No.9‥ジングルベルとはどう言う事か
数年前、山下達郎さんがFM放送のクリスマス特集で、ジングルベルとパットブーン、そしてジングルベルと出雲大社と言っておられ、前者は理解できますが、後者はとても理解しがたい事で、どう言う事を言っておられるか理解する事なく、今日に至っておりましたが、このように言霊解釈しておりまして、少し分かてきたように思えます。
先ず、ジングルベルとは日本語に訳された言葉なのか、それとも訳されずにもとの言葉で歌われている言葉なのかは、勿論原語でそのまま歌われている言葉です。作者はどなたで何処の人か或は民謡なのか図書館、本屋さんなどで調べましたが、このような簡単な事がなかなか分からず、暫く諦めていました。
ところが先日、オカミ様の艇をお借りして運転しかけましたところ、突然パットブーンのジングルベルが聞こえてくるのではありませんか。それは、カセットに入れてある音楽で、作者の名前と出身地を言っておりまして、アメリカのボストンのジェームス・S・ペアポントと言う人で1857年に作ったと確り入れてありました。
それでは、ジングルベルとはどう言う事か推測しますに、おそらくキリストの誕生日を祝うためのベルではないかと思われます。1857年にボストンで作られたと言う事は、アメリカの移民は2百数拾年前からで、またボストンと言う地形も東海岸ですので、ペアポントと言う人の家系は、移民してきてから日が浅い時だったろうと思われ、ジングルベルは移民前の土地で使われていたかに推測されます。
それならば、ヨーロッパのクリスマスについて少し調べてみる事に致しましょう。やはりクリスマスはキリストの誕生を祝い行われていますが、本当の誕生日はいろいろの説が有り判らないそうですが、キリスト教が入ってくる前からの風習、お祭りに習ってキリスト教が取りいれた形になっていて、12月24日をキリストの誕生日にした様です。その風習、お祭りはどの様なものでしょう、ローマ帝国時代では太陽神ミトラを主に信仰していて、その太陽神ミトラの誕生を祝う祭りが冬至で、これから日が長くなり世の中が開け新しい年が始まると言う事で、12月24日に祝っていたといわれています。
その太陽神ミトラとは言霊解釈でどのように解釈できるでしょう。ミ=実を宿る、ト=止まる、ラ=羅列で、太陽系組成で十の神が実になり生まれ、組成が止まり、宇宙にその神が散らばり、その実を宿した神が太陽神であるとなります。この様に不思議に古代の言葉が日本の美濃の言葉の言霊で解けてしまいます。
それで、ジングルベルはサンタクロースがそのベルを鳴らしながらやって来るですが、サンタクロースは所によっていろいろな呼び方があり、オランダではジンテル・クラースと言うそうです。と言う事は、(ジン)テル・クラースの(ジン)グルベルなのでしょうか。また、クリスマスにはジンジャー・クッキーを作り少女が配ったりするそうで、ジンはクリスマスと深い関係がありそうです。そのジンジャーは日本語ではどのように解釈できるのでしょう。ジンは神か人か、ジャーは蛇ジャパンのジャなのか、それで、神の日本なのでしょうか。
そこでジンは神か人の様ですが、朝鮮人、中国人、アメリカ人と国の人をジンと言います。やはり、国の人を日本人は神としてジンと呼び、どの国の人も同じ人、平等な人、神として大切にしたのです。この事は、全ての国の人を縄文人から以前の日本人は人(ジン)、神として大切にしていて、このやさしい民族のはかなさ、戦いの弱さで、渡来人により長い歴史から見れば、一瞬の出来事の様に抹殺され、今の日本人、渡来人の血で染められきっております。確かに美濃で出ております縄文文明後期と言われている遺跡に、縄文人が殺されて住居を焼かれた跡のある遺跡が出ておりますので、渡来人が残虐行為を平然と遣っていた事が証明されます。
そして、縄文人の事を当時蝦夷と言っていましたが、この蝦夷を言霊解釈しますと、エ=ええなー、すばらしいなー、ゾ=ぞーとする、気持ち悪いで、相反する言霊が同居していますが、これはどう言う事なのでしょう。美濃地方にエーゾーと言う言葉が有りまして、どの様に使うかと申しますと、水商売、キャバレーのホステスさんなどの事を「あそこの女給は、そこら中身体を触らせてくれて、美人でエーゾー」と言って蔑んで言います。まさに縄文人もこの様に扱われていただろうと思われ、渡来人の野蛮行為で、女性を攫い自分の性奴隷にしていた事が、言霊解釈する事で明らかに証明されます。
それならば、縄文人の生き残りと言われているアイヌ人はどの様に言霊解釈できるのでしょう。ア=神、イ=痛い、ヌ=ぬめるで、イヌ=駒犬の項で書きました様に、初めに居たで、もうすでに日本の土地に住んでいた(ア)神様と言う事で、最初に渡来してきた人たちは、平和を実現しユートピアを縄文人は築いていた事に驚いて神様と言われたのでしょう。しかし航行技術を手にした渡来人はドォーと渡来して来るようになり、性の欲望に駆られた渡来人により、縄文人は抹殺されてしまったと思われるのです。
この野蛮行為に対して一部の権力者(宮中)から始まった朝鮮民族などの蔑視が今だつずいており、軍国政権の侵略行為もこの延長線だと思えるのではないでしょうか。しかし、この残虐とも思える観念、心の奥底の日本人の中に住み付いており、なかなか拭いされませんが、縄文人のやさしい心に立ちかえり、朝鮮人初め全ての人々を神とし、大切にしていかなければ、日本人は世界平和に貢献できません。と言う事は弥生時代の残虐行為を何時までも恨むなら、永遠に人類が平和を手にする事ができないのです。
そして、トップページに書きましたように日本の縄文時代は、ワインも、クッキーも作って豊かな生活を楽しんでおります。と言う事は、ジンジャー・クッキーは縄文時代の日本のクッキーなのでしょうか。
日本には神社が至る所に有りますが、この神社(ジンジャ)、ジンジャー・クッキーのジンジャーとは何か繋がっているのでしょうか。ジャは古代以前どの様な意味だったのでしょう。やはりジャは蛇ではなかったかと思われ、神社には龍神様を祭っている所は随分あり、出雲大社の御神体も蛇であるとされていますし、縄文時代も稲など穀類を育てていたようで、米倉には蛇が住み着き米を食い荒らすネズミを退治してくれたと思われ、また雨水は稲作など生活する上で重要な物、雨を呼ぶと言われている蛇を祭り、村の守り神とした訳で、神社は本当は神蛇だったと言えるのです。
と言うことは、神社は雨の御恵みを与えてくださる龍神様、神蛇を祭ったところと言う、違う形で古代以前すでにあり、特に沖縄当たりのハブは毒が強くて噛まれたらすぐ処置をしなければ命にかかわります。この様にその地域で一番恐ろしいものを、人の見方にすれば恐怖に至ことはないと言うことから、蛇信仰として守り神にしたのだと思われ、この事は、一万年前世界の権力を誇った日本の生活習慣が到る所に残っている現れで、ジンジャークッキキーとの繋がりを違和感なく捕える事ができ、日本ジャパン(蛇パン)は、世界を治め恵みを与えたいたと言う形の現われなのでしょう。
それで蛇をなぜ雨を呼ぶと言われる龍神様としたのでしょう。昔から、とくに南西諸島では虹を龍と言ったそうですが、龍を言霊解釈しますと、リユウは離れて、ゆっくり、動くで、空を悠々と動くとなり、虹の長さと七色の輝きが蛇に似ているからなのでしょうか。それであるならば、雨が降った後虹が出ると言う事で、蛇を雨の神、龍神様としても不思議ではないと思います。
そして神社は神仏混合として、権力者により仏教が上で神道はその下とされ、神社で坊さんがお経を唱える異常な光景で祭られるようになり、神官さんは明治維新までの間蔑まれ、神官の神職があまりできなかったようです。この様な事を踏まえ、古代神蛇として祭っていた所をなぜ神社としたのでしょう。先ず、漢字の伝来と同じくして仏教が伝わり、ジンジャと言う言葉に、館を立てる事に伴い神社とつけられたかに思われ、キリスト教がクリスマスの冬至の行事、習慣に合わせて入り込み勢力を伸ばしたと同じように、仏教も神蛇に入り込み神社とし、勢力を伸ばしていったかに思えるのです。
又、ヨーロッパではキリスト教伝来以前からあるゲルマン民族のクリスマスのとき行われる行事の一つで、クランプスの鬼と言う行事があるそうですが、鬼が子供たちに姿を見せて、良い子になる様にお説教をするそうです。このクランプスを言霊解釈しますと、ク=苦しみ、ラ=羅列、ン=出る、プ=ぷっつん、ス=すっきりで、クラン=苦しみを散らばらせて出し、プス=その苦しみをぷっつんと縁を切り、すっきりさせるとなり、平和、幸せを願って行われている事が分かりますが、日本にも同じようなお祭りが有ります。それは秋田地方で行われるなまはげの祭りで、良く似ています。沖縄の宮古島にはこれまた同じようなお祭りで、パーントゥと言うお祭りが有ります。このお祭り蔓草を体にまとい、その上から神聖な泥を塗り、鬼のような仮面を被り新築の家、幼い子供にその泥を塗り歩き家まで上がるそうで、小さな子供たちは恐ろしくて泣くそうですが、この泥を塗り歩く祭りは日本本土にも墨、灰などを塗る形であちこちにあり、何か共通の意味が有るようで、やはり子供が素直な良い子に育ってほしいと願い行なわれているように思われ、泥を塗ったり墨を塗ったりするのはどう言う
ことなのでしょう。
先日テレビを見ていまして、あるタレントさんが「私は風呂には入りますが石鹸で洗う事は月に一、二度ぐらいです。そしてその訳は人間には自然と皮膚の回りに菌に対してのバリアーができ、せっかくできた防御を石鹸で洗い流す様な事は皮膚にとて良くないから」と事実なのか分からないのですが、言っておられました。しかし、これはとても需要な事で、今の現代人を見てください。潔癖性と呼べる人が殆どではないでしょうか。この事はどう言う事かと察しますに、菌に対して免疫の少ない人が徐々に増えてきているのではないかと思はれ、結核なども初期のペニシリンでは今は利かないそうで、かなり強い抗生物質でないと駄目だそうで、このまま進めば結核に利く薬はなくなってしまうような気がいたします。やはり人は自然に生きることが一番大切なことで、科学、医学の力で自然を押さえることは無理が生じ、行き着くところは人に付けが回ると言うことなのでしょう。このことは太古の昔から知り尽くされていたと思われ、当然菌に対して抵抗力を付ける為に行ない、潔癖性を諫めたことから行なわれるようになったと思われるのです。
そして、クリスマスに使うツリーの木、マツ科の常緑針葉高木、樅の木ですがこの木ジャパニーズ ファーと言うそうで、日本の樅の木と言う事なのでしょう。日本には秋田県から屋久島までの山地に自生するそうですが、このクリスマスツリーの起源はデンマークだそうで、木の神様に願いを込めてリンゴなどを吊るしお祈りをした事が始まりと言われています。
それで、ファーを言霊解釈しますと、フ=吹く、ア=神で、ふわぁーと神様が現れるとなり、フットンチットがふわぁーと漂い病気を直してくれるなのです。この様に木を神様として願いを込めてお祈りをする習慣は、シーザーの項で書きました様に、日本の木を御神木として祭る行事と同じでは有りませんか。ただ、しめ縄、紙垂がリンゴに変わったのか、供物がリンゴに変わったか、だけなのでしょう。
ちなみに、クリスマスを言霊解釈しますと、ク=苦しみ、リ=離れる、ス=すっきり、マ=希に見る美しさ、ス=すっきりで、クリス=苦しみを取り去りすっきりさせて、マス=美しくすっきりとは、気持ち良い顔にしてくれる、幸せにしてくれるとなり、クリスマスに関しての行事などは、この暗黒の世の苦しみから抜け出し、幸せで平和な世の中が来るよう願い行なわれている事が、言霊解釈する事で分かってきます。
それでは、ジングルベルを言霊解釈致しましょう。ジ=字、ン=出る、グ=握る、ル=存在、ベル=見下した存在で、ジはこの場合、只単に字だけではなく宗教の項で書きましたように、権力の現れ、自由の意味も有り、ジン=自由の権力が現れた、グル=握った存在なのですが、ここでバベルの意味を含め合わせると、ジングルベルがより良く理解できます。バベルは[世界を治めた所(王)が存在した]ですので、この王は、自由の権利を握り持って現れた王の存在だったとなります。そうしますと、自由の権利、字の権利とは、ハジチで解きましたように、女性の権利なのです。と言うことは、女性が権利を握り王として世界を収めた。ベルを鳴らすと言うことは、平和の存在が現れることを願い鳴らされているとなり、太古に確立された女性を中心とした宇宙の心理の世の中が再び来ることを願い鳴らされていのであります。
それならば、宇宙の心理のキィワードはどこに有るのでしょう。それは、日本に有ります。なぜならば、ジングルベルは[神宮ルベル]なのでありますから。
![[津島神社の画像]](jinguu.jpg)
神宮、神社は日本の至る所にあります(津島神社)
Copyright(C)Teruhide Takagi.1997.12.24
参考にした本;クレヨンハウスのクリスマスはスゴイ!!