いびつなりんごの絵

 僕は小さい頃から視力が弱く、母がよくいろんな眼科に連れて行ってくれたことを覚えています。
 他の患者さんは先生に目を洗ってもらったりするとさっさと診察室を出て行くのに、僕はいくつもの検査をさせられ、とても長い時間先生に診てもらっていて、「なんで僕だけこんなに時間がかかるんやろう?」といや気がさしたものでした。

 小学4年生の時のこと、検査の後、母が先生と向き合って深刻そうに話をしている光景はいつまでも忘れられません。
 母はどうにかして僕の視力を回復させたいという一心で涙ぐんでいました。
 僕は子供ながらいたたまれず、何もわからない幼い妹とじゃれているしかありませんでした。
 その話し合いの結果、僕は乱視の矯正を受けて行くことになりました。
 今から思えば、乱視どころの目の状態ではなかったのですが、お医者さんの言うことを信じるしかありませんでしたし、唯一の残された道だったのだと思います。
 僕は毎日眼科に通い、専用の機械のレンズをのぞきこみ、矯正に努めました。
 それらが終わると、片目でお手本の絵を見て、もう片方の目で白い紙とペンを見つめながらお手本をなぞるようにして絵を描くトレーニングもさせられました。
 一番シンプルなりんごの絵ですら線がひとつに繋がらずいびつなりんごになったものです。
 それから、視力の検査もするのですが、看護婦が持つスティックが視力表のどこを指しているのかがわからないのです。
 その頃はメガネやコンタクトレンズをすれば、どうにか0.3くらいまでは見えていましたが、そのスティックの先が見えないことを口に出せずにおりました。
 そして、その看護婦の小ばかにした鼻で笑ったような表情や冷ややかな目が僕にはたまらず辛かったのです。
 そんなことから僕は眼科に通うのに億劫になりました。
 しかし、涙を流していた母の姿も浮かんで来て、僕は眼科に向かうふりをして、近くのショッピングセンターで時間をつぶすようになりました。
 電気屋に並んだたくさんのテレビをぼんやりとながめながら30分ほどしたら家に帰るという日が続きました。
 近くのレコード屋さんから流れてくる当時大人気のアグネスチャンさんの曲が今でも心の中で切なく響きます。
 その日も僕は眼科に向かうふりをして家を出ました。
 家を出ると眼科とは反対の方向に歩き出していたのですが、母が窓からのぞいて「どこに行くの!?」と問い詰めました。
 僕は回り道をするだけだと言い訳をしましたが、その後、母は眼科に問い合わせて、しばらく僕が通っていなかったことを知るのでした。
 母はしかることをしませんでした。それでも寂しそうな表情をしていたことを思い出します。
 僕は罪の意識にさいなまれ、自分の辛い胸のうちを打ち明けました。
 その矯正にも大した成果は見られず、通院も立ち消えになってしまうのでした。

 その後もいろんな眼科やはりきゅう治療の先生のもとに連れて行かれるのですが、もうこの頃から自分でも視力の回復など無理かもしれないと悟っていたように思います。


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