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          泣き石
                                 すやまたけし


          ○
「それは、こういうことじゃありませんか」
 と、ぼくは宿の主人に言った。
「つまりですね。その山には洞窟があるのでしょう。洞窟には、複雑に穴や隙間があいていて、そこを風が吹き抜ける時に、その変な泣き声がするんだと思いますよ」
 宿の主人は、熱いコーヒーを飲みながらぼくに言った。
「洞窟は、確かにあるけれどね」
「そうでしょう。そうでしょう。そうだと思いました。その洞窟の中の空気は、地下水と同じで、一年をとおしてだいたい同じような温度なんですよ。つまり、洞窟の中は、夏は外気より涼しく、冬は外気より暖かいんです」
「それぐらいは、わたしだってわかる。洞窟の中にはいると、夏はひんやりするし、冬は暖かく感じるからね」
「するとですね、洞窟の中の空気と外気との間には、比重の差ができます。つまり、洞窟の中の空気は外気より、夏は重く、冬は軽くなります。もちろん、外の気温の一日の変化とも、微妙に関係してくるのでしょうが。それで、洞窟の中には、夏は上から下へ、冬は下から上へ、空気の流れができるわけです。その時に、洞窟の中の複雑な穴や隙間に急激な空気の流れが生じ、そのような音がするのでしょう」
 宿の主人は、難しそうな顔をして言った。
「それが、もっとも合理的な説明だろうね。しかし、あの泣き声はだね、とてもとても、そんな風の吹き抜ける音とは違いますよ。あなたも、聞いてみたらいい。あれは、岩山に封じこめられた魔物の泣き声なんですよ」
 そして、彼はその村に伝わる伝説を、ぼくに話しはじめた。
「あの岩山には、昔、邪悪な魔物が棲んでいて、村の人々は非常に恐れていた。凶事や災害や、村人が行方不明になるのは、その魔物のしわざだと考えられていた」
 こういう話は、どこの地方にもよくあることだ、とぼくは思った。
「ある日、この村を通りかかった聖人がいて、村人たちがその魔物におびやかされていることを知り、ひとり山に入っていった。彼は聖なる秘術をつくし、魔物との死闘の末に、その魔物を岩山に封じこめることに成功した。魔物は岩山の全体に、しみこむようにとじこめられたということです」
 そして、彼は息をひそめていった。
「それでね、その魔物の怨念をこめた泣き声が聞こえてくるわけです。真夜中になると、その泣き声が岩山から聞こえてきますよ。ええ、今夜だってきっと聞こえてきます」
 宿屋の主人は、ぼくを脅すように言った。
「あれは、決して、洞窟を吹き抜ける風の音なんかじゃありません。あなたも聞いてみればわかりますよ。あの呪うような泣き声は、暗黒の地の底にとじこめられた悪魔の泣き声なんですよ」
 地方の宿屋の主人の中には、こうして旅の客を驚かして喜ぶ者がいることを、ぼくは知っている。たいていは、怪談や民話にまつわる話が多いようだが、まずは、陳腐で非現実的な話ばかりだ。しかし、彼の話はまた手がこんでいた。
 ぼくが、平静さを失わず、その話を信じそうにないことを知ると、彼は奥の部屋から石のかたまりを持ってきた。それは、てのひらに乗るほどの大きさの白っぽい石だった。ノミか何かで、山から砕いてとってきたのだろう。表面は荒れて、角ばっていた。
「この石なんですがね、これはその魔物の封じこめられた岩山の石をとってきたものなんですよ。つまり、この石にもその魔物の一部がしみこんでいるというわけです」
 ぼくはその石を手にとって、明かりにかざしてまじまじと見つめた。どこといって特徴のない、どこにでもありそうな石だった。
「この石の中にも、その恐ろしい魔物の一部分がとじこめられているということですか。
それを確かめるわけにはいきませんね」
 と、ぼくは不思議そうに、宿屋の主人に聞いた。
「ええ、もちろん、この石にとじこめられている魔物を見るわけにはいきません。しかし、その石は真夜中になると泣くんですよ」
「えっ、この石が泣く?」
「そうです。泣くんです。これは、このあたりでは、泣き石と言われています」
 彼は、相変わらず、真面目な顔で言う。いつ、彼が「冗談ですよ」と種明かしをして笑いだすか、とぼくは思っていたが、彼は最後まで真剣だった。
「どうですか? この泣き石を、今晩、あなたの部屋に置いてみませんか?」
 彼の口調は、まるで、ぼくの度胸を試しているかのように、挑戦的ですらあった。こうまで言われると、ぼくもそれを受け入れないわけにはいかなくなった。ぼくは、その石をしっかりと握りしめた。
          ○
 ぼくは、自分の部屋にその石を持って、引きあげた。ぼくの部屋は、二階の一番奥にあった。ドアに鍵をかけて、ひとりになると、もう一度、手に持っている石を見なおした。
 今ごろ、彼は、うまくだましたと笑っているのじゃないかな、とぼくは思い、苦笑した。
その変な石をもてあますように、窓のそばの机の上に置いた。
 ベッドに入ると、昼の旅の疲れが身体中にしみわたり、ぼくはいつのまにか眠りに包まれた。
          ○
 胸に何かが重くのしかかるような気がして、ぼくは目を覚ました。部屋の中は真っ暗だった。窓からさす薄い光だけが、部屋の輪郭を教えてくれている。
 何時だろうと、枕元に置いた腕時計をみると、すでに一時をまわっていた。悪夢にうなされていたのかもしれない。息が苦しい。額には脂汗がにじんでいた。
 ぼくは、大きく深呼吸をしてみた。空気が、いやに重たくねばっこく感じられた。夢の中で聞いた何かの泣き声が、耳の底に残っている。耳を澄ましても、その音が耳なりのように聞こえているような気がした。
 違う、耳なりとは違う。その悲しい泣き声は、外から聞こえてくるのだった。宿の主人が言っていた、あの岩山のほうから聞こえてくるのだ。確かに、岩山が泣いている。
「いや、違う。あれは洞窟を吹き抜ける風の音なんだ」
 と、ぼくの心の中の理性が言う。しかし、あまりにも無気味なその音は、地の底からの泣き声に違いがなかった。とじこめられた、魔物の恨みのこもった泣き声だった。
 ぼくは、毛布を頭までかぶり、耳をふさいだ。泣き声は消えない。心の中にまで侵入してくる。狂おしく、悲しい呪うような泣き声だ。
 その遠い岩山の泣き声に呼応するように、机の上に置いた例の石が泣きはじめた時には、宿の主人の話を信じなかったことを、心底から後悔した。岩山と泣き石は、大気を震わすように、交互に夜明け近くまで泣きつづけた。
 この話を信じないのは、無理もないと思う。ぼくの悪夢か幻聴なのだろうと、思われても仕方がない。石が泣くなんて、そんな理不尽なことが起こるはずがない。そのとおりだろう。
 じゃあ、きみはこの泣き石を、今夜、枕元に置いて、眠ることができるだろうか? そう、そんなに、ぼくの話を信じないと言うのなら、この石を貸してあげよう。ただし、この石を割ったり、砕いたりしてはいけない。この中に封じこめられた魔物を、この世界に解き放つことになるからね。

[ おわり ]


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