歌人

 ’99年6月24日、僕は職場の控え室でラジオを聞いていました。夕方の川中美幸さんの番組で、この週を通してのゲストが村下さんでした。
 この日はゲスト出演4日目で、20周年を直前にしての活動などについて話されていました。
 この番組自体はすでに収録済みのものを1週間帯び番組として放送されていて、この日の番組が終わったところで、声がアナウンサーに代わり、「今日、フォークシンガーの村下孝蔵さんが亡くなられました。」のニュースが飛び込んできました。
 あまりにもタイミングがいいというか、悪いというか、アナウンサーが冗談でも言っているのかと本当に耳を疑いました。
 まるで悪い夢を見ている気分で呆然となった僕の口からは、「嘘やろう?」の言葉だけでした。
 一人の歌手が亡くなっただけでこんなにも悲しみが押し寄せてくるものかと思うくらいにショックは大きかったです。
 20周年を目の前にし、記念のアルバムの発売も予定されていて、とても楽しみにしていた矢先にこんなことになるなんてと残念で残念でしかたがありませんでした。
 というより、その時点では信じられないという気持ちだけで、心が空っぽになったような寂しさがこみ上げてきました。
 僕はその時点で、18年間村下さんを追いかけ続けていて、それはたくさんの思い出をくださっていただけに、いやそれ以上に心の拠り所にもなっていただけに、失ったものはあまりに大き過ぎました。
 亡くなられた当日の夜、悲しい思いのやり場に困り、周りにもそんなに村下ファンも多くないし、思い切ってパソコンの掲示板に「村下孝蔵さんのファンの方へ」と題して悲しみのメッセージを掲載しました。
 報告もかねてのメッセージに対して10通ほどの方からお返事をいただき、僕のメッセージを見るまで知らなかったとショックを受けられている方から、そんなに村下さんの歌は知らないが、カラオケで歌ったりすると言うような方まで、全国からお便りが届きました.
 村下さんの曲を好んで聞いていらっしゃる方ばかりでしたから、メールのやりとりでそれぞれの思いを語り合い、生前の村下さんをしのびました.

 ビッグヒットはそんなに多くはなかったのですが、大人にも受けるような名曲が多かったこともあって、隠れファンは意外に多く、ラジオ番組などでの扱いや反響は大きかったです。
 それだけに放送で村下さんの代表曲が流れることも多くなり、それらを聞くたびに瞳が熱くなり、涙が流れそうになって仕方がなかったです。
 思い出がたくさんつまっているだけにどの曲を聞いても心が揺さぶられ、思いにふけってしまうのです。
 しばらくは村下さんの曲を聞くのが辛くて、ラジオなどから流れてくると、スイッチを切ったり、耳をふさいだりして、村下さんの曲を聞かないようにしていました。

 僕自身、最後にコンサートに出かけたのが、前の年の11月に大阪で開かれたギター伴奏だけのアコースティックライブでした。
 そのラストあたりで「歌人(うたびと)」という歌を歌ってくださったのですが、そのエンディングで「ラララ・・・」と歌い上げてドラマティックに終わるところで、村下さんが声を急に切った気がしました。
 クライマックスのところをぷっつりと切れたことが、村下さんの最期に似ている気がして、不意にそのシーンを思い出したのです。

 あとから聞いた話では、亡くなられる4日前の6月20日にリハーサル中に倒れられ、そのまま意識の戻らぬまま亡くなられたととのことでした。高血圧性脳内出血でした。
 その倒れられた20日の午後3時ごろ、僕は人が勢いよく閉めた扉に左手の指をはさまれたいへん痛い思いをしました。
 もちろんその時点では村下さんが倒れられたなどということは知る由もなかったのですが、4日後に亡くなられてこういう経過を聞くと自分勝手に「あれが虫の知らせだったのかなあ・・・」などと思い込んだりしてました。
 皆さんはこんな思い込みをお笑いになるでしょうが、そんな思いにさせるほど僕にとって村下さんは大きい存在だったのです。

 しかしながら、いつまでも悲しみに暮れているのは村下さんも好まないことだし、もともと遠い世界から歌ってくれていたのだから、天国に旅立たれてもさほどの距離感は変わらないだろうと無理に思い込むようにして、自分をなぐさめました。
 村下さんは旅立ってしまったけど、残してくれた名曲の数々は消えてなくなることはないし、僕たちファンが歌い続け、語り続けていくことで、村下さんの存在感は生き続けるだろうと思えるようになりました。


「村下孝蔵さんがくれたもの」のメニューへ
画像・トップページへ