悪夢の夜に 薄暗い夜の空気を白い刃光が縦横無尽に疾る。 交錯する影と影。 狭い路地という空間を飛翔するモノと地を駆けるモノ。 戦闘は始まりから数分とせずに勝敗を決し、終幕は閃光の時雨で引かれた。 「Amen」 短い聖句で雨が焔に変貌する。 自然のそれでは在り得ない、紅蓮の炎に照らされて彼女は静かに立っていた。 世界最大宗教の一であり、信仰に疎いこの国でもその姿は聖職者の其れであるとわかる法衣―――カソックに身を固めているシエル は死徒が完全に消滅すると同時に安堵の息を吐いた。しかし、其れもつかの間。鋭く研ぎ澄まされた彼女の感知能力はすぐに新たな、 それも無視できないだけの力を持つ死徒を察知する。 「まったく、面倒な舞台に招待されてしまいましたね」 愚痴り、路地の壁を蹴って飛翔する。 白い雪の舞い散る夏の夜。 夢幻と現実の境に作り出された悪夢の舞台に招待されてから数時間。シエルは休む間もなく戦い続けていた。つい先日巻き起こった 死徒二十七祖第十三位『タタリ』の力が影響されているらしい今回の『悪夢』は、シエルにとっては正しく地獄に近い性質であった。 『その対象が不安に思うものを模す』という『タタリ』の力がこの悪夢の世界では際限なく繰り返される。 その性質であるが故に滅びたはずの二十七祖十位『ネロ』や存在しえない堕ちたシオン、秋葉などといった存在まで出現できる。こ れらは本人、或いはその対象を直接見た者の不安を元に世界の主が再現したものなのだろう。 だが、本当に厄介なのは堕ちた秋葉や吸血鬼となったシオンなどの単体ではない。 彼女達は彼女達で十分に脅威だが、それはそれで。オリジナルの人たちが己の『悪夢』を放置するとは思えない。 本当に問題なのは彼女達よりもむしろ―――――――――――― 「ええい。どうして私に限って『最悪の状況』が復元されやがりますか!! 」 愚痴りながら、グールの腹に突き立てた短剣を逆手に持ち、相手の喉下まで切り上げた。本来なら、刀剣の耐久性、人体の強度、な により必要とされる筋力の問題で在りえないはずの芸当を魔力の強化によって強引に実行する。死徒と成りきっていない腐喰鬼 はその まま仰向けに倒れ、灰へと還った。 「まったく。私にとっての悪夢など、それこそ該当しそうなのが何人もいるというのに何故一人に絞られて出てこないのですか」 ぶつぶつと文句を言いながら短剣を回収する。遠距離戦闘を得手としている彼女は弾丸の消耗も激しい。近接で使える武器は大事に しておかないと、いざという時に遅れをとりかねない。 「はあ・・・今月はピンチだというのに。これじゃあまたナルバレックに嫌味を言われてしまいますね」 軽くなった法衣をバタバタ音をたてさせながら、肩を落としてそんなことまで言い始めた。 彼女がいま狩り出しているのは間違いなく自身が作り出してしまった『悪夢』だ。 彼女の悪夢―――それは、いままで戦い殺し続けてきたモノたち。 圧倒的なまでに多く、本人ですら覚えていないほどの大人数の死徒の群れ。 それが埋葬機関第七司祭『弓』のシエルが想像する『最悪』であったわけだ。 「ああもう。私こんなに戦いましたっけ? 」 声を荒げながらも路地の置くから出てこようとするグールに対して的確に黒鍵を投擲する。魔力で編まれた刃金は鋭く死徒に突き 刺さり、活動を停止する。聖別の刻印を編みこんだ武具であるため、グール程度の復元呪詛ならば容易に削り取れるほどの代物だ。 ビルとビルの合間。 狭く奥まった袋小路。 通いなれた通学路にすら。 まるで湧き水のようにどんどん地面から湧き上がってくる腐喰鬼たちにその黒鍵の雨を降らせる。 そうして一面を片付けるとまた別の場所で気配が起こるということの繰り返しを、かれこれ五時間ほど繰り返していた。 「はあ。こんなことなら遠野君たちと一緒に犯人を追っていればよかったかもしれませんね」 一休みしながらそんな益体も無い台詞を吐く。この事件には遠野志貴を初め、他にも複数の知り合いが巻き込まれている。その中 でもっとも中核にいるであろう夢魔とその主は事件の犯人を追って街を走り回っているのだろう。真祖の姫やこの土地を任されてい る遠野家の当主も同じく動いている。 シエルも、本来ならば彼女達と行動を共にするつもりであったのだが、街に這い出てくるグールたちの始末は自分でしなくては、 と判断して犯人追跡を遠野志貴たちに任せていたのだ。 「それがこんなに沢山になるとは・・・もう!! 黒鍵もただではないんですからね」 再び現れた気配に向かって跳躍する。気配は此処から二ブロックほど離れた区画に出現した。少し離れているが、全力で走ればほ んの数秒で到着できる。 「―――――――・・・!! これは・・・・・・・・・」 しかし、その場所に向かって歩くもう一つの気配―――死徒の気配ではないから一般人なのであろう―――あることに気付いた。 気配はどんどん死徒たちの溢れる路地の中に入ってしまう。このままでは間に合わない。 「まったく!! 一般人がこんな時間に出歩かないでください!! 」 毒づき、魔力を最大開放して加速する。 目的地を視認。その奥にある標的に狙いをつける。 カソックの中から黒鍵―――刀身の無い柄を引き抜き、魔力を通して刃を形成する。 (間に合わない!! ) 胸のうちで悲鳴を上げる。 何者かの気配は死徒たちに接触してしまった。 これでもう、その人物の運命は決定的。 無力な人間に、仮初とは言え不死身の化け物に抵抗する術は無い。 狩るモノと狩られるモノは出会った瞬間、その関係を明確にしてしまう。 ―――――――――――――――――――――そう、出会った瞬間に 「え? 」 違和感はすぐに感じた。 ・・ 死徒たちと気配が遭遇した瞬間、弾けるようにして消えていく複数の気配。 ものの数秒ほどで、合わせて五体が消滅したのを感知した。 「一体、何が・・・・・・・・・」 わけが分からずに呟く。 一瞬、遠野志貴の様な異能力保持者という可能性を考えて、すぐに否定する。死徒を瞬殺出来る様な凄腕の能力者がいまのいまま で自分はおろか、土地の管理人たる遠野家にもマークされずにいるわけが無い。 黒鍵を手にしたまま、慎重に路地の虚空へと足を踏み入れる。路地の中には濃い血の匂いが充満しており、錆びた鉄の味が鼻腔か ら舌先を侵してくる。気分が悪い。この夜で多くの屍体を屠ってきたが、これほどまでに濃厚な死の匂いなど嗅ぎはしなかった。 「其処にいるのは誰です」 油断無く、慎重に、相手が僅かでも動けば反撃できるように身体を構えておく。 姿の見えない、けれど確かに存在する相手に向かって声をかける。夜の暗幕の向こうに、人の形をした闇はゆっくりとこちらに振 りかえったのが分かった。 それと同時。 「!? 」 咄嗟に身を低くし、それまで頭のあった空間を貫く真紅の槍を回避する。 「そう。貴方は私の敵ですか」 確認というよりも、それは己に対する暗示に近い。 思考を瞬時に切り替えたシエルは自身の二つ名が示すとおり、己を一つの弓として五条の矢を放つ。白い閃光は確実にヒトガタを 貫いたが、しかし、発火の術式が発動しない。それどころか、触れれば対象を砕き、弾き飛ばすはずの黒鍵は突き刺さったままでそ の力を使い果たしてしまったようだ。 「ちぃ!! 」 放たれる赤い魔弾。ヒトガタは闇の向こうから何か、赤い礫を手で固めて投げつけてくる。一度だけそれを短剣で防いだが、その 威力が己の投擲に匹敵すると判明すると回避運動に専念する。埋葬機関で、長い戦闘経験で、更には忌まわしき『蛇』の中から引き 出した闘法を駆使して相手を撹乱しようとする。 『なに? 』 驚きの声は双方同時に起こった。 夜の闇。 狭い路地の空を翔る二つの影は互いを認めると同時にその言葉を漏らしたのだ。 互いに、手にしているものが十字を模した長剣か、血を固めた様な真っ赤な礫かの違いこそあれその構えは酷似している。 「てめえは・・・」 「貴方は・・・トオノシキ!! 」 シエルの声は夜の空に響き、そして消えていった。 「まったくよ。いきなり殺気をぶつけてくるから思わず攻撃しちまったじゃねえか。志貴の知り合いなら、もうちょい友好的に出来 ないもんか? 」 白髪赤眼の青年―――本物の『遠野』四季はそう愚痴りながら缶コーヒーを投げて寄越した。 「悪かったですね。仕事の途中でしたから、仕方が無いじゃないですか」 右手でそのコーヒーを受け取り、プルタブを捻って喉を潤してから、バツの悪そうに返した。 二人がいるのは先程の路地から少し離れた場所にある自販機の前だった。 あの後、遠野四季が己のことを識っているということに興味を持ち、シエルに対して休戦を求めてきたのだ。シエルも四季からは 死徒の反応が無かったためにその申し出に応じ、いまこうして小休止を兼ねて缶コーヒーを頂いているというわけだ。 「それにしても、貴方はどうしてこの世界にいるのです」 僅かに鋭く目を細めて四季を睨む。 そう、シエル当人にしても四季は興味のありすぎる相手だった。なにせ、彼は今代の『アカシャの蛇』―――シエルにとっては、 それこそ最大の怨敵である吸血鬼の転生体なのだ。昨年の吸血鬼騒動の折に調べ上げた限り、それは間違いは無い。もしも彼がいま だにロアの魂を内包しているというのであれば、この場で滅ぼすつもりなのだ。 明確な殺気を向けるシエルに、しかし四季は軽く肩を竦めるてコーヒーをひつ啜りして口を開いた。 「さあね。それは俺のほうが知りたい話だな。もっとも、あんたの説明を聞く限り、俺は琥珀か翡翠にとっての悪夢なんじゃないか? 『遠野四季』を最も忌諱しているのは、志貴や秋葉じゃなくてあの二人のはずだから」 「琥珀さんと翡翠さんが? 」 眉根を寄せるシエルに四季が「ああ」と応えた。 「この世界は、そいつの不安を形にするんだろ。なら、あの二人がいま一番恐がっているのは『オレ』だよ」 そう、彼女達にとって、『遠野四季』以上の悪夢は有り得まい。 翡翠は四季が堕ち、志貴を殺してしまう場面を見ている。 琥珀は四季が堕ち、その後長く傷つけてきていた。 心のうちに深い傷を負ってしまった二人にとって、いまの平穏はこの上ないほどに幸せなのだろう。 その幸せを、打ち壊す象徴とするなら。 それは『オレ』以外にはありえないだろう、と。 「なるほど。それで『貴方』だけが現れたわけですか」 「そういうことだろ。まあ、琥珀と翡翠の悪夢が混ざってるせいで、性格はぶっ壊れる前みたいだけれどな」 ケラケラと笑う表情は、自身が言うほど凶悪なものではなかった。 「そうしていると、とお―――いえ、志貴君と似ていますね」 「そりゃ当然だ。アイツは俺の弟分だからな。弟が兄貴に似るのは道理だろ」 「それは言えています」 四季の笑みにつられてシエルも微笑む。 「そういやよ」 そう切り出して、今度は四季が少しだけ真剣な目を向ける。 「アンタはなんであの動きが出来たんだ? 」 「何故、と言われましても。この戦い方は私があの忌々しい『蛇』から引き出してしまったものですけれど」 其処まで言って、一つだけ思いつく理由があった。 「もしや、貴方も? 」 「まあな。殺し合いのやり方なんて、習ったことも無いから身体が動きやすいように動いてたらあんな感じになったんだ」 つまりは『蛇』の知識を引き出した者同士であるために戦い方が酷似したのだろうと言うことだ。 「・・・・・・・・・・呆れましたね。私、これでも大分訓練してこの体術を身に着けたんですよ? 」 「はは。その辺は、身体の作りの差って所だな」 ケラケラと笑う四季。それにつられてまた微笑もうとしたシエルに、不意に影が出来る。 「これは・・・・・・・・・」 「随分な大物が出てきたらしいな。・・・アンタ、これに思い当たる節はあるかよ」 空気の全てが凍るような殺意が影絵の街を覆いつくす。感覚の鋭い二人はそれを感知した。 「どうやら、私の記憶の中にある中でも最悪のカードを引いたらしいですね」 「こんなプレッシャーを押し付ける奴とお知り合いとはね。どんな人生だよ」 「人に言えるほど、幸せ一杯と言うわけではないですね」 苦笑を交えて、立ち上がり、 「あら、手伝ってくれるんですか? 」 「まあ、俺も暇だしな。たまにゃつるむのも良さそうじゃねえか」 言って、二人でその殺気の発信源へと向かって走り始めた。 その場所―――何の変哲も無い交差点は赤よりも朱い世界に塗り潰されていた。 「これはまた・・・悪趣味ですね」 「まったくだ」 空から降りた二人は口を揃えて同じ台詞を吐いた。この世界は、まるで血で作り上げたような錆びた鉄の匂いしかしない。 空気を肺に入れるたびに、吐き気を強める味が口の中にこびり付いてくる。 「なにをどうやったら、こんな世界になるのだか」 呆れた様子でぼやく四季の表情が、瞬時に鋭いものになる。 「なあ教えてくれや。アンタが作ったもんなんだろ」 「あら、驚いたわね。意外に鋭いんだ。貴方」 くすくすと、小さな笑い声と共に夜の闇が歪み、一人の女が現れた。長い黒髪を首の裏で一つに纏め、黒いマントだけを纏った、 裸身の美女が其処に立っていた。 真紅に染まった瞳や、その内にある泥のような闇の違いこそあれ、その姿は――――――――― 「こんばんは。エレイシア、とでも名乗れば言いのかしらね」 「別に。テメエの名前になんか興味ねえし」 言葉通り、本当に興味なさそうに応えた。 「まったく、私を模すと言うのなら、もう少し綺麗にコピーしたらいかがですか。偽者」 「あら、それは酷いんじゃないかしら。シエル」 口元を白魚のような細い指で隠しながら上品に笑う。 だが、その仕草の一つ一つがシエルの神経を逆なでしているのは傍らに立っているだけの四季にも感じられた。 「私は貴方が人間であった、最後の姿を模していると言うのに、ね」 「そうですか。ならば、この手で過去を消し去ってあげましょう」 その手に鶴翼の如く十の黒鍵を広げて飛翔する。 「さあ!! 懺悔の時間です!! 」 「あら、祈る神すら穢した貴女がそれを言うの? 」 その言葉を呪文として不可視の障壁を敷く。渾身の力が込められていると分かる刃金の矢はその結界にあっさりと弾かれた。 「器用だねえ。けど、俺がいるのを忘れてねえかテメエ」 地を駆ける獣のような突進で間合いを詰め、結界を素手で殴りつける。だが、黒鍵をも防いで見せた結界は強固で、殴った四季の 拳の方が破れた。青白い肌を裂いて血管から赤い血がにじみ始める。 「貴方、馬鹿? 」 「ああ。それも大がつくな!! 」 血の滲む拳を振り上げ、再度結界を殴りつける。四季のことなど微塵も気にしていなかった彼女は、その一撃もまた無視しようと した。 しかし、それこそ愚行。 「赫呪・紅血手打」 滲んだ血を更に搾り出し、手の甲全てを血で多い、鋼すら容易に貫く強打を放った。不可視の結界はまるでガラスのように、粉々 に砕け散った。 「なっ!? 」 「お前、俺を舐めすぎだよ!! 」 それまで堅固に手を守っていた血塊が溶け、その形が変化し、剣としてエレイシアに襲い掛かる。 斬!! 「あら、確かに驚いたわね」 彫刻めいた白い左腕を真紅の刃で切断されながら、エレイシアの感想はその程度だった。 「これで終わりです!! 」 シエルの声と共に白の魔弾が降り注ぐ。四季は瞬時に間合いを外してその攻撃を外すが、エレイシアの回避行動は間に合わなかっ たはずだ。 「燃え尽きなさい!! 」 「貴女がね。シエル」 静かな。声。 世界を凍らせる言葉は激しい炎を持ってシエルに襲い掛かった。 「なっ!! 」 声を上げたのは下からその光景を見ていた四季だ。シエルの黒鍵が結界に触れた瞬間に紅蓮の炎となった瞬間。そして、その炎が まるで意識を持っているのかと錯覚するほどの正確な動きでシエルを捉える一部始終を目の当たりにしたのだ。 「おい!! 生きてるか!? 」 慌てて駆け寄ろうとして、足を止める。眼前の女が初めて四季を見つめていたからだ。 「・・・・・・・・・本当、ずいぶんと鋭い子ね。頭のいい子は嫌いではないわよ? 」 「ふん。そうかよ。生憎、俺はお前が嫌いだがな」 言い切り、血刀を八双に構えて突進する。左に持った剣の柄を肩口にまで引き絞り、斬撃にしろ刺突にしろ、最大の一撃を放つこ とが可能な構えだ。それに対して、エレイシアは結界をしくことも無く、獣そのものの速さで間合いを消去して来る四季を招き入れ るように両腕を広げた。 そう、切断されたはずの左腕さえ、広げて。 「――――――――――――――――っ!!! 」 咄嗟に危険を感知したときには既に手遅れ。 四季の突きは正確にエレイシアの心臓を抉り、しかしそれだけの戦果しかあげることは出来なかった。生きるために必要なはずの その部位を失ってなお、エレイシアは余裕の笑みを失わず、懐に入りきってしまった四季を万力のような抱擁で迎えた。 「があっぎぃぃぃいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!! 」 「はしたないわよ? けど、そんな嬉しそうな声を上げてくれるなんて、嬉しいわ」 艶然とした声音が壊れかけた鼓膜を揺るがす。痛みで視界が白くなる四季の意識の中、その声だけが甘美に響く。 (ああ、やばいな・・・・・・・・・) この感覚は良く覚えている。 かつて、己が生きていたとき。 いや、死んでいたとき? 志貴を殺し、父に殺され、無様に往き続けていたあの頃に響いていた声。 それとまったく同じ、甘美で醜悪でおぞましく美しい、吐き気のするほど魅力的な誘惑の声。 「さあ。眠りなさい。次に目を覚ましたときには、私の可愛い息子になっているわ」 それは壊れた思考を侵す蜂蜜の言葉。 故に――――――――――――――― 「ふざけるな、クソ婆ぁああああああああああ!!!! 」 「なにふざけたこと言ってるんですかああああああああああああああ!!!! 」 叫びは同時。 四季は背骨がへし折れる音を立てながらも、それを無視して背を反らせ、エレイシアの鼻先に頭突きを放つ。不意のことであった のか、僅かに緩んだ拘束の隙を突いて後方に飛び退く四季を援護するために、黒鍵が閃光のようにエレイシアの肢体を貫く。着弾と 同時に黒鍵の魔術が開放され、巻き起こる爆炎。エレイシアはマントを翻して炎を消し去るが、その肌には痛々しい火傷の跡が残っ ている。 その傷も、即座に治癒され、元の姿に戻っていた。 「とんでもねえ化け物だな」 「そうですね。流石は私といったところですか」 四季の側に立つシエルは厳しい顔つきをしてエレイシアを睨み続ける。 「そういえば、貴方は大丈夫なのですか? 背骨を折られたようですけれど」 「あ? ああ。俺の身体は特別製でな。調べたなら知ってるかもしれないけど、俺が引き継いだ遠野の血統の力は『不死』とかいう ふざけたもんなんだよ。だから、なかなか死ねないんだ」 そう言って、背筋を伸ばして立ち上がってみせる。 「死徒も真っ青な能力ですね」 「ふん。あんな連中と一緒にしてくれるなよ。・・・・・・・・・それより」 「あら、二人とも愉しそうね。私も混ぜて欲しいわ」 余裕の笑みを浮べるエレイシアはまったくの無傷だ。 「まったく、お前の悪夢ってのは質悪いな。雑魚が沢山出てきたかと思ったら、次はこんな化け物が出てくるなんてよ」 「本当ですね」 二人のやり取りに、エレイシアは多少驚いたように目を開き、すぐに何かを思いついたのか、ころころと邪気の無い笑みを浮べた。 「あら、シエル。まさか貴女気付いていなかったのかしら? 」 「? 何のことですか」 怪訝な目を向けるシエルを、更に嗤いながら、エレイシアは指を鳴らした。その合図に従い、あちこちから無数の屍体が現れた。 「ちっ。雑魚どもを呼んだのか。厄介だな」 「ええ。ですが、数で押して私たちがどうにかできるとでも思いましたか? 」 互いに黒鍵と血刀を構えて対峙する。しかし、エレイシアは微笑んだまま、一体のグールの首を刎ねて見せた。 「いいえ。本当に分からないなんて、存外薄情なのね。シエル」 腐り、壊れた屍体となったグールの首。 その首が、エレイシアの手で『生前』の形に戻されていく。 「え? 」 それは、シエルにとって良く見知った・・・否、知っていた顔だった。 忘れるはずも、無い。 忘れられるはずも、無い。 それは、間違いなく、己のあくむ――――――――― 「お、とう、さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「ええ。母さんもここにいるわよ。顔が崩れて、誰がどれだか、分からないけれどね」 これ以上ないほどの喜色を浮べ、聖女のように微笑むエレイシア。 その手に掴まれた首だけの父を見て、シエルの思考は吹き飛び、脱力した手から黒鍵が落ちた。 「そ、んな・・・・・・・・・」 「なにを驚いているの? これは貴女の悪夢。貴女が描いた最悪が『あの時の光景』以外にあるとでも思っていたのかしら? 」 童女のように笑う。 自失し、膝を折りそうになるシエルを、これ以上ないほどの喜劇を見るようにエレイシアは笑っていた。 視界が真っ暗になる。 己を囲む一人一人のグールが、今は生前の姿となって私を囲む。 彼らは、ある片田舎に住んでいた、何の罪も無い人たち。 ある吸血鬼―――そう、目の前で微笑む『私』という名の吸血鬼が現れなければ、死なずに住んだはずの人たち。 わたしが、この手で殺してしまった人たち。 「ああ、ああああああああああ・・・・・・・・・・・」 言葉が出ない。 グールの目は既に死んでいる。 怨念を向けることも無く。呪いを吐くことも無く。 ただただ私を見つめ、『罪過』を見せ付ける。 「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!! 」 その視線は、耐え切れない。 万の呪いも。 億の念も。 ただ、向けられる死者の視線には敵わない。 「みん、な・・・・・・・・・・・・・・・」 膝を折り、地に手をつき、私は――――――――――― 「お前、馬鹿か」 後頭部を踏み付けられて地面とキスしてしまった。 馬鹿な真似をしようとした女の頭を踏み抜くと、マントを着た裸身の女が驚いたよな、詰まらない様な表情をした。 俺は構わずに、踏む貫いたついでにぐりぐりと地面にこすり付けてやると、女はガバッと跳ねるように起き上がった。 「ああ、貴方は一体なにをしやがりますか!!!!!????!? 」 「おお。起きた起きた。もしかしたら殺しちまったかと思ったけれど、お前も大概頑丈だな」 正直な感想をくれてやると、女は更に怒ったように眉を寄せる。 「貴方は!! 人が感傷に浸っているというのになんてことするんです!! 」 「状況見て浸れよ」 多分普通のことを言ってるはずなのに女の怒りは収まらないらしい。女の考えはよく分からない。 「まったく。なんでこんなことするんですか。貴方は」 「お前が馬鹿な真似しようとしてあいつらを侮辱しそうだから止めたんだけど」 鼻柱を押さえながら文句を言う女にそれだけは応えてやった。すると、僅かに驚いた後、女も自分の馬鹿に気付いたらしい。 「そう、ですね。それについては、ありがとうございます」 「ああ。死者に、謝罪なんてのは意味が無い。まして、復讐なんてさせてやってもなお意味が無い」 そう、死者はそれで終わっているのだ。 その相手に何をしようと、それら全てに意味が無い。 罪は晴れず、罰などもとより咎人が己に課せるもの。 故に、咎人は一生涯、己で背負った罪を罰として生き続けていかなくてはならない。 それでも、殺人者が許されるというのなら、それは生き残ったものたちによる復讐を受けることだけだろう。 しかし、この場で女に復讐する『権利』を持つものは一人もいない。 ならば、 「こいつらに悪いと思うなら、精々生き足掻いて無様な姿を見せることだな」 「貴方が、いまこうして存在するように、ですか? 」 言って、女は吹っ切れたように屍体どもに対峙する。 「そういうことだ、な。俺は、翡翠か琥珀に殺されるまでは存在し続けなくちゃならないんだよ」 それに習って、俺も自分の血を剣に変えて構える。 「あ、そうそう」 ある事を思いついて、今にも飛び出そうとする女を呼び止める。 「なんです?」 不機嫌そうなそいつに軽く笑って、 「お前の名前、聞いてなかったから教えろよ。俺の名前は教えたのにそれじゃ不公平だ」 そういった。そしたら、女は心底呆れたよう顔をして、 「貴方と志貴君は間違いなく兄弟なんですね」 「なんだよ。そりゃ」 「女ったらしという意味です。遠野君」 クスリと、女はあってから初めて笑い、 「シエル。それ以外の名前は、もっていませんよ」 「上等。なら、シエル。あのドブスぶっ飛ばしていちゃいちゃするか」 言い切って、俺は屍体どもの群れに突進した。 「驚いた。貴方達、本当に強いのね」 それが、エレイシアの最後の言葉だった。 浄化の聖句によって死の安息に導かれた魂たちが灰となって行くなか、血刀にその心臓を貫かれた彼女だけは土の塊となって地面 に消えていく。 「ええ。私たちは強いですよ。だから、次も私が必ず勝ちます」 消滅の間際、シエルはエレイシアにそう言って、十字を切る。 「ふふ。本当に、聡い子。ではねシエル。次は二人っきりで、遊びましょう」 それに応えるように、エレイシアは相変わらずの笑みを浮べたまま、地の中に埋もれていった。 そうしてようやく、世界が元の夜に戻る。 いや、現況が消えていないため、まだまだ影絵の街ではあるのだが、それでもシエルの悪夢はこれで打ち止めであることは、傍ら に立っている四季の眼にも分かった。 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜疲れたぁぁぁあああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 四肢を投げ出し、アスファルトの地面に大の字で横になる。いや、左腕はもげておかしな方向を向いていたり、横腹が抉られてい たり、下手なスプラッタよりも確実に死んでいるはずの状態である為、きちんとした大の字にはなっていないのだが。 「遠野君。そんなところで寝ていると蹴飛ばされますよ」 「あ? 誰にだよ。ってか、シエルも人のこと言えねえだろ」 声のしたほうを向くと、そこにはシエルが同じように地面に座り込んでいる。半眼で抗議の声を上げると、自分は体力の無い女の 子だからいいのですよ、と応えられた。 「女の・・・子ぉ? 」 「・・・・・・・・・良い度胸ですね。遠野君」 これ以上ないほどの笑顔を向けると、四季はあっさりとビビッた。 「こわっ。わ、悪かった。俺が悪かったからその笑顔で俺を見るなぁ〜〜〜〜〜」 「その反応はその反応で気になりますが、まあいいでしょう」 くすくすと笑い、シエルはそっと右手を差し出した。 「今回の件での協力、感謝します。遠野四季」 「あ? 別に礼を言われるほどでもないだろ。こんなの。それに、アイツと俺は無関係ってわけでも無いんだしな」 そう言いながら、差し出された手を握る。 交わした握手に力を込めて、シエルは微笑んだ。 「ええ。ですから、ありがとう、と。貴方以外の誰かの力を借りることは、恐らく出来なかったでしょう。ある意味で、私と同じで ある貴方がいたからこそ、今回は勝つことが出来た。だから、ありがとうを言わせてください」 真っ直ぐな。彼女にしては珍しいほどに真っ直ぐな感情に、そうとは知らずとも四季は頬を赤くした。 「ま、まあ。言いたいなら言えばいいだろう。それくらいなら、聞いててやるから」 照れ隠しに明後日の方向を向いてしまう四季を見て、シエルは声を出して笑った。 「本当。貴方と志貴君はよく似ていますね」 「当然だろう。兄弟なんだからな」 言って、四季はゆっくりとした動作で立ち上がった。 「翡翠さんたちを探しに行くんですか? 」 それを見送るように視線を動かしながら、尋ねる。 「ああ。さっさと見つけて、こんな悪夢の世界から目を覚まさせてもらうよ」 「そうですか。残念ですね」 それは、本当に。心の其処からの言葉だった。 だから、四季もあえて笑い、 「ああ。良い女を口説いたのに、少しだけもったいないな」 それだけ言い残して、片手を挙げた。 「じゃあなシエル。いつか、また悪夢が出たら逢おうぜ」 「はい。その時は、また缶コーヒーでも飲みましょう」 ああ、と返す言葉を残さず、四季はシエルの視界から消えた。 「まったく、兄弟そろってたらしですね。彼らは」 手を着いて、ゆっくりと体を起こす。体力も魔力もまだ回復していないが、それでも少しはマシになった。 「さてと。翡翠さんたちが悪夢と会うまでに、元凶を断たないといけなくなりましたね」 そうしないと、彼は翡翠さんと琥珀さんに自分を殺させてしまうだろう。 それは、色々と駄目だ。 彼女達を復讐者にしてはいけない。 彼女達はそれを望んでいないし、彼自身もそれを望んでいない。 彼が彼女達に殺されようとしているのは、他にすることが無いからだ。 なら、元凶を排除して彼を元の悪夢に戻さなくてはならない。 (まったく。厄介なことになっちゃいましたね) コキコキと鳴る肩を回して、再び影絵の街へと踊りこむ。 口が悪いけれど、優しく強い。 兄弟思いの彼 ―――――――もう一人のトオノシキのために。 「どちらにしろ、私は『遠野君』に弱いんですね」 少しの苦笑をもらして、シエルは空を翔けた。
あとがき 恐ろしくお久しぶりのSS更新。 どうも遅筆駄作製造機械・憂目です。ご無沙汰しております。 今回のSSはReAct物。しかも当サイト初のシエルインドーが主役です。 ・・・・・・・・シエルが予想以上に使いずらくてびっくり。世界のシエル作家 の人たちはレベル高い人しか居ないと言われているのは一重にこの使い辛さゆえか と作業しながら痛感しました(涙) 今回のヒーローは題名の通りあの人です。詳しくは作中参照。 ReActならば出て来るかと思っていたのですが、未登場に終わり少しだけ残念。 さて、この作品、この時期に更新したのは伊達ではありません。 なんと、この作品の後継作を夏コミ限定のコピー誌にて販売いたします(予定) ドンドンパフパフ コピー誌の内容は四と五のお話になる予定。真っ赤な鬼も出てきます。 ホームページにはアップしませんので、どうか当日遊びに来てください〜〜〜 それでは、宣伝がメインになってしまい、申し訳ありませんがこれからも遊びに来て くださいませ。 感想などくれますと、憂目が七転八倒して喜びますので、掲示板にも遊びに来てく ださい〜 それでは。