふ
いかるがのさとのをとめはよもすがら
きぬはたおれりあきちかみかも
うまやどのみこのみことはいつのよの
いかなるひとかあふがざらめや
みとらしのあづさのまゆみつるはけて
ひきてかへらぬいにしへあはれ
(「みとらし」は、太子みずからおとりになった、の意。
「つるはけて」は、弓に弦をかけて。)
やまとにはかのいかるがのおほてらの
みほとけたちのまちていまさむ
たちいでてとどろととざすこんだうの
とびらのおとにくるるけふかな
(「とどろ」は扉のしまる音。「こんだう」は金堂。)
ちとせあまりみたびめぐれるももとせを
ひとひのごとくたてるこのたふ
(千三百年の年月を経た法隆寺塔のこと)
ほほゑみてうつつごころにありたたす
くだらぼとけにしくものぞなき
(「うつつごころ」は、自注によれば現とも夢ともなき心地。
「くだらぼとけ」は百済観音)
ゆめどのはしづかなるかなものもひに
こもりていまもましますがごと
あめつちにわれひとりゐてたつごとき
このさびしさをきみはほほゑむ
(夢殿の救世観音を詠んだもの)
あまたみしてらにはあれどあきのひに
もゆるいらかはけふみつるかも
法隆寺の壁画もいたくいろあせてみゆるを悲しむ
うつしよのかたみにせむといたつきの
身をうながして遠く来しわれ
いたつきのまくらにさめしゆめのごと
かべ絵のほとけうすれけるかな
ひとりきてめぐるみだうのかべのゑの
ほとけのくにもあれにけるかも
おほてらのかべのふるゑにうすれたる
ほとけのまなこわれをみまもる
うすれゆくかべゑのほとけもろともに
わがたまのをのたえぬともよし
中宮寺にて
みほとけのあごとひじとにあまでらの
あさのひかりのともしきろかも
(弥勒菩薩を詠んだもの)
観音のしろきひたひにやうらくの
かげうごかしてかぜわたるみゆ
(法輪寺十一面観音をよんだもの。「やうらく」は宝冠から垂れた紐)
このほかにも八一の代表作のひとつ、
「はつなつのかぜとなりぬとみほとけはをゆびのうれにほのしらすらし」
(「をゆびのうれ」とは小指の先)の歌があり、中宮寺弥勒菩薩を詠んだものといはれてゐる。