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いら立ち 父は二日目には自分の店に出かけ、片づけをし始めていました。 そうこうしているうちに母も店に出るようになり、自然発生的に商売は少しずつ再開されたようでした。 シャッターを半分だけ開け、片づけをしていると、通りがかりの人が商品を求めてきていたようです。 妹も数日すれば、職場に出向くようになりました。 交通機関もズタズタの状況ですから、妹の通勤はいくつもの交通機関を乗り継いでの大変なものだったようです。 僕はと言えば、盲学校の鍼灸のクラスに所属していましたが、学校はまだまだ再開されてはいませんでしたから、家で待機するしかありませんでした。 家族はそれなりに活動し始めているのに、何もできずにただこたつに入り、テレビでの被災地の報道を聞いているしかなかったのです。 何かしら手伝いたいと思っても、家族は「何もしなくていい。」と言うだけです。 こんな混乱の中、一緒に出歩いてもまた万一のことがあった時に大変だというニュアンスでした。 後になって町の中を歩いてみてもやはり道はでこぼこしているし、瓦礫などが道をふさいでいたりするものですから、確かに僕みたいな者が例え人について歩いても足手まといになるばかりだったかもしれません。 でも、その虚しさはたまらないものがありましたね。 しかしながら、それ以上に家族それぞれにいら立ちが見えてくるようになると、僕の虚しさなんてしまい込んでしまわないといけないと思い知らされるのでした。 妹は大変な時間をかけて通勤していましたが、彼女が帰るであろう時間の前に妹の職場の上司から電話が我が家に入りました。 何か連絡したいことがあったのでしょうが、まだ帰って来てないものですから、母は恐縮していました。 それが、その上司の方が「どこか立ち寄られたんですかねえ。」と言ったようで、母は瞬間に激怒したのです。 「こんな大変な時にどこに寄るところがあるんですかあ!?」 母はぶち切れでした。 父までが電話を代わり、その方にかみついています。 二人がふるえんばかりの様子で怒りまくっていました。 多少の交通機関は確保されているとは言うものの、まだまだ不便な状況で遠くから娘だけをわざわざ出勤させているということだけでも不満を持っていたようですから、それも含めて一気に噴き出したのでした。 また、こんなこともありました。 震災があって十日くらい立ったころでしょうか。そろそろ盲学校も再開しようということになり、校長先生から我が家に電話が入りました。 僕が応対してみると、校長先生はずいぶん怒り口調になっていて、僕も緊張していました。 先生の話は、通学するに当たって、家の近くまでスクールバスを行かせるが、家からバスの留まるところまでも一人では行かず必ず家族が連れて行くようにとのことでした。 それで、先生は、家族の人がバスの来るところまで連れて来てくれるかと確認の問いかけをしてきました。 僕は軽い気持ちではなかったのですが、その場で「連れて行ってくれると思います。」と答えました。 すると先生は、「思いますでは困る!」と激怒されたのです。 そして、「今すぐ家族の了解を取ってくれ!」と強い口調で言われたのです。 僕は完全に緊張状態になり、堅い表情のまま母に向かってその旨を伝えたのです。 すると母は母で僕に対して、「何を偉そうに言うてんの!」と、これまた激怒されてしまったのです。 僕は釈然としなかったのですが、母のいら立ちを察し、母に謝り、あらためてその旨を伝えて了解を取ったのです。 何もできないのに、また手を煩わせてしまうという負い目も感じていましたからね。 何よりも家族のいら立ちを誘発してはならない、拡大させてはいけない、何もできなくてもせめて少しでも穏やかに過ごせるようにとだけ願って、僕は静かに過ごすしかなかったのでした。 ![]() |