歌人の本音

ご実家は映画館

 ご実家の映画館は邦画も洋画も上映していて、学校が終わるといつも映画ばかり見ていたそうです。
 いつもただで見ることができていたので、お金を払って映画館に行くのはばからしいと笑って話しておられました。


テレビ出演について

 晩年はテレビ出演もされるようになっていましたが、「初恋」がヒットした当時、ザ・ベストテンなど音楽番組からの出演依頼もあったものの、村下さんは頑なに出演をお断りになっておりました。
 番組制作側のみならずファンもてれびでの生出演を心待ちにしていたのですが、村下さんなりの信念を持ってお断りになっていたようです。
 あるインタビューから・・・、
 「芸能界や歌の世界は周期が早いですよね。でも、僕の場合、楽曲を作ったり、コンサート活動をしています。楽曲を作るのもゆっくり時間をかけて作っていますから、そういう芸能界の早い流れに乗ってしまうと、自分のペースで楽曲が作れなくなってしまう。楽曲が作れなくなってしまえば僕自身が終わってしまいます。自分を守り、永く歌って行くためにベストテン番組への出演を遠慮させてもらったんです。」
 「『ちょっと売れてきたからとカッコつけて』などと言われることもありますが、そんな気持ちはありません。僕の夢でもあるし、職業でもあります。生活もかかってますから。いわゆる『一発屋』にはなりたくありません。」
 と、当時は表向き言ってたんですが、後にわかったこと。
 村下さんは本当はザ・ベストテンに出たかったそうです。
 しかし、事務所の方針で出演をさせてもらえなかったのだそうです。
 で、仕方なく友人の西田さんとザ・ベストテンごっこをして遊んだとか。

作家として

 楽曲を作る時は、曲を先に作り、後で歌詞をつけるそうです。「初恋」も曲から作りました。
 「音楽」というのは「音を楽しむ」と書きますが、村下さんはアマチュア時代音を楽しんでいたのに、プロになってからは音を楽しんでいないとおっしゃっておりました。
 楽曲を作るにも期限がありますし、売れなきゃいけない、自己満足ではいけない、自分のしたいことができない・・・、そんな欲求不満がたまっていたそうです。

「村下孝蔵さんがくれたもの」のメニューへ
画像・トップページへ