結婚騒動 中編 そして当日。 慣れた布団で眠ったせいか、俺はいつになく深い眠りについていた。しかし、そんな中でも夢を見る。 いや、正確には魅せられているのか。 空には見覚えのある蒼い月。劇場めいた森の中。あの日、舞台となった広場はただ静寂に包まれている。 その中央。 舞台の中心に月の妖精のように、夜色のコートを着た銀髪赤眼の少女はいた。彼女は声を出さずに微笑みかけてくれた。それに答 えて俺も微笑み返して少女の隣まで歩く。 「やあレン。お散歩かい?」 尋ねるとレンは小さく頷くと、空を見上げた。言葉には出さないが、月があまりに綺麗だからそれにつられて気ままに散歩を楽し んでいたといっているように思った。 「ここは森の中では一番綺麗に月が見れる場所だからね」 軽く見回して感傷に浸るように呟く。 七夜の里。 琥珀さんの協力を得て、ようやく探し当て、今年の夏に墓参りを済ませた――――――俺にとっての故郷。 焼かれ、壊され、既に無い――――かけがいの無い、大切な場所。 「ありがとう。レン」 傍らの使い魔の頭を撫でてあげる。レンはもっとと言うように上目遣いでせがむ。いつもは毛並みをちょっと触る事もさせてくれ ないレンだがこうして夢の中に潜り込んできた時だけは素直に甘えてきてくれる。 それが微笑ましく、なによりも今日、ここへとつれてきてくれたのが嬉しくて、俺は胡坐をかいて膝の上にレンを載せてそのまま 彼女の柔らかい銀糸の髪を優しく撫で続けた。 小一時間もそうしていただろうか。不意にレンが俺の膝から立ち上がり、こちらに振り向いた。 「ん?どうしたのレン」 (もう、時間なの) それだけでおおよそ分かった。もうすぐ起きる時間ということなのだろう。俺はもう一度ありがとうと言うと、最後にあの夜と違 わぬ、寒気のするほどのするほどの美しい蒼い月を見上げた。 目覚めはいつに無くすっきりとしていた。 サイドテーブルの上に置かれている愛用の眼鏡をかけ、目を開いて布団からゆっくりと体を起こす。 「う〜〜〜〜〜〜ん………」 背中を伸ばして襖を開く。そこは秋の空がどこまでも深く、青く広がっていた。天気は申し分ない。 「あれぇ〜〜?」 いきなり声がして(といっても部屋に入ってきたのは気配で分かっていたんだけど)振り返った。そこには少し驚いた表情の都古 ちゃんが立っていた。どうやら俺が一人で起きていた事に驚いているらしい。そういえば、有間にいた時から俺の寝起きは悪かった からなー。翡翠ほどでないにしても都古ちゃんに起こされると言う事はよくあったことだ。 なんだか途端に情けなくなって自嘲しながら口を開く。 「おはよう。都古ちゃん」 「え!?あ、う、うん。おはようお兄ちゃん」 まだ驚きから立ち直れないのか、大分あたふたとしながら答える。その様が微笑ましくてついつい笑ってしまうと、都古ちゃんは 拗ねたように目をそらす。すると、その視線が俺の後で止まる。 「あ、猫さん」 そういって指さしたほうを見ると、そこには既に何もいない。ただし、一瞬だけとても整った黒い毛並みが視界にはっきりと見え ただけだ。けれどそれだけで十分。都古ちゃんはレンが走り去ってしまってあっと驚いて俺を見上げる。 「いま綺麗な猫さんがいたよ」 「うん。知ってるよ。あの子が俺を起こしてくれたんだからね」 そうなんだ〜っと、素直に信じた都古ちゃんの頭を撫でてから一度部屋を出てもらう。いくら兄弟同然と言っても都古ちゃんの前 で着替えをするわけにもいかないからだ。 卸し立てのYシャツとスーツに身を包んでから一階のリビングへ降りる。俺は昨日から有間の家に戻って、今日もここから出かけ ることになっている。遠野の屋敷から出ても大した差はないのだろうが、それだと秋葉が最後の抵抗みたいな嫌味攻撃をしてくる可 能性が非常に高いので一時避難してきたのだ。 (まったく、秋葉たちも心配性だよな〜。俺なんて放っておいたって向こうから愛想を尽かされるって言うのに) 大金持ちのご令嬢の相手なんて自分には到底無理だ。 下手なことを行って怒らせてしまうのがオチだろう。現に『大金持ち』で『ご令嬢』の秋葉には日頃から憎まれてるんじゃないか と思うほどにきっつい事を言われ続けている。それとこれとは話が別とも思うが、基本的に一般人の遠野志貴にはやはり分不相応な 相手であることにかわりはないだろう。 (さてと、とりあえず身だしなみくらいはしっかりしておくか) 下手をすれば文臣さんに迷惑が言ってしまう恐れがあるのでそれだけは回避しなくてはならない。まったく面倒な話だな。 洗面所で顔を洗い、居間に行くと啓子さんが朝食を並べているところだった。 「あら志貴。おはよう。今日は早いのね」 実際の年齢よりも若く見える啓子さんは本当ににこりと微笑んで挨拶をしてくれる。俺もそれに答えて自分の席―――遠野の家に 戻る前まで座っていた場所に腰を下ろしす。いくばくかして文臣さんが少し慌てた様子で部屋に入ってきた。時計を見てなにやらほ っとしているところから、寝過ごしたと思ったらしい。居間の時計を見て安堵の溜め息をついている。 「ほっ。まだこんな時間でしたか。いや〜寝過ごしてしまったかと思いましたよ。啓子、部屋の時計を十分も早めていたのは貴女で すね」 じと目で啓子さんのほうをみる文臣さん。しかし、啓子さんはどこ吹く風といった感じで、 「いつも支度に時間のかかるアナタのためですよ。今日は寝坊されるわけにはいかないんですから」 シレっと返されて文臣さんは何も言えなくなる。俺ほどではないにしても、文臣さんも朝に弱い。苦笑を浮かべている俺に気づい た文臣さんはばつの悪い顔をして、誤魔化すような笑みを浮かべて、 「ははは。お、おはようございます志貴。昨日はよく眠れましたか」 「おはよう父さん。やっぱり、慣れた部屋だと寝心地が良くって、昨日はぐっすりと眠れました」 それはよかったと言って席に着くと、ちょうど都古ちゃんも来て有間家の朝の食事が始まった。お膳の上には綺麗に炊き上がった 白いご飯と食欲を誘う味噌汁。油がじゅうじゅうと音をたてている焼き魚は秋刀魚だった。それと啓子さんがつけた漬物が添えられ ている。 とても典型的な和食だ。これに日によって納豆や玉子が付いてくる。 琥珀さんの作る料理もとても美味しいのだが、やはり母親の味と言おうか、啓子さんの料理はそれとはまた違う美味しさがある。 久方ぶりと言うのも後押ししてか、とても美味しく感じられて俺にしては珍しくおかわりまでしてしまった。 ………テーブルマナーをいちいちつっこまれないというのも多分にあると思うのは俺だけではないだろうが。 食事を終えると、文臣さんが時間をみる。見合いの時間は十二時からだそうだが、場所は長野の方にある浅上の本家で行われると かで、もうそろそろ出かけなくてはならない。 「さてと、それでは行きますか。志貴、支度はいいですか?」 「大丈夫です」 答えて、荷物の入った鞄を持ち上げる。一泊するだけなので荷物も少ないのだ。ただ、七ッ夜のナイフだけは内緒でポケットの中 にしまったあったりするのだが。衣文かけに引っ掛けておいたスーツの背広に袖を通して準備を終える。着慣れないせいか、なんと なく落ち着かない感じがする。 「お兄ちゃん行ってらっしゃい」 都古ちゃんは笑顔で見送ってくれる中、俺と文臣さんは有間の家を出た。 志貴と文臣が談笑しながら家を出るその様子を三区画ほど離れた路地から監視している一団がいた。 誰あろう、秋葉と琥珀と翡翠と更にシエルの四人だ。全員いつもどおり、つまり秋葉は普段着だが琥珀は着物、翡翠はメイド服、 シエルに至ってはカソックという格好なので目立つ目立つ。しかし、彼女たちにそんな事は瑣末な事。 「ふふふ。兄さんてば、乗り気でないようなことを言っていながらあんなに楽しそうに・・・」 「うふふふ。まったくです。遠野君てば悪い人ですね〜。これは早急に手を打たなくては」 既にほんのり赤味がかったている髪の毛を更に紅くして養父と並んで歩く兄を半眼に睨む。シエルは既に黒鍵を握りしめてすらい る。それを本来とめなくちゃいけない女中姉妹もいまは親愛なるご主人様をじと〜っと睨み、或いはあは〜っと笑っている。その視 線は異口同音で『志貴さん酷いです』といったところか。 「さて、琥珀。これからの手筈はどうなっているのかしら?」 秋葉はやんわりと微笑みながら(髪はきっちりと赤く染めているが)傍らの琥珀に尋ねる。琥珀は琥珀で眼では決して笑っていな い微笑を浮かべて答える。 「はい。勿論ばっちりですよ〜。ではこちらのほうへ」 そう言って路地の奥を指さす。そこには黒いリムジンがしっかりと用意されていた。 「志貴さんと有間様は電車をご利用になられるので車ならば先回りできますよ〜。今日は平日ですし、これで先回りして志貴さんを 無理矢理な縁談から救っちゃいましょう〜」 オウッなんてやる気一杯な声をあげるが、その眼にはきっちりと『ついでに御仕置きですよ、志貴(兄)さん』 と言う文字がしっかりと浮かんでいた。 しかし、琥珀の思惑は外れ、車での移動は予想以上に時間が掛かった。理由は某『型月』という会社の新作ゲームに琥珀が目を奪 われ、運転を誤ってしまい、墨提署のミニパト部隊と壮絶なカーチェイスを繰り広げる事になったから。 とうとう、当日になってしまいました。 空はすっきりと晴れ渡り、秋晴れと呼ぶに相応しいとても深い蒼の空が広がっている。数日前から帰省している浅神の本家では やはり落ち着けて、今朝は大分気分が良い。義父と母はどうしても外せない用があるとかで、今日もここへは着ていない。その代わ りに北川先生が付いて来て下さっているから、むしろ義父と顔を合わせずに済んで助かったと思う。けれど、今日までの数日間、黒 桐さんが持ちかけたお見合いぶっ潰し作戦を思い出して、また頭が重くなるのを感じる。 「お母様、傷は消えれば痛くないけれど、消えてくれない痛みにはどうやって対処すればよいのでしょう?」 珍しく愚痴じみたものを呟いて布団から抜け出して、いつの間にか用意された着替えに袖を通す。きっとお手伝いの女中さんが用 意してくれたのだろう。綺麗にアイロンがかけられたYシャツと朱のフレアスカートを着たところで、タイミングを計っていたかの ように女中さんがやってきて、朝食の時間だと伝えた。たしか、実父がまだ存命している間にあったことがあったと思ったが、どう もこの初老の女性の名前を思い出せない。 その老女は丁寧にお辞儀をして、 「お嬢様、お食事のお時間です。準備が出来ましたら食堂の方へいらしてください」 「………わかりました」 頷いて答えると、老女は足音すら立てずに部屋を出た。私はそのあとを追うようにして部屋を出た。 屋敷は木造平屋作りで、広さは異常なほど。敷地内には森のように木々が生えており、それをバランスよく配置するために幾人も の庭師を召抱えている。 その庭は、確かに美しいけれど私には無価値なものにしか見えなかった。 そう、生命を捻じ曲げて作った美しさなど、何の意味があるのだろうか? そんな疑問を抱えて、私は先生だけが待つ食堂へと向かった。 新幹線で長野駅まで行き、そのあとローカル線を乗り継いで聞いたこともないような駅にたどり着いた。三串峠とかいうその地名 は浅神のご先祖様が宿敵と伝承されている者を返り討ちにした由緒ある土地らしいのだが、由来の正確なところを知っている人間は いないそうだ。 「さて、案内の方が来ているはずなんですけれどね」 駅を降りた文臣さんはきょろきょろと辺りを見回しながらそれらしい人物を探し始めた。 「………別の意味のお迎えなら来てるみたいですよ」 こんな日でもポケットに忍ばせておいたナイフに手をやり、周囲から向けられてくる敵意に備える。田舎のローカル駅のせいか、 人気が無く、それだけに相手の敵意がはっきりと伝わってくる。 「とっとと出て来たらどうですか」 俺の言葉に応じてという事ではないだろうが、物陰から六人の人物が現れた。その中の一人―――頭に白いものを目立たせる矮躯 の老人が他の五人を一歩下がらせて前に出た。老人を除けば、俺自身よりはやや年上といった程度の若者が五人。まるで怨敵を前に しているかのような目でこちらを睨んでいる。 文臣さんはおやおやと言った表情をして 「え〜っと、あなた方は浅上の方でしょうか?って、聞くまでもなさそうですね」 「ふん。貴様らが遠野の赤犬か」 文臣さんの台詞などあっさりと無視して老人が心底嫌悪しているように吐き捨てる。しかし、文臣さんはニコニコとした笑みを絶 やさず、 「これは手厳しい。それで、お爺さん方は我々の案内人ではないようですがなにか御用でしょうか?」 「ふん、知れたこと。あのような忌み子でも本家の正当な後継者。貴様らが如き下賤にくれてやるわけにはいかぬ。今後も浅上がこ のような真似をせぬよう、貴様らには見せしめになってもらう」 言い放つと同時に老人の背後に控えていた青年が一斉に動く。たしかにそれなりに訓練を積んでいるようで、その動きには淀みが ない。 しかし、 「ははは。ご冗談を。この程度で私をどうにかしようと思ったなら、少なくとも倍以上の人間を用意してください」 スーツに埃も付いていないのにそれを払う仕草をする文臣さん。その足元には手刀一閃で気絶させられた青年たちが目を回して倒 れている。ちなみに青年たちはきっちり急所を打たれながら気絶する一歩手前の手加減をされているため、皆苦悶の表情を浮かべて いる。 善良な笑みを絶やさない文臣さんだが、剣道、空手、柔道、薙刀、弓道、合気道に至るまで、武道ならば一通り何でもこなせる腕 を持っている。後々聞いた話だが、遠野とは天敵のような七夜の後継者たる俺が有間の家に預けられたのはなにも有間が遠野の血が 薄く、退魔の血が騒がないということ以外にも、よしんば俺が遠野に敵対してもそれを抹殺しうる実力を持っているからなのだそう だ。 純粋な戦闘技術だけを取るならば、本気になったとしても俺では指一本触れられないだろう。 その文臣さんは相変わらずの笑顔だが、無慈悲に最後の一人、つまり老人に当身を当てているあたり結構怒っているのかもしれな い。 当身を食らって呻き声を上げる老人はそれでも意地で顔を上げ、 「き、貴様………。儂にこのようなことをしてタダで済むと………」 「そういうお言葉は浅上の御当主殿から伺いましょう。貴方のように問答無用に襲いかかる方にまで施す優しさは持ち合わせていな いものでして」 ぴしゃりと言い捨てて老人を捨て置く。 「と、父さん。やり過ぎじゃないですか?」 痙攣まで起こしている人を見て、俺が声をあげると、 「なに、心配は無用。そこに寝転んでいらっしゃるのは唯の地元のヤクザ屋さんでしょうからね。浅上の方とは縁も所縁もない人で しょう」 ちらりと確認を取るように老人を睨む。なるほど。こんな事、見合いの相手が気に入らないからと言って勝手に動いて襲い掛かっ たなんて名を落すとかの問題ではなく、きっぱりと犯罪だ。出る所に出られても浅上に何の得もない。彼らにしてみたら、名前を出 さないでおいて俺たちをぼこぼこにするつもりだったのだろう。 しかし、今回はそれが裏目に出た。 「そういうことですよ。彼らは私たちに因縁をつけてきたヤクザ屋さん。そういうことにしておいた方が双方にとっていいんですよ」 それだけ言って、文臣さんはこちらへと向かってくる車へと歩いていく。俺も老人たちに一瞥だけして、そちらへと歩いていった。 十分ほど待って、ようやく迎えに来たのは黒塗りのリムジンだった。 腕っ節は立とうが生粋の小市民の文臣さんと心の中ではまだ一般人の俺たちはそれを見て呆然とした。 (やっぱり金持ちって車はリムジンしか乗らないものなのかな〜) そんな事でつい感心してしまう。ついつい作者の偏見を突っ込むのも忘れてしまうほどに。 車は俺たちの前で止まると、後部座席の方が開き、中から紺のスーツを着た男性が現れた。年の頃は四十代の後半といったところ だろうか?恰幅の良い体躯に鉛筆で線を書いたような細目で、口元には優しそうな笑みを浮かべていた。 「これはこれは。出迎えが遅れましたね。私は浅上藤乃の主治医と、後見人のような事をさせてもらっているをしている北川武法と 申します。あ、こちらが名刺ですので」 男性―――北川さんはスーツの内ポケットから名刺を取り出して文臣さんに手渡す。文臣さんも名刺を交換して一礼した。 「これはご丁寧にどうも。私は有間文臣と申します。こちらにいる志貴の後見人をさせて頂いている者です」 そう言って、文臣さんが俺の背中を押す。一歩前に出た俺はとりあえず一礼して口を開いた。 「初めまして。遠野志貴と申します」 「ほほぉ。君が遠野のご長男の?」 北川さんが細い目を僅かに開いた。 「ふむ、なかなか利発そうな若者ですな〜。有間様も、さぞや鼻が高い事でしょう」 「ええ。志貴は私の自慢の種ですから」 「はっはっは。それでは道々お話を伺うとして、そろそろ行きましょうか?この先の『拝月堂』という料亭に藤乃も来ておりますか ら」 そう言って北川さんは俺たちに車に乗るように勧めた。一瞬、本当に乗っていいものだろうか悩んだ自分に気づいて、まだ自分は 庶民なんだな〜なんて自覚してたりした。 俺と文臣さんと北川さんを乗せた車は音も立てず、するすると進みだし、目指す料亭へと向かった。
あとがき こんにちは。本当ならば前後編で終わらせるつもりだったのですが・・・(汗) どうにもうまくこぎつけなかったので一度切ってしまいした(土下座) 後編でようやく見合う藤乃と志貴君。 僕に彼らが使いこなせるかはなはなだ不安ですが どうか見捨てずに御付き合いくださいませ(土下座パート2)