かたりべ

 長田区で家も店舗も火災で失った親戚の家族を捜しに父がバイクで長田に出向きました。
 直接連絡が取れるはずもなく、どこに避難しているのかもわからないまま、救援物資を持ち、長田の町を歩き回ったようでした。
 そんな中、地元の人で父の顔見知りの人からその親戚の家族が学校に避難していることを聞き、父はその足で学校に出向き、ようやく出会えたようでした。
 たくさんの人々が避難し、ひしめき合うようにして耐えている様子が想像されました。
 僕がその場所に出向いて行くことはできませんから、どんな状況だったのかは具体的に知ることはできません。家も店舗も失い、その虚しさはどんなに大きいものかと思うだけで胸がつまる思いでした。

 何日か立ったころ、その伯父が我が家にやってきました。
 まだまだ震災が起きて何日も立っていない日のことで、伯父はそれこそ埃にまみれたような姿だったようでした。
 我が家の家族と伯父とでこたつを囲む中、伯父は低い声であれこれと震災当初の悲惨さを語るのでした。

 大きい揺れの直後はこたつの上にタンスがのしかかってはいましたが、身体は自由に動ける状態だったそうで、それでもしばらくは様子を見ようと、そのまま横になっていたそうです。
 それが、近所で出火したのを知った息子が「火事だ!」と叫んだそうです。
 玄関は向かいの家が倒れ込み扉は開かなかったが、窓かどこからか家族全員外へ飛び出し、逃げたそうです。
 逃げる途中、それは地獄の光景だったそうです。
 火が迫るのに瓦礫の下敷きになり、動けずにいる人の声が耳に残っていると伯父は悲しげに語りました。
 また、倒れ込んだ冷蔵庫の下敷きになった子をもうすでに動いてはいないのに、背中に背負いどこか目標も定まらず歩き回る母の姿もあったようです。
 長田地区は揺れ自体よりも火災の大きさが被害を大きくしました。
 後からの報道では、火災がある程度おさまっても、地面は熱くなっていて、そこに立っているとシューズの裏が溶けてしまったという話も伝わりました。
 その親戚の家族は全員幸いにもけがもなく無事に避難できました。
 僕はその親戚の家には幼いころよく遊びに行ったものです。
 いとこのお兄ちゃんが代好きでしたし、その上のお姉さん二人もよく可愛がってくれたものでした。
 古い町並みでちょっと薄暗い市場とその中の独特の匂いをまだわずかに覚えています。
 そんな懐かしい町が地獄化し、すべてが焼き尽くされてしまったなんて信じられない気持ちでした。

 その日、伯父を見送る際、僕のハーフコートとリュックサックをあげました。
 そんなことくらいしかその時の僕にはできなかったのです。
 「うちに泊めてあげればいいのに。」と、腹の中で思ってはみるものの、伯父は長田に残した家族のことが気になるし、うちの家族も親戚の家族を引き受けるだけの余裕もなかったので、仕方のないことだったのかもしれません。
 僕には見ることはできませんが、伯父の背中には僕の渡したリュックサックも透けて、淋しさだけが背負われているように思えました。


「心まで揺れた日1.17」のメニューへ
画像・トップページへ