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あとがき 震災後、1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と過ぎていっても身体であの揺れを覚えているんですねえ。 家の近くを大きな車が「ゴ〜っ!」と通り過ぎるだけで、地鳴りかなと不安になり、身体に緊張感が走りました。 また、何年立っても震災のことを語り合ったり、テレビやラジオで振り返る番組があったりすると、胸がつまったみたいになって、瞳が熱くなったりしましたね。 PTSDなんていう後遺症というには程遠いのですが、これも一種の後遺症なのかなって思ったりしていました。 震災のことは日々の生活に追われる中、いちいち思い出すことも少なくなり、これらの軽い後遺症も少しずつうすれていったのです。 でも、この体験は忘れてはならないと感じています。 だから、こうしてひとつの文章にして、あらためて振り返っておきたかったのです。 新潟県中越地震、スマトラ沖巨大地震が起きるなど、わずか10年の間にも大きな災害がありました。 一度は経験しましたが、いつまたどんな災害に見舞われるかわかりません。 天災自体は防ぐということは難しいですが、それに備えておく必要はありますね。 また、いざ起きた時でも冷静さを忘れてはならないと思いました。 僕は妹と二人で公園まで逃げましたが、その途中、瓦が落ちてくる危険性はありました。 また、公園までの道中、ガスがもれている臭いも感じました。 あれだけの大きな揺れだと家もひとたまりもないと思って、避難することにしたんですが、後からのいろんな人の話を総合すると、まずは家の玄関にいるのがベターだと思うようになりました。 家は幸い建物がしっかりとしていて、中にいても大丈夫だったのですが、これはあくまで後から思えることであって、その時にはいっさいの備えはしておりませんし、どうすればいいのか全く思いつくはずもなく、冷静さも失っておりました。 とにかく無造作に外へ出るのも問題はいろいろありますし、それぞれで災害時の想定をした行動パターンを考えておくくらいのことは必要だと思いますね。 震災は揺れている時だけが辛いのではなく、その後に残されたずたずたになった環境の中で、多くのストレスを感じながら辛い思いをしていく時間の方が長くて大きいように思います。 僕などは家も家族もとりあえずは無事だったわけですから、ストレスと言っては、もっと大変な状況になられた方には申し訳ないくらいでお恥ずかしいのですが、僕は僕なりの小さな器の中でもがいていたのです。 こういう時こそ互いに思いやり、むやみに自分のことだけを主張せず、摩擦が起きないようにする必要がありますね。 特に僕などは人の手伝いができにくいので、せめて人のお荷物にならないようにということだけを考えていました。 それでもこんな僕でさえできることはなんだろうと、今でも時々考えてみることがあります。 それをここでお話しすることはしませんが、それが行動に移せるように勇気を持てるようにもなりたいですね。 災害時にボランティアで人のお手伝いをされている方には本当に敬意を表したいと思います。 この「勇気」がなければなかなかできないことです。 誰にでも優しい気持ちはあっても、行動に移せないものです。 大阪の全盲の友人は、震災直後、避難所におられる被災者の方々にマッサージをしてあげたそうです。 なんて素晴らしいことなんだろうって思う反面、僕もマッサージの勉強を始めているんだから、十分にお手伝いができたと思うんです。 それですらできなかったことに自分を責めたくなるところがあったのです。 大阪にいる人と、神戸で被災した僕とでは環境やら状況が違いますが、大阪から全盲の人がわざわざ足を運び、人のお役に立てるようにと頑張れるってことは素晴らしいことだと思いました。 これを機会に僕は、自分にできること、それをまた考え直してみたいと思います。 神戸は一見、復興ができたように見えます。 しかしながら、震災を境にほとんどの人が環境が変わってしまい、見えない傷跡はまだまだ残っているのだと思います。 そんな中、今、長田は昔以上の発展を目指し、大いなる復興事業があちこちで行われているということを事業に携わっておられる方からうかがいました。 一応の生活はできるようになったかもしれませんが、以前のような活気にあふれた状況ではありません。 元の姿に戻すだけではなく、以前よりも活気のある町にしようとする勢いを感じます。 長田だけが被害を受けたのではないのですが、被害の典型として大きく報道され、精神的にもより辛い思いをされたことと思います。 神戸の復興の象徴として長田区の発展を僕も静かに願っております。 僕の狭い主観でもって震災を振り返ってきましたが、最後にひとつ言い残しておきたいことがあります。 それはとても不謹慎なことではありますが、誤解を恐れず申し上げます。 視覚障害者となってしまった僕はこの震災の様子を音や臭い、あるいは人の気持ちの動きなどで感じることしかできませんでした。 かつて見えていたころに美しいと感じていた街がどんな姿に崩れ去ってしまったのか、純粋にそれは見てみたかったのです。 震災がもたらした様々な被害の様子や悲しみをもっと実感したかったのです。 そうでなければ、身体で揺れは痛いほど感じたものの、それ以外のことはすべて人の口から伝わったものばかりで、まるでおとぎ話の世界にただはまり込んでいただけだったような虚しい思いが残るのです。 震災の恐ろしさを本当はわかっていないのではないか、そんな思いが残るのです。 神戸は本当に好きな街です。だからこそ刻み込まれた傷跡を見ておきたかったのです。 そうした上でまたこの神戸を愛し続けたいのです。 ![]() |