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私の専門は変動地形学・古地震学であって,活断層の調査・研究が本業である.活断層研究者は,活断層がいつ活動したのかを調べるために,断層をまたいで溝を掘り地下の地層のずれを調べる手法(トレンチ調査法)を用いるのであるが,トレンチ調査法は山の中の活断層には適用できない場合が多い.そこで,私は,トレンチ調査法に代わる調査手法として,山地斜面上に残る逆向き低断層崖(斜面下方が隆起するような崖)を掘削する方法(山地斜面におけるピット調査)を提案し,その試行調査を行ってきた.要は,活断層に沿った山の中を歩き回り,不自然な崖を見つけ出してそこを掘るのである. 岐阜県西部を走る根尾谷断層沿いの山の中で不自然な崖を見つけ,そこを掘削することにしたのは2002年8月のことであった(写真1).場所は,樽見鉄道の終着・樽見駅からほど近い根尾村神所(こうどころ)集落の裏山である.シシ垣のことなどつゆ知らない私は,研究室の友人に手伝ってもらって掘り始めたのであるが,掘れども,出てくるはずの断層は出てこない.それどころか,壁面に露出した地層から推察するに,この崖はいかにも人工的に盛ったもののように思える(図1,写真2).
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![]() 写真1.根尾村神所集落裏の山の中に残る不自然な低崖.推定される根尾谷断層のトレースに沿って続く. ![]() 写真2.ピット壁面の写真. |
| 根尾村の歴史に詳しい早野教台さんにお話を聞くと,そこには南北朝時代,根尾城(西暦1340年頃築城)という大きな山城があったという.「根尾村史」の根尾城の項をそのときに初めて見せていただいたが,そこには根尾城の復元図というものが載っていて,私たちが掘削したまさにその崖が「武者走・土塁」として書き込まれてあった(図2).私は,それを見て,根尾城の城郭土塁を低断層崖と誤認して掘削してしまったのだと思ったが,さらによく調べてみると,根尾村には江戸時代末期(西暦1804〜1810年)に作られた「シシ垣」というものも,多数山の中に残存しているということが分かった.石積みのものが村指定史跡として保存されているが(写真3),大多数は土盛りで人知れず山の中に埋もれている.地元の人に聞いて,いくつか代表的なものを見てみたが,確かに掘削を行った崖によく似ているものもある.しかし,結局そのときは,城郭土塁なのかシシ垣なのか決着のつかないまま,穴を埋め,根尾村を去ったのである. | |
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![]() ![]() 写真3.村指定の史跡として保存されている板所(いたしょ)のシシ垣. |
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答えを教えてくれたのは,盛土前の地表面から採取した炭化木片(針葉樹樹皮)の放射性炭素年代であった(図1).その年代は,この木片が95%の確率で西暦1461年以降に枯死したことを示していた.もし,この崖が南北朝時代に作られたのであれば,この木片が崖を作る以前の地表面に紛れ込むことはあり得ない.一方,この崖が江戸時代に作られたシシ垣であれば,全く矛盾はない.その後,シシ垣の研究をされている金沢大学名誉教授の矢ヶ崎孝雄先生,奈良大学教授の高橋春成先生に,掘削を行った崖の写真等を見ていただいたが,やはり,シシ垣の可能性が高いということであった.こうして,ようやく決着がついたわけである. その後も,私は根尾谷断層の調査を続けていて,根尾村中を歩き回っているが,根尾村のほとんどの集落や田畑の裏にはシシ垣が築かれていて,その残骸によく出くわす.それらの観察を通して,シシ垣と低断層崖の相違というものも何となく分かってきた.今回の調査は,活断層調査としては失敗であったが,今後の調査に向けて意義深い経験であった. ちょうど,木片の年代測定結果が出た頃,雑誌「地理」で高橋春成先生が中心となって連載「シシ垣を掘り起こしてみよう」が始まった.奇しくも,私たちは,文字通りシシ垣を掘り起こしてしまっていたのである. <終わり> (産業技術総合研究所 活断層研究センター h-kaneda@aist.go.jp) (注)
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