「春雨」は歌えない

 平成4年3月、僕は視覚障害者のための生活訓練所に在籍しておりました。
 そこで知り合ったY君はチェロが弾けるとのこと。僕の中であるアイデアが浮かびました。僕の弾き語りにチェロを重ねたらどんなにかいい演奏になるだろうかって。
 以前からバイオリンとのジョイントを夢見ていたのですが、なかなかチャンスはありませんでしたし、チェロもそれに近い、いや音に深みがある分、それ以上の演奏が実現できるのではと大きく期待が膨らんでいったのです。
 それも、抒情的な村下さんのいくつかの曲にはとても合いそうだったから、村下さんの曲を二人でできたらどんなにか素敵だろうかと思うようになりました。
 早速村下さんのオリジナルの音と僕が弾き語りしたテープを彼に渡し、僕の演奏にチェロを重ねて演奏し、簡単な録音をして聞かせてほしいとお願いしたのです。
 彼に渡した曲は、「春雨」と「ソネット」。
 彼から届いたテープを早速聞きました。「ソネット」は僕の演奏自体が不出来でしたから、チェロを重ねても単調な感じで出来栄えとしては今ひとつでした。
 でも、「春雨」は想像以上の出来栄えで、体中が震え、涙が浮かんでくるほどでしたね。
 「これは絶対にみんなに聞いてもらいたい!」と、僕は近いうちに行われる訓練所の文化祭に彼とジョイントで演奏することを決心したのです。

 その本番に向けて彼との練習が始まりました。
 とは言っても、彼はギタークラブには所属してませんので、訓練の合間の空き時間を使って、しかも他の訓練生もいる控え室で練習するしかありません。
 聞いてくださってた訓練生の中から、「オーケストラがついたみたいでいいね。」と言ってくださったり、「チェロの音が大きくてギターがあまり聞こえないよ。」というような手厳しい意見があったりと、みんなが関心を寄せて二人の演奏を聞いているようでした。

 そしていよいよ当日。
 午前の部のギタークラブのコンサートが終わり、模擬店などを廻ってあれこれと楽しんでから、Y君との最終練習のために空き部屋にギターを持って行き、Y君が来るのを待っていました。
 そこへY君が入ってきて、坦々とした口調で言いました。
 「チェロの弓がないんです。」
 僕は一瞬、彼が何を言っているのか理解に苦しみました。それが理解できても彼の坦々とした口調から事の重大さに気づかず、しばらくはポカ〜ンとしていました。
 「弓がない。」
 それは即、演奏ができないということです。それを思い知らされた瞬間、僕は泣き崩れてしまいました。
 彼に無理を言って練習してもらったのに。大切なチェロの弓をなくしてしまった。すべてが僕の夢のために起きてしまったこと。ほんと彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 直感的に誰かのしわざで弓を隠されてしまったと感じていましたから悔しさもありました。
 僕もY君も訓練所には自宅から通っておりましたから、文化祭の数日前から楽器を控え室に置いたままにしておいたのでした。
 そのチェロのケースの中から誰かが悪意をもって弓を盗み出し、隠してしまったか、捨ててしまったらしいのです。

 「今日はもう歌いません!」と涙でボロボロになりながら僕は顧問の先生に告げました。
 とても歌えるような状況ではありません。「いっそ僕のギターを傷つけてくれればよかったのに。」と、悔しくて悔しくてたまりません。
 Y君は取り乱しはせず冷静でしたが、さすがにガックリときているようでした。
 泣き崩れる僕に顧問の先生が、「元気を出せ!Yのためにも一人で歌いなさい。」と諭すのでした。
 僕はその「Yのために・・・」という言葉に目が覚めたみたいになんとかがんばろうと気持ちを切り換えるのでした。
 午後の部では、もう1曲、人の伴奏を頼まれていましたから、なんとかステージに立つ気力を奮い立たせてその時を待ちました。

 「春雨」は歌えない。彼のチェロなしではあまりにも寂しすぎます。僕は急遽「初恋」に切り換えてステージに立つことにしました。
 司会者から紹介され、僕が挨拶をすることになりました。
 「誰かの悪意でチェロの弓が盗まれました・・・」と言いたいのを押し殺して、この場で何も事情を説明することなく、「予定ではY君とやるつもりでしたが、一人でやることになりました。」とだけ告げて「初恋」の演奏に入るのでした。
 ギターのストロークもやや力が入り、たたきつけるようにビートを弾きました。
 もう涙はありませんでしたが、同時にどこかしら空虚な感じで身体が沈み込む錯覚に陥りました。かかえたギターもやけに大きく感じます。
 やけになってはいけない。「初恋」という曲を粗末にしてはいけないと自分に言い聞かせながら歌い続けました。
 エンディングの最後でジャカジャカとストロークを弾き演奏が終わりました。
 拍手喝采が僕一人のために沸き上がってきます。急に現実に引き戻され、僕だけがこんなにも賞賛を受けているのが、Y君には申し訳ない気持ちになりました。

 その事件の後遺症はずいぶん長く尾を引いていました。
 ある日、ギタークラブのもう一人の顧問の先生から「フォークソングのコンサートがあるので、みんなで行きませんか?」とお誘いがありました。
 最初はその先生の思いやりとは気づかずにお断りしていたのですが、仲間たちが先生の気持ちを説いてくれ、僕はハッとさせられ、出かけることにしました。
 それだけ周りの人たちが心配してくれているんだとわかり、いつまでもくよくよしていてはいけないと自分を励まし、少しずつ立ち直ることができたのです。
 結局チェロの弓は、控え室のロッカーの後ろに隠されていたのを数日後発見されました。

 事件から1ヵ月後、Y君と二人だけで誰が犯人だと思うかとお互いの意見を交換しました。二人の意見は一致しました。
 当然やっかみの末に起こしたこととこれもまた一致した意見でした。
 でも、証拠があるわけでもないし、それを攻めたところでどうなるわけでもありません。
 とりあえずは弓も返ってきたわけですし、またこういう機会にチャレンジすればいいだろうとその事件に二人だけでけりをつけたのです。

 それほどのやっかみを受けるほど、二人の演奏は出来がよかったのです。Y君のチェロがずいぶん僕の演奏をきわ出させてくれていましたね。
 いつのことだったか、彼と練習をしていた時に、廊下を通りかかった訓練所の所長さんが、「誰がCDを大きい音で聞いてるんだと思ったよ。」と絶賛してくれたこともありましたね。
 その後、自主ライブなどで、Y君とのジョイントの機会があり、その演奏はたくさんの方に聞いていただくことができました。
 僕の「春雨」も当時にくらべれば進化したつもりです。またY君とのジョイントを夢に見ています。


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