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このサブサイトは、当サイトのかなり初期の段階で作られたもので、形式が古くなり、廃屋同然になってしまいました。

再び取り上げる価値のあるコンテンツは、折を見て改めて 「Today's Crack」 で取り上げ、一巡したところで廃止にもっていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 



新そばを食した
 H14.11.3

今日、初めて今年の新そばを食した。取手の 「車」 (これで 「くるまや」 と読ませるらしい) という店だ。

この店は、酒も出さないし、店内のインテリアもイマイチだし、注文を取りにくる女の子もモタモタしてるのだが、そばのできだけは、取手近辺で最高だ。この店のご主人から、「11月からは新そばが入りますから」 と聞いていたので、我が家の次女と楽しみに出かけたのである。

初めから信用しているので、端から 「大ざる」 を頼む。この店の 「ざる」 とは、ざるに持ってあるからざるというのであって、海苔がふってあるわけではない。エッジが効いてるのにモチモチ感のある細打ちのそばの持ち味が、新そばという原料を得て、ますます冴えていた。

次女は 「おろしきつねそば」 というのを食したのだが、辛味大根のシャープな辛さとお揚げの甘さがあいまったぶっかけである。一口食べてみたが、なかなかのものだった。

その辺のそば屋でも、「新そば」 という張り紙だけはやたらと見かけるが、本当に新そばを使っているとは思えないものが多い。だから、正真正銘の新そばは、今年は今日が初めてとする。

 

「激辛」 ということ H14.9.4

実は辛モノ好きである。韓国には行ったことがないし、焼肉屋にもほとんど行かないのだが、キムチだけは大好きだ。誰も止める人がなかったら、腹一杯になるか、なくなるまで食べ続けてしまう。インド料理店でも、日本人向けにマイルドな味付けにしてあったりすると、とても物足りない気がする。

以前、中央線東小金井駅近くにあるラーメン屋で、マーボラーメンというのを食べた。これはただでさえ激辛なのだが、盛りが大きくになるつれて激辛度もなぜかアップするのである。

私の食べた 「大盛」 は、「死亡率75%」 とかいう恐ろしいものだった。なにしろ、スープが唐辛子の色で真っ赤なのである。これを汗水たらしながら平らげ、プライドにかけてもスープまで全部飲み終えたら、店員に 「あんたみたいな人が、年に2〜3人いるよ」 と言われた。褒められたのか、呆れられたのか、今でもわからない。

辛モノの怖さは、食べ続けると神経が麻痺してしまって、いくらでもエスカレートしてしまうことだ。最近はあまり挑戦しなくなったので、以前ほどの激辛強さはなくなったかもしれないが、それでも、他人が悲鳴を上げるほどの辛い料理でも、ごく普通に食べてしまう。困ったものだ。

英語では 「辛い」 を "hot" と言う。「熱い」 と区別するために、"spicy and hot" などと言ったりする。しかし、日本特有のスパイスである 「わさび」 の辛さは、 "hot" ではない。あれは言うとすれば "cold" である。

私は、実は唐辛子の "hot" には強いのだが、わさびの "cold" には弱いのである。

食べ物の好き嫌いということ H14.7.22

「飽食の時代」 と言われて久しい。 それをはっきりと感じるのは、最近の若い世代が食べ物の好き嫌いをことさらに言うのを聞くときだ。嫌いなものを食べずに済ませられるというのは、まさに飽食の時代の贅沢である。

そこへいくと、私なんかは戦後派といっても昭和20年代の生まれだから、子供の頃は好き嫌いをいう余裕なんてなかったのである。

そりゃあ、できれば避けたい食べ物だってないわけではない。しかし、それを嫌いと言って食べなかったら、空腹が満たされないのである。きちんと健康に生き延びるためには、出されたものは何でも食うしかないのだ。

こうして私は 「おいしいものはおいしく、まずいものはそれなりに」 食べる術を、自然に身に付けた。決して 「味音痴」 なのではない。それどころか、味はかなりよくわかるのである。一度食べたおいしいものは、きちんと私の中の味覚データベースに蓄積されて、目隠しテストでも多分わかるだろうという自信がある。

そして、まずいものを食すときには 「感覚遮断」 をしてしまうのだ。ただ単に食うのである。味については、機械的に感じはするけれども、あえて評価はしない。印象にとどめずに、胃袋に落とし込むだけということにする。これで生命を維持できると思えば、大概のものは感謝して食すことができる。


だから、私は食べ物について 「うまい」 とは言うが、「まずい」 とはあまり言わない。そして、好き嫌いは決して言わないのである。

そして、
この態度を人生全般に貫くことができたら、さぞや幸福に生きられるだろうと思うのである、

消化酵素が日本人になってしまった H14.6.20

自然食や食養の世界では、食品を陽性食と陰性食に分ける。詳しい説明はそのうち書こうかとも思うが、今回は牛乳は代表的な陰性食であることを知っていただきたい。寝苦しい熱帯夜などは、グラス一杯の牛乳が適度に体を冷やし、安眠を誘って夏バテを防ぐ効果がある。

ところが近頃、私はこの方法で安眠することができなくなった。牛乳を飲むと、途端に下痢をしてしまい、夜中にトイレに駆け込むことになるのである。

モノの本によると、日本人の何割かは牛乳を消化する酵素が不足しているのだという。思い出せば、昔から給食のミルクを飲めない子が確かにいた。私はその頃、牛乳が大好きで、そうした子の分まで飲んでいたので、身長が180センチ近くに伸びてしまったのだ。まさか、自分が牛乳を飲めなくなるなんて、想像もしなかった。

今、私はとても日本人的な胃腸になってしまっているのである。そういえば、食い物の好みもさっぱりとした和食にどんどんシフトしている。さて、夏の夜を涼しく過ごすには、他にどんな陰性食を見繕えばいいだろう?

 

「食」 は気分次第のところがある H14.5.15

重いリュックを背負って、尾根道を縦走している。今日の行程は長い。もう少し先に行ってから昼食にしようと思っているうちに、つい午後の2時も過ぎてしまう。気付いてみると、「シャリバテ」 でフラフラだ。もう一歩も歩けない。

そんな時、リュックのポケットからビスケットを取り出し、2〜3枚ポリポリと食べると、あーら不思議。今食べたばかりのビスケットがいきなり消化されてエネルギー源になったわけでもなかろうに、次の瞬間には、腹に力が入ってスタスタ歩き始めている。

こんな経験が何度もある。これだけでも、「食」 というのは気分の問題というのがわかる。何か口に入れたという気になりさえすれば、エネルギーは湧いてくる。

エネルギーという物理的な問題にしてからが、こんなものなので、「おいしい」 だの 「まずい」 だのいう感覚的な問題になったら、それはもう、8割方気分の問題といっていい。気分よく飲み食いすれば大概のものはおいしいのである。

おいしく食べるとは、気分よく食べることである。いやなやつに付き合わされては、どんな高級レストランの料理でもおいしくは感じない。

気分よく食べさえすれば、おいしい上に、栄養にもなる。「気分」 とは大事なファクターである。

行列のできる店の正味のうまさ H14.4.29

先日、誘われて恵比寿にある某ラーメン屋に行った。その店は 「行列のできる店」 として有名なのだが、昼の 11時半ぐらいだったので、まだ 4〜5人しか並んでおらず、案外簡単に入ることができた。

塩ラーメンを食べたのだが、まぁ、確かにうまい。しかし、「高い値段なんだからこのくらいでなくっちゃね」 といった程度のもので、それほど感動するような味でもない。行列なんかできなくても、もっとうまい店はいくらでもある。

食べ終わって外に出ると、既に 2〜30人の行列ができていた。あの行列の最後尾がラーメンにありつくまでには、少なくとも 30分はかかるだろう。30分並んでまで食べるようなラーメンとは、残念ながら思えなかった。

「行列のできる店」 というのが話題になるが、これはほとんどパブリシティ、つまり雑誌記事やテレビの力によるところが大きいと思う。いったん行列ができ始めると、人が人を呼んでますます行列は長くなる。

しかし、客数が増えると数をこなさなければならなくなるから、どうしても味が荒れる。材料の仕入れだって思い通りには行かなくなることもある。だから私は 「行列のできる店」 というのを、額面どおりには信じないことにしているのである。

天然酵母のパン作り H14.4.4

実は10数年間も、自家製天然酵母パンを作って食べている。パン生地をこねるのは私の役割で、それを焼くのは妻の役割だ。これだけ年季が入ると、小麦粉を触った手の感触で、水の量の微妙な調整もわかるようになった。その辺の駆け出しのパン屋よりは上手なのではないかと思う。

原料にはかなり凝っている。天然酵母は福島の山奥の渓流で採れた生粋の天然物をわけてもらった。10数年間も我が家の冷蔵庫で子孫を増やし続けている。これだけ長く付き合うと、酵母との一体感ができて、ますますおいしく発酵されるというものだ。

小麦粉は帝国ホテルのレストランでも使っているという噂の、北海道は江別製粉のもの。問屋も小売店も通さず、電話注文で直送してもらっている。個人レベルでは、結構いいお得意先になっているはずだ。

レパートリーはただひとつ。全粒粉をブレンドしたドイツの田舎風パンである。これを食べつけると、その辺の白くてふわふわするだけのパンの味気なさがよくわかる。「味わい」 というものがあるのである。

食品の表示は怪しいと前から思ってたが…… H14.3.6

食品のインチキ表示は雪印だけではなかったことがバレバレになってしまったが、そんなことは前から薄々気づいていたことだ。

「魚沼産のこしひかり」 があんなに大量に流通しているわけがないとか、本物の松坂牛がスーパーであんなに安く買えるわけがないとか、したり顔で言う人は前からずいぶんいた。本当かどうかわからないが、スーパーの食肉売り場担当者が、「○日から3日間、和牛の特売をするから大量に仕入れたい」と言うと、仕入先には怪しい和牛肉がどこからかいくらでも沸いてくるのだという話も聞いたことがある。

食ってもその違いがわからない消費者には、その程度のいい加減な流通で十分なのかもしれない。

米で言えば、別にこしひかりでなくても、精米してから3日目くらいまでの米を上手に炊いて、その炊き立てを食べれば十分にうまい。

私の周りにも、「六甲の水」 と 「エビアン」 のあの明白な違いがわからない人がずいぶんいる。これはどっちがうまいとかではなく、口に入れたときの感覚の差異を言っているのだが、その差異がわからない人が、
米だけブランド米を食べたって、仕方がないのじゃないかという気がする。

● 「蕎麦」 は禅的食物かも知れないが…… H14.1.19

そばが好きである。江戸前、田舎、両方好きだ。酒も一人で飲む 「蕎麦屋酒」 がいい。とにかく、淡々と飲み、淡々と手繰るのがいいのである。

確かに、ツユなんぞはチョッとしかつけない。うまい蕎麦は、本当にその方がうまいのである。大さじ1杯のツユがあれば、大盛り1枚だって食って見せられるが、かといって、初めからホンの少ししかツユを出さないのが本格的蕎麦屋だと勘違いしている店もあって、困り者である。ある程度の量のツユを出してくれなければ、後で蕎麦湯の楽しみがなくなるではないか。自分だけ高級蕎麦屋と思い込んでいる勘違いの店は、そのうち淘汰されるのである。

勘違いといえば、こんなことがあった。

ある日、都内某所のとある有名蕎麦屋に入ったら、隣の席にアメリカ人とおぼしき若い男女 4〜5名がいて、そのうちの 1人がやたらと日本通らしい。蕎麦がいかに日本的なるものを代表する食べ物であるかを力説している。「蕎麦と禅ブッディズムには共通点がある」などと、言っているようだ。フムフム。日本カブレもここまでくれば立派なものだ。

程なくして彼らの席に 「盛り」 が届き、それぞれが神妙な顔をして蕎麦を手繰り始めたのだが、なんだか変だ。いったい、この違和感は何だ?

その原因はすぐに知れた。彼らは全員、音を立てず、必死に 「モグモグ」 と蕎麦を食っていたのである。