結婚騒動 後編
  駅から車で三十分ほど山道を行き、ようやく料亭に着いた。   山並みを一望できる崖の上に作られた料亭は積み重ねた歴史がそのまま形を成しているような、暖かで、懐かしくて、どこか他の  地からの異邦人を排除するような空気が漂っていた。いや、まぁ空気だけに留まらず、すれ違う人などからはあてつけているとしか  思えないような敵意の眼差しを向けられている。   こちらに好意的に接してくれるのはこれからお見合いをすることになっている藤乃というお嬢様の主治医をしているという北川さ  んだけだ。なんでも、彼自身も浅上の傍系の出身らしく、病気がちの藤乃さんの面倒を小さい頃から見てきたらしい。ご両親は仕事  で多忙なため、藤乃さんは先生を親のように慕っていて、そういった経緯から北川さんは彼女の実質的な後見人のような事をしてい  るらしい。   車中でも終止藤乃さんがいかに素敵な女性かを事細かに説明してくれて、それだけ大事にしているんだと感じられた。もっとも、  文臣さんが下手な対抗意識を抱いて俺のことを自慢し始めた時には一瞬ヒヤッとした事もあったが。  (まぁとにかく、俺には高嶺の花ってことがよ〜っく分かったけれどな)   待合用にと通された部屋で呼ばれるのを待ちながら、自嘲じみた笑みを見つからないように浮かべた。   相手は容姿端麗、成績優秀、おまけにお金持ちで長く苦しんでいた無痛症という病もある日を境に完治したとかで、いままでの分  を取り戻すかのように体を動かし始めた彼女はスポーツも万能だとか。華道、琴、舞などは自分の趣味の一環で学んでいるような一  流のお嬢様だ。   それに対してこっちは骨の髄まで一般市民………まぁ、妙な血が流れてはいるが、相手が人間であるならまったく問題ない。親父  が富豪だったとは言われても勘当同然で有間にやられて、慢性貧血を克服できていない。勉強がとり立てて出来るわけでもないし、  金ははっきり言って皆無。自慢できそうな趣味もない。   これだけ揃えば縁談の話が来る前に断られそうだ。   そんな俺が選ばれた理由。それは恐らく婿養子に出来るからだろう。遠野の親類にしてみれば、疫病神でしかない俺を追い出せる  し、浅上にしてみれば遠野という名家の嫡子を養子に出来る。双方の後見人にしてみれば、窮屈な親類たちから逃れられ、体面を整  えて肩身の狭い思いをさせずに済むといった思惑が働いているようだ。   琥珀さんから聞いたときはなるほどと思ったが、どうやら浅神のほかの人たちから見れば、俺はやはり疫病神のような者らしい。  (両儀、巫淨、七夜………それと浅神か……………)   旧き時代、魔と魔に属する混血が跳梁跋扈している時代。異能を持ってこれを討ち滅ぼしてきた四つの血族。浅神はその家系で、  遠野は強力な混血の一族だ。その当主が代々反転し、人を襲うという事が知られているとしたら。それでなくても退魔衝動のような  ものがあったならいまこの場で殺し合いが始まってもおかしくない。  「志貴。大丈夫ですか?」   どうやら考え込んでいたらしい。文臣さんが心配そうな表情で尋ねてきた。俺は気を取り直して答えようとした矢先、  「遠野様。お嬢様の準備が整いました。こちらへお越しくださいませ」  「………わかりました」   俺たちをこの部屋へ案内してくれた老女に返事をして立ち上がった。文臣さんはこのままこの部屋に残ることになった。当人同士  だけで逢うのが浅神家のしきたりらしい。よく分からない。だけどまあ、郷に入りては郷に従えというし、ここは大人しく従おう。   渡り廊下を歩き、少し離れた庵へと向かう。老女は一度襖の前に立ち、  「お嬢様。遠野様をお連れいたしました」  「………ど、どうぞ」   部屋の中から緊張しているらしい少女の声が聞こえてきた。老女は一歩退き道を開ける。どうやら自分で開けという事だろう。  「失礼します」   とりあえず一言断りを入れて、襖を開いた。  「…………………………………………………………………………………………………………」   そこで、恐らく俺の時間は止まった。   そこにいる少女は、あまりに可憐過ぎた。   白地に桃の花を刺繍された着物を着、背中に流れる長く、艶やかな黒髪を一房束ねて胸の前に垂らし、少し不安そうな上目遣いで  俺の事を見上げている。表情は固く、瞳は不安のためか少し震わせている。けれど、俺は自己紹介するのも忘れて彼女の白磁の陶器  のような肌に目を奪われていた。  「それでは、遠野様、お嬢様。後ほどお向かいに参りますが何か用があるようでしたらこちらの鈴をお鳴らし下さい」  「え!?あ、はい。どうも………」   情けない事に狼狽しまくった声をあげて老女に返事をする。彼女は終止表情らしいモノを浮かべる事無く、一礼して部屋から出て  行った。   襖が閉まるぴしゃりという音がえらく大きく聞こえた気がした。   見合いを始めて十分ほど。   志貴と藤乃はお互いに一言も発せないでいた。ただでさえ四畳ほどの狭い部屋のために重い空気は沈黙が加わって加速度的にその  重さを増していた。見も知らない者同士、しかも人付きあいというのが不得意な二人では当然の結果のようにも思える。これでしか  もお互いに相手をちらちらと盗み見ては目が合ってしまい、咄嗟にそらしてしまうという繰り返しなのだ。   お見合いは文字通りの『見合い』になってしまっていた。  (まいったな〜なんだか話しかけづらい………)   背中に嫌な汗をかき始めながら志貴は焦れるような心境だった。いくらか話のネタになりそうなことはあるにはある。   もうすぐやる予定になっている文化祭の話とか。   先週有彦といった映画の話とか。   友達同士で遊びに言った時の話とか。   相手も同じ歳の高校生と聞いていたから身近な話題の方が緊張せずに話せるだろうと思っていたのだが、これは予想外だ。藤乃に  は志貴の周りの女性には無い危うさがある。触れれば砕けそうな、芸術品であるが故に脆い硝子細工の美しさ。浅上藤乃という少女  に対する志貴の印象はそれだった。   もっとも、そうでなくても文化祭の出し物にコスプレ喫茶にすると叫び、女子の手で涅槃の向こうへ送られた担任の話や現代技術  の粋を結して作られたとか言う無駄にリアリティのあるスプラッタ映画の話やら吉良&常盤+有彦のメンバーで夜の公園に来るカッ  プルがどのくらいの確率でキスをするかとか言う賭けをして遊んでいたなどという話をしようとしていたあたりで既に志貴には救い  が無いと言えなくもない。   一方の藤乃はといえば、こちらはこちらで内心穏やかではなかった。  (な、なんで!?何で先輩がこんなところに??い、いやでも。きっと、似てるだけ………だと思うけれど、この人なんでこんなに  の人に似ているの???)   憧れの先輩―――幹也にそっくり………というか、まるっきりそのまんまと言った感じの青年である志貴のことを正面からみるこ  とも出来いでいた。しかし、そわそわと視線を転じては隙を突いて、もとい、意識せずに志貴の横顔を盗み見てしまう。別人と分か  ってはいるが、だからといっても憧れの先輩にこれだけよく似た人間を見れば誰でも似たような状態になるだろう。   どちらも頭の中がこんがらがり、どうしたらいいものか考えあぐねる時間がこのあともう数分間続く事になる。  (このままじゃいけないよな。やっぱり)   声に出さないで覚悟を決める。今更思い出したけれど俺はこの部屋に入ってからきちんと挨拶もしていない。流石にそれはまずい  だろう。兎に角名前を言って、話をしなくちゃ何もならない。肺の中に空気を押し込んで口を開いた。  「「あの」」   口を開いたと同時に再び時間が止まった。まったく同じタイミングで開いてしまった口は半開きのまま止まってる。や、やばい。  顔がどんどん熱くなってくる。きっといまの俺は翡翠並に顔を真っ赤にしているだろう。けれど、どうやらそれはお相子だったら  しい。藤乃という、まだ声も聞いてない(って、さっきちょっとだけ聞けたよな)少女は透き通った白い肌をみるみる朱に変えてい  く。可哀想に眼涙まで浮かんでいる。よほどいまの半開きの状態が恥ずかしいらしい。   ただ、その表情があんまりにも可愛らしくて、つい俺は表情が緩んでしまった。だから、その次の言葉はすんなりと出た。  「初めまして。俺は遠野志貴といいます。今日はよろしくお願いします。浅上藤乃さん」   そう言って遠野さんはにこりと微笑んだ。それを見てしまった瞬間。私は本当に安心してしまった。  「せん、ぱい………」  「へ?」   知らずに漏らしてしまった私の独り言に、遠野さんが不思議そうな表情を浮かべた。それはそうだろう。聞いた話では彼と私は同  じ歳という話だ。その相手からいきなり先輩などと呼ばれれば驚くのも無理は無い。私は少し慌てて口を開いた。  「す、すみません。その、知人の先輩に遠野さんがよく似ていらっしゃったので………」  「そうなんだ。あれ?でも浅上さんって礼園女学院って言うところに通ってるんじゃないんですか?」  「よく、ご存知ですね」   今度は私が首を傾げるほうだった。遠野さんは私よりも慌てた様子でまくし立てた。  「あ、え?あの、その〜………そうだ!父さんが、今回の件で色々と教えてくれたもんで、その〜………」   その反応は、それまで落ち着いた印象のあった遠野さんが年相応の、私と同年代の青年なのだと実感させてくれた。  「大丈夫ですよ。そのくらいで怒ったりはしませんから」   あまりにも慌てて、しかも捨てられた子犬のような不安そうな目をする遠野さんを思わず笑ってしまった。失礼かな、と一瞬横切  るけれど遠野さんも一緒になって笑ってくれたから問題はないと思う。  「それにしても、安心したよ」   ひとしきり笑うと遠野さんは柔らかい笑みを浮かべたまま語りかけてきた。  「浅上さんみたいな綺麗な女の子にはやっぱり笑顔の方が似合うね」   柔らかい春の日和のような笑みを浮かべていた藤乃さんがぴたりと音を立てて停止した。  「え?ええ??!!ええええ???!!!」   慌てたようにあたふたとする浅上さんはコケティッシュで可愛らしかったのでそのままにする。いやホント。俺の周りにいる人間  は(人間じゃないのも何人かいるけれど)は皆揃って可愛いよりも怖いが先行するからな〜(汗) ―――――それは貴様の朴念仁ッぷりが招いた種だろう――――――   むっ。なんだかオカシナ電波を感じたが無視する。   しばらくあたふたしていた浅上さんを眺めていると、今度はその慌てていた仕草が恥ずかしくなったのか、また俯いてしまった。  少しの間沈黙が場を支配するが、先刻までのそれとは違い、まるで真綿で包まれている様な心地よい沈黙だった。外はこれ以上ない  ってくらいの秋晴れで、優しい日差しが障子越しに部屋に届いていた。こういう日は外にでて散歩とかをするととても気持ちいいん  だよな〜。などと思っていると浅上さんがこちらを見ていることに気づいた。やばい、思っていたよりも長い間外の様子に気を取ら  れていたようだ。   案の定、彼女は小首を傾げて、  「あの、外がどうかなさいましたか?」  「あ〜………いや。なんだか天気もいいのに部屋の中にいたらもったいないかな〜とか思っていただけで………」   言ってから自分の迂闊さ加減にいい加減愛想が尽きそうだった。そんな言い方をしたらいまこうしているよりも外に出ていた方が  ましだと言っているようなものじゃないか!?  「あ、いや!別にいまこうしているのが嫌ってわけじゃなくてですね!!外は秋晴れで気持ち良さそうだから浅上さんと少し散歩な  んか出来たらな〜とか考えてたんです多分」   多分ってなんだ多分て!!口走りながら心の中だけで突っ込みを入れる。あ〜見ろ、浅上さんも流石に呆れているように――――  「まぁ。それは素敵ですね。この辺りはハイキングコースにもなっていますので、少し外の空気を吸いに行きましょうか?」   ―――――はまったく見えず、むしろ喜んでいるようですらある。   俺はそれに従うように頷くしかなかった。   俺と藤乃さんが見合いをしている料亭の裏手には藤乃自身がいっていたようにハイキングコースとなっている自然公園があった。  自然公園とは名ばかりで、実際にはほとんど手が加えられていない山道に多少道案内の看板がある程度のものだが、紅葉の映えるこ  の時期には多少の旅行客も来る。   しかし、平時は近隣の村民が通行に使う程度のものであるらしい。  「そのおかげでここはいつ来ても綺麗なままなんですよ」   紅葉が雪の様に舞い落ちる中を無邪気な子供のように楽しそうな笑みを浮かべて歩いていく。  「確かにそうみたいだね。ここには自然の命が沢山溢れてる」   俺は生命の溢れる森の道を歩きながら正直な感想を漏らした。二度にわたる臨死を経たことが原因か、もしくは失った過去の記憶  のためか、俺はこのどこか懐かしさすら覚える、木々と獣たちの命の息吹きが溢れるこの森がとても気に入ってしまった。  「遠野さん。こちらへ来てくださいますか?私だけの秘密の場所があるんですよ」   外を歩くようになってから増え始めた笑みを浮かべ、彼女は更に森の奥へと俺を案内してくれた。  「あ、いま行きま………ん?」   一瞬、誰かの視線を感じて足を止める。不意に今日はまだあっていない秋葉たちのことが脳裏によぎるが、シエル先輩にも秋葉た  ちが下手なことをしないように頼んでいたので、万が一にもこんな場所に来ているとも思えないがのだが………   と、横合いの茂みから一匹のウサギが飛び出した。野生の動物らしく、人間を見つけると、文字通り脱兎の如く逃げ出した。古語  に言われるだけにその逃げっぷりは見事だった。いまの視線はあいつの物だろう。気にしないで浅上さんのあとを追うことにした。   一方。ウサギが飛び出した茂みの中。   鮮花と式は同時に安堵の溜め息をついた。いや、正確には鮮花だけだったが、式も何故か感心したような吐息を漏らしていた。  「くっ、勘がいいようですね、あの人。私たちが隠れている事に気づいたみたいだったけれど」   茂みから頭を出して藤乃とそのお見合い相手である遠野という富豪の御曹子を視界に入れる。彼らは少し道から外れた小道を歩い  て森の中を更に奥深くまで歩いていくようだ。と、それまでだんまりとしていた式が不満そうに口を開いた。  「おい鮮花。いつあいつをやるんだ?いまなら目撃者もいないで出来るのに」   そう言って暇そうに手にした飛び出しナイフを弄ぶ。刃物を蒐集するという物騒な趣味を持っている少女―――両儀式は彼女にし  ては珍しく洋服を着ている。っといっても、黒塗りのスーツで上下を固め、目元にはサングラスというC級ヤクザモノに出てきそう  ないでたちではあるが。しかし、そんなちんけな服装も中性的な魅力を持つ式が切ると問答無用で似合ってしまう辺り反則に思える。  「もう少し待ちなさいな。この辺りでは流石にまだ浅上の人間がいるかもしれないじゃない」   式と同じ黒いスーツに身を包み、背中に流した黒髪を輪ゴムで束ねた鮮花が諭すように言う。しかし、式はそれでもまだ不満そう  だった。今回、式と鮮花がこんなところで隠れているのはひとえに藤乃を助けるためだ。彼女の父親の暴挙で無理矢理見合いをさせ  られた藤乃をどうやって救うか、それを考えた時に鮮花は最も簡単な方法をとることにした。   つまり、他に男がいると思わせればいいという事だ。   幸い、鮮花と藤乃の共通の知人である両儀式という少女は性別的には女性だが、こうして男装をして「男だ」と言ってしまえば大  方の人間を騙せるはずだと踏んだのだ。実際、いまの式は刃物を連想させる危うい空気と、凛々しいとしか表現できない眼差しで先  程の青年の背中を見送っている姿は、鮮花ですら思わず見惚れるほどだった。   しかし、どうにも状況が変わってきているらしい。  「どうも、藤乃は結構楽しんでいるみたいなのよね」   双眼鏡越しにみる友人はこれまで見たこともないほどに明るい笑顔をしている。その傍らに立つ青年もどこか自分の兄を連想させ  る優しい笑みを浮かべて藤乃を受け入れているようだ。二人並んで仲良く山道を歩く様は正しく恋人のそれだった。それは式も感じ  ていることだったのだろう。  「なんだ。こんな山奥まで着ておいて無駄足か。残念だな、あいつとなら、結構面白い殺し合いが出来ると思ったのに」   横合いで残念そうな声をあげる式を呆れた表情で見返しながら、  「貴女ね、飢えた獣じゃないんだから見境無く狙うんじゃないわよ。あの人のどこを見たら貴女の食指が動くのかしら?それとも趣  旨変えして無害な人間も襲うようになったのかしら?」   殺人を嗜好するという物騒な趣味を持つ式は、しかし相手を酷く選ぶ。その相手の内面になんらかの“歪み”が無い限り、彼女の  渇きを癒すに足る獲物にはならない。そういう意味で言うならば、彼方で談笑している青年はまるで見当ハズレに見える。   しかし、式はそんな鮮花をこそ笑い、  「なに言ってんだ。あいつはむしろ俺にい酷く似ている。そうだな、幹也に似てる感じはするけれど、そんな仮面を剥がしたらきっ  ととんでもない殺人鬼だぜ。あいつ」   怜悧な笑みを浮かべながらそう断言する。  「まぁ、でも今日は浅上藤乃のために来たんだ。あいつがあの男を嫌っているならともかく、どうにも気に入ったみたいだし、仕方  ないから諦めて帰るか。鮮花はどうするんだ?オレは長野のうどんを食ってから帰るけど」  「そうですね。ここにいても仕方がな………」   そう言って腰を上げようとした矢先だ。藤乃たちがいた料亭の近くにとんでもないスピードで一台のリムジンが突っ込んできた。  心なしか色々へこんでいる車は加速で付き過ぎた速度を回転して無理矢理殺してそのまま駐車場に収まる。その車の運転席からは割  烹着を着た女性が慌てて飛び出し、それにつられる様に長い髪をした女性と私の通っている学校の制服のようなカソックに似た黒い  服を着た女性ともう一人、なにかの衣装なのか知らないがメイド服を着た女性が車から飛び降りた。   彼女たちは一目散に料亭に入り、『遠野志貴は何処に行きました!!』なんて大分離れたここまで届くような声で叫んでいた。  「式は、あの人たちどう思う?」  「さぁね。大方オレたちと目的は同じだろう」   つまりは見合いを邪魔するのが目的か。先ほどの青年の知人か………四人ともというわけではないだろうが恋人といったところか。  「どうします?」  「さぁね。でも、ここまできたんだ。アレの知り合いなら、結構面白い連中かもしれないし。なにより――――――」   何が楽しいのか、弄んでいたナイフを逆手に構えて、式はまるで獲物を見つけた狩人のような嬉しそうな表情を浮かべている。  「いま邪魔されたら藤乃が可哀想だろ?だったらオレたちで助けてやろうぜ?」   なんて信用できない台詞をのたまった。鮮花ははぁっと、溜め息をついて、  「まぁここまで来て何もしないのもアレですからね。ここで彼女たちの足止めをしましょう。でも式?殺しては駄目よ?」   わかっている、と返事をする式を不信げにみつめながら、鮮花たちは下から来る一団を待ち伏せした。      ――――数分後、森の一部で大爆発が起こり、地形が若干変化したとだけ記しておこう。  「ん?」   遠くで爆音のような者が聞こえた気がして俺いま来た道を振り返った。しかし、森は相変わらず静かなままで、爆発なんて物騒な  モノは何処にも見当たらない。  「どうかしましたか?志貴さん」   清涼な小川に着物のすそを上げて足をつけていた藤乃さんが不思議そうに俺を見上げた。  「いや、なんだか向こうですごい音がしたような気がしただけですよ」  「そうですか?私には聞こえませんでしたが」  「そうですよね。多分、幻聴だと思いますから気にしないで下さい」   はぁ、と返事を返す藤乃さんを視界に収めながら周囲の景色を堪能した。ここは藤乃さんが小さい頃からのお気に入りだそうだ。  まだ幼い頃、この辺りに住んでいた藤乃さんはつらいことや、悲しいことがあるとこうしてこの小川に来て足をつけてそういったつ  らいことを洗い流していたらしい。  「お父様につれてこられて、そのたびに聞かされていましたから。きっとそのせいですね」   川にはつらいこと、苦しい事を洗い、清める力がある。   それを藤乃さんに教えたのは今は既に他界した藤乃さんの本当のお父さんだそうだ。お父さんの話をするときの藤乃さんの表情は  本当に穏やかで、それだけでどれほどその人を愛していたか分かる。だからこそだろう、父に対して肉親の情すらもてない、いや、  本当の父のことすら思い出せない俺にとって、その表情は美しすぎた。  「どうかなさいましたか?」   したから覗き込むようにして心配そうな声をかけてくれる。どうやら表情に出ていたらしい。俺は慌てて顔をほぐして、  「あ、いえ。藤乃さんがあんまりにも気持ち良さそうだったんでうらやましいな〜って」  「それではこちらにお座りになりますか?」  「ええ。遠慮なく」   藤乃さんの傍らに腰掛けて靴と靴下を抜いで透明な川のせせらぎに足をつける。秋ということもあってか、川の水は身を切るよう  な冷たさではないが、それでもつけた足から背中にかけてキンとした冷たさが駆け上る。それに僅かに身震いさせながら、暖かい秋  の陽気を感じながらしばしぼうっとする。これは、確かに気持ちいい。  「本当に、いい場所ですね。ここは」  「気に入っていただいて何よりです。志貴さん」   知らず漏れた言葉に藤乃さんは満足そうに頷いた。ここまでの道中で話すうちに御互い下の名前で呼ぶのにも慣れたようだ。最初  に出会ったときのような硝子細工のような脆さは、今はなりを潜めている。出会ってから僅かな時間しかたっていないが、それでも  彼女は俺に心を開こうとしてくれた。それに答えるように、俺も彼女のことをよく見ていた。   だから、だろう………  「本当に、今日はいいお天気ですね………」   そういて空を見上げる少女に瞳が―――――――――――――――――  「私、まるで夢を見ているようです」   酷く、深い、悲しみだけを映していることに気づいてしまったのは。
それはまるで、手の届かない宝物を見つめるような、まぶしさに目を細めるような瞳だった。
  小川の流れは心地よく、足の先からなにかが拭われるような気分になる。   そう、まるで私かこの『痛み』を奪うかのようで。 ―――――――――――――浅上藤乃。君に言っておくことがある―――――――――――――   橙色の魔術師は治療の際に私にこういった。 ―――――――――――――痛覚を復活させる際に君の能力のチャンネルを少しいじる――――――――――――― ―――――――――――――つまり、痛覚を持っている限り君の能力を封じ、痛覚を再び失った時だけ力が目覚めるようにする――――――――――――― ―――――――――――――それでもかまわないか?―――――――――――――   私はその条件を受け入れ、魔術師の治療を受けた。   その後、私は痛覚を手に入れ、同時に罪の意識を背負った。   既に血に塗れた私は、けれど普通の人間のように暮らしている。   それ故に罪の枷は深く、重く、私を苛む。   苦しく、耐え難いそれを一時逃れるために、私はほんの僅かな間、痛みを忘れていた自分に戻る事がある。こうして、とてもとて  も冷たい水につかり、
感覚を麻痺させて、再びあの見つめるだけの幽霊じみた存在へと戻る。
  傍らにたたずむ青年のことを、もう一度だけ見つめる。   この人は、良い人だと、私は心の底から思った。   この人ならば、私と共にこのなにもない山の奥で暮らしてくれるかもしれない。   本当に、そう思った。   
けれど、それは決してしてはいけない事だという事も分かっていた。
  だから、もう一度だけ戻ろう。今、この時だけはこの『痛み』を捨てよう。   小川に『痛み』を流して、私はまたあの頃の浅上藤乃へ戻っていく。   それは私の罪であり、私が負うべき罰。  「志貴さん。私には、少し変わった力があるんです」  「え?」   当惑したような表情をする。当然の反応だろう。いきなりそんな事を言われたら、きっと私だって戸惑ってしまう。だから、私は  彼に一番理解しやすいように教えてあげた。   狙うのは彼の左腕。左目を閉じて右目だけでそれを――――――――――  「凶れ」   私の呪いは瞬時に力を持って彼の左腕に負荷を与える。そして結果として彼の左腕はあっさりと折れてしまった。  「なっっぐ!?」   彼は瞬時に地面を蹴って私から離れた。単に痛みから体を捻ったという感じではなく、私の視界から逃れるように背後へ回ろうと  する。もう一本、視界にまだある右足を無力化しようとしたけれど、彼は見たこともない身のこなしで一番近く似合った岩の陰に隠  れてしまった。   正直驚いた。私の力が目を媒体にしているというのが分かったような回避の仕方もそうだが、なによりもその身のこなしの素早さ  にだ。かつて嵐の夜に出会った両儀の女性も速かったが彼はその倍は速い。   けれど、決着はついている。この場所では身を隠す事は出来ないし、そんな物があっても私の力で全て壊してしまえばいい。  「わかりましたか?志貴さん。私は、化け物なんですよ」   痛みで視界が真っ白になった。   彼女の瞳が一瞬だけ碧色に変わったかと思った途端これだ。原因も理由も原理も分からないけれど、とりあえず彼女には俺と似た  ような厄介な眼があるということだけを頭に叩き込んで視界から逃れた。傷の度合いはいまは無視。彼女の眼にどんな力があるかは  知らないが、魔眼は基本的に視なくちゃ効果をなさない。だから俺は一番で手近にあった大き目の岩に身を隠した。   左腕は、見事に肘から捻じれている。もうちょっと遅かったらぶちぎられていただろう。   岩の後に身を隠しながら相手の気配を探る。どうにも最近鋭くなった気配を読むよう能力のおかげで、藤乃さんがまだ同じ場所に  立っている事は分かった。その場所から、藤乃さんが声を出した。  「わかりましたか?志貴さん。私は、化け物なんですよ」   まぁ、たしかに世間一般では手も触れないのに人の腕をへし折るような存在は化け物と呼ばれるかな。  「私は、去年とある事件に巻き込まれて、この力を使ってしまいました。この力にさらされた方は一人を除いて皆亡くなられてしま  いました」   私は、人を、殺したんです。   区切るようにして呟かれる言葉に、一瞬息が詰まる。  「だから、私はもう手遅れなんです。取り返しもつかない。私は死ぬまで、一人の方がいいんだと思います」   懺悔を捧げるように、いや、正しくそれは懺悔なのだろう。   本当か嘘かはとりあえず置いておいて、彼女は人を殺した。その力は現代の科学じゃ立証されないから法律という力は彼女を裁か  ない。なるほど、そういった常識ハズレの力を持ってしまった時点で彼女は既に俺たちと同じ『世界』にいる事が出来ない。確かに  手遅れだな。  「お分かりいただけましたか?」  「そうだね。君は、確かに『普通』じゃない」   痛みで乱れそうな呼吸を強引に整えて返事をする。  「なら、早く逃げてください。このまま山を降りて、私に腕を折られたといえば、今回のお話は無かった事になります。そうすれば  父は貴方に治療費を払い、二度とお会いする事もなくなるでしょう」   落ち着いた声音それだけ言う藤乃さん。まったく、どうかしてるって。俺の周りにはこういった人しかいないのか?  「ああ、まったく持ってその通りだね」   けど、  「けれど、それは後回し。泣いてる女の子を置いて逃げるなんてのは男の子としてはやっぱりやっちゃいけないことだからね」   眼鏡を外し、岩影から出た。   藤乃さんは、思ったとおり、泣いていた。  「な、なんで………………」   本当にわけが分からないといった顔でこちらをただ見つめる藤乃さん。その彼女に体には無数に漆黒の線が走り、脇腹の辺りに真  っ黒な『点』が視える。思わず吐きそうなくらい頭痛がするけれど、なんとか堪えた。   だって、自分で泣いていることにも気づいていない彼女の前でこれ以上無様はさらすわけにはいかない。しかし、彼女は俺のした  ことがお気に召さないのか、顔を真っ赤にして叫んだ。  「何で出てきたりしたんですかぁ!!」   彼女の両の瞳から、それぞれ朱と碧色の螺旋が放たれる。狙われているのは右足と右腕。それぞれ緑色が右回転で朱色が左回転の  動きをしている。狙われているポイントには標的のような碧色と朱色の点が出来ている事から、どうやら彼女は視点を軸にしてモノ  を歪曲させられるらしい。   まあ、見えなければ厄介だけれども視えていれば秋葉の略奪よりも対処しやすい。既に刃を出していた七ッ夜で螺旋を断ち切り、  無力化する。  「なっ!?」  「ごめん。俺の目も、ちょっと変わっていてね。君の力みたいな、本当は見えないものを視ることが出来るんだ」   七ッ夜を逆手に構えながら簡単に眼のことを話す。しかし、それで十分だったのか、彼女は俺を睨みつけて、  「それでも、それでも私には敵わないはずです!!私の力は離れていても貴方を、貴方を殺せてしまう!!なのに!!なのになんで  正面に出てくるんですか!!!」   激昂と共に螺旋が放たれるが、悉く『殺して』無害にする。ただし、流石に全てを見切ることは出来ず、足の指やら動かせない左  腕やらを捻られる。冗談みたいな角度に曲げられた腕はとりあえず無視。痛みはとっくに吹っ飛んでいたのがせめてもの救いだな。  俺は螺旋を殺しながらすたすたと藤乃さんに近づいていく。追い詰めているはずの藤乃さんはどんどん後退していき、とうとう川の  中に入ってしまった。俺は少しだけ顔をしかめて、ちょっと強引に前に進む。  「来ないで………」   藤乃さんは小さい川の真ん中まで後ずさって、岩かなにかに躓いて転んでしまった。大丈夫かと思ったところを螺旋が来て左足を  へし折られてしまった。バランスを崩して顔から川に突っ込んでしまった。ううっ………一張羅が台無しになってしまった。秋葉に  怒られそうだ………  「来ないでっ……………」   腹筋だけで体を起こして襲い来る螺旋を無力化する。折れた足は力が入らないが、それでも膝を立てることは出来るようだ。それ  でなんとか立ち上がって藤乃さんへと近寄る。もう手を伸ばせば届きそうなところまで来た。  「来ないでぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!」   叫びと共に、彼女は眼を閉じてしまった。しかし、螺旋は俺の後頭部を狙って迫ってくる。迫り来る死の気配を経験から察知して  これも無力化する。まったく、眼を閉じているのに視点を創れるなんて心眼の持ち主なのか?いや、多分、これは千里眼の類か。螺  旋が飛んできたのは少し離れてたから反応できたんだし。  「ふぅ。………さてと、覚悟は良い?藤乃さん」   俺が尋ねると、彼女はうなだれたままで答えない。ただ、俺が生きている事が不思議なのか、びくっと肩を震わせている。   俺は彼女の返事を聞く前に腕を振り上げて、   パシィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!!!   渇いた音と、頬に走った痛みで私は志貴さんにはたかれたんだと気づいた。  「え?」   わけが分からずそんな声が漏れる。   見ると、志貴さんの手にはナイフが握られていない。本当に、ただ平手で私を打っただけのようだ。志貴さんは右手の指を立て、  左腕を腰に当てて(変な方向に曲がってしまっているから実際には当てられていないけれど)めっと怒った。  「あ、ごめん。痛かった?」   叩かれたショックで一瞬呆然とした。もしかして、彼はこんな事をするためだけに足や腕を犠牲にしてここまで来たのだろうか?  「ああ、でも痛くなくちゃ意味がないか。お仕置きなんだし。うん」   なにか一人で自己完結してる志貴さん。相変わらず私の思考はとまっていて動いてなんてくれない。動かない私を、志貴さんは片  方しか動かない腕を背中に回して抱き寄せた。  「え?ええ?」   慌てる私に志貴さんは耳元で囁いた。  「あ、ごめん。なんか足がもう立ってられなくてさ、少しこうさせていてくれない?」   見れば、私が砕いた足がありえない方向に曲がっていた。これでは立っているだけでつらいだろうに。  「なんで、こんな無茶を………」  「ん?だってさ、こうでもしないと、藤乃さん、ずっと泣き続けなくちゃいけないだろ?」   ぽんぽんと、背中を叩いて、まるで泣いている子供をあやすよう。  「ま、泣く事が出来るのって、大切だからさ。ちょうどここはつらい事を流してくれる小川なんでしょう?なら、ここで全部吐き出  しちゃえばいいと思うよ」   その言葉は、どんな魔法で紡がれた物なのだろうか。   流したはずの、今は無いはずの『痛み』が戻り、それを暖かく包み込んでくれる。   そんなに、優しくされてしまうと、私はまた弱くなってしまう。   だけど、いまはこうして彼は胸を貸してくれている。だから、いまこの時だけはこの優しさに溺れよう。  「ごめん、なさい」   謝罪と、感謝と、それ以上の思いを込めて、私はそれだけを告げて、私は彼の胸の中で泣いた。   小川はもう、私の痛みを流してはくれない。   ただ、私から流れる暖かい滴だけを乗せて、小川は何処までも澄んだ流れを湛えていた。         
あとがき
バランス悪っ(汗)
どうも、駄目人間憂目とです。
なぁ〜ッ駄目だぁ〜藤乃は僕には無理だぁ〜〜〜〜(汗)
彼女は好きなキャラクターなんですがどうしても書けない(滝)
すみません、七夜様。そして読者の皆様。
なんか力尽きましたので、あとがきもこの辺で