このサブサイトは、当サイトのかなり初期の段階で作られたもので、形式が古くなり、廃屋同然になってしまいました。再び取り上げる価値のあるコンテンツは、折を見て改めて 「Today's Crack」 で取り上げ、一巡したところで廃止にもっていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
このサブサイトは、当サイトのかなり初期の段階で作られたもので、形式が古くなり、廃屋同然になってしまいました。
再び取り上げる価値のあるコンテンツは、折を見て改めて 「Today's Crack」 で取り上げ、一巡したところで廃止にもっていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
● 田舎の家の、あふれんばかりの調度 H14.9.17 母の具合が思わしくないので、頻繁に田舎に帰っている。 田舎の家は35年前、父が脱サラ直後に建てた家なので、あまり金をかけていない。随所に適度な手抜きを施してあるらしく、今やあちこちにガタが来ている。体重 73kg の私が歩くと、あちこちの床板がミシミシいう。ガラス戸が妙にガタガタいうのも気になる。 しかし、父は 「今更改築しても、この先、何年も住めないだろうよ」 と言って、そのガタガタを楽しんでいる様子である。達観してしまっている。恐るべし、加齢のチカラ。 だが、問題は家具調度である。 父は禅宗の寺の出身なので、何もない暮らしが好きな男である。対照的に、母は好きなものに囲まれて暮らしたいので、折につけいろいろな調度を買いためてきた。その母が寝たきりなので、父は周りにあふれる必要もない茶器、花瓶、置物、飾り物の山に呆然としながら暮らしている。「一体、何に使うんだ」 というようなものが、茶箪笥の奥から次々に出てくるのである。 「捨てるわけにも、いかんものなぁ …… 」 それはそうである。夫婦というのは、理念だけではいかない。いろいろな 「形あるモノ」 が付随してくるので、それとの折り合いという骨の折れる仕事がある。 ● ベッドと布団 H14.7.30 以前、香港で広東語の通訳をしてもらった女性は、11人姉弟の10番目だった。一番上から彼女までがずっと女で、彼女の下にやっとのことで男の子が生まれた。両親の子作りは、そこでめでたくおわったのだという。 大変なのは寝場所の確保である。香港はベッドの国だ。なんと、ダブルサイズの二段ベッドを 2セット置いていたのだという。1段に3人ずつ寝ていたのだそうだ。 「最近は、上の方はお嫁に行ったので、1段に1人で寝られます」 と言っていた。めでたし、めでたし。 文明国と言われるところで、床に直接寝具を敷いて眠るのは、日本ぐらいのものではないだろうか。究極のシンプルライフである。現世の暮らしというのを、単に 「間に合わせ」 ぐらいに思っていなければ、一生床に敷いた布団で寝るという発想は生じないだろう。日本というのは、結構ユニークな文化をもった国である。 「座って半畳、寝て一畳」 をベースにした 「方丈記」 の暮らしをするには、やはりベッドは似合わない。私は今、ベッドを使っているが、こうしてみると、布団というのは大した発明だと思う。 布団に回帰しようかと思ったが、それには前提として、畳の生活にならなければならない。ところが我が家には、和室が 1つしかないのである。 ● 自動ドアの過度の普及と、スィングドアのマナー H14.6.28 私は自動ドアが嫌いだ。あれはちょっと近くに立つだけで用もないのに開くくせに、開いている時に出入りしようとすると突然閉まってきたりする。危なくてしょうがない。 それに、日本では自動ドアが多すぎるために、スィングドア (引き戸でない、西洋式の扉) のマナーができていない。スィングドアというのは、自分の後から続いて出入りしようとする人のために、ちょっと手で支えてあげるのがマナーである。そうしないと、ドアは自然に閉まろうとするから、後から続く人にぶつかってしまう。 日本では、伝統的に引き戸が主流だったから、スィングドアのマナーが普及していない。たまにあるスィングドアを出入りする時は、大抵の場合 前を行く人が無神経なので、注意が必要だ。自動ドアの過度の普及が、マナーの浸透を妨げているのである。 大体、タクシーのドアが自動ドアなんて、日本くらいのものだろう。おかげで、外国では 「日本人はタクシーから降りてもドアを閉めないで行ってしまう」 と、悪評を買っている。多分、「日本人は、ドアの出入りの際に、後ろから来る人に気配りをしない」 とも思われているだろう。 こんなことはきちんと教えれば何の問題もないのだが、案外誰も教えてくれないのである。国際化というのは、こんなところから始めなければならないと思う。 ● 「生活感のない部屋」 とは? H14.5.19 「生活感のない部屋」 というのが、人気である。 私が現在の家を建てようと思った20年前も、参考にしようとして住まいやインテリア関係の雑誌を買うと、実例として登場する若夫婦の多くは 「生活感のない部屋にしたかった」 などととコメントしていたから、このトレンドのスパンはかなり長い。 皆、シティホテルのスィートルームのような部屋に住みたいらしい。 しかし、いくら生活感のない家を建てても、長年暮らせば新築当時のままというわけには行かない。生活そのものを止めるわけにはいかないのだから、生活感を染み付かせないためには、生活の痕跡を消し去ることに投資し続けなければならない。 自分の生活を否定し続ける生活というのは、さぞかしストレスを生むだろう。それよりも、生活からにじみ出る味を上手にインテリアに組み込み、活かす手法を身につける方がソフィスティケーションの名に値する。 インテリア雑誌が言うところの 「生活感のない部屋」 とは、単に、ステテコ姿でビールを飲みながら野球中継に熱中するオヤジと、顔さえ見れば 「勉強しなさい」 とわめき続ける母親のイメージのないインテリアというだけのような気がする。 ● 今、一番足りないのは、コンセント H14.5.4 今、家庭で (オフィスでもだが) 一番足りないのは電源用のコンセントである。 今、私がこのコンテンツを作成しているパソコン周りは、電源を必要とするデバイスが12個もある。パソコン関連のものだけで12個なのであって、それ以外にも、照明、CDラジカセ、ケータイのバッテリーチャージャーなどがあるので、改めて数えてみると、16の電源コンセントが必要なのである。これだけの数のコンセントを、元はといえばたった2つのコンセントからタコ足配線しているのだ。 16のコンセントのうち、常に生きているのは、ADSLモデム、ブロードバンドルータの2つ。これに次いで、比較的生きている時間が長いのが、メインで使用しているパソコンと、そのディスプレイにスピーカー、そして卓上照明、ラジカセで、これらを合わせると、7つになる。つまり、たった2つのコンセントから、しょっちゅう 7つの電源を引いているのだ。 この家に引っ越してきたのは20年近く前で、当時の感覚では電源コンセントの数は 「十分」 なものに思えた。それが今やこの有様である。 5年ほど前、知り合いがマンションを建設したのだが、各部屋に初めから ISDN回線を引いて 「ハイテク・マンション」 を謳い文句にしていた。ところが、今では ISDN ごときでは 「ハイテク」 というにははばかられるだろう。こうしてみると、IT 関連というのは、あっという間に時代遅れになってしまう。 常になんとかして 「間に合わせ」 をしていくしかないのである。 ● 庭の樹木は住む人の歴史である H14.4.6 樹木というのは、歴史を語る。 どんな大邸宅でも庭の樹木がいかにも移植したてという風情では、やはり成金趣味から抜け出せない。逆に質素な屋敷でも、庭に古木の一本もあればそれなり奥床しさというものが出てくるのである。それには、少なくとも30年以上の年月が必要だ。 都心から遠くない新興住宅地に建つ家は、こうした理由で自動的に 「成金趣味」 か 「チンケ」 かのどちらかになってしまうのである。これは宿命であってしかたがない。 初めのうちは成金趣味かチンケかであっても、時間が経つにつれて住む人なりの味が出てくる。その時間の経過は、庭の樹木に象徴的に出てくるのだ。 こう考えると、我が家ももう少し庭木に気を使わなければならないのだが、どうしても園芸趣味に深入りする気になれない。第一、時間が取れない。おかげで我が家はチンケの域から脱することができないでいる。 ● 梅が見事に咲いた H14.3.11 我が家の庭の梅が、今までで一番見事に咲いた。それほど立派な木というわけではないが、これほどたくさんの花が咲くと、結構うれしくなる。 私は園芸趣味がないので、木や花の名も知らないし、育て方に至ってはさっぱり自信がない。それでもこの家に引っ越してきてほぼ20年の間に、手入れをサボるといかに木が滅茶苦茶になるかということと、滅茶苦茶にしないための手入れの仕方というのが多少はわかってきた。これらはすべて経験知によるものだ。経験というのは大したものだ。 昨年は思い切って梅の枝の剪定をしてみたのだが、それが良かったらしい。手入れというのはきちんとすればそれだけの結果がついてくる。 園芸というのは、草木との付き合いなのだなということがわかってきた。こうして付き合っているうちに、庭道楽にはまっていく人も少なくないのだろう。気をつけなければならない。庭道楽というのは、普請道楽よりも金がかかるのである。 ● 住居の広さとは? H14.1.20 住居の広さとは、一体なんだろう。 都会では、8畳間でも広い部屋かもしれないが、田舎に行ったら10畳以下の部屋なんてないという家もある。 それどころか、アメリカに行くたびに思うのだが、向こうのベッドルームは我が家のリビングルームより確実に広いのである。 その昔、外人向けハウスのだだっ広いリビングルームに日本人だけが集まってパーティをしたのだが、結局は真ん中で車座になって話し込んでしまった。とんだお笑いである。 狭い空間で快適に過ごすのは、ある意味、「高い文化」 である。そこには高い精神性がなければならない。それは 当サイトの 「小屋の時代」 に書いたこととも共通するのである。 ベッドがあって、小さなデスクと ADSL回線があれば、プライベートルーム 兼 SOHO ができる。今時、大きな書棚は必要ない。紙の媒体はどんどん電子化できるし、調べ物はたいがいインターネットで事足りる。 物理的には狭い空間でも、その中に世界を宿すことができる。宇宙を宿すことだってできる。
● 田舎の家の、あふれんばかりの調度 H14.9.17 母の具合が思わしくないので、頻繁に田舎に帰っている。 田舎の家は35年前、父が脱サラ直後に建てた家なので、あまり金をかけていない。随所に適度な手抜きを施してあるらしく、今やあちこちにガタが来ている。体重 73kg の私が歩くと、あちこちの床板がミシミシいう。ガラス戸が妙にガタガタいうのも気になる。 しかし、父は 「今更改築しても、この先、何年も住めないだろうよ」 と言って、そのガタガタを楽しんでいる様子である。達観してしまっている。恐るべし、加齢のチカラ。 だが、問題は家具調度である。 父は禅宗の寺の出身なので、何もない暮らしが好きな男である。対照的に、母は好きなものに囲まれて暮らしたいので、折につけいろいろな調度を買いためてきた。その母が寝たきりなので、父は周りにあふれる必要もない茶器、花瓶、置物、飾り物の山に呆然としながら暮らしている。「一体、何に使うんだ」 というようなものが、茶箪笥の奥から次々に出てくるのである。 「捨てるわけにも、いかんものなぁ …… 」 それはそうである。夫婦というのは、理念だけではいかない。いろいろな 「形あるモノ」 が付随してくるので、それとの折り合いという骨の折れる仕事がある。
● 田舎の家の、あふれんばかりの調度 H14.9.17
母の具合が思わしくないので、頻繁に田舎に帰っている。 田舎の家は35年前、父が脱サラ直後に建てた家なので、あまり金をかけていない。随所に適度な手抜きを施してあるらしく、今やあちこちにガタが来ている。体重 73kg の私が歩くと、あちこちの床板がミシミシいう。ガラス戸が妙にガタガタいうのも気になる。 しかし、父は 「今更改築しても、この先、何年も住めないだろうよ」 と言って、そのガタガタを楽しんでいる様子である。達観してしまっている。恐るべし、加齢のチカラ。 だが、問題は家具調度である。 父は禅宗の寺の出身なので、何もない暮らしが好きな男である。対照的に、母は好きなものに囲まれて暮らしたいので、折につけいろいろな調度を買いためてきた。その母が寝たきりなので、父は周りにあふれる必要もない茶器、花瓶、置物、飾り物の山に呆然としながら暮らしている。「一体、何に使うんだ」 というようなものが、茶箪笥の奥から次々に出てくるのである。 「捨てるわけにも、いかんものなぁ …… 」 それはそうである。夫婦というのは、理念だけではいかない。いろいろな 「形あるモノ」 が付随してくるので、それとの折り合いという骨の折れる仕事がある。
● ベッドと布団 H14.7.30 以前、香港で広東語の通訳をしてもらった女性は、11人姉弟の10番目だった。一番上から彼女までがずっと女で、彼女の下にやっとのことで男の子が生まれた。両親の子作りは、そこでめでたくおわったのだという。 大変なのは寝場所の確保である。香港はベッドの国だ。なんと、ダブルサイズの二段ベッドを 2セット置いていたのだという。1段に3人ずつ寝ていたのだそうだ。 「最近は、上の方はお嫁に行ったので、1段に1人で寝られます」 と言っていた。めでたし、めでたし。 文明国と言われるところで、床に直接寝具を敷いて眠るのは、日本ぐらいのものではないだろうか。究極のシンプルライフである。現世の暮らしというのを、単に 「間に合わせ」 ぐらいに思っていなければ、一生床に敷いた布団で寝るという発想は生じないだろう。日本というのは、結構ユニークな文化をもった国である。 「座って半畳、寝て一畳」 をベースにした 「方丈記」 の暮らしをするには、やはりベッドは似合わない。私は今、ベッドを使っているが、こうしてみると、布団というのは大した発明だと思う。 布団に回帰しようかと思ったが、それには前提として、畳の生活にならなければならない。ところが我が家には、和室が 1つしかないのである。
● ベッドと布団 H14.7.30
以前、香港で広東語の通訳をしてもらった女性は、11人姉弟の10番目だった。一番上から彼女までがずっと女で、彼女の下にやっとのことで男の子が生まれた。両親の子作りは、そこでめでたくおわったのだという。 大変なのは寝場所の確保である。香港はベッドの国だ。なんと、ダブルサイズの二段ベッドを 2セット置いていたのだという。1段に3人ずつ寝ていたのだそうだ。 「最近は、上の方はお嫁に行ったので、1段に1人で寝られます」 と言っていた。めでたし、めでたし。 文明国と言われるところで、床に直接寝具を敷いて眠るのは、日本ぐらいのものではないだろうか。究極のシンプルライフである。現世の暮らしというのを、単に 「間に合わせ」 ぐらいに思っていなければ、一生床に敷いた布団で寝るという発想は生じないだろう。日本というのは、結構ユニークな文化をもった国である。 「座って半畳、寝て一畳」 をベースにした 「方丈記」 の暮らしをするには、やはりベッドは似合わない。私は今、ベッドを使っているが、こうしてみると、布団というのは大した発明だと思う。 布団に回帰しようかと思ったが、それには前提として、畳の生活にならなければならない。ところが我が家には、和室が 1つしかないのである。
● 自動ドアの過度の普及と、スィングドアのマナー H14.6.28 私は自動ドアが嫌いだ。あれはちょっと近くに立つだけで用もないのに開くくせに、開いている時に出入りしようとすると突然閉まってきたりする。危なくてしょうがない。 それに、日本では自動ドアが多すぎるために、スィングドア (引き戸でない、西洋式の扉) のマナーができていない。スィングドアというのは、自分の後から続いて出入りしようとする人のために、ちょっと手で支えてあげるのがマナーである。そうしないと、ドアは自然に閉まろうとするから、後から続く人にぶつかってしまう。 日本では、伝統的に引き戸が主流だったから、スィングドアのマナーが普及していない。たまにあるスィングドアを出入りする時は、大抵の場合 前を行く人が無神経なので、注意が必要だ。自動ドアの過度の普及が、マナーの浸透を妨げているのである。 大体、タクシーのドアが自動ドアなんて、日本くらいのものだろう。おかげで、外国では 「日本人はタクシーから降りてもドアを閉めないで行ってしまう」 と、悪評を買っている。多分、「日本人は、ドアの出入りの際に、後ろから来る人に気配りをしない」 とも思われているだろう。 こんなことはきちんと教えれば何の問題もないのだが、案外誰も教えてくれないのである。国際化というのは、こんなところから始めなければならないと思う。
● 自動ドアの過度の普及と、スィングドアのマナー H14.6.28
私は自動ドアが嫌いだ。あれはちょっと近くに立つだけで用もないのに開くくせに、開いている時に出入りしようとすると突然閉まってきたりする。危なくてしょうがない。 それに、日本では自動ドアが多すぎるために、スィングドア (引き戸でない、西洋式の扉) のマナーができていない。スィングドアというのは、自分の後から続いて出入りしようとする人のために、ちょっと手で支えてあげるのがマナーである。そうしないと、ドアは自然に閉まろうとするから、後から続く人にぶつかってしまう。 日本では、伝統的に引き戸が主流だったから、スィングドアのマナーが普及していない。たまにあるスィングドアを出入りする時は、大抵の場合 前を行く人が無神経なので、注意が必要だ。自動ドアの過度の普及が、マナーの浸透を妨げているのである。 大体、タクシーのドアが自動ドアなんて、日本くらいのものだろう。おかげで、外国では 「日本人はタクシーから降りてもドアを閉めないで行ってしまう」 と、悪評を買っている。多分、「日本人は、ドアの出入りの際に、後ろから来る人に気配りをしない」 とも思われているだろう。 こんなことはきちんと教えれば何の問題もないのだが、案外誰も教えてくれないのである。国際化というのは、こんなところから始めなければならないと思う。
● 「生活感のない部屋」 とは? H14.5.19 「生活感のない部屋」 というのが、人気である。 私が現在の家を建てようと思った20年前も、参考にしようとして住まいやインテリア関係の雑誌を買うと、実例として登場する若夫婦の多くは 「生活感のない部屋にしたかった」 などととコメントしていたから、このトレンドのスパンはかなり長い。 皆、シティホテルのスィートルームのような部屋に住みたいらしい。 しかし、いくら生活感のない家を建てても、長年暮らせば新築当時のままというわけには行かない。生活そのものを止めるわけにはいかないのだから、生活感を染み付かせないためには、生活の痕跡を消し去ることに投資し続けなければならない。 自分の生活を否定し続ける生活というのは、さぞかしストレスを生むだろう。それよりも、生活からにじみ出る味を上手にインテリアに組み込み、活かす手法を身につける方がソフィスティケーションの名に値する。 インテリア雑誌が言うところの 「生活感のない部屋」 とは、単に、ステテコ姿でビールを飲みながら野球中継に熱中するオヤジと、顔さえ見れば 「勉強しなさい」 とわめき続ける母親のイメージのないインテリアというだけのような気がする。
● 「生活感のない部屋」 とは? H14.5.19
「生活感のない部屋」 というのが、人気である。 私が現在の家を建てようと思った20年前も、参考にしようとして住まいやインテリア関係の雑誌を買うと、実例として登場する若夫婦の多くは 「生活感のない部屋にしたかった」 などととコメントしていたから、このトレンドのスパンはかなり長い。 皆、シティホテルのスィートルームのような部屋に住みたいらしい。 しかし、いくら生活感のない家を建てても、長年暮らせば新築当時のままというわけには行かない。生活そのものを止めるわけにはいかないのだから、生活感を染み付かせないためには、生活の痕跡を消し去ることに投資し続けなければならない。 自分の生活を否定し続ける生活というのは、さぞかしストレスを生むだろう。それよりも、生活からにじみ出る味を上手にインテリアに組み込み、活かす手法を身につける方がソフィスティケーションの名に値する。 インテリア雑誌が言うところの 「生活感のない部屋」 とは、単に、ステテコ姿でビールを飲みながら野球中継に熱中するオヤジと、顔さえ見れば 「勉強しなさい」 とわめき続ける母親のイメージのないインテリアというだけのような気がする。
● 今、一番足りないのは、コンセント H14.5.4 今、家庭で (オフィスでもだが) 一番足りないのは電源用のコンセントである。 今、私がこのコンテンツを作成しているパソコン周りは、電源を必要とするデバイスが12個もある。パソコン関連のものだけで12個なのであって、それ以外にも、照明、CDラジカセ、ケータイのバッテリーチャージャーなどがあるので、改めて数えてみると、16の電源コンセントが必要なのである。これだけの数のコンセントを、元はといえばたった2つのコンセントからタコ足配線しているのだ。 16のコンセントのうち、常に生きているのは、ADSLモデム、ブロードバンドルータの2つ。これに次いで、比較的生きている時間が長いのが、メインで使用しているパソコンと、そのディスプレイにスピーカー、そして卓上照明、ラジカセで、これらを合わせると、7つになる。つまり、たった2つのコンセントから、しょっちゅう 7つの電源を引いているのだ。 この家に引っ越してきたのは20年近く前で、当時の感覚では電源コンセントの数は 「十分」 なものに思えた。それが今やこの有様である。 5年ほど前、知り合いがマンションを建設したのだが、各部屋に初めから ISDN回線を引いて 「ハイテク・マンション」 を謳い文句にしていた。ところが、今では ISDN ごときでは 「ハイテク」 というにははばかられるだろう。こうしてみると、IT 関連というのは、あっという間に時代遅れになってしまう。 常になんとかして 「間に合わせ」 をしていくしかないのである。
● 今、一番足りないのは、コンセント H14.5.4
今、家庭で (オフィスでもだが) 一番足りないのは電源用のコンセントである。 今、私がこのコンテンツを作成しているパソコン周りは、電源を必要とするデバイスが12個もある。パソコン関連のものだけで12個なのであって、それ以外にも、照明、CDラジカセ、ケータイのバッテリーチャージャーなどがあるので、改めて数えてみると、16の電源コンセントが必要なのである。これだけの数のコンセントを、元はといえばたった2つのコンセントからタコ足配線しているのだ。 16のコンセントのうち、常に生きているのは、ADSLモデム、ブロードバンドルータの2つ。これに次いで、比較的生きている時間が長いのが、メインで使用しているパソコンと、そのディスプレイにスピーカー、そして卓上照明、ラジカセで、これらを合わせると、7つになる。つまり、たった2つのコンセントから、しょっちゅう 7つの電源を引いているのだ。 この家に引っ越してきたのは20年近く前で、当時の感覚では電源コンセントの数は 「十分」 なものに思えた。それが今やこの有様である。 5年ほど前、知り合いがマンションを建設したのだが、各部屋に初めから ISDN回線を引いて 「ハイテク・マンション」 を謳い文句にしていた。ところが、今では ISDN ごときでは 「ハイテク」 というにははばかられるだろう。こうしてみると、IT 関連というのは、あっという間に時代遅れになってしまう。 常になんとかして 「間に合わせ」 をしていくしかないのである。
● 庭の樹木は住む人の歴史である H14.4.6 樹木というのは、歴史を語る。 どんな大邸宅でも庭の樹木がいかにも移植したてという風情では、やはり成金趣味から抜け出せない。逆に質素な屋敷でも、庭に古木の一本もあればそれなり奥床しさというものが出てくるのである。それには、少なくとも30年以上の年月が必要だ。 都心から遠くない新興住宅地に建つ家は、こうした理由で自動的に 「成金趣味」 か 「チンケ」 かのどちらかになってしまうのである。これは宿命であってしかたがない。 初めのうちは成金趣味かチンケかであっても、時間が経つにつれて住む人なりの味が出てくる。その時間の経過は、庭の樹木に象徴的に出てくるのだ。 こう考えると、我が家ももう少し庭木に気を使わなければならないのだが、どうしても園芸趣味に深入りする気になれない。第一、時間が取れない。おかげで我が家はチンケの域から脱することができないでいる。
● 庭の樹木は住む人の歴史である H14.4.6
樹木というのは、歴史を語る。 どんな大邸宅でも庭の樹木がいかにも移植したてという風情では、やはり成金趣味から抜け出せない。逆に質素な屋敷でも、庭に古木の一本もあればそれなり奥床しさというものが出てくるのである。それには、少なくとも30年以上の年月が必要だ。 都心から遠くない新興住宅地に建つ家は、こうした理由で自動的に 「成金趣味」 か 「チンケ」 かのどちらかになってしまうのである。これは宿命であってしかたがない。 初めのうちは成金趣味かチンケかであっても、時間が経つにつれて住む人なりの味が出てくる。その時間の経過は、庭の樹木に象徴的に出てくるのだ。 こう考えると、我が家ももう少し庭木に気を使わなければならないのだが、どうしても園芸趣味に深入りする気になれない。第一、時間が取れない。おかげで我が家はチンケの域から脱することができないでいる。
● 梅が見事に咲いた H14.3.11 我が家の庭の梅が、今までで一番見事に咲いた。それほど立派な木というわけではないが、これほどたくさんの花が咲くと、結構うれしくなる。 私は園芸趣味がないので、木や花の名も知らないし、育て方に至ってはさっぱり自信がない。それでもこの家に引っ越してきてほぼ20年の間に、手入れをサボるといかに木が滅茶苦茶になるかということと、滅茶苦茶にしないための手入れの仕方というのが多少はわかってきた。これらはすべて経験知によるものだ。経験というのは大したものだ。 昨年は思い切って梅の枝の剪定をしてみたのだが、それが良かったらしい。手入れというのはきちんとすればそれだけの結果がついてくる。 園芸というのは、草木との付き合いなのだなということがわかってきた。こうして付き合っているうちに、庭道楽にはまっていく人も少なくないのだろう。気をつけなければならない。庭道楽というのは、普請道楽よりも金がかかるのである。
● 梅が見事に咲いた H14.3.11
我が家の庭の梅が、今までで一番見事に咲いた。それほど立派な木というわけではないが、これほどたくさんの花が咲くと、結構うれしくなる。 私は園芸趣味がないので、木や花の名も知らないし、育て方に至ってはさっぱり自信がない。それでもこの家に引っ越してきてほぼ20年の間に、手入れをサボるといかに木が滅茶苦茶になるかということと、滅茶苦茶にしないための手入れの仕方というのが多少はわかってきた。これらはすべて経験知によるものだ。経験というのは大したものだ。 昨年は思い切って梅の枝の剪定をしてみたのだが、それが良かったらしい。手入れというのはきちんとすればそれだけの結果がついてくる。 園芸というのは、草木との付き合いなのだなということがわかってきた。こうして付き合っているうちに、庭道楽にはまっていく人も少なくないのだろう。気をつけなければならない。庭道楽というのは、普請道楽よりも金がかかるのである。
● 住居の広さとは? H14.1.20 住居の広さとは、一体なんだろう。 都会では、8畳間でも広い部屋かもしれないが、田舎に行ったら10畳以下の部屋なんてないという家もある。 それどころか、アメリカに行くたびに思うのだが、向こうのベッドルームは我が家のリビングルームより確実に広いのである。 その昔、外人向けハウスのだだっ広いリビングルームに日本人だけが集まってパーティをしたのだが、結局は真ん中で車座になって話し込んでしまった。とんだお笑いである。 狭い空間で快適に過ごすのは、ある意味、「高い文化」 である。そこには高い精神性がなければならない。それは 当サイトの 「小屋の時代」 に書いたこととも共通するのである。 ベッドがあって、小さなデスクと ADSL回線があれば、プライベートルーム 兼 SOHO ができる。今時、大きな書棚は必要ない。紙の媒体はどんどん電子化できるし、調べ物はたいがいインターネットで事足りる。 物理的には狭い空間でも、その中に世界を宿すことができる。宇宙を宿すことだってできる。
● 住居の広さとは? H14.1.20
住居の広さとは、一体なんだろう。 都会では、8畳間でも広い部屋かもしれないが、田舎に行ったら10畳以下の部屋なんてないという家もある。 それどころか、アメリカに行くたびに思うのだが、向こうのベッドルームは我が家のリビングルームより確実に広いのである。 その昔、外人向けハウスのだだっ広いリビングルームに日本人だけが集まってパーティをしたのだが、結局は真ん中で車座になって話し込んでしまった。とんだお笑いである。 狭い空間で快適に過ごすのは、ある意味、「高い文化」 である。そこには高い精神性がなければならない。それは 当サイトの 「小屋の時代」 に書いたこととも共通するのである。 ベッドがあって、小さなデスクと ADSL回線があれば、プライベートルーム 兼 SOHO ができる。今時、大きな書棚は必要ない。紙の媒体はどんどん電子化できるし、調べ物はたいがいインターネットで事足りる。 物理的には狭い空間でも、その中に世界を宿すことができる。宇宙を宿すことだってできる。