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          オリーブ色のバス
                                 すやまたけし


          ○
 ぼくが、その港のある町を訪れたのは、何年ぶりになるだろうか。子供時代を過ごしたその美しい町を、ぼくは忘れたことがない。その後、引っ越しをして、遠く離れてしまったが、ぼくの記憶の中には、そのころの楽しかった思い出とともにいつまでもその懐かしい姿が生きつづけている。
          ○
 高架の私鉄線が見えるところに、そのバス停はあった。夕暮れになり、国道を行く車のテール・ランプや、信号の色が鮮やかに見えるころ、そのバス停には、いつも、外国人の男の子と女の子が立っていた。ぼくたちは、遊び疲れて家に帰ろうとする時に、ふたりの姿をよく見かけたものだ。彼らは、ぼくたちと同じくらいの年齢だった。
 その町には、ある外国の軍隊の基地があった。そのバス停は、軍関係者とその家族たち専用のバス停だった。そのふたりの子も、おそらくその家族だったのだろう。
 ぼくたちは、たいてい、その日の遊びで汚れたTシャツと半ズボンを着ていたが、ふたりはいつも上品できれいな服を着ていた。そして、大きなバッグをさげていた。
 ふたりの顔は、とてもよく似ていた。ぼくたちは、彼らが双子だろうか、姉弟なのだろうかとうわさをしたことがあった。女の子のほうが、いくらか年上のようにも見えたが、実際のところはわからない。彼らはそのバス停で、オリーブ色のバスを待っているのだった。オリーブ色、いや、あれは正確にはオリーブ・ドラブ色というのだろう。陸軍の軍用
車や軍服によく使われている迷彩用の淡緑かっ色だったのだろうと今では思う。しかし、そのころのぼくは、そんな色の名前は知らなかったし、また、記憶の中ではもっと明るいオリーブ色として残っている。
 そのオリーブ色のバスは、薄暗くなった町をどこからともなく現れ、大きな車体を揺らしながら、そのバス停に停車する。ドアがギチンと折れて開くと、男の子と女の子は待ちかねたようにバスのステップをあがり、手すりにつかまりながらバスの中に消えていく。
そして、ふたたびドアがしまり、オリーブ色のバスはエンジンの音を響かせて、そのバス停を離れていく。
 ぼくたちは、オリーブ色のバスが夕暮れの町を去っていくのを立ちつくして見送った。
あのオリーブ色のバスはどこまでいくのだろうか。ぼくたちの知らない町へ、男の子と女の子を運んでいくのだろうか。
 ふたりの子供は、いつもそのバスのうしろの座席にならんで座った。ぼくたちは、ちょこんとバスの窓から見える彼らのうしろ姿を、なごりおしげに見送るのだった。
 あのオリーブ色のバスは、ぼくたちにとって、知らない町から現われ、知らない町へと消えていく不思議な未知の国のバスだった。そして、ふたりの外国人の子供たちも、子供時代のぼくたちに、遠い見知らぬ異世界へのほのかな憧れと、はかない夢をかいま見せてくれたのだった。あの町を思い出す時に、いつもオリーブ色のバスの懐かしい姿が心の中によみがえってくる。そして、あのころの遠い夢が、小さくなっていくオリーブ色のバスのうしろ姿に重なり、ぼくはほろ苦い感傷に心を揺らされるのだ。
          ○
 ぼくが、ひさしぶりにその町を訪ねた時に、そのバス停に自然に足が向いたのも、そのような思い出があったからだった。
 町はすっかり変わっていた。国道に沿って新しいビルが立ちならび、ぼくが住んでいた場所もしゃれたマンションになっていた。ぼくは記憶をたどりながら、その町を歩いた。
 夕日はビルにかくれ、青い夕暮れが静かにおりてきた。国道を行く車が交差点でブレーキをかけると、テール・ランプが赤く灯り、その色が鮮やかに夕闇ににじんで見えた。
 街角をまがって、あのバス停のある場所が見えた時に、ぼくは一瞬、自分の目を疑った。
その町にあった基地は返還されて、軍人たちも遠い母国へ帰ったことを聞いていたので、まさかあのバス停が残っているとは思っていなかった。しかし、そこには昔のままに、あのバス停があったのだ。しかも、あの男の子と女の子が、あのころと同じ姿で、オリーブ色のバスを待っていたのだ。
 ぼくは、めまいに似た不思議な感覚を覚えた。心と記憶が微妙に揺れた。子供のころの自分に突然、戻ってしまったのだろうかと思った。ぼくは、まわりの景色と自分の手足を確かめてみた。間違いなく、今の町と、今のぼく自身だった。そのバス停とふたりだけが、昔のままに、幻影のように、そこに取り残されているのだった。
 ぼくは、大きく深呼吸してみた。そして、もう一度ふたりを見た。彼らはあのころのままだった。ぼくだけが、年をとってしまったのだ。ふたりは、ぼくが近づいていくのを気にもとめず、あのころと同じように、ふたりだけにわかる言葉で話をしていた。
 その時、ぼくの右を大きなバスが風を巻いて追い越していった。あのオリーブ色のバスだった。オリーブ色のバスは、ふたりの待っているバス停で停車した。ドアが開き、ふたりはそのバスに乗ろうとした。ぼくは反射的に走りだし、ふたりがバスに乗りこんだところにようやく追いついた。ぼくのその時の行動は、決して、頭で考えたものではなかった。
子供のころからのオリーブ色のバスに対する潜在意識が、その時とっさに、ぼくの身体を動かしたのだろうと思う。
 しまりかけたドアからすべりこむように、ぼくはバスのステップをあがった。帽子を深くかぶったバスの運転手は、ぼくに何も言わなかった。そして、バスは車体を震わせて動きはじめた。
 乗客は、ぼくたちだけだった。先に乗ったふたりの子供は、いつものように一番うしろの座席に座った。ぼくは、彼らの少し前の席に座った。ふたりとも、ぼくのことなど少しも気にかけなかった。
 オリーブ色のバスは、夕暮れの町を走っていく。車窓を流れていく街並を、ぼくは無言のままぼうぜんと眺めつづけた。どこへ行くのだろう。
 バスは、ぼくの知らない道を走りつづける。暗くなるにしたがって、通りのビルの窓や、列をつくる車の明かりが輝きを増してくる。うしろのふたりは、がらんとしたバスの中で、落ちついた表情のままだった。ぼくは、どぎまぎした心をさとられないように、平静さをよそおっていた。
 オリーブ色のバスは、やがて、金網のフェンスで囲まれた外国軍のキャンプ地にたどりついた。外はすっかり暗くなり、紫色の霧があたりをおおっていた。そして、バスは門で検問を受けたあと、その中に入っていき、住宅が立ちならんだ通りで停車した。
 ふたりの子供がそこでバスをおりたので、ぼくもそのあとにつづいた。オリーブ色のバスは、またエンジンの音を響かせて、霧の中に消えていった。あたりに懐かしい排気ガスの匂いが漂った。
 男の子と女の子は、暖かい明かりのもれる家の中に帰っていった。ぼくはその場所に、ひとりぽつんと取り残され、何とも言えない哀しさと寂しさを味わった。
          ○
 そのあと、ぼくはどこをどうして帰ったものか、まったく覚えていない。気がつくと、ぼくはひとり、夜の町に立ちつくしていた。
 次の日、その町に住む友人から、あの外国軍のキャンプ地は数年前に返還されて、その跡地は公園になっていることを聞いた。
 ぼくは、今度、その公園に行ってみるつもりだ。もしかしたら、あのふたりの家のあったところで、ふたたび彼らに会えるかもしれないから。

[ おわり ]


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