小説ぱんどら〜素人小説家「高橋熱」の短編小説集〜
〜素人小説家「高橋熱」の短編小説集〜
ホーム 】 【 プロフィール 】 【 小説集 】 【 日記 】 【 リンク集 】 【 ブログ 】 【 問い合わせ 】 
リーマンライダー その3(最終)

  正月明けの会社は皆疲れ果てているように見えた。社員の顔色は大まかに二色に分類できた。一つは黒でもう一つは薄いピンクだ。黒いのは、雪焼けか、海外脱出組。ピンクは、飲み疲れといったところだろう。私はもちろんピンクと言いたいところだが、今は頭全体が黒、目は黄色で口元はシルバー、という複数配色になっている。
 階段を登っていると、ちょうど目の前を同じ課の同僚が肩を落として歩いている。一歩一歩の足運びが酷く重たそうだ。心底「来たくなかった」オーラ丸出しである。

「佐々木」と私はいつものようにぽんと腰を叩く。
 後ろを振り返り、誰だ、と私を一瞥。「佐藤だよ」と私。「脅かすなよ、仮面ライダーかと思ったよ」と独り言のように呟いてまたとぼとぼとと階段を上がる。
確かにどこから見ても、仮面ライダーである訳だが。
 それにしても、「非日常」に対する感覚が鈍磨し過ぎである。これでは、隣に爆弾が落ちても、側でセックスしている男女がいても、彼は「いつもそう」であるかのように、何の気にも留めず階段を上るに違いない。
「どした? 元気ないな」と私は言う。
「浮気がばれた」と彼は一層肩を落とす。これ以上肩が落ちたら、間違いなく脱臼する。最悪の年初めじゃないか。おそらく「自業自得」の話には、何ともコメントのしようがない。私はそれ以上話をいじらず、彼を追い越して自分のデスクに向かう。

「昨年の我が社の売り上げは、昭和24年の創業以来、初めて前年対比20%減を突破、未曾有の経営危機に瀕していてるのは、皆さん、十分ご承知であろうと思います」
 社長の年頭挨拶。
 いきなり冒頭からモチベーションを下げる、お先真っ暗な話。この話、年末の挨拶でも聞いた。社員皆、俯いてしまったじゃないか。こういう鈍感なワンマン社長には、ビームショットでも打ち込んでやりたくなる。

 そして、恒例の社長との握手会。男性女性、管理職平社員関係なく、新年と夏の賞与の支給時には、必ず一人一人に握手をして回る。あまり顔を近付けられると、たるんだ上にかさかさに乾燥した顔の毛穴が妙に生々しく見えて気色悪い。

「ん、君は?」
 予測通り、社長は私の前で歩みを止める。
「佐藤です」と、私は素知らぬ顔をして、いつも通りに答える。
「ああ、佐藤君か。どうしたの、その格好」
「ええ、まあ、その、仮面ライダーに変身したところ、元に戻れなくなってしまいまして、はい」
「何だって」
 
 真っ当な神経の人間なら、こんな人を馬鹿にしたような格好で出社している訳だから、こっぴどく叱責するのが当然だ。というより、そもそも守衛に掴まって、敷地にさえ入れないだろう。

「こりゃあ、面白い。子供用商品を宣伝するにはうってつけじゃないか。佐藤君は中々センスがいい。早速広報で検討させるよ。ふむ、実に良くできておる。孫が大好きでな、仮面ライダー、ええと、たしか、マキシマム」
「社長、マックス、かと」
「あ、そうそう、マックス、マックス。今度、その格好で遊びにきてくれないか。孫が喜ぶ。何だか今年は飛躍の年になりそうな気がしてきたぞ」
 仮面ライダーが「子供用羽毛布団」の訪問販売をしたら、少しは売れるだろうか。少なくとも、今までの私が今まで通り営業するよりは間違いなく売れる気がする。

 それから私は、「早退届」を提出して午前中に会社を出る。やる気がない、というより、メールの整理をしようにも、グローブが大き過ぎてノートパソコンの文字が打てない。
 それに社員を利用することしか考えていない社長に嫌気が差した、ということもある。
 それこそ、今すぐここで大暴れをしたい衝動にもかられるが、そんなことをしても、逆に他の社員に迷惑をかけることになるだけだし、ただでさえ急落している会社のイメージを一層押し下げることにもなる。

 仮面ライダーは悪ではない。正義の味方だ。会社にとって正義とは、汗水流して会社のために奉仕する、我々社員のことだ。社員が不利になるようなことは決してしてはならない。

 正門を出て再びバイクに跨り、私はある場所へ向かう。そこは、きっと開き直った今の私が一番似合う場所であり、相応しい場所である。

 東京ドームシティ。

 ちょうど正月最後のショーを行っている期間だったはずで、ヒトシもテレビの宣伝を見ていつも行ってみたいと言っている「スーパーヒーローショー」のメッカだ。
 私も小さい頃、まだ「後楽園ゆうえんち」と呼ばれていた時代、一度だけ父親に連れられてショーを見に行った記憶がある。
 巨大なセットの出来といい、火薬とドライアイスを使った迫力ある演出といい、登場するライダーや敵の数といい、イトーヨーカドー特設会場では到底味わえないスケールの大きさにとても興奮したことを思い出す。

 ナビ画面で「東京ドームシティ」を検索してセット。
 「オートドライビングモード」ボタンなんてものがあるので押してみる。座面シートの下から大きなウイングがにょきっと両サイドからせり出し、後輪が90度ホバークラフト風に転回したかと思うや車体がふわりと宙に浮くと、バイクは瞬く間に高度を上げて、ビルやマンションをあっという間に追い抜き、まるでヘリコプターで飛んでいるかのような空中飛行を開始した。

 すげえ!

 体がむき出しの状態なので下半身がぞくぞくしたが、それ以上に経験したことのない爽快感が勝った。
 「空を飛ぶ」ことの気持ち良さ、小学生の頃、「タケコプターがあったらいいなあ」と強く願って床に入り、夢の中でそれを実現できた時以来のことじゃないだろうか。蟻の行列の如く連なる首都高の渋滞をよそに、あっという間に「東京ドーム」の白い屋根が眼下に現れる。

「とぉぉ!」

 私は高度が下がりつつあるバイクの椅子に立ち上がり、勢いよく蹴り上げてムーンサルトを試みる。力の配分が直感的に数値化され、動作が計算通りにコントロールされる。
 舞台中央へ、難なく着地。遅れて、バイクは舞台の端へ。
 もちろん、着地が成功したからといって、拍手喝采を浴びるわけではない。今日は月曜日である。世の子供は新学期が始まっている。ジオポリス内にある「スカイシアター」の客席には、誰一人観客はいない。おそらく、昨日までは、多くの家族連れで賑わっていただろうが。

 作業服を着たパートの清掃員が2名、ゴミを面倒臭そうにつまんでいる。休日明けでは、名物「スカイフラワー」もぴくりと動かない。客のいない平日の遊園地というのは寂しいものだ。

 私は大の字に寝そべって、天を仰ぐ。雲一つない、いい空だ。世の中が慌しく動き始めたというのに、ここは何て静かでのんびりしているのだろう。

 確かに、私は変身した。小さい頃、誰もが望んだ夢の「仮面ライダー」の体を今ここに手に入れた。
 しかし、それで結局、私の人生の何が変わったというのだろう。状況はむしろ悪くなっている。私はいくつもの罪を犯した犯罪者、妻からは給料が安いと顔を見る度になじられ、ヒロシには「マックスよりブラックシャドーの方がいい」と嫌われる。
 仮面ライダーになれたからといって華々しい人生が待っているわけではない。むしろ今の世の中じゃ生き辛くさえある。変身前の自分と変身後の自分をコントロールすることすらできないなんて。敵がいなければ、仮面ライダーの存在価値なんてないも同然。正義の力は悪をこらしめてこそ、初めて正義の力なのである。

 こんなことなら、変身なんてしなくても良かったんじゃないか。普通の男に戻りたい。給料が安くても、喧嘩が強くなくても以前の「佐藤光男」に戻りたい。妻の料理に舌鼓を打ち、ヒトシとの「UNO十番勝負」に一喜一憂する、つい数日前の、自分自身に。

 どこからか、けたたましく鳴り響くサイレン。音は複数こだまし、やがて一つの巨大な塊となって、「スカイシアター」の回りを包み込む。
 私は上体を起こす。赤色灯がいくつも回っているのが見える。私は十メートルほどジャンプし、周りの状況を俯瞰する。
 スカイシアターの出入り口と舞台の外周にそって数十台のパトカーがびっちりと整列し、機動隊がポリカーボネート製の盾を持ちながら、めいめい所定の配置についてスタンバっている。
 自走式対空砲のようなものや、迷彩が施された小型戦車の姿まで見えるということは、自衛隊も出動しているようだ。

スカイフラワー スカイフラワーが、数台上下運動を繰り返している。その中に、民放系テレビ局のロゴマークを付けたカメラクルーとレポーター。耳に神経を集中。自動聴力フォーカス。ズームアップ。

「いよいよ、マックスを捕らえる時がやってきました。子供たちの憩いの場である公園を破壊し、無抵抗な若者に暴力を振るい、交通法規を無視した上、制止しようとした白バイ警官にはこともあろうにミサイルを発射するという、正義の味方とは程遠い、日本、いや全世界の平和を乱す悪の権化、仮面ライダーマックス。彼の目的は一体何なんでしょうか。世界征服なのか、それとも」

 大仰な物言いである。目的は、と聞かれても、私だって、本物のマックスになろうと思ってなったわけではないし、人間に戻れずに困っているのはこっちの方だ。

「マックス、君は完全に包囲されている。諦めて投降しなさい」

 テレビドラマの刑事のように、「スカイシアター」のゲート付近からハンチング帽を被った男が拡声器を使ってがなりたてる。「諦めて投降しろ」と言ったって、別に人質をとって立てこもっているわけではない。

 不意に体が拘束される感触。スーツがぎゅっと締まり、グローブとブーツもまるで手足に吸いつくように密着感が深まる。
 戦闘モードに突入しているというわけか。ここまで悪人扱いされるのなら、いっそのこと、本当に悪になってやろうかとさえ思う。
 今の私は恐らく無敵だ。対空砲を浴びようが戦車に踏みつけられようが、私を倒すことはできない。仮面ライダーマックスは、時間を一時停止させることさえできるのだ。コード番号は分からないが。

 「アドバンスド・ビーム・ショット」のホルダーをはずし、私は刑事の方に向かって立つ。体内のパワーボルテージがむらむら上昇している。自暴自棄な自分を自覚する。もう、なるようになれ。

「銃を捨てなさい!」とハンチング帽。

 ずばばばばば。

 私は「券売機」の屋根に向かって、数発分トリガーをひく。
 朱色の屋根に、巨大な直線状の穿孔。余りの威力に、吹き飛ぶことも忘れた木製の三角屋根は、まるで数十年前のウェスタン映画のセットのように、弾痕だけが蟻の巣状に残されている。

 私の躊躇のない威嚇射撃で、周囲は俄かに騒然となった。小型戦車のキャタピラがじりりと動き、自衛隊員も匍匐前進を開始する。

「最後通告。銃を捨てて、速やかに降伏しなさい。佐藤!」

 佐藤? 
 なるほど、身元は割れているわけだ。これだけの騒ぎを起こしていることを知れば、会社も首だろう。いくら仮面ライダーを活用して売り上げアップを図るといっても、こんな悪徳ライダーでは使いようがない。
 コード88、「アクセル・ファイティング・モード」。全身のボディスーツが黒から真紅に変わり、従来の技の威力とスピードが5倍以上にパワーアップする。

 憧れの東京ドームシティ「スカイシアター」の晴れ舞台。自衛隊と機動隊の包囲網。ヘリが舞う空。メディアの生中継。同じ「ショー」でも顧客が違うし、演出もキャスティングも大違いだ。
 そして「佐藤光男」改め、いまやちびっこの期待をすべからく裏切り続ける、「仮面ライダーマックス」。
 そう、敵を倒せば、私は元に戻ることができる。敵はどこにいる? 警察? 自衛隊? マスコミ?

 ブラックシャドー?

 目の錯覚でなければ、刑事の隣に毅然と直立しているのは、あのブラックシャドーだ。

 私の視線に気が付くと、彼は足を引きずるようにして、のそりのそり誰もいない客席通路を歩み始める。
 その姿からは、正月のショーで見た時の存在感と荘厳さはあまり感じられない。それでも両手には中世の騎士のような盾とサーベルを持ちながら、爬虫類のような冷徹な視線でじっとこちらを凝視している。

 ががががが。

 何の前触れもなく突然爆音が轟き、全身に衝撃と熱を感じる。同時に、私は数メートル後ろの岩山のセットに体もろとも吹き飛ばされる。
 あまりの不意打ちになす術なく、背中に鋭い激痛を感じながら、接触不良の電気コードを恐る恐るつなぐように、「カメラ・アイ」を起動する。
 こちらに向かって仁王立ちになっているブラックシャドーの盾に空いた数箇所の穴から、硝煙が立ち昇っている。盾に銃の機能が備わっているらしい。

 ブラックシャドーは何事もなかったかのように、無表情のまま、こちらとの距離を詰める。その足取りは重々しい。やっと歩いている感じである。
 私は腰の痛みが治まるのを待ってからゆっくりと立ち上がり、シャドーと対峙する。今度はいつ打ち込まれてもいいように瞬間移動のできる歩幅を保つ。「アドバンスド・ビーム・ショット」のエナジーゲージには「READY」の緑ランプが点灯している。

 マックスの宿敵、「メタフォリス帝国」のドン、ヒトシの愛する「ブラックシャドー」。

 倒さなければならない「敵」とは、この「ブラックシャドー」なのだろうか。だとすれば、お前を倒せば、私は「佐藤光男」に戻れる。

 リアルなマックスと、リアルなシャドーの宿命の対決。
 やるかやられるか、結末は二つに一つ。人生において、猫とさえ喧嘩したことのない私が、今命を掛けた人生最大の大喧嘩に挑もうとしている。

 かちゃり。
 ビームショットを手に照準をブラックシャドーに合わせる。彼はぴたりと歩行を止め、じっと私の挙動を窺うようにその場に立ちすくむ。
 盾とサーベル。まずは、そいつからだ。

 びびび、ばばば。

 光の塊が盾とサーベルを交互に貫く。サーベルは固定カメラを構えるマスコミの一群付近まではじき飛ばれ、盾には無数の穴が瞬く間に開き、間もなく小さな爆発音と共に木端微塵に砕け散った。

 弱い!

 丸腰になったブラックシャドーは、それでもひるむことなく、再び接近を開始する。私は銃を格納し、「マックスフォン」のカバーをスライドさせて、コードを打ち込む。
 ライダーキックの最高峰「コード55、スパイラル・ライダーキック・バージョン2」。ヒトシからの情報によれば、バージョン1はすでに、ブラックシャドーの「アンビジブル・シールド」に克服されているということだった。

 マスコミ的には、この上ない本物のヒーロー対決、もう少しクライマックスに至る前振りの演出が欲しいところだろうが、残念ながら私は精神的に疲れている。早く敵を始末をしてベルトを捨て、家でゆっくり眠りたいのだ。

 もう、変身ごっこは終わりにしよう。
 とどめだ、ブラックシャドー。
 そしてヒトシの大好きなヒーロー、ごめん!

 トルッ、トルッ、トルッ、エンター、ピピッ!
 テクニカルコード、入力完了。そして、自動制御モードへ。
 あとは放っておいても勝手に体が動く。技が完遂するまで、じっと見届けるだけ。

 私は静かに目を瞑る。もちろん、実際に瞑ることはできないので、意識の中で、ということだ。体が「スカイフラワー」のように、垂直に上昇を始める。機動隊もマスコミも、まるで時間が停止したかのように、じっと私を見守っている。

 どこからか、女性のわめき声が聞こえる。刑事の隣で、拡声器のマイクを握り締めた女が私に手を振りながら一生懸命に何かを怒鳴り散らしている。私はその声をとても良く知っている気がするが、どうにも思い出せない。

 ブラックシャドーのボディ中心部にロックオンの目印。これでブラックシャドーは固定され、逃げることはできない。
 つま先に熱を感じながら、体がゆっくり回転を始める。 

 一回転するごとに一瞬垣間見える女性の残像を私は頭の片隅で追いかける。スピードが増すにつれ、細切れの残像は次第に一つの明確な像を結び、私の記憶にある特定の女性像を浮かび上がらせた。

 みどり!

 着の身着のままで家を飛び出してきたといった感じに地面にへたり込み、髪の毛を振り乱し、スピーカーが割れるほどの金切り声で叫び続けている女は、紛れもなく、私の憎き、いや愛しき妻の姿だ。
 声を聞いた事があるなんておぼろげなレベルの話ではない。彼女とはもう十数年、毎日のように会っているし、時折怒鳴り声だって聞いている。

 この数日、機嫌はすこぶる悪い。少なくとも夫婦関係においては、仮面ライダーに変身するメリットなど一つもない。
 これだけの騒ぎを起こしておいて言えた義理ではないが、家にこもって悶々としているより、たまにはこういう場に出てくるのも新鮮だろうし、あれだけ声を張り上げれば、いいストレス解消ができているんじゃないか、と珍しくプラス思考で考えてみる。耳の感度を上げて、我が妻の魂の叫びを聞いてみる。

「あなたやめて! ヒトシなの! それはヒトシなのよ!」

 ヒトシ?

 私の体はほとんど光速に近いスピードで回転し、ブラックシャドーのロックポイントめがけて今にも技を繰り出さんとしている。足先にはエネルギーが十分充填され、火の玉のような真っ赤な塊ができている。
 自動制御モードでは、自分で自分の体をコントロールできない。止めるといったって、もう、どうしていいのか。
 無表情な鎧兜が、私のキックの結末を黙って待つ。この中にヒトシがいるというのか。道理で挙動も動作もどこか弱々しく、怪しいと思った。

 この一撃をまともに食らったら、恐らく命の保障はない。テレビの世界では、敵は細かい砂の粉塵となって、さらさらと大地に帰す。
 ヒトシ! 逃げろ!
 私は懸命に、そう叫んでいた。叫んでも聞こえるはずがなかった。今にもへたり込みそうなほどにまで、ブラックシャドーの膝が折れ曲がっている。

 ヒトシ。
 私はいい父親ではない。一人っ子だというのに、ろくな遊び相手にもなってあげられなかった。
 思えば、大好きな「仮面ライダーマックス」のショーくらい、イトーヨーカドーではなく、この東京ドームで見せてあげたかった。まさかこんな形で、自分たちが主役となって対決するとは思ってもみなかったけれど。

 そろそろ回転についていけない。景色が霞がかかるように反転し、意識も朦朧としてきている。
 ブラックシャドーが二重にも三重にもだぶつき出すと、やがて視界から消えた。足の先が恐ろしいほどの力で前方に引っ張られるのを感じた瞬間、私の思考は停止した。

 最後の残像。それは私の腕の中ですやすやと眠っている、赤ん坊時代のヒトシの寝顔。それはこの世のものとは思えないほど可愛らしく、静かな寝顔だった。

 目が覚めると、私は白いベッドの上にいた。体のどこが痛いということもないし、点滴の一つも刺さっていなかった。
 隣のベッドには、ヒトシの顔。上半身を起こして、熱心に携帯ゲームをやっている。見た目の上では、特に怪我らしい怪我はない。助かったのだ。あの後、一体どうなったのだろう。
 妻はヒトシの枕元にある椅子に腰掛けて林檎を剥いている。私が目覚めたのに気付き、ナイフを置き、ぽんぽんとヒトシの肩を叩く。

「パパ!」
 ゲームの電源をすかさず切り、今まで見せたこともないような、とびきりの笑顔を私に返す。
「大丈夫か? ヒトシ」
「うん、全然。それより、パパ、僕、ブラックシャドーになれたんだよ!」
 ヒトシは満足そうに言う。
「あの後、二人ともその場に倒れて、元通りの姿に戻ったの」と妻。声色からして、機嫌が悪いようには見えないが、あそこで相当声帯を酷使したせいか、若干ハスキーボイスである。ハスキーボイスの妻というのは、逆に新鮮でいいかもしれない。
「テレビでパパが映ってるの見たんだ。僕が助けてあげようと思って。マックスが元に戻るためには、敵を倒さなくちゃ駄目だっていったじゃん。だから、僕がブラックシャドーになったんだ。
 シャドーは元々シャドーだから、ベルトとかで変身するんじゃないんだよ。何かね、パパのために、シャドーになりたい、シャドーになりたい、って本気で神様にお願いしてたら、本当にシャドーに変身できたんだよ? 信じられる?」
 ヒトシの瞳はきらきらと輝いていた。念ずれば通ず。正に夢のような現実である。
「シールド・ロシアン・ブラスター、痛かった? でもあのくらいしか、僕には攻撃できなかったから。攻撃しなければ、パパ、僕をやっつけようって思わなかったでしょ?」
 Tシャツに短パンといういでたちの私はベッドから這い出して、ヒトシの枕元に立った。そしてちょっぴり汗をかいているヒトシの前髪を指で掻き上げる。
 もう二度と、不肖だなんて言わない。愚息でもない。お前はでき過ぎるくらいよくできた、私の息子だ。

「ところで、警察や自衛隊やマスコミは?」
「元のあなたに戻ったとたん、誰もいなくなりました」と、妻は笑って言った。 
「何の騒ぎだったんだろう、って思うくらい。あの人たち、げんきんなものね」
「そんなもんだよ。非日常的なことにしか興味ないからね。それはそうと、ライダーベルトは?」
 私は身の回りをきょろきょろと見渡す。
「『石ノ森記念館』の館長さんがこられてたので、渡しておきました。良かったかしら?」
 それ以上の決着の仕方は、私にも思いつかない。
「罪については問われないそうよ。あまりに超常的だしそういう中で立件は難しいみたい。電車のチンピラは別の暴力事件で逮捕されたんだって。市長さんも、あの公園を観光地にするんだって張りきってるわ。
 それからさっき、あなたの会社の社長さんが見えてね、次の人事であなたを昇格させるそうよ。過去に唯一、『仮面ライダー』に変身した男が売る『マックス羽毛布団』。石森プロといい条件で契約できたって。これで少しは給料あがるかしら」
「まあ、過剰な期待はしない方がいいと思うけど」と、やせ我慢をして言ってみたものの、内心私も嬉しかった。「昇給」とか「昇格」という響きに飢えていた。
 全く、いつまでたっても私は小さい人間である。でも、何故かとても幸せだった。こうして家族が皆にこにこ笑い合ったことなんて、最近あっただろうか。
 人生を劇的に変えることはまだできてないかもしれないが、もし私がマックスになったことで何かが変化したとすれば、それは家族の絆かもしれない。

「あと変身してないのは、ママだけだね」とヒトシは林檎を頬張りながら、冗談半分に言う。
「変身はもうこりごりだよ」と私。
「『松嶋菜々子』になれるのなら、変身したいけど?」
 妻は十才近く若返ったような笑顔を湛えながら言う。
「もし自分の妻が『松嶋菜々子』になったら、それはとても鼻が高いね。社長からは、また思う存分利用されそうだけど。まあ、みどりじゃあ、仮面ライダーでいえばジョーカーたちを束ねる女の大将がせいぜいだろうね」
「何よ、失礼しちゃう」
 妻はちょっとすねたように、フォークを林檎に刺して、ヒトシに目配せをする。女の大将はちょっと可哀想だったかな。せめて、マックスに変身する前の主人公の恋人、「蘭」とても言ってあげれば良かっただろうか。

「ん、それは何?」
「え?」
「そのほら、手の」

 フォークを持つ妻の手の甲に、直径五センチほどの雪の結晶のような形をした模様が、すかし絵のようにうっすら浮き上がっている。
「あら、何かしら、これ」
 妻はそばにあった台布巾でごしごしこすってみるが、模様は消えない。
「それって『ジョーカー』のマークだよ」とヒトシがすかさず言う。「人間に姿を変えている時は、手とか額にその模様があるんだよ」
「嘘でしょ」
「本当だってば。ジョーカーにはそのマークがあるよ。すっげー、きもい」
「『すっげー』も『きもい』も使っちゃだめだって言ってるでしょ? 言い直しなさい」
「うん、ごめんなさい。とても、気持ち悪い、です」
「ま、何だ、もう変身ごっこは終了。さ、早く家に帰って、のんびりしよう。ヒトシは通信教育の宿題、溜まってるんじゃないのか?」
「うん、でも勉強終わったら、パパ、またUNO、してくれる?」
「いいとも。今度はもう手を抜かないよ?」
「やった!」

 しかし、林檎の皿を片付ける妻の額に、「碇型」をした「メタフォリス星」のシンボルマークが一瞬きらりと輝いたのを、私は見過ごさなかった。

<了>



<一口ご感想フォーム>

ブレイクタイム最後まで拙文をお読みいただき、本当にありがとうございます。
読後のご感想をいただければ幸いです。よろしくお願いします!

名前

E-Mail
(※未入力だとエラーとなりますので、お知らせ不可の場合は
適当なアドレスを ご入力ください)


ご意見・ご感想



<<ご参考までにお聞かせください!>>

性別は? 男性 女性

年齢は? 10代 20代 30代 40代 50代以上

職業は? 会社員 自営業 専業主婦 学生 その他



 

←前に戻る        topに戻る→



Base template by WEB MAGIC.  Copyright(c)2008 高橋熱 All rights reserved.