小説ぱんどら〜素人小説家「高橋熱」の現代小説集〜
〜素人小説家「高橋熱」の現代小説集〜
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リーマンライダー その1

 「会場を襲撃せよ!」

(「門松男」の号令により、会場ソデより「ジョーカー戦闘員」二名登場。観客席の子供たちを牽制しながら両サイドの通路を練り歩く。『マックスの秘密トークショー』が一転、場内に緊迫感。BGM「メタフォリス帝国のテーマ」)

 私は震えていた。
 もちろん、大の大人である私が、「門松男」や「ジョーカー戦闘員」の登場に怯えたわけではない。首の隙間から入り込む冷たい風が我慢ならなかったのだ。
 今、ヒトシの首に巻かれているマフラーは、元々私が用意してきたものである。出掛けに何度も忠告したのに、ヒトシは頑なに拒否した。最近反抗期な上にマフラーが苦手らしい。以前、安物のマフラーを巻いてひどい痒みに襲われたことがあったようだ。
 しかし家の中と外ではまるっきり温度が違う。1月2日のイトーヨーカドー正面入り口「特設広場」。ここは北向きで一日中陽が当たらないところなのである。

 いたたまれずヒトシのマフラーを半分取り返し、自分の首に巻きつける。動いていないので、寒さもひとしお身に染みる。コンクリートの上にブルーシートを敷いただけの客席では尻からも熱が奪われる。

 とはいえ、ひとたびショーが始まってしまえばヒトシはもうそちらに夢中で、自分の首が私の首と繋がっていることなどお構いなしに、ジョーカーの動きに合わせて上体をひねる。
 ジョーカーは短刀のようなものを振りかざし、目が合った子供たちをいちいち威嚇している。昔の「ショッカー」は皆素手じゃなかったか、と私は不規則に訪れる首の圧迫に耐えながら、幼少期に見たヒーローの記憶を辿る。

「ヒュウー、ヒュウー」

(「ジョーカー戦闘員」たちの気勢。バック転を交えながらステージ中心に集結)

「一人残らず捕まえて、『メタフォリス』に連れて行くのだ。やれ!」

(『トークショー』の司会役だった「お姉さん」からワイヤレスマイクを奪い取り大声を張り上げる「門松男」。不安を煽る悲鳴交じりの効果音。さらに2名の「ジョーカー」がステージ裏から登場し「門松男」の両脇を固める)

 それにしても、正月早々、どうしてこんな苦痛を受けなければならないのか。海外旅行なんて贅沢は言わないが、私にもプライドや体裁というものがある。
 「年末年始合わせて5日しかない貴重な休日に、防寒対策もままならず、痺れる尻を誤魔化し誤魔化し、不肖の息子と2人、わざわざ車で30分もかけて、イトーヨーカドーの客寄せイベントを見ている自分」というものが、甚だしく「負け組」を象徴しているようで惨めな気持ちになる。
 もっとも、事実なのだから仕方ないだろう、と言ってしまえばそれまでだが。40も過ぎると、人生の軌道修正をするのは並大抵のことではない。

(BGMが止む。場内のざわめき。「門松男」と「ジョーカー」が訝しげに目を合わせる。突如、『仮面ライダーマックス』の主題歌が大音響で流れ始める。「ジョーカー」に羽交い絞めにされていた「お姉さん」から歓喜の笑顔。ヨーカドー1階店内「婦人靴売り場」付近より颯爽と「マックス」登場。子供たちのどよめきと歓声)

仮面ライダーマックスショー「平和を乱すメタフォリスのしもべども、そこまでだ!」

(キック一発で一人の「ジョーカー」撃退。蹴られたジョーカー、もだえながら舞台ソデへ。「お姉さん」解放。「門松男」に睨みを利かせる「マックス」)

「黙れ、マックス。ええい、やれ!」

 今年で9歳になるヒトシは、私が日頃あまりかまってやらないせいか「男気」というものがこれっぽっちも育たず、根性がない。従って、クラスの中でも極めて
喧嘩が弱く、泣いて帰宅することもしばしばあった。
 何せ、趣味は「折り紙」と「お菓子作り」なのである。顔は私に似て口元がだらしがなく愛嬌ない。加えて言葉の覚えが悪いとなれば、何をか言わんや。私が「不肖の息子」と呼ぶ所以である。
 そういう気持ちを察しているのか、私の言うことは普段あまり耳を貸さない。ここに来るのだって、妻が一緒に行かないことを直前までごねられた。
 もちろん普段であれば妻も一緒なわけだが、今日は「お年賀」の一件で矢鱈に機嫌が悪かったし、「正月くらい父親らしいことしてあげてよ」という恫喝的視線を浴びながら、無理やり家から追い出された。

 ヒトシは「仮面ライダーマックス」が大好きだ。マックスのテレビ放映がある日曜朝8時には、誰に起こされなくても、必ず自分で目を覚ましてリビングのテレビをつけにくる。妻は低血圧なので九時を過ぎないと決して起きようとしない。というのは建前で、本当は私に対する「当て付け的」不貞寝ではないか、と思っている。私も襖越しに聞こえてくる激しいギターサウンド中心のマックスの主題歌に頭を抱えながら、夢と現実の端境を彷徨う。

 休日は特に体が重い。頭と体が「もっと休ませろ」と悲鳴を上げている。確かにここ数年、仕事量が半端じゃない。にもかかわらず、一向に給料は上がらない。退職した人間の人件費はどこに消えているのだろう。それどころか、毎年の増税で年収ベースではむしろ減り続けている。妻の不貞寝の最大の理由は、サービス残業の理不尽さと、こんな夢も冴えも無い夫を選んでしまったという後悔に違いない。

「とう(バキ!) はっ(ドス!) やあ(グシャ!)」

(マックスのキックとパンチを受け、瞬く間に片付けられる「ジョーカー戦闘員」。追い詰められる「門松男」。一転、険悪なムードのBGM。ソデよりマックスの天敵「ブラックシャドー」が金属メカチックな足音と共にゆっくりと登場)

「役立たずめが」

(手にした「シャドーサーベル」で、「門松男」を一刀両断。「門松男」、あっけなくステージ上で絶命)

「マックス、ついに決着をつける時が来たようだな」
(緊迫した空気。舞台上で睨み合う「マックス」と「ブラックシャドー」。固唾を呑む会場の子供たち)

 実家に持っていく「お年賀」を事前に用意する、しないという、私にとっては実にどうでもいいことで、今朝、妻と口論になった。
 今はスーパーも元旦から店を開けている。だからこうしてイトーヨーカドーで「仮面ライダーマックスショー」が見られるわけだ。当然「お年賀」だって売っているわけだし、ここじゃなくても、コンビニでさえ買える時代である。

 けれども妻は、その場当たり的な私の無計画さがどうも気に入らないらしい。「正月休みの過ごし方」について、何の計画も打診もなく、ただ酒だけあおってばかりいる私が癪に触るというわけだ。
 もしヒトシをヨーカドーに連れて行ってあげてと言わなかったら、あなたはこの正月ただ飲んだくれているばかりで、子供のために何もしてあげていない、と妻はこめかみに青筋を立てながら、私にまくし立てる。

 私は妻の性格を十分理解している。B型のさそり座は往々にして切れやすい。切れている時は、何を言っても無駄である。理屈でねじ伏せようだなんて思えば思うほど、「100%男が悪い」という決め付けと突拍子もない論理の飛躍を伴って反論は数千倍になって跳ね返ってくる。

 結婚以来、家事やら子育てやら私の仕事やらで妻のストレスはぎりぎりまで鬱積している。それは十分理解しているつもりだ。けれども私だって、好きでそうしているわけではない。休日の過ごし方くらい、たまには前もって考えてみたい。ヒトシを遊園地に連れて行ったり、妻に流行の美味しいスイーツをご馳走したり。
 しかし仕事に忙殺され、とてもじゃないが、考えるゆとりが無い。休みの日は頭を真っ白にしてのんびり気ままに休みたい。身体を休め、脳を休めないと、休み明けの仕事に響く。結局、苦しむのは自分なのだから。
 妻の「家事」を手伝うことはできても、私の「仕事」を妻に代わってもらうことはできないわけで、妻には申し訳ないが、私に文句を言ってそれで少しでもガス抜きになるのなら、私は喜んで受け入れる。その鬱積の根源の一部は自分にもあるのだから。

 ということで、私は妻に逆らわない。妻の希望通り、こうして「仮面ライダーショー」にヒトシを連れてくる。
 仮面ライダーは強い。格好いい。弱きを助け、強きを挫く。
 私も「正義」のために戦ってみたい。仮面ライダーになり、仕事も家庭も綺麗さっぱり忘れて、この息の詰まるような「現実」から、遠く離れてみたい。何の憂いも苦しみも、嫌な上司も営業ノルマも、妻の愚痴も子供への失望もない理想の世界へ。
 ああ、神様仏様、その「ライダーベルト」と「マックスフォン」を、私に与え給え。

「シャドーーースパイラルアロウゥゥ」

(「ブラックシャドー」の右手甲付近から発射された矢が「マックス」の胸部を直撃。その場に倒れこむ「マックス」。「ブラックシャドー」は「マックス」を仰向けにして馬乗りになり両手で首を絞め始める)

「苦しめ、マックス」
「ううう」

(必死にもがくマックス。子供たちの悲鳴にも似た声援が会場を揺らす)

「黙れ、貴様ら! マックスを片付けた後は、お前らもメタフォリス行きだ」

(客席通路に突如、舞台ソデに消えたはずの司会の「お姉さん」の姿)

「みんな、もっとマックスを応援してあげて! ガンバレー、マックスー、ガンバレー。みんな、これ知ってるよね? そう、『マックスレーザーガンシューター』。お姉さん、今マックスの恋人、『蘭ちゃん』から預かってきたの。これでマックスを助けてあげようっていう勇気のあるちびっ子、いるかな?」

(ほとんど全ての子供たちが両手を上げて飛び上がる。通路を巡回しながら、子供たちの顔を物色する「お姉さん」)

「はい、じゃ、そこのパパと一緒にマフラー巻いてる、ブルーのジャンパーの僕!」
「うぐ!」

 指名されるとは夢にも思っていなかったので、大きく飛び上がった拍子に、お互いの首がきつく締め上げられ、二人してその場にもんどりうった。
 マフラーは防寒だけじゃなく、こうしてみると十分凶器になりうる。
 
「僕、お名前は?」
「サ、サ、サトヒ、ヒトシ」
「サトヒヒトシ君ね」
「あ、う、ううん、『サトウヒトシ』で、です」

 あがり症な上に、声帯が締められたお陰で、ヒトシはうまく言葉が出せない。

「あ、ごめんね、サトウヒトシ君ね。ね、ヒトシ君、この『マックスレーザーガンシューター』で、マックスを助けてあげて。ここが照準。ここから覗いて狙いを定めて、さあ、早く!」

 これだけの子供がいる中でヒトシが選ばれるなんて。今年は少しはいいことあるかな、と喉仏を摩りながらすぐに俗な期待をする自分が、とても小さい人間に思える。「正月早々から『運』を使い果たした」とも言えるのに。

(「マックス」の首を絞め続ける「ブラックシャドー」。観客からよく見えるよう、立ち位置を調節する「お姉さん」。肩から武器を提げ、対象に狙いを定めるヒトシ。会場の時間が一瞬止まる)

 成績表の大多数が「できました」のヒトシ。突出して悪い部分があるわけでもないが、突出して抜きん出ている部分があるわけでもない。
 そのヒトシが今舞台に立ち、多くの子供たちの羨望の眼差しを一身に浴びながら、自らの手で「マックス」を救おうとしている。
 人生、陽の当たる場面というのはそうあるものではない。もしかしたら、これから先何十年、こんなに注目されることはないかもしれない。結婚式か葬式か、あるいはずば抜けて酷い悪事を働かない限り。
 ばっちりポーズを決めて、さあ撃て!
 撃つのだ、我が愚息!

(控えめに鳴り続ける「ブラックシャドーのテーマ」。目標を定め、トリガーを引くヒトシ。効果音とともに「マックス」の脇腹を貫通するピンクのレーザー)

「あ! ヒトシ君、違う違う! マックスじゃなくて、シャドーの背中、背中!」

(「お姉さん」の言葉をよそに、「マックス」を打ち続けるヒトシ。顔面蒼白の「お姉さん」)

 目を覆いたくなる惨劇。今舞台の中心で、ブラックシャドーに加担し、マックスにとどめを刺さんばかりに銃を真顔で撃ち続けている少年は、紛れもなく私の愚息。

「分かった、お姉さんと一緒に撃とう。ね? いくよ? シャドーめがけて、ヒトシくん、はい!」
「ぐがが!」

(力ずくで銃口を「ブラックシャドー」の背中に向ける「お姉さん」。待ってましたとばかり、再びBGM「仮面ライダーマックス」の主題歌サビ。ひるんだ「ブラックシャドー」のボディにキックを入れる「マックス」。呻きを上げながら舞台の半分以上をのたうち回る「ブラックシャドー」)

「さ、今のうち逃げて! ヒトシくん。ありがとう、あとはマックスに任せて!」

(客席に戻るヒトシ。ふらつきながら立ち上がり、ファイティングポーズをとる「マックス」。『マックスフォン』のカバーを開き暗号を入力)

「テクニカルコード17、サバイバル・デンジャラス・サーベル!」

 それから「マックス」がどのようにして「ブラックシャドー」の息の根を止めたのか、私の記憶には残っていない。最終的に勝ったのだから、どう息の根を止めたかなど、私にとってはたいした意味はない。
 ヒトシ自身も、それ以降ちゃんとショーを見ていたかどうか分からない。ヒトシは晴れの舞台から私の側に戻ってきた後、ずっとうっぷして泣いていたのだから。

「だって僕はマックスより、ブラックシャドーが好きなんだもん!」

 私は「喫煙コーナー」に身を寄せながら、ショーを終え撤収の進むステージを眺めている。「マックス」との写真撮影会にも興味を示さないほど落ち込んでいるヒトシは、「自転車売り場」の補助輪付き自転車に跨ったまま、ちりんちりん無意味にベルを鳴らしている。

 私は妻にどう説明するのがベターなのか考えていた。なぜ大好きな「マックス」のショーを見に行ってこんなにしょげて帰ってくるのか。
 何かヒトシに酷いことを言ったのではないか。お決まりの「面倒臭い病」でヒトシの望みを聞いてやらなかったかのではないか。日頃のヒトシを見てないくせに思いつきで説教をしたのではないか。
 何だかんだ非をあげつらい、結局自分が糾弾されるはめになることを考えると、私までしょげてくる。

 その時、ビニール製の小さなボストンバッグが私の目に留まる。それはステージ脇にある出演者控室用テントの出入り口付近にあった。
 バッグの口は開いており、そこから細いキャタピラーのような形をした金属片が鈍く輝いている。キャタピラーの先は地面に届きそうなくらいはみ出ていてシートベルトの留め金のようなものが見える。
 留め金のバックル部分には、デコレーションされた見覚えのあるヒーローのイニシャル「M」のマークがこれ見よがしに刻印されている。
 これはマックスの「変身ベルト」じゃないか?

 昔の仮面ライダーは、ベルトを腰に巻いて「変身!」というお決まりの儀式があったが、現在放映中の「仮面ライダーマックス」は特にポーズらしいポーズもなく、「マックスフォン」という携帯電話型のアイテムをベルトの中心にかちゃりとセットすると、たちどころに「戦闘用スーツ」を身に纏うことができる。

 テレビに映るマックスの姿は、私たちの時代のライダーに比べてずっとイケメンだし、繰り出す技もストーリーも今風に洗練されている。
 大人の私でさえ、時にそのストーリーの複雑さや登場人物の相関関係についていけないこともあるが、いつの時代でも「ライダーベルト」と言う奴は、臆病で気が小さい「自分」を「世界最強の男」へ導く魔法のベルトであることには変わりはない。

 スタッフはステージの撤収作業やら「マックスグッズ即売会」の対応に追われていて、 テントの周辺に人影はない。
 すでに自転車にも飽きてベンチに寝そべり不貞腐っているヒトシ。
 それを見ていたら、私の体に何か鋭いものが走り、全身がたちどころに熱くなると、もういてもたってもいられない気持ちで一杯になった。

 気が付くと、私は煙草を灰皿にねじ込み、もう一度誰もいないことを確認してから、ボストンバッグをひったくるようにして抱え持ち、ヒトシの腕を引きずるようにして駐車場に向かっていた。
「ねえ、パパ、痛いよ」
 ワンボックスの後部座席に無理やり嫌がるヒトシを押し込み、バッグを助手席に放り投げ私は運転席に飛び乗る。
 心臓が口から飛び出してきそうなくらい、大きく高鳴っている。
 エンジンをかける時も思うようにキーが差さらない。指が震えている。
「どうしたの、パパ、パパ」
 事の顛末が理解できていないヒトシの質問を無視したまま、私はタイヤが鳴るほどの急発進で平面駐車場の無料ゲートを通過し、国道の車列に合流した。
 事の顛末。一番びっくりしているのは私自身だ。これは泥棒である。しかし勝手に体が動き、結果そうしていたのだ。まるで頭と体が別々の人格として行動しているかのように。
 してしまったことは仕方ない。もう今更後にはひけない。

 信号待ちをしている間、追いかけてくる車が見当たらないことを確認してからほっと一息、バッグを膝の上に載せベルトを手で触れてみる。
 ひんやりとした金属特有の手触りと質感。改めて持ち上げてみるとこれが結構な重量である。
 バッグの中には折りたたまれた状態の「マックスフォン」も一緒に入っている。実際に手で握ってみると、自身の携帯電話なんかよりずっとサイズが大きく、重みもある。背面の液晶に点滅している「M」のロゴマークは、バックルにあるのと同じ「マックス」のトレードマーク。ちゃんと電池も仕込んであるようだ。さすがにショーで使うだけあって、細部まで精巧にできている。 
 更に底に横たわる銃の形をしたもの。これはヒトシが誤射した「マックスレーザーガン云々」よりもはるかに小振りだが、警察官の持つ拳銃よりはずっと銃身が長く、口径も大きい。

 後ろの車にクラクションを鳴らされるまで、私は逸る気持ちを抑えながら、一人悦に入っていた。
 生まれて初めての「窃盗」にしては上等じゃないか。いくら「ブラックシャドー」が好きというヒトシとはいえ、これなら文句は言わないだろう。何せ世間では市販されていない、最上級にリアルなライダーベルトなのだから。

 とは言え、私自身も酷く興奮している。「窃盗」に対する「後ろめたさ」の興奮ではなく、ヒトシよりも先に、まずは私自身の腰にベルトを巻いて、「マックスフォン」を差し込んでみたいという欲求に、である。

「ねえ、パパ、帰ったらUNOしようよ、UNO」
 自宅マンションの駐車場に到着すると、ヒトシは少し機嫌を取り戻して私を誘う。バッグの中身には、ヒトシはまだ気が付いていないようだ。
「その前にちょっと煙草買ってくるから、先に家に戻っててもらえる? それより、いつもマックスが使ってる拳銃みたいな武器は何て言うんだっけ」
「アドバンスド・ビーム・ショットのこと?」
 アドバンスド・ビーム・ショット。事情も知らずまともに答えるヒトシがいじらしい。
「ビーム光線が、ばばば、って出るんだよ。すげーつえーよ、あれ。あれさえなければ、ブラックシャドーだって、マックスに勝てる時あったんだよ」
 ヒトシは後部座席のシートから身を乗り出してそう付け足す。普段、私が徹底的に無関心な「マックス」に関する質問をしたことに、驚きと喜びを感じているのだろう。
「ヒトシ、『すげーつえー』なんて日本語はないよ。言い直しなさい」
「すごい、つよい」
「そうだよな」
 最近、私もどことなく「妻」化している。
「ママにはすぐに帰るって言っておいて」
「うん。帰ってきたら、絶対、UNOしてよ?」
「もちろん」
  跳ねるように車を離れていくヒトシの後姿を、私はしばらく眺めていた。あの様子なら、一応今日のマックスショー観戦ツアーは合格点を貰えそうだ。「UNO」の一助を借りることにはなったが。

 それから、私はバッグを抱えて車を降り、変身するに相応しい場所を探す。正月休みで皆帰省してしまっているのか、駐車場はがらんとしていて人の気配もない。
 この雪空の下で、わざわざ外で遊ぶような子供もいないのだろう。昔の正月と言えば、空き地で凧揚げや羽子板をする子供なんていくらでも見られたというのに。ヒトシもそうだが、今は外より内で遊ぶことに慣れ過ぎている。

 と、また年寄り臭いノスタルジーに浸る自分。すぐに「昔は違った」「昔は良かった」などと考える思考癖がついているから私の人生何も変わらないのだ。
 今の時代は、私が子供の頃とは比べ物にならないくらいのスピードで変わっている。ダーウィンの進化論よろしく、生き残るのは、変化に対応できるものだけ。
 自ら「変えるのだ」という強い意志を持つこと。
 そう、今年の私は変わる。変えなければいけない。仕事も生活も。腹を括り、退路を断ち、新たな「自分発見」の大海原へ。
 で、どう変わる?

 そこから先はいつも暗黒の緞帳が下ろされる。具体的なアクションが何一つ浮かんでこない。
 正月早々、堂々巡りのつまらぬ思考にとり憑かれ、歪なボストンバッグをぶら下げて、「変わろう、変わろう」と独り言を言いながら市道を当てもなくふらついている私の姿は、ただの「不審者」である。警察官とすれ違えば職質を受けること必至だ。自分でもびっくりするほどの深い溜め息を漏らす。私はこうやって、これまでにいくつの幸福を逃がしてきたのだろう。
 
公園 「本郷里公園」は芝生と橡の木のある小綺麗な公園だ。自宅から歩いて行けるので、ヒトシの小さい頃はよく連れてきたものだ。当然のことながら、人気はない。さすがにこれだけ寒いと砂場も凍る。
 「本郷里」。
 確か、初代仮面ライダーの名前も「本郷」だったな。

 「変身」なんて馬鹿馬鹿しいことは理解している。別にマニアというわけでもないし、「ちょっと童心に戻って」といったような安っぽい郷愁からでもない。

「変わる」ためには、何か突拍子もないきっかけのようなものが必要なのだ。
 もちろん、このベルトはヒトシのために手に入れたものだが、実は本当に必要なのは、私であるような気がした。ペットショップに行って、「この犬は私に飼われたがっている」と信じ込む少女のような感じ、と言ったら上手く伝わるだろうか。

 いやいや、やっぱり阿呆らしい。戻ろう。戻ってヒトシと「UNO」をした方が賢明だ。帰宅が延びれば延びるほど、妻の機嫌が悪化することは目に見えている。
 私は立ち上がり、ボストンバッグを肩にかける。がちゃり、と金属の擦れる音。そしてこの適度な重み。
 もう一度、誰もいないことを確認してから、ちょっとだけ、とバッグを下ろしてジッパーを開け、ライダーベルトを目の高さまで両手で掲げてみる。
 しかし見れば見るほどよくできたベルトだ。至るところに刻み込まれた細かい切り傷や擦り傷が、あまたのショーで「メタフォリス帝国」の難敵どもの洗礼を受けてきたことを物語っている。

 私は恐る恐るベルトを腰に巻き、差し込み式の金具をひく。かちゃり、かちゃり、とテレビで聞こえるそのままの効果音がリアルに再現される。
 バックルに金具を差し込むと、私の腹周りに合わせて軽く締め上がる感触。まさか自動で長さ調整をする機能を備えているとは。

 それから、私はスライド型になっているマックスフォンのカバーを開き、液晶画面やボタンをチェックする。我々が日常で使っている「軽薄短小型」の携帯電話とは正反対に、これは矢鱈に重くてごつい。
 テレビではコード番号を入力し「ENTER」キーを押すとエネルギーが充填され、番号に応じた技を繰り出す。
 無難なところで「1」のキーを一回押してみると、テレビで聞いたあの「トルッ」というプッシュ音が小気味よく鳴り響く。
 音まで実にリアルだ。現代っ子の目を欺くには、ここまでリアルに作りこむ必要があるというのか。きっとライダースーツも「あ、チャックが見えてる」なんて指摘を受けないよう、細かいところまで気配りがされているに違いない。しかしボストンバッグにライダースーツまでは入っていない。

 儀式。そう、これは儀式だ。過去を捨て、新しい自分を切り開くための。別に見た目は何も変わらない。「変身ポーズ」を決めたら、その時点で、はい終了。
 しかし、私は今この「変身ポーズ」を決めることが、今後の人生を左右する重要な行為になる気がしてならなかった。
 もしあのまま帰宅していたら、きっと私は今までの私のまま何の変化もなく、むきになってヒトシを「UNO」で負かし、ヒトシを泣かせ、それがまた妻のヒステリーを引き起こしていたに違いない。
 忌々しい日常。出口の見えない巨大迷路。私が変わらなければ、そのストーリーは死ぬまで続く。すでに私は窃盗犯。このベルトを盗んだ時点で、私は昨日までの私ではない。
 こうなればやけくそである。真剣に「マックス」の変身の仕方を思い出してみる。頭の中で一度シミュレーション。肩幅より気持ち広めに両足を開き、何も持っていない方の手のひらを軽く握る。
 そして、マックスフォンを天高く掲げ控えめにこう唱え、ベルト中心部のホルダーに抜かりなくはめ込み静かに左に倒す。

 

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