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君に届けこの歌〜夢は続く 僕はフォークソング系の歌を昔から歌い続けてきました。ほとんどギターでの弾き語りの演奏が多かったのですが、これまでの音楽活動の中でいろいろ形を変えながら歌ってきました。これまで自分の活動を振り返ったようなことはなかったのですが、こうして見てみると、意外と多くの活動をしてきたんだなあと、感心するやら、あきれるやら・・・。あらましではありますが、音楽活動の内容をご覧ください。 日本ライトハウスと言う視覚障害者のための職業・生活訓練施設にいたころのクラブ活動の発表会です。途中ブランクがありましたが、ライトハウス4年在籍の間に12回の演奏をしました。この発表会で初めて人前で歌う経験をしましたが、その最初の曲はふきのとうの「ひとりぼっち」で、演奏中足が震えていたのを覚えています。それでも発表の場ができると、練習にもねつが入り、かなり上達しました。また、女性ファンが20人をこえるほどできましたので、男性からのやっかみもきつかったですね。 '87年3月 ライトハウスギタークラブが障害者コンサート参加(大阪藤井寺) クラブのリーダーとして演奏をまとめる役をしていました。一人だけでステージに立つのではないから、プレッシャーもその分少なくて、楽しめました。大阪朝日放送の乾竜介(いぬいりゅうすけ)アナの司会。 '90年10月 点字100周年イベント(大阪永井) 数百人もの人前での初めての演奏でかなりきつい緊張感の中で4曲歌わせてもらいました。PAも本格的なものを使わせてもらったので、めちゃくちゃ歌いやすかったですね。初めての晴れ舞台に友人もたくさんかけつけてくれて本当にうれしかったです。 '91年4月から'93年5月 メモリアル・パーティー・コンサート(大阪森之宮) 僕が中心となって4回開いた手作りコンサート。小さなスタジオでのミニライブで距離感のまったくない空間からいくつかの出会いが生まれました。上手でなくても人前に立ってみたいと言う気持ちがあれば参加してくださいと言うノリで、一人一人それぞれに何かが生まれればと言う願いがありました。。 '92年12月と'93年3月 喫茶店ライブ(大阪鶴見) 僕が主催した3人だけのアコースティックライブ。日本ライトハウスの近くの喫茶店ポップスを貸しきりにして、30人のお客さんに来ていただきました。僕がもっとも聞いてほしかったY君のチェロとのジョイントを十分に聞いていただきました。まったく電気関係を使わず生の演奏でしたが、十分に満足してもらえたようです。雰囲気もよくて、僕としても快心のライブでした。 '94年4月から'95年11月 クロスエイジ ベース&ドラムとの初のセッション!僕はギターとメインボーカルを担当。曲によってはエレキギターまで持つこととなり、僕の音楽に革命が起きました。盲学校内だけの活動に留まったけど、土曜日の放課後に開いた体育館でのこのバンドだけのライブは100人を超える人たちが聞いてくださいました。応援の声があったり、歌に合わせて踊ってくださる人がいてくれたりと、最高でした。 '94年11月から'96年11月 メビウス/メビウスセカンド 盲学校在籍中にはクロスエイジがメインで音楽をしていましたが、アコースティックな本来の路線を確保したくて、音楽性の高い先生方をつかまえてアコースティックデュオを2回結成しました。文化祭だけのステージに終わったけどもっとたくさん活動したかったなあ。 '95年8月 富士山頂上にて サークルから富士登山の機会があり、それならばと日本一高いところからの演奏をしてみようと思いつき、リーダーのN先生に反対されながらも決行。ギターの代わりにウクレレをリュックサックに入れて頂上へ。わずかな時間しかなかったので、1曲だけの演奏。この登山にはNHKも同行し、夕方のニュースの全国版で取り上げられ、僕も映ったのですが、この演奏の場面でなかったのが残念。でもこの演奏を聞いてくださってたIさんから声をかけていただき、この先の震災関係のイベント参加などに繋がって行きます。 '96年6月 神戸三宮にて初のストリートライブ(神戸) 友人に頼まれてギター伴奏を担当。おまけに僕も歌わせてもらいました。おじさんが演歌をリクエストしてきたり、外国人の方がリクエストしてきたり、周りにいた学生さんたちがハモッてくれたり、拍手をあちこちからいただいたりと、けっこう楽しいライブでした。 '97年3月 震災避難所にて(神戸藤原台) 震災で避難所生活をされておられる方への慰問コンサート。マネージャー役のIさんとの二人三脚での音楽活動の始まり。この日は僕だけが1時間ほど演奏することになっていて、どんなふうに進めたらいいのかわからず、とまどいながらの演奏となりました。聞いてクダサッテタ方々も最初は固まったように静かでしたが、みんなで歌うようにしてからは会場の雰囲気もよくなり、「花」を歌った時にはいろんな思いが込み上げてきたのか、涙を流しておられた方もいらっしゃったようです。 '97年11月から'99年11月 震災復興イベント(神戸) 3回の参加。野外での演奏は難しかったですね。近くにあるいか焼きの屋台からの煙が喉にひっかかったこともありました。また、同じように演奏に参加していた定時制高校の生徒さんとのふれあいも楽しかったです。 '98年1月 三木別府小学校福祉授業 小学生の福祉授業の中で、視覚障害者の立場で講演させていただくと同時にギター1本での演奏もさせていただきました。ふだん歌ってるフォークソングはほとんど受けないので、CMソング、アニメソングなどをメドレーにしたりして歌うと、500人ほど入った体育館は割れんばかりの興奮状態となり、演奏しているこちらの方が煽られそうになるほどでした。僕たちが昔聞いていたふるいアニソンでも知っているようで、けっこう受けがよかったです。 近くの幼稚園の生徒さんも会場に来てくださっていたようで、演奏後、その幼稚園の生徒さんの一人を先生が僕のそばに連れて来てくださり、「この子、楽しかったのか一生懸命に馬場さんに手を振っていたんですよ。」って言われ、胸が熱くなりました。その子の目線に合わせてしゃがみ、その小さな手を取り、「ありがとうね。僕は目が見えないから気づかなかったんやわ。ごめんね。」って言うのが精一杯でした。 '98年3月 三木市内野外ステージ 市民イベントで野外だったんだけど、小雨は降るし、風邪気味で喉も痛く、あまりいい条件ではなかったですが、たくさん歌わせてもらいました。 '99年8月 村下孝蔵さん追悼ストリートライブ(神戸三宮) ’99年6月24日に亡くなられた村下さんへの追悼の意をこめて神戸の中心部三宮の歩道橋で15曲ほど一人で歌わせていただきました。大勢の人が行き交う中で歌うのは根性もいるし、難しいものだなあと思いましたが、自己満足の世界ではあるものの、天国の村下さんに届けと言う思いだけで、精一杯歌いました。 2002年6月 夢有舞に参加しての初のライブ(大阪) かつて森之宮でのメモリアルパーティーコンサートで知り合ったゲンタとの再会により彼が作っていたバンドに加わる形で音楽活動開始。ある団体のイベントに参加。リハも満足にできず、音のバランスはよくなかったけど、演奏はまずまずだし、メンバーの明るさに引っ張られリラックスして演奏できました。 2004年6月20日 村下孝蔵さんファンによる広島唄う会参加 瀬戸の島人さんのお誘いにより参加。広島のライブハウスでの演奏。村下さんの縁の方もおられて大変緊張。ギターのうまい人もたくさんおられ、さすがは村下さんのファンだなあと感心させられた。JAROさんとの演奏がとてもうれしかった。初めてお会いしたばかりなのにいい演奏ができたのも彼のうまさのおかげ。「村下孝蔵さんがくれたもの」がまた増えた。 2005年5月28日 村下孝蔵さんファンによるオフ会参加(神戸三宮) まれすけさんやいっちゃんさんのお世話によりライブカフェROOTのライブに参加。島人さん、ぴーくん、よりよりさんとともに村下孝蔵さんオフ会として村下さんナンバーを思い思いに演奏。神戸にこんな素敵な空間があったなんて。 2005年8月15日 ライブハウス・シンガーシェルにて演奏(愛媛松山) 村下孝蔵さんの七回忌メモリアルコンサートの後、松山にある村下さんのご友人の横山さんが経営されているシンガーシェルで2曲歌わせてもらう。村下さんとの出会いのきっかけとなった「春雨」と一番好きな「踊り子」を演奏。ファンの皆さんの温かい拍手に感動。僕たちの結婚を祝してマスターの横山さんとわれらが島人さんが歌ってくださり、さらに感動。たくさんの村下さんのファンとのふれあいも楽しかった。 ![]() |