'98.9網走旅行記
98.9.19(金)第2日目
網走市街─サロマ湖 湧網線跡を自転車でたどる
この日は、再度サンゴ草を見つつ、旧国鉄湧網線跡地を利用したサイクリングロードの往復を計画していた。旧大曲仮乗降所(網走から一つ西へいったところにあった簡易駅)からサロマ湖畔まで、片道39キロの道のりである。往復すると80キロ弱。出発点まではホテルから3キロあるので、実際は85キロ近く走ることになる。
早めに朝食を済ませ、7時40分にホテルの駐車場を出発。ここの管理員さんは「神奈川から来た」という私の言葉に、「この自転車に乗って神奈川からやってきた」と思い込んでいる。「こんなママチャリで来るわけないじゃん」と思う私。そもそも、本日の80キロの道のりに耐えられるかさえ、不安だったのだ。
まずは、出発点・大曲の少し手前にある網走刑務所(本物)の正門を見に行く。
前日見た、博物館と全く同じである。刑務所前には、網走湖から流れる網走川が流れている。この川も大層増水しており、今にも溢れ出しそうであった。
予想通り、この日は大変よいお天気で、からりと晴れ上がり空はまっさお。店などろくにない過疎地を走るので、刑務所近くのコンビニで飲料水や食料を調達した。
出発点・大曲は、網走川が大きく曲がっているため、その名がついた。仮乗降所の姿は全く残っていなかった(もっとも駅ではなかったので、たいした設備もなかったのだが)が、サイクリングロード出発点として、きれいに整備されている。立派なトイレに、湧網線跡地の石碑。網走川を渡っていた鉄橋の面影の残る橋を渡り、いざ、出発である。
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 線路跡はきちんと整備されている |
湧網線は、国鉄からJRに移行する二週間前、1987年3月16日に廃止された。私は廃止される4ヶ月前、1986年11月に乗車している。ずっと乗りたかった路線、そして、北海道を凝縮したような、農村風景あり、酪農風景あり、オホーツク海あり、と、その美しい車窓に釘付けになった記憶がある。たった一度しか乗車しなかったけれど、その時の記憶ははっきりと残っている。
12年前の記憶をたどりながら、線路跡を自転車で走る。大曲を出発して、すぐに左手には網走湖が広がる。緩い勾配の道に、エンジン音をあげて、汽車が走っていた様子を思い浮かべた。うなるエンジン音が、ふと聞こえるような錯覚に陥った。
台風の影響で増水した網走湖は、目の前で見てみると、2メートル近く水位が上がっているように感じた。サイクリングロードすぐわきまで水がきているのである。ところどころ、泥がたまり、道が冠水した跡もある。もし今でも鉄道が走っていたら、しばらく不通になっていたのではないだろうか。
網走湖を離れ、少し上り坂を走ると、緩やかな丘に広々とした畑が広がった。北海道らしい田園風景である。左手にドライブインがぽつんとたっていたため、ここが、大曲仮乗降所の隣の二見ヶ丘駅のあったところだったのだ、と悟る。「二見」とは、この緩やかな丘の上に立つと、今来た網走湖と、この先にあるサンゴ草の能取湖の二つが見えるために、つけられたのだそうだ。
しばらくまーっすぐな道を走り続ける。広い畑の中の直線道は、走っても走っても、ちっとも進まない感じだ。1キロごとに「大曲から××キロ」と書かれた道標が建てられているので、ようやく進んでいることがわかる。
やがて、昨日サンゴ草を見た能取湖が近づいてきた。湖の手前、白樺並木に、この風景を12年前、車窓から見たことをはっきりと思い出した。そういえば、二見ヶ丘駅と能取湖畔の卯原内駅の間には、二見中央という仮乗降所があったはずだが、どこにあったのかは全くわからなかった。
この日はよい天気だったので、能取湖のサンゴ草も、昨日に比べ、赤が鮮やかに見えた。緑の草とのこのトラストがなかなか美しい。
サンゴ草群生地からほんの少し進んだところにあるのが、旧卯原内駅。ホームとレールがわずかに、それから機関車が残されており、サイクリングロードの中間点「サイクルパーク」(10キロ毎に設置。トイレと休憩所がある)、及び、交通会館となっている。
国鉄改革で廃止された全国の駅は数知れぬが、大きな駅は、こんなふうに記念館になっていることが多い。町の人たちの鉄道に寄せる思いを垣間みる気がする。駅跡地では、近所の人が遊びに来たのか、幼い子が機関車で遊ぶ姿を、その両親がカメラに収めていた。この子にとっての鉄道とは、交通手段ではなく、記念物、過去の遺物に過ぎないのだろうか。
ここからはサンゴ草生息地がぼつぼつ続く。起伏のないまっすぐなサイクリングロード。林の向こうに広がる能取湖。時には少し湖を離れ、畑の中を走ったりもする。
旧卯原内駅の次のサイクルパークは旧北見平和駅付近。ここも、ドライブインが一件あるだけだった。鉄道が走っていた頃は、駅前レストラン、だったのだろうか。
旧卯原内駅−旧北見平和駅間、最も美しくサンゴ草を見ることができた。かつて私が目にしていた「サンゴ草を背景に走る気動車」の写真は、ここら付近で撮影したものだったのだろう。
北見平和を過ぎ、農村地帯を走り続けると、旧能取駅だ。能取駅跡は、ホームがわずかに残っているのみ、そこに、ぼろぼろの客車が置かれていた。駅前広場には真新しい公民館が建てられていた。広場横にはホタテ工場。かすかに「駅前」だった雰囲気が残っていた。
旧能取駅を過ぎると、また延々と直線道路が続く。
ここで私はある発見をした。直線すぎると人間の目には、先端部分が傾斜しているように見えるのである。(一番右の写真に注目。ずっと先が上り坂のように見えるでしょ?) でも実は平らなのだ。不思議である。
左手に畑、右手にクマザサの林を見ながら、延々と直線を走っていると、ふいに、オホーツク海が右手に広がった。この田園風景から海辺の風景への転換は見事である。これが湧網線の魅力だったのだ。
道の途中で自転車を止め、後ろを振り返ると、遠くに能取岬が見えた。約20キロぐらい向こうだろうか。だいぶ走ったものである。
 線路跡がとぎれ、新しく道がつけられている(奥) |
 死んだように静かな常呂市街 |
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ここでサイクリングロードは廃線跡からはずれた。
湧網線が廃止されて12年。12年の歳月は、その存在を跡形もなく消し去っていた。線路跡に小屋や住宅が建ち、大根畑となっていたのだ。ぷつりと線路跡がとぎれ、代わりに新たにサイクリングロードが設置されていた。似たような感じの道路だが、そのとぎれ具合は、いかにも不自然である。
自分の敷地内を鉄道がとおっていた場合は、線路跡なんて邪魔物以外の何物でもないなのでさっさとつぶす、というのは聞いていた。これが、その姿なのだ。地元の人からすれば当然のことなのだが。もう、二度と、鉄道が復活することなどないのだから。
サイクリングロードは車道(238号)と合流し、オホーツク海を右手に見ながら、常呂の町へと入っていった。町に入る手前、オホーツク海に流れ込む常呂川を渡る。かつて、浜辺を走っていた湧網線。河口ぎりぎりに線路があったように記憶していたが、鉄橋は取り払われ、どこにあったのか全くわからなかった。「確かこのあたりに鉄橋、あったよね」しばらく自転車を止めて、湧網線跡を探る私たちだった。
朝10時半の町は死んだように静まり返っていた。ひっそりとした商店街(30軒程度)はあっという間に通り過ぎ、常呂駅跡へ到着。駅跡は、超立派な交通(バス)ターミナルとなっていた。そして隣には町営温水プールがあり、町の人が何人か訪れていた。おそらく、廃止の見返りとして町に与えられたお金で建てられたのだろう。小回りのきくバス、立派なターミナル、温水プール。一日何本も走らない鉄道よりも、今の姿の方が、住民にとってはいいのかもしれない。鉄道に哀愁を抱くのは、よそ者だけなのかもしれない。
浜辺へ出ると玉ねぎが打ち寄せられていた。台風の影響で、常呂川上流の畑からから流された物だろうか。河口付近は、台風の余韻を残した濁って勢いのある川と海が交じり合い、しぶきをあげている。広々としたオホーツク海には、人影は全く見当たらなかった。
交通ターミナルを過ぎると、再びサイクリングロードが現れた。しかし、今度の道は、湧網線の廃線跡ではないと思われた。道路沿いの歩道を走るのであまり快適ではない。サイクリングロードはよく整備されており、1キロごとに道標がつけられていたが、今度は一般道路の標識しかない。ここから7キロほどサロマ湖まで走り、ようやく終点に到着した。「到着〜〜〜!!」ということで、何はともあれ記念撮影。サロマ湖自体は、天気がいいにもかかわらず、ぼーっと霞んでいた。サロマ湖にも、ぼちぼち珊瑚草が生息していた。
昼はサロマ湖畔のドライブインでとった。道すがら、いくつもつぶれたドライブインとか喫茶店を目にしていて、日本の観光地はすたれているんだな、と胸がつぶれる思いがしていた。この店もつぶれそうな、見かけはまずそうな店だったが、ホタテ釜飯もオホーツクラーメンも非常に美味しかった。見かけで店を判断してはいけない、と思った。
サロマ湖畔には「サロマ湖ネイチャーセンター」という北海道の動植物を紹介した建物があり、その奥がワッカ原生花園となっている。ワッカ原生花園は車両通行禁止、ネイチャーセンターで自転車を借りて走る。私たちは元々自転車なので、そのまま原生花園へ入っていった。
原生花園が美しいのは6月から7月。もう9月だから寂しい風景かと思いきや、ハマナスの赤い実がとてもきれいだった。できれば、片道約5キロのこの原生花園(サロマ湖とオホーツク海をへだてる砂州)を端まで走りたかったが、往復すると10キロかかり、何せ、暗くなる前(17時頃)までに、網走市内まで戻らなくてはならないので、途中で引き返した。ここからは、延々、来た道を戻るだけである。
常呂町の手前で「網走35キロ」なんて標識を見て、愕然!! 「行きはよいよい帰りは恐い……こんなに自転車で戻れるのかいな?」と思い切り不安になるが、自転車を持ってバスに乗るわけにもタクシーに乗るわけにもいかないので、もう、ひたすら自力で帰るしかない。
幸い少し曇ってきて走りやすくなっていたし、一度走った道なので勝手がわかっている。行きよりもスピードを出して、ひたすら走った。
そろそろ膝や太股が痛くなってきて、少しの起伏も体にこたえ始めた。オホーツク海を離れ、能取湖の西端に戻り「網走20キロ」なんて表示を見ると嬉しくなった。(←すでに20キロならば近い、という感覚になっている) 通常の生活で「20キロ自転車で走って来なさい」と言われたら正気の沙汰じゃない、と思うのだけれど。
写真は、サイクリングロードの橋(かつては鉄橋だったと思われる)につけられた飾り。反射鏡がうまくきつねにかたどられている。
10キロ単位におかれているサイクルパークで少し休憩をするだけで、あとはノンストップ。とりつかれたように走った結果、出発から8時間後、スタート地点に到着したのであった。大曲出発が朝8:11で、到着が夕方16:11だった。(時計に注目!)
この後、網走刑務所近くの「やまね工房」という縫いぐるみ製造会社へちょっと寄る。私のコレクションの一つに縫いぐるみがあって、家には縫いぐるみが山のようにあるが、「やまね工房」の縫いぐるみはお気に入りの一つである。リアルでかわいいのが特徴である。製造元へ行ったらいろいろな種類があるかなと思って行ったのだが、夏の間に売れに売れたのか、かえって北海道の大きな都市のお土産物屋の方が品数が豊富の感じがした。せっかくなので、キタキツネの縫いぐるみを買ってきたが。
すっかり日も傾き、黄金色の夕日を見ながら、ようやく貸し自転車屋へたどりつく私たち。17時すぎ、すでに町は暗くなっていた。
「明日も借りたいのですが」と言うと、そのまま持っていてもいいと言われ、自転車はこの日もまた、ホテルの駐車場に置かれることになった。
シャワーを浴びて服を着替えてから、繁華街の居酒屋へ郷土料理を食べに行った。昨日の店は高かったので、今度は注意して安そうな店を探した結果、この日の店は安くておいしくてあたりだった。
翌日の筋肉痛を怖れながら早々に眠りにつく。実に充実した一日であった。
※この日の推定走行距離 90km