僕のストレス

 僕は震災が起きて、数日は家から一歩も出られずにいました。
 学校も再開されていませんし、外へ出ても何も手伝えない。何か二次的にけがをするようなことがあってはいけないと、家族も僕を制止していました。
 両親も妹も少しずつ仕事を始めると、僕の中にはあせりのようなものがつのるのでした。
 学校は始まっていないから、仕方のないこととは言え、家族に対して何も役立てないでいることにもイラついていました。

 町内で銭湯のチケットが配られたようで、家族それぞれ出かけて行きます。
 しかしながら、僕は連れて行ってはもらえません。
 それに対して不満を言うと、「あんな鋳物子を洗うようなお風呂に入っても大変やで。」と、言い訳のようなことを言われてごまかされるだけでした。
 目の悪い僕を連れて行くのが大変だと思っているだけじゃないかと腹の中では煮えくり返っているのでした。

 また、震災当初、住宅など、1階部分が押しつぶされ、2階が1階の高さにまで落ちているというような話をニュースや人の話で耳にしていたものですから、我が家全員が2階の妹の部屋に居候させてもらうことにしていたのです。
 僕も2階に部屋がありましたが、こたつは置けないし、ガスがまだ通っていないため寒くてたまらないので、こたつのある妹の部屋に行くようにしていたのです。
 それがずっと続いていたので、妹はうっとうしかったんでしょう。両親が仕事に出ていて、僕と妹だけでその部屋にいた時、妹が「お兄ちゃん、こたつも持っていっていいから、自分の部屋に戻って!」と冷たく言われてしまったのです。
 仕方ないことだとは思ったけど、どこかしらもやもやした思いをかかえたままそれに従うことにしました。
 実際、こたつは僕の部屋には持ってはいけませんから、外で着るジャンパーをずっとはおって過ごすのでした。

 水道も水がちょろちょろとしか出ませんでしたから、風呂にも2週間は入れませんでした。
 途中、洗面台に頭をもたげ、冷たい水で頭を洗ったくらいでした。
 ようやく電気温水器が復旧し、お湯が出せると思ったのですが、お湯は沸いてくれるものの、機械がうまく働かずお湯は風呂場の湯船には出てくれません。
 母はなんとか僕をお風呂に入れてやろうと、温水器からぐらぐらに沸き立ったお湯をバケツに汲み取っては、湯船に運び入れてくれました。
 ある程度湯船にたまり、全くお風呂に入ってなかった僕を真っ先に入れてくれたのです。
 いつものようにザブザブとお湯を使うわけにはいきません。湯船に入っているお湯がすべてですから、身体を洗うにしても簡単にすませ、またその湯船につかるのです。
 すでにお湯は少しずつ1月の寒さに冷めていき、身体を沈めていても悲しいものがありました。
 でも、お風呂に入れなかった僕を思い、真っ先に入れてくれたうれしさもありましたね。
 例えわずかなお湯でさえこんなにも気持ちをやわらげてくれるものかと思いました。

 きっとみんなが大変な思いをしているんだとは頭でわかっていても、自分につのるストレスも確実に膨れ上がっていました。
 と言っても、それを解消できるものはほとんど何もありません。
 家で過ごすことはさほど苦痛ではありませんが、外へは出られないという思いだけで重圧感があったように思います。
 電話もほとんど繋がらずクラスメイトなどの安否もわからず、先の見えない日々、ストレスという氷のかたまりを自分の懐だけで溶かしていくしかなかったのです。


「心まで揺れた日1.17」のメニューへ
画像・トップページへ