'00.2男鹿半島旅行記
00.02.26(土)〜27(日)
東京−秋田(秋田新幹線)−男鹿半島−大潟村−秋田ー東京(秋田新幹線)

入道崎の夕日
年の初めから、どこか温泉に行きたいと思っていた。温泉といえば、手近なところで熱海・箱根・伊豆へ行くのが常だが、たまには遠くへ行きたい、それも冬だから雪がいっぱい降るところがいい、ということで、男鹿半島へ行くことにした。とはいえ、一泊二日で男鹿半島へ個人で行くのはかなりつらい。新幹線と観光バスのセットのツアーに申し込んだ。JRの企画ツアーなので、新幹線代+アルファのお得なツアーである。
秋田新幹線に乗るのは初めて。ついこの間、開通したと思っていたらもう三周年。盛岡までは東北新幹線・やまびこと連結で、その後、ローカル線の田沢湖線に入る。大曲からは奥羽本線に入り、秋田駅まで東京駅から4時間ちょっと。ずいぶん秋田は近くなったものである。新幹線がなければ、一泊二日で男鹿半島には行けなかっただろう。
ローカル線に入るため、秋田新幹線の車両は狭い。かつての特急車両と同じく、2列・2列の4列。この日は土曜日だったため、指定席はほぼ満席だった。初めて乗るということで、まずは車両の写真を撮る。東京駅8時52分、こまち7号は、定刻通り発車した。
盛岡までは、ほとんど雪はなかった。盛岡手前でようやく家々の屋根に雪が見えるようになった。しかし盛岡から日本海へ抜ける田沢湖線に入ったとたん、一挙に雪が増える。山があるとないとでは、冬の天候は全く異なる。さらに日本海沿いの奥羽本線は、昨晩の雪がしっかりと積もっていた。
新幹線の線路は早々に除雪をしていたようだが、ローカル線の方は、レールが完全に雪の下に埋もれていた。やや雪がへこんで見えるところがレールの場所なのだろう。「奥羽本線はダイヤが乱れています」との放送が大曲駅でされていたが、線路を見て納得した。大曲からしばらく行ったところで、ラッセル車が懸命に除雪をしていた。
13時10分。数分遅れで秋田駅に到着。秋田駅は新幹線開通とともに改築されたようだ。最近の新幹線駅の仕様となっており、全く特徴がない。長野駅と非常によく似ている。私は秋田駅に降りるのは初めてだったので、以前の駅の姿は知らないが、どうしてこうもどこの駅も特徴のない似通った構造にしてしまうのだろう。全く面白くない。「標準規格」というものがあって、規格に合わせると安上がりにでもなるのだろうか。
さて、秋田駅からは、観光バスに乗って男鹿半島観光をし、今日の宿、男鹿温泉に五時頃到着する予定である。しばらく駅構内をうろうろした後、改札口の前をとおりかかると、JR東日本の旅行会社(びゅう)の旗を持ったガイドさんが立っている。もしやこの人、ツアー客を待っているのだろうかと声をかけたら、その通り。さらに「本日のお客様はお二人だけです」とのこと。はあ、やっぱり一泊二日で男鹿温泉に行く物好きはいないのか、それにしても二人だけとはツアーとは言えないよなぁと思いつつ、観光バスの前まで来てまたびっくり。四十人乗りの観光バスが待っていた。
かくして、運転手+ガイド+乗客たった二人のツアーは始まった。私ら二人の旅行代金では、どう考えてもこのバス代すら出ないと思う。このツアー、企画失敗でないか?と心配する私らをよそに、ガイドさんは、まるで四十人を相手にしているかのごとく、ガイドを始めるのであった。(うーむ、プロは違う……)
 秋田市街 |
 秋田港。向こうに見えるのが男鹿半島。 |
最初の観光地は、秋田港のわきに建てられた秋田ポートタワー(セリオンタワー) 何かの(忘れてしまった)100周年記念に建てられたそうで、地上100メートルに展望台がある。この日は午後から晴れ間が見えてきたので、秋田市外や男鹿半島をきれいに眺めることができた。
眼下には秋田港。遥か昔、中学受験の社会科で「新産業都市」として、「秋田港」というのを習ったことを思い出した。「新産業都市」構想は昭和40年代。私が受験をしたのは昭和51年度だから、当時としてはホットな話題だったのだろう。試しに頭の中で、新産業都市18都市を北から言ってみると、あっさり全部言えた。(道央、八戸、秋田湾、仙台湾、新潟……という具合)覚えていても仕方ないことを、人間、覚えているものである。
セリオンタワーを後に、バスは男鹿半島の先、男鹿温泉を目指して、海岸線を走り出した。時々見える日本海は、天候が穏やかなせいか、想像に反して穏やかだった。バスは男鹿半島をぐるっとまわってくれるのかと思っていたら、冬季は道路状況が悪いため、半島内部の新しい道路「なまはげライン」に入っていった。男鹿半島への近道ということで、まっすぐな道が多い。
途中、旧県社の真山神社に寄る。ここは男鹿半島の民俗行事「なまはげ」ゆかりの地だそうで、バスが到着するやいなや、「観光なまはげ」が待ち構えており記念撮影。こういう記念写真は普段はあまり買わないが、なにせ乗客たった二人の観光バス。私らだけを待って、なまはげの格好をし、カメラを構えていたのかと思うとあまりに申し訳なく、写真を買った。(買うまで帰さない、という気迫も感じたし)かくして、異常にさびしい「団体写真」が左。なまはげ&ガイドさん&茅沼&高森である。「びゅう」の旗が目立ってますね(笑)
真山神社のすぐそばに、「なまはげ館」というなまはげ博物館にも行った。男鹿各地のなまはげの展示や、なまはげのわかる記録映画など、非常に見ごたえのある博物館である。ここはちょっとお薦め。展示されている、実際に使われているなまはげの写真がとれなかったのが残念。禁撮影にしないと傷むし、そもそも儀式に使うものだから、やはり写真など気軽に撮ってはいけないのだろう。
 北緯40度線→ |
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この後、本日の宿、男鹿温泉郷を通り抜け、男鹿半島の最突端、入道崎へ行く。ちょうど日が落ちる時刻で、さらに天候もよかったため、素晴らしい夕日を眺めることができた。某アニメのせいで(^^;、こういう夕日を見ると、過剰に反応してしまう高森である。(わかる人にしかわからなくてごめんなさい) てっきり雪が降っていると思っていたので、非常に得をした気分。一週間前は猛吹雪で、一寸先も見えなかった、まるで違う場所のようだ、とはガイドさんの言葉。海のすぐそばのため、雪もほとんど積もっていなかった。
写真右は「北緯40度線」の石像。北緯40度がどこだかわかるように、ちょうど40度線上に岩を置き、さらに岩には裂け目が入れられている。この岩の裂け目をのぞけば、40度線が見えるというわけである。遠くから見れば、ただ、石がぽつんぽつんと置かれているだけだが、裂け目からのぞくことがポイントである。
この後、当ツアーの本来の目的、男鹿温泉へ。大変きれいなホテルで、お風呂もよかったし料理も大変おいしかった。伊豆の温泉よりよっぽどよい。個人で泊まっても、設備・料理の割にはずいぶん安い。さて、私たちのツアーの場合、このホテルにはいったいいくら払われるのだろう? やっぱりこのツアー、すごい赤字だよな……と、気がひけてしまった。
翌朝、ちょうど日の出の頃目が覚める。窓の外を見ると、まっかな朝日が顔を出している。今日は快晴だ。この調子だと、雪に合うことはなさそうだ。
朝風呂に入り、7時半からしっかり「タイムレンジャー(倉貫くん)」を見て(^^;←テレ朝系が男鹿半島でも見られてよかった、その後朝食。8時半にホテルを出発する。
ホテル玄関前には、また昨日の40人乗りのバスが、横付けされていた。玄関からものの数歩でバスの中へ。ホテルの従業員が三人、手を振って見送ってくれた。今日もまた、異常に豪華な観光バスツアーである。
この日は、大潟村を観光。大潟村といえば、小学校の頃、「理想の農業の村」として習った覚えがある。最先端の技術を利用して、八郎潟を干拓したのだと、社会科でも国語でも習った。しかしその後、米余り、減反政策と、大潟村は幻想だったのか、時代に翻弄された村だったのか、という複雑な思いがあった。そのあたりの事情が少しは垣間見られるかなと、期待していた。非常に人工的な、どこまでもまっすぐな道路を走り、大潟村に入っていく。
連れて行かれたのは、「大潟村手作り体験工房」なぜかここで、「もちつき」をやらされる。減反政策後、新たな農業を模索しようと、大潟村ではメロン作りや合鴨の飼育に力を入れているそうだ。また、農業加工物(何十種類もの冷凍おこわとか、大豆製品等)の研究にも熱心で、この体験工房もその一環のようだ。
体験工房の一角で、大潟村の歴史を語る写真展があった。この写真展はなかなかよかった。昭和20年代のまだ水を満々とたたえた八郎潟。昭和30年代、干拓が始まった時の様子。それから現在の様子。今は冬だから、一面雪なので田んぼなのか干潟なのかわからないけれど、夏場の写真を見ると一面緑に染まっており、ああ、本当に干拓されたんだな、と思った。
減反政策が村に与えた影響など知りたかったのだが、そういう展示はされていなかった。考えてみれば、ここに暮らす人にとっては日常生活、生きるための場なのである。どうしてそんなところに「減反政策とは」なんて物を展示するだろうか。大潟村は博物館ではなく、生活の場なのだ。
干拓の際残された、村をぐるっと囲む川と貯水池をながめていたら、ふと、諫早湾のことを思い出した。
大潟村を後に、南秋田郡飯田川町の醸造所へ。小玉醸造というところで、秋田県内ではトップの製造量をほこる「ヤマキウ醤油」を作っているところだとか。(こちらでは見たことない)他に味噌と酒を造っている。もともとは醤油・味噌屋だったのだが、醤油造りと酒造りは似ていると、酒造りも始めたとか。観光醸造所でもあるのか、パンフレットが用意されており、醤油のもろみの巨大な桶や、酒を熟成させるタンク等を見学した。
また、きき酒として、何種類かのお酒も飲ませてもらった。さらに、お土産用として、カップ酒を一つずつ。うちは日本酒は飲まないのだが、こうなったら、何か買わざるをえない。しかたなく、両親へのお土産として、一本吟醸酒を買ってきた。
「お土産はただじゃないんですよ。十分まわりの方に宣伝してください」と、さらにさらに、蔵開きの時に配った、醤油・味噌・酒の3点セットの残り物ももらった。そうですよね、ただほど高いものはない、とも言いますものね。というわけで宣伝。もし「太平山」という銘柄のお酒を見つけたら、買って下さい。
これで観光はひととおり終わりである。昼前に秋田駅前につき、あとは帰るだけとなった。
駅前の居酒屋で、稲庭うどんを食べ、13時26分発のこまちに乗って東京へ戻ったのであった。
写真は田沢湖線の車窓。こんな景色を見られるのは、次はいつだろうかと思いつつ……